憎しみの檻

-もしもの物語-

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「わかったわ」

 覚悟を決めてアシルの目を正面から挑戦的に見据えた。
 借りは作らない。
 だけど、エリーヌ様のお傍にいるために、わたしは自分を守らなくてはならない。
 そのためなら何と引き換えにしても構わない。

「いいのか?」

 自分から言い出しておいて、アシルは面食らった様子で目を丸くした。
 その彼に、わたしは人差し指をつきつけた。

「わたしを抱くなら、他の女とは完全に手を切って。恋人の浮気を許しているなんて世間に思われたくないの。この条件を守ってくれないのなら、嘘をついてくれなくてもいい。自分の身は自分で守る」

 懐剣を取り出して見せた。
 アシルの手を借りなくても平気だなんて大きなことは言えないけれど、いざとなれば死に物狂いで戦ってみせるだけの覚悟はあった。

「一人でオレの相手ができるかな? お願いだから他所で発散してきてって言っても聞かねぇからな」
「そんなこと言わないわ」

 ふんっと胸を張る。
 したことないからわからないけど、アシルになんか負けるものですか。

「後悔するなよ?」

 アシルは笑ってわたしにキスをした。
 いきなり唇に。
 は、初めてのキスだったのに。

「何するのよっ!」

 許せない。
 嫌いよ、こんな男!
 利用できるから、体も許すだけよ。
 心だけは、絶対に許さない。

 ……そのはずだったんだけど……。




 その日の夜に事に及び、名実ともに恋人の座に居座ったアシルは、我が物顔でわたしの部屋に泊まるようになった。
 条件は守っているみたいで、ぴたりと女性関係の噂を聞かなくなった。
 何度かそのことで見知らぬ女から文句を言われたりしたけど、アシルの意志で決めたことなんだから、わたしに言うのはお門違いだと取り合わなかった。

 アシルが何を考えているのか、相変わらずわからない。
 ううん、むしろ困惑が増している。
 性欲をわたしで発散しているだけにしては、彼の行動は不可解なものが多いのだ。

 現に今日だって……。




「体調悪いのか? 顔色が良くないぞ」

 風邪気味で咳をしていたら、アシルが額に手を当ててきた。

「そうよ。風邪みたいだから今日はしない方がいいでしょう?」

 ダメだとわかれば帰るだろうと思っていたのに、アシルはなぜか夜までいてちゃっかりベッドに入ってきた。

「今夜はしない方がいいって言ったはずよ。用事なんてないでしょう、もう帰れば?」
「二人で寝た方が温まるだろうよ。それにこんな時間に追い出す気かよ」

 アシルはわたしを抱きしめて寝てしまった。
 確かに温かいけど、どうしてこんなことしてくれるんだろう。

 わたしを抱いている腕は、お兄様を殺めたもの。
 憎いと思っていた。
 同じように殺してやりたいとさえ考えていた。
 復讐を考えるより、やらなければならないことがあったから、行動しなかっただけのはず。

 だけど、今のわたしには、アシルに対する憎悪はなくなっていた。
 戦争がわたしに与えた怒りや悲しみは変わらず心に根付いているけど、それは特定の誰かに向けるべきものではないことにも気づいていた。

 戦場に出ていた男達は、必ず誰かを殺め、また自らの命も失った。
 ネレシアもアーテスもどちらも等しく多くの命が犠牲になった。
 人が死ぬたびに憎しみが生まれ、また人を殺める理由になる。
 どこかで終わらせないと、怨恨の連鎖は永遠に続く。

 終わらせていいんだろうか。
 お兄様は許してくれる?

 目を閉じて思い出す。
 戦争が始まる前の、朗らかに笑う優しいお兄様の顔を。

『陛下は自分を倒せるほどの男じゃないと、娘は嫁にやらないとおっしゃっていたよ。あの気持ちは少し分かるな。レリアも好きになるなら、私より強い男にしてくれよ。でないと、お嫁には行かせないから』

 お兄様、わたしはアシルを好きになってもいいですか?




 アシルのことが気になると同時に、それが家族への裏切りではないかと逡巡することが多くなった。
 体を繋げ、密かな喜びを味わい、またそれ以上の背徳感に苛まれる。

 第一、アシルの気持ちもわからないのに、何を浮かれているのだろう。
 彼にしてみれば、わたしは都合のいい愛人でしかないかもしれないのに。

 結婚にも煩わされず、好きなだけ若い体を楽しめるというメリットがあるだけ。
 いずれ、わたしの体が衰えれば興味を失ってしまう可能性だって大いにあった。




 戦争が終わってからすでに五年の歳月が過ぎ、私は二十歳になっていた。
 フェルナン王子からは、そろそろ結婚してはどうかと遠まわしに言われるようになった。
 今日も珍しく呼ばれたかと思えば、その話だった。

「アシルも女性関係を整理して真面目になったし、結婚相手としては申し分ないはずだ。レリアが承知してくれれば話を進めたいんだ。私とエリーヌも、君達が夫婦になってくれれば嬉しいと思っている」

 王子は結婚相手は当然アシルだと思い込んでいるようだが、何も聞いていないのだろうか。

「結婚してもエリーヌの侍女は続けてもらいたい。アシルなら私も気心がしれているし、二人ともこの屋敷で暮らしてくれてもいいんだよ」

 今だってアシルはこの屋敷に住んでいるのも同然だ。
 王子とアシルは主従であり、いずれ王子が公爵となって領地を与えられても、どこまでもついていくのだろう。
 そして、わたしもどこまでもエリーヌ様と共に在る。
 わたし達四人は、生涯離れることなく生きていくのかもしれない。

「わたしが最も優先する方はエリーヌ様です。結婚のお話はご命令であればお受けしますが、もしも役目に影響があるのであれば、すぐに離縁いたします。それでもよろしいですか?」
「え、あの……。レリアはアシルのことが好きではないのかな?」

 人の良い王子は、戸惑った顔で問いかけてくる。
 この人に対する憎しみの方は、早いうちに消えてしまった。
 憎むことすら忘れてしまうほど、フェルナン王子はお人好し過ぎた。
 エリーヌ様が望まれるなら託しても良いとさえ思うほど、わたしはこの人を信頼していた。

「嫌いではありません。ですが、エリーヌ様と比べるのならば、彼を選ぶことはありません」

 これが、わたしが葛藤の末に出した答えだ。
 何を犠牲にしても、アシルを選ぶとは言えない。

 思惑とは違う、わたしの返答に、王子は落胆の吐息をついた。

「君の気持ちはわかった。どうやら私が世話を焼くことではなかったらしい。悪かったね、この話は二度としないよ」
「申し訳ありません」

 一礼して退室する。
 今の話をアシルが聞けば、どう思うだろうか。

 ……考えるだけ無駄だ。
 以前彼が、結婚を迫られるのは煩わしいと言っていたのを思い出したのだ。




 その日の夜はワインをたくさん飲み干した。
 何もかも忘れたかった。
 アシルがどうしたのかと尋ねてきたが、問いには答えず、付き合わせた。

「おい、明日も仕事あるんだろうが。その辺にしとけよ」
「うるさいわね、ほっといて。わたしが嫌なら帰りなさいよ」

 うるさい、うるさい。
 伸びてくる腕を振り払って赤い液体を喉に流し込んだ。

「わたしの夢はねぇ、おっきくなったら、お兄様より強い、素敵な騎士様と結婚することだったの! それでぇ、子供もたくさん作ってみんなで住むの。旦那様はわたしが一番好きで大事にしてくれるのよぉ」

 もう叶うことがない夢を勢いに任せて喋り続けた。
 理想の家、理想の家族、想像してきた楽しい生活。
 笑われたっていい。
 視界がぐるぐる回りだすまで、繰り返し話し続けた。

「お前、結婚したいのか?」
「したいよ。でも、アシルはしてくれないの」

 誰と話しているのかもわからなくなっていた。
 ボロボロ泣いて問いに答える。
 泣きじゃくっていると、温かい腕で抱きしめられた。

「理想の騎士とは程遠いだろうが、オレがその夢叶えてやるよ」

 唇が熱い吐息で塞がれた。
 冷えた空気に晒された肌が、別の温もりを持つ肌で覆われる。

「あ……、あん……、ううん……っ」

 柔らかいベッドの上に寝かされて、気持ちいい愛撫で体が昂っていく。
 重なってくる体に抱きついて、本能に任せて腰を振った。
 胎内に熱いものがたくさん流れ込んでくる。
 命の脈動が感じられるそれを全て受け止めて、わたしは意識を闇に鎮めた。




 体の異変に気づいたのは二ヵ月後だった。
 月に一度くるはずの生理がなく、始めはストレスで遅れているのかと楽観的に考えていたのだけど、あまりにもおかしいので医者に診てもらうと、あっさりと子供ができてますよと言われてしまった。

 どうして?
 避妊の薬は飲んでいたのに、いつ、どこで失敗したの?

 ショックが大き過ぎて、屋敷に帰っても何も手につかなかった。
 体調不良を理由に休みをもらっていたこともあって、部屋に閉じこもって震えていた。
 カーテンも開けずに薄暗い部屋の中で煩悶する。

 間違いなくアシルの子供だ。
 断言できるのは、彼以外の男性を受け入れたことがないからだ。
 お腹に手をやって、まだいるのかどうかわからない命を思い、絶望した。
 結婚を望まない男が、子供を欲しがるはずがない。
 目の前が真っ暗になりながらも、堕胎するという考えは少しも浮かばなかった。
 一人で産んで育てるためにはどうするべきか考え始めていた。

「レリア、いるのか?」

 ドアが開けられて、薄暗い部屋に廊下を照らす光が差し込んでくる。
 アシルの声を聞き、反射的に身を竦めて蹲った。

「体調が悪くて医者に行ったって聞いたぞ。病気なのか?」

 来ないで。
 触らないで。

 近づいてくる気配に怯えて、体を抱きしめた。
 彼の手が肩に触れた途端、火傷した時みたいに勢いよく振り払ってしまった。

 アシルは驚いた顔でわたしを見ていた。
 彼から目を逸らし、再び両手で体を抱いた。

「そうよ、病気なの。二度とわたしに触らないで。取引も終わりよ、もう守ってくれなくてもいい」
「一方的に終わりなんて言われて、オレが納得すると思うのか? 病気じゃねぇだろ、腹に子供がいるんだろうが」

 え?
 呆然とアシルに視線を向けた。
 アシルは罰が悪そうな顔になり、わたしに背中を向ける形でベッドの端に腰を下ろした。

「二ヶ月前の晩、お前が正体不明になるまで酒飲んでた日だよ。避妊薬を飲んでないことを承知の上で、何度も中で出した。運が良けりゃできるだろうと企んでいたが、大当たりだったみたいだな」

 飲みすぎた日。
 何も覚えてなかったけど、抱かれた痕跡は確かにあった。
 互いに望まないことはしないと思っていたから安心してたのに、子供ができるようにわざと中に出してたなんて……。

「ひ、酷い! この人でなし!」

 力任せにアシルを叩いた。
 背中目がけて拳を何度も振り下ろす。

「わたしを何だと思っているの! わたしも子供もあなたの玩具じゃないのよ! 作るだけ作って無責任に放り出すなんて、絶対に許さないから!」

 殴りつける腕を掴まれて、ゆっくりとした動作でベッドに押し倒される。
 覆い被さってきたアシルに動きを封じられたけど、怒りが治まることはなく睨みつけた。

「落ち着けって。誰が放り出すって言ったよ。あの晩、やけに素直に本音を吐きやがると思っていたら、さては何も覚えてねぇんだな」

 あの晩、わたし何か言った?
 怒りから疑問へと表情が動き、それを見たアシルは体を離して起き上がった。

「オレと結婚したいって言ったんだよ。子供がたくさん欲しいとも言っていたな。その他にも何か色々夢を語ってくれたぜ」

 お、覚えてない。
 そんなこと言ったの?

「順番がおかしくなったが、一つずつ叶えていこうじゃねぇか。とりあえず子供と旦那は確保できたろ。家は王都を出てから建てる。結婚式の希望があったらどんどん言え、できることなら何でも叶える」

 旦那って誰?
 アシルのこと?

「旦那様は、わたしを愛してくれる人じゃないと嫌よ。子供のことも可愛がって守ってくれなきゃだめ!」
「わかった、わかったって。それは酔っ払いに耳にタコができるほど聞かされたってーの。心配するな、お前が一番で子供は二番、フェルナン様は三番目だ。これでいいだろ?」

 敬愛する王子よりわたしと子供を上に持ってくることで、彼は胸を張った。
 本気なの?
 結婚して、わたしを愛してくれるの?
 信じてもいいの?




 半信半疑でいる間に、お腹は大きくなり、わたしとアシルは結婚した。
 子供は二人目、三人目と順調に授かり、十年が過ぎた今では五人もいて賑やかだ。

 庭先で遊んでいた子供達が大きな歓声を上げた。
 アシルが帰ってきたようだ。
 わたしも出迎えのために外に出た。

 庭に出ると、子供達はすでに父親の周りに集まっていた。

「お父様、お帰りなさい」
「ねえねえ、お父様はボク達の中で誰が一番好き?」
「わたしだよね」
「オレだよ!」

 五人の子供達は、アシルを取り囲んで口々に尋ねた。
 彼らはわたし達が答えられないのをわかっていて、困る様子が見たくてあえて聞くのだ。

 案の定、アシルは困った顔をしたが、わたしの方を向いて久々に見せる意地の悪い笑みを浮かべた。

「オレの一番はレリアだ。お前らは全員二番! ほれ、わかったら、お父様にお母様を譲って子供部屋に引っ込め」

 盛大なブーイングを鼻であしらい、彼は子供達を屋敷の中に追い立てていく。
 二人ほどは小脇に抱えられて連れて行かれ、それがまた面白かったのか笑い声が聞こえた。

 じゃれ合う親子の姿は微笑ましくて、自然に笑みがこぼれた。
 わたしは笑えるようになっていた。
 家族を失った悲しみは生涯消えはしないけど、心を満たす喜びにも出会えた。
 たくさんの子供達、理想の家、わたしを一番愛してくれる旦那様に囲まれて過ごすうちに、いつの間にかわたしは、自らを捕らえていた憎しみの檻から抜け出せていた。

 END


end01:アシルの計画的犯行により妊娠、結婚へ。結果オーライな大団円


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