お嬢様のわんこ

第一章・お嬢様と可愛いわんこ・6

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 勢いでクロと結ばれてしまったけれど、今いる場所を聞いてびっくりした。
 ここはロー王国。
 クロの生まれた狼族の国の、王城の中だった。
 私は五日ほど眠っていたそうで、治療と保護のために運んできたらしい。

「クロは王子様に戻るの?」

 不安になって、クロの手を握った。
 幾ら主従契約で眷属になったとはいっても、私は人族の平民でしかない。
 クロが私を望んでくれても、お城の人達が許してくれるとは思えなかった。
 私を殺そうとしたあの人の、殺意に満ちた声や視線を思い出せば、引き離される未来しか浮かばなかった。

「お嬢様を助けるために、城に戻る約束をしました。だが、この城の者達があなたを排除しようとするなら、いつでもここから出ていきます。誰も俺に命令できないし、させません」

 クロは私を膝の上に乗せて強く抱きしめた。
 嬉しいと、思ってはいけないのかもしれない。
 それでもクロが、私を誰よりも好きでいてくれることが嬉しい。

「私はクロがいてくれるなら、どこででも生きていける。できるなら、クロを好きな人達が、私のことも受け入れてくれるといいね」
「俺はあなたがいれば、それでいい」

 クロの言葉は勇気と力をくれる。
 私もあなたと一緒にいられるなら、それだけで幸せ。

 扉が叩かれて、驚いてそちらを見た。
 恐らく廊下へと続いている扉の向こうに誰かいる。

「ラファル殿下、お嬢様がお目覚めになられたご様子とのこと。今後のことも含めてご説明させて頂きたいので、入室の許可をお願いします」

 若い男の人の声だ。
 クロは眉間に皺を寄せて扉を睨んでいる。
 ラファル殿下?
 それがクロの本当の名前なのね。

「身支度に時間が必要だ。できたら呼ぶから、少し待っていろ」
「承知いたしました」

 気配が遠くなっていく。
 クロは寝台から下りると、服を身に着け始めた。
 着替え終わると、私の方を向いてにっこり笑った。

「お湯を持ってきます。着替えも一緒に持ってきますので、お嬢様はここでお待ちください」

 返事を待たずに、クロは部屋を出て行った。
 お嬢様なんて呼ばなくていいのに。
 長年の習慣でつい言ってしまうのだろうけど、距離を感じてちょっと寂しい。
 少しずつ名前で呼んでもらわないとね。




 クロが用意してくれた服は、純白のドレスだった。
 首元まで隠すデザインの清楚なドレス。ふんわりと膨らんだスカートにはフリルがついていて可愛らしい。
 お姫様みたい。
 クロの衣装も王子様している。
 白い軍服みたいなデザインのコートとズボンに、赤いベルベットのマントを着けている。
 昔、貴族用の礼服を着せていたこともあって、クロは高価な服を見事に着こなしていた。

「お嬢様、謁見の間へ行きましょう。俺がついていますから、何も心配いりません」
「クロ、お嬢様じゃないのよ」
「はい、リュミエール」

 クロに名前を呼ばれると、胸がほんのり温かくなった。
 胸に手を当てて、幸せを噛みしめていると、ひょいっと横向きに抱き上げられた。

「ク、クロ!」
「リュミは病み上がりですからね、しばらくは俺が運びます」

 あんっ。
 耳の裏をペロリと舐められた。
 クロは歩きながら、私の匂いを嗅いだり、頬に口づけたりしてくる。
 廊下の脇に寄って控えている人もいるのにお構いなし。
 は、恥ずかしいよぉ。




 謁見の間は大勢の人が招かれる場所だからか、天井も奥行きも広い部屋だった。
 中央に敷かれた赤い絨毯の先に、階段付きの高い台があり、黄金と宝石で飾られた豪奢な椅子が一つ置かれていた。
 クロはその椅子に躊躇なく座り、私は彼の膝の上に置かれたまま。
 眼下には、大勢の男の人がいた。
 黒いローブを着た人と銀色の鎧を着た人達。
 彼らは全員跪いて、頭を下げている。
 自分より身分が高そうな人達を前に、この体勢で見下ろしていることが無礼な気がして、小さな声でクロに耳打ちした。

「あの、私、お膝から下りた方がいいのではない? 立っていても大丈夫よ」
「いいんです。この連中はあなたに頭を下げて当然の者達、気を遣う必要などありません。それに膝の上にいてくださった方が守りやすい」

 いいのかな?
 クロが離してくれないし、注意されたらその時に下りよう。

 クロは控えている彼らを見渡して、尊大な口調で命じた。

「もういい、頭を上げろ、話すことを許可する」

 王子様だからっていいの?
 初めて聞くクロの乱暴な口調に少しだけびっくりした。
 彼の声に応えて、黒いローブの人達から一人進み出てきた。
 その人はクロに向けてお辞儀をすると、私にも一礼して話し始めた。

「お初にお目にかかります、お嬢様。ロー王国魔術師長を務めております、パトリスと申します。この場におりますのは魔術師団、騎士団の上位職にある者達です」

 パトリスと名乗った彼は、紺色の毛並みをした狼族の人だ。年は私達より年上だけど、まだ若そう。
 半数の人が狼族の人で、色は灰色が最も多く、他は紺色かそれらに近い色をしている。

「まずは此度のこと、深くお詫びを申し上げます。あの者の独断での凶行とはいえ、察することができなかったのは我らの落ち度。殿下の大切なお方を手に掛けたのですから、我ら一同、首を刎ねられても致し方ないことでございます」

 さらにもう一人、今度は騎士団の人が前に出た。
 灰色の狼族で、随分な御年のご老人だった。
 彼はエドモンという名で、この場にいる誰よりも沈痛な面持ちで、改めて私に謝罪の言葉を述べた後、首を晒すように深く頭を下げて跪いた。

「貴方様に危害を加えた馬鹿者はディオンと申しまして、我が孫でございます。王家への忠誠心を間違った方向に暴走させたあげくの愚行、この命を持って償わせて頂きたいと存じます」

 言われた言葉にぎょっとした。
 焦って仰ぎ見たクロは見たこともないほど怒っていた。
 ギラギラした目は憎悪と殺意に満ちていて、背筋が凍り付く。

「クロ、怒らないで。私、生きてるもの、怪我もしていない。誰にも死んでほしくないよ」

 思わず、しがみついて訴えた。
 クロから殺意が消えていく。
 ホッとして息を吐いた。
 クロは私の頭を撫でて、にっこり笑った。

「ご安心ください、この件で誰も死んではいないし、処罰などしません。あなたが気に病むことは何もない」

 私には優しく声をかけて、甘い顔を見せるけど、他の人には怖い顔。
 クロは眼下に跪いている彼らをジロリと睨みつけた。

「お嬢様はお優しいお方だ。あのような目にあっても血生臭い報復など望んではおられない。謝罪の気持ちがあるのなら誠意をもった行動で応えてみせろ。あいつも生きているのだろう? 治療は続けさせろ、今死ぬことは許さないと言っておけ」

 あいつって誰だろう?
 もしかして、あの騎士さんだろうか?
 姿が見えないのは、もしかして大怪我をしているから?

「お嬢様のご厚情に感謝いたします」

 代表してか、パトリスさんが言うと、全員揃って深く頭を垂れた。

「では、話の続きを。彼女の疑問にはわかるまで丁寧に答えろ」

 クロに促されて、パトリスさんがこれまでの経緯を話し始めた。

「我々が殿下と接触を持ったのは三年前、友好国に設置された冒険者ギルドの支部より黒狼族の青年がいると情報が入りました。これまで幾度も報奨金目当てで殿下の偽者が現れましたが、此度は冒険者ギルドという確かな身元からの情報です。リオン王国にて依頼を出す形で会ってみれば、殿下御本人だと確信致しました」
「獣人には生まれ持った匂いというものがございます。この爺めがお世話をした殿下の匂い、何年経とうとも間違うはずもございません」

 エドモンさんが胸を張って言う。
 彼らはすぐにクロが王子様だと確信したけど、肝心のクロが信じなかった。
 匂いだけでは不確かで、物的な証拠がない。
 さらに自分が王子だとしても、帰る必要性など感じない。
 大切なものがあるからどこにも行かないと言って、再三説得に訪れる彼らを追い返してきた。
 クロに定住資格が与えられたのも、私達を一か所に留めておくために、彼らが王国を通じてギルドに口利きをしたためらしい。

「私は殿下が我々を拒むのは奴隷にされているからだと推測し、身辺を調査しました。殿下からは夕刻から朝にギルドへ顔を出すまでの間のことは詮索するなと釘を指されておりましたが、万が一、殿下が不本意に隷属させられているのであればお助けせねばとの一心で魔法を用いて様子を窺わせて頂きました」

 ところが、クロが帰る家には私がいて、新婚夫婦のように仲睦まじく暮らしている。
 獣人は番を大事にする。
 王子が人族の娘と番になっていることに、パトリスさんとエドモンさんは困惑して王様に報告し、そのまま見守ることに決めたのだとか。
 伴侶が人族ならば、国内の貴族にも根回しが必要で、王子に帰還を促しつつ、迎える準備を整えようと王様と側近達は頑張っていたらしい。

「それをあの馬鹿者が全てぶち壊しにしてくれましてな」

 エドモンさんがため息をついた。
 国内の貴族への説得がいよいよ大詰めに差し掛かり、エドモンさん自らも国内を周ることにした。王子の説得に当たっているパトリスさんの相棒も務めていた彼は代理に孫のディオンさんを指名した。
 ディオンさんは真っ直ぐな人柄で、王家への忠誠心は絶対的なもの。エドモンさんの孫ということもあって王子に害を成すことはないと信任された。
 魔獣を狩るクロの後をついていく内に、ディオンさんは彼の強さに感服し、忠誠を誓った。
 ただ、彼は狼族であることに誇りを持ちすぎていて、力を何よりも信奉し、弱い種族を見下していた。
 私達の家の様子を直接窺えるのは遠視の魔法を使えるパトリスさんだけで、伝え聞いた話だけでは彼は納得しなかった。敬愛する王子が自分達より劣る人族の女を愛するはずがない、きっと契約の呪いで無理やり縛りつけられているのだと思い込み、クロが留守の間に決着をつけようと私を襲った。
 その日、クロはいつも鬱陶しいほどにまとわりついていたディオンさんがいないことに不審を抱き、狩りを途中で切り上げて家に戻った。
 ちょうど、私が刺されて意識が途切れた時に、クロは家にたどり着いた。

「御耳汚しになりますゆえ詳細は省きますが、ディオンは殿下の制裁で瀕死の重傷を負わされ、現在意識は戻っているものの、肉体の損傷が激しく動かすことができない状態です。殿下のお許しが出ましたので、これより治療に専念致します。彼も真実を理解した今では深く反省しており、どのような罰でもお与えくださいと申しております」

 クロは何をしたのかしら?
 私はクロが戦っている所を見たことがないから、どれだけ強いのかわからない。
 あの見るからに頑丈で強そうな男の人に重傷を負わせるだなんて、クロはやっぱりすごいのね。

 ディオンさんについては、ちょっと複雑な気持ちがある。
 恨みや怒りより、怖いという気持ちが強い。
 お母様は様々な悪意を私に向けたけど、殺意を向けてきたのはあの人だけだ。
 今はもう殺意は持っていないと聞かされても、怖いと思う気持ちは消えてくれない。
 死んで欲しいわけではないけど、また会うことになるだろうから、その時が来ることが少し憂鬱。

 パトリスさんの話は続いていて、クロと私の今後のことに移っていった。

「ラファル殿下には、国王陛下の世継ぎとして王城にて教育を受け、ゆくゆくは王位を受け継いで頂きたい。リュミエール様を伴侶にとのご希望も根回しの済んだ今となっては何も問題ございません。特にそのお姿になられたからには誰も反対などせぬでしょう。黒狼一族は我が国では崇拝の対象。これ以上の花嫁はどこの誰にも用意できません」

 クロと魂が繋がっている証拠の姿。
 それだけで気に入っていたけど、この国の人に受け入れてもらえるならもっと嬉しい。

「リュミエール様にはお妃教育を受けていただきます。専属の教師と侍女をお付けいたしますので、ぜひ頑張っていただきたい」
「はい、ご期待に沿えるよう精進いたします」

 これもクロと一緒にいるために必要なこと。
 失望されないように頑張らないと。
 それにね、頑張ったらクロからご褒美をもらうの。
 頭を撫でてもらったり、ぎゅっと抱きしめてもらったり、ご主人様はクロなんだから、これからは私が甘えるのよ。



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