憎しみの檻
迷い
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ドアが閉まる音を聞き、緊張を解いて息を吐いた。
寝たふりをやめて目を開ける。
嫌だと言ってもあの男が聞くはずもなく、昨夜も無理やり体を奪われた。
アシルが欲しいのは、わたしの体。
他の女と比べて何がいいのかはわからないが、何年も飽きることなく抱きに来る。
心なんてどうでもいいんだと思っていた。
いつでも切り捨てられる都合のいい女だから、彼はわたしを選んだだけだと。
体を起こして部屋の隅へと視線を動かす。
隅に置いてある屑篭には、アシルが持ってきた土産とやらが、昨夜投げ込んだ時のまま入っている。
包装されているから中身はわからないけど、大きさからいってアクセサリーの類だろう。
だからきっと、どこかの女に渡すために買ったのだと想像した。
だって、わたしのために買うなんてありえない。
わたしは彼の恋人でも、ましてや愛人ですらないのに。
目当ての女に贈り損ねて、または必要がなくなって押し付けにきたのだ。
残り物を渡されたと無性に腹が立って捨てたけど、先ほど去り際に残された言葉が引っかかった。
『昨夜の土産はお前のために買ってきた物だ。ちゃんと似合う物、選んだつもりだぜ』
わたしのために選んだの?
あの男が、わざわざ?
そんなはずがあるものか。
物を与えて気を緩ませて、さらに酷い仕打ちをしようと企んでいるに違いない。
あの男は敵だ。
卑怯で卑劣で騎士のフリをした暴漢。
わたしから全てを奪い、娼婦同然に貶めて楽しむ最低の男だ。
嫌悪と憎悪がアシルに抱くわたしの感情の全て。
触れられた肌さえも汚らわしく感じるのに、あの中身がどんな高価なものであろうとも身につけられるわけがない。
あんなもの視界に入れたくない。
さっさと外に出してしまおう。
寝台から出て屑篭に近寄る。
屑篭を掴んで部屋を出ようしたけど、足が動かなかった。
掴んだのは篭ではなく、捨てるはずの土産。
手が勝手に包装を解き、包みから小さな箱を取り出す。
蓋を開ければ、水色に輝く石をあしらったアンクレットが入っていた。
これがわたしに似合うのだろうか……。
気がつけば、食い入るように見つめていた。
わたしはどうしてしまったんだろう。
なぜ捨てられないの?
こんなもの、惜しむ必要なんてないのに!
床に叩きつけようとしたけど、できなかった。
自分でも理解出来ない感情が捨てることを躊躇させた。
衝動的に箱を机の引き出しに押し込み、乱暴に閉めた。
あれ以来、見ることもできない、捨てることもできないアンクレットは机の引き出しに入れたままだ。
アシルは何も言わない。
目の前で捨てたのだから当然なのだけど、気にもしていないことが腹立たしい。
わたしはおかしい。
憎いと思いながらも、あの男にちらつく女の影に嫉妬を抱き、何日も顔を見なければ落ち着かなくなる。
以前は、早く興味を失って目の前から消えてくれることを願っていた。
それなのに今は、気がつけば気配を追い、彼がわたしを求めてくるたびに、嫌がりながらも心の奥底で安堵しているのだ。
しっかりしなければ。
アシルは敵であり、憎むべき仇。
いつかこの手で殺す男だ。
憎しみは変わらずわたしの心に根付いている。
彼から与えられた心の傷は癒えていない。
全てを失った悲しみも消えず、わたし達の関係も距離も何も変わっていない。
憎み、殺意を抱きながら、彼を求める矛盾した気持ちが生まれてくる。
そうだ、わたしもあの男の体だけが欲しいのだ。
この身に悦びを与える快楽だけが、わたしが望むもの。
決して、アシルが欲しいわけじゃない。
珍しく昼間に来たかと思えば、空き部屋に連れ込まれて抱きしめられた。
鍵をかけてあるとはいえ、すぐ外を誰かが歩いてくるかもしれないのにだ。
「やめなさい! こんな昼間から何のつもりよ!」
腕の中で暴れて、胸を叩く。
彼の頑丈な胸板はわたしの拳で殴った程度ではびくともしない。
「うるせーな、何もしねぇから黙ってろよ」
アシルはうるさそうに命じて、本当に何もしてこなかった。
ただ、わたしを抱きしめて立っているだけ。
耳をくすぐる吐息。
胸から伝わる鼓動。
わたしを包み込む腕と体の温もり。
それら全てを心地良いと感じてしまう。
こんな感情認めない。
認めてはいけない。
アシルは敵、憎い敵。
大きくなっていく憎悪と相反する気持ちに目を背け、わたしは心に言い聞かせる。
わたし達の間にあるものは互いを滅ぼす負の感情だけ。
それだけでいい。
いつか機会がめぐってきたら、わたしは迷わずあなたを殺す。
END
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