憎しみの檻

王子様の独白

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 王族に生まれついた以上、縁組というものには何らかの利害が絡むことは承知していた。
 王妃である我が母も政略結婚で嫁いできた。
 さらに父には政略で娶った側室が十数人いる。
 さほど情熱的な恋愛に関心のなかった父は、それを不満に思うこともなく妻達を慈しみ、子供を生ませた。
 そのため、私には異母兄弟が大勢いるが、母の権力は強く、王位継承権は正妃の子である私と二人の兄にしかない。
 では、他の子はどうなったのかというと、男子は臣下の貴族の家に養子に出され、女子は王女として育てられるが、将来的には政略結婚をさせられる。
 アーテスの王宮は表面上は穏やかだが、一歩内部に踏み込めば、ドロドロとした権力闘争やそれに付随する人々の欲望が渦巻いているのだ。

 私は第三王子だが、正妃の子であり、王位継承権も持っている。
 兄上達に取り入る機会を逃した貴族達が、私に狙いをつけるのは自然な成り行きだった。

「フェルナン様、あちらで私と二人っきりでお話を……」
「それより、私とダンスを踊ってください」
「フェルナン様、お待ちになって!」

 舞踏会に顔を出せば、貴族の息女達が集まってくる。
 私と吊り合う年齢のため、まだ十を越えたばかりの子供ばかりだが、彼女達は自分の役目を心得ていた。
 いや、王子の花嫁というのは、幼くても少女の関心を引くには十分な肩書きなのかもしれない。
 美しく着飾った花達は、私の前では愛らしく淑やかに振る舞ってはいるものの、水面下では苛烈な牽制と蹴落としの作業に血道を上げる二面性の持ち主ばかりだった。

「フェルナン様? どちらに行かれたの?」
「フェルナン様がいなくなられたわ! どこの女が抜けがけしたの!」
「ちょっとあなた、邪魔よ! その程度の容姿でフェルナン様に近づこうなんて身の程知らずな!」
「そっちこそ、鏡見て出直してきなさいよ!」

 大柄な警護の騎士達の影に隠れてその場を離れると、遠くから彼女達の罵り合う声が聞こえてきた。
 ライバルに醜い嫉妬心や怒りを剥き出しにして、対象には偽りの笑顔で接し、駆け引きを仕掛けてくる少女達。
 これらの体験から、女性とは怖い生き物だとの認識が私の脳に強く刷り込まれた。
 こんなわけで私はどちらかといえば、女性が苦手だった。




 私とは対照的に、乳兄弟であるアシルは女性が大好きだ。
 正確に言うと、彼が好きなのは女性の体なのだが……。

「女の良い所? やっぱ、乳がでかくて締まった尻の、肉付きの良い抱き心地もばっちりな女が最高っすね」

 若干十二才にして、有名な童貞食いの貴婦人を相手に初体験を済ませた彼は、私の問いに嬉々として答えた。
 この時の我々の年齢は十三才ぐらいだったと思う。
 そんな生々し過ぎる返答をもらって、ひどく困ったことを覚えている。

「いや、そういうことじゃなくて。こう、もっと夢があるというか、可愛く感じる所なんかを……」
「可愛く感じる所ねぇ。服脱がす時に、恥ずかしがるとかそういうの?」
「すまなかった。お前に聞いたのが間違いだった。今の話は忘れてくれ」

 一番身近な同性はこんな調子で、私とは別の意味で間違った方向に成長していた。
 私自身もいずれ迎える初夜で失敗しないようにと、とある貴婦人から契りの手ほどきを受けたが、その気のない行為は虜になるほど気持ち良くはなかった。
 心を奪われるような異性との出会いが訪れることはなく、甘い初恋の体験もなく、私は騎士として戦場で過ごすことが多くなった。
 動いていれば性欲も発散され、それほど困ることもない。
 健全なのか不健全なのかはわからないが、さして妻が必要だとも思わなかったのだ。

 しかし、十八の年に成り行きで妻を娶ることになった。
 相手は戦で支配下に置いたネレシアの王女エリーヌ。
 十も年下の子供の姫だったが、私が娶らねば彼女は伏魔殿のごとき後宮に放り込まれるのが目に見えており、亡きネレシア王の遺言も気にかかっていたこともあって、私は王女を妻にすることにした。

 保護が目的だったため、彼女自身について干渉する気はあまりなかった。
 后として不自由のない暮らしをさせ、彼女が大人になれば夫婦として一通りの義務を果たせればと、そんな気持ちで屋敷に連れ帰り、共に生活を始めた。
 これも政略結婚の一つだと割り切っていたのだが……。




「フェルナン様、お帰りなさいませ」

 私が帰宅すると、小さな姫が毎日笑顔で迎えに出てきてくれる。
 清楚な白いドレスを着て、緩やかに波打った金髪を揺らして、いそいそ出てくる姿は可愛らしかった。

「ただいま、私の留守中に何か困ったことはなかったかい?」
「はい」

 エリーヌの笑顔を見ていると、一日の疲れが吹き飛んでいく。
 彼女の態度が私の前でだけ繕われたものでないことは、周囲の証言で確認済みだ。
 屋敷の使用人達は口を揃えてエリーヌを褒めた。
 まだ小さいのに我が儘を言わない、誰にでも優しい、いつも笑顔が絶えない等。
 若い娘の作法に煩い古株の侍女達からの評判も良かった。

 エリーヌのおかげで、私の女性観は変わった。
 世の中には、裏を持たない、こんなに可愛らしい女性もいるのだと。
 子供ならではの純粋さかもしれないが、それならそれで、このまま大きくなって欲しいと切に願わずにはいられない。

「お疲れになられたでしょう?」
「いいや、君の顔を見たら疲れも飛んでいったよ」

 笑顔の上にある金髪に触れようと手を伸ばす。
 その途端、刺すような視線を感じた。

 殺気を追って視線を滑らせると、美しい侍女がこちらを睨んでいた。
 エリーヌと同じ金髪碧眼を持ち、主より七つ年上の彼女の名はレリア。
 ネレシアから唯一エリーヌの供をしてきた彼女は、主君を守ることを己の使命としていた。

 その彼女の敵意が私に向けられている。
 強い非難の視線に負けた私は、すごすごと伸ばした手を引っ込めた。

 別に変なところを触ろうと思ったわけではない。
 ちょっと頭を撫でようとしただけだ。
 だが、彼女の視線は、まるで変質者を見咎めるような鋭いものだった。
 私はそんなに危ない表情をしていたのだろうか?
 気になったので、アシルに尋ねてみた。




「頭を撫でようとした時、姫に対してどう思われました?」
「そうだな。可愛いくて触りたい、抱きしめて頬ずりしたいぐらいだった」
「あー、そりゃ危ないっすね。完璧ロリコン入ってますよ」
「ちょっと待て! ロリコンとは幼女に性的興奮を覚える輩のことだろう? 私は違うぞ、エリーヌを抱きしめたいが、裸を見てどうこうしたいとは絶対に思わない!」

 危うく幼女愛好家の烙印を押されそうになって慌てた。
 アシルは私の様子を見てニヤニヤ笑っている。
 からかわれたのか?
 アシルは時々、子供のような意地悪をするからな。
 私の反応に満足がいったのか、アシルはまともな答えも返してくれた。

「侍女殿は警戒心が強いですからね。殿下だけじゃなく、姫に近寄る男はもれなく似たような視線で威嚇しています。頭撫でるぐらいのスキンシップなら、気にしなくてもいいんじゃないですか? 姫が嫌がらなければ、侍女殿も文句は言わないでしょう」
「そうだな、私は邪まな気持ちでエリーヌに触れるわけじゃない。堂々としていればいいんだな」

 後ろめたさを感じるから、レリアの視線が気になるのだ。
 何も後ろ暗いことはない。
 子供を可愛がるだけだ。
 年の離れた妹のように、エリーヌを可愛がりたいだけなんだ。




 エントランスに足を踏み入れると、整列して私を迎える使用人達の奥からエリーヌが出てきた。
 作法を乱さない程度の急ぎ足で駆けて来る姿を見て、愛しさが込み上げてきた。

「お帰りなさいませ!」
「エリーヌ、ただいま」

 私は両手を広げて彼女を招いた。
 エリーヌは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、次の瞬間笑顔で抱きついてきた。
 思いのほか、細く柔らかい体に感動を覚えながら、しっかりと彼女を抱き上げた。

 ああ、良い匂いだ。
 ほのかに甘い香りが漂う髪に陶酔し、瞼を閉じる。
 腕の中の存在を、今この時、至上の宝物だと認識した。

 至福の時間は、またもや殺気で破られた。
 はっと目を開けると、予想通りではあったが、レリアの険しい顔が目に映った。
 ここで負けてはいつもと同じだ。
 エリーヌを抱え直し、横抱きにした。
 そしてエリーヌに問いかける。

「エリーヌは出迎えの時、私と抱擁するのは嫌?」
「いいえ、そんなことありません」

 エリーヌは満面に笑みを浮かべて答えてくれた。
 よし、これで第一関門は突破した。

「頬にキスもしていいかな?」
「はい」

 偽りではない証拠に、彼女は私の頬に自ら唇を押し当てた。
 私もお返しに、口づけを返す。
 抱擁とキスだけなのに、胸の中がぽかぽかと温かい。
 初めて感じる不思議な気持ち。
 もしかすると、これが恋なのだろうか。




 やっと念願を果たした私は上機嫌でエリーヌを下ろした。
 手を繋いで歩き出し、廊下の隅に強張った表情のまま立っているレリアに近づいていく。
 すれ違う瞬間小さな声でレリアが私に囁いた。

「エリーヌ様に無体を強いた時は、お覚悟なさいませ」

 背筋が寒くなるほどの低い声だった。
 今のは脅しではない。
 もしもそうなった時は彼女は主君を守るべく必ず行動するだろう。
 レリアにとってエリーヌは、己の命よりも優先すべき宝物なのだ。
 その気持ちがわかるから、私は落ち着いて彼女に囁き返した。

「安心していいよ。エリーヌは私の宝物でもあるんだ」

 遅い初恋の相手は、幸運にも妻となった人だった。
 愛しいと自覚すれば触れ合いたくもなったが、大切だからこそ自制が働く。
 ゆっくりと花開く予定の蕾を育てるのもまた楽しい。
 咲いた花を愛でるのはまだ何年も先だけど、幼いからこその可愛さを愛でるのもいいものかもしれない。


END

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