お嬢様のわんこ
第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・2
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ある日、武術の稽古中に旦那様が来た。
話があると言われて、応接室に連れて行かれる。
「クロ、リュミエールが好きか?」
「はいっ」
問われて即答した。
旦那様は真面目な表情を崩して笑った。
「ならいい、お前になら任せられそうだ」
何のことだろう?
黙っていると、旦那様が話し始めた。
「妻は私を嫌っている。強引に娶ったわけではないのだが、彼女にしてみれば選択肢のない理不尽な結婚だったのだろう。子供が生まれれば、少しは心を向けてくれるかと期待していたが、憎しみを我が子に向けるありさまだ」
旦那様の妻は何度か見たことがある。
お嬢様を嫌な目で見る女だ。
あれが旦那様の奥様で、お嬢様のお母様なのだと聞いて信じられなかった。
「私が死ねば、妻はリュミエールを捨てるだろう、財産も全て奪った上でな。さすがに命までは取らぬと思いたいが、私には彼女の憎悪が量りきれない」
旦那様はそう言って、俺の肩に手を置いた。
「お前には身一つでどこででも生きていけるほどの最高の教育を受けさせよう。何が起ころうともリュミエールを守れるように強くなれ、私の懸念が現実のものとなった時、あの子の傍にいるのはお前だけとなるからだ」
旦那様の言葉に強く頷いた。
俺はどんなことがあってもお嬢様を守る。
そのためには誰よりも強くなり、広く世界を知って賢くならなければいけなかった。
旦那様の懸念は杞憂にはならなかった。
旦那様が亡くなると、予想通りにあの女はお嬢様を無一文で放り出した。
迎えに来た恋人とやらは、複数の女の匂いを体に染みつかせていたが、気づかずに浮かれているのが滑稽だった。
実家の荘園経営だって、旦那様が陰から手を貸していたから順調だっただけだ。
すぐに食い潰される財産なんてくれてやる。
束の間の夢を楽しんでおくんだな。
お嬢様には俺がいる。
旦那様が最愛の娘のために遺した、最高の遺産である俺が。
必ず俺の手で幸せにする。
「クロ、クロぉ……」
泣いてすがりついてくる彼女が愛おしい。
でも、俺はあくまで飼い犬だから、それ以上の存在にはなれない。
人であるお嬢様が、獣人の俺を番に選んでくれることなど、この先も恐らくないだろう。
それでもいい。
どんな形でも、彼女の傍にいられるなら、それで満足だ。
お嬢様と屋敷を出た時、俺はもう大人になっていた。
自分の正確な年齢はわからなかったが、奴隷商人の所に十年ほど、お屋敷に五年はいたから、十五で成人を迎えるこの世界では、一人前の年齢にはなっているはずだった。
屋敷で受けていた教育も全て習得済みで、その気になれば商人として働くこともできた。
商会を買い取った旦那様の商人仲間からも、店を任せるから雇われないかとの誘いもあった。
彼は追い出されたお嬢様のことを心配していた。
俺が頷けば、二人で暮らせる家も用意してくれるつもりであったらしい。
旦那様は友人に恵まれていた。
それでも女を見る目だけはなかった。
あの女は街を出て行ったが、実家の子爵家は近い場所にあり、俺達がここに残れば、そのことは必ず耳に入るだろう。
俺が商会の経営を継いだことがわかれば、必ず邪魔をしに来るはずだ。
これ以上、お嬢様を傷つけないために街を離れることに決めた。
街を離れるために選んだ職業は冒険者。
お嬢様を連れてギルドに行き、登録をした。
あらかじめ先生達から登録の手順などの話を聞いていたから、困ったことは起こらなかった。
すぐに依頼を受けたいと申し出ると、受付の男が初級者用の依頼を提示しながら説明してくれた。
「依頼の難易度は初級者、中級者、上級者と、危険度や達成率の難しさで三つに分けられております。冒険者側に非がある状況で依頼が達成不可能となった場合は違約金が発生することがあります。なるべくご自身の技量と釣り合いの取れる依頼をお受けされることをお勧めいたします」
登録したからには一度は必ず依頼を達成する義務がある。
お嬢様を働かせる気はなかったものの、登録を抹消されても困るので、今回だけはどうしても一緒に依頼をこなさなければならない。
後は、パーティを組んで登録をしておけば、俺の実績はお嬢様にも適用される。
もちろん個人の実績は上がらないが、ギルドへの功績の面で考慮されるので、活動実態がなくても籍を置くことを許されるのだ。
これは本来、怪我で動けなくなった仲間を他のメンバーが補助するための制度なのだが、どのような場合に適用するかなど細かいことの明言はされていないので大丈夫だろう。
ちなみに家族なら、登録しなくても一緒に移動できるように身分証明書を発行してもらえる。
ただお嬢様は残念ながら俺の家族とはみなされない。
お嬢様を俺の妻にして書類を書けばこんな面倒をかけずにすむのだが、さすがにそんな嘘はすぐにバレてしまうので、正直に申請することにした。
俺にとっても初めての仕事だ。
無難に採取にするか。
魔獣の出ない近場の森林地帯にて薬草を採取する、初級の中でも一番簡単な依頼を受けた。
森に入り、昼が過ぎた頃、お嬢様の歩くペースが落ちた。
こんな足場の悪い獣道を歩くなんて初めてのことだから、無理をさせてしまったな。
お嬢様は黙ってついてくる。
足が痛くても我慢しているのだろう。
屋敷を出てから不平や不満を漏らしたことは一度もない。
俺に遠慮なんかしなくてもいいのに。
だけど、そういう所がお嬢様の良い所で、俺は大好きだった。
「お嬢様、お疲れになったでしょう。後は俺に任せてください」
背中を差し出して乗るように促すと、お嬢様は「ごめんね」と言って負ぶさってきた。
密着する体に頬が緩む。
大事なお嬢様を背に乗せていることで、気分も高揚する。
鼻を動かして薬草の匂いを辿った。
草花にも独特の匂いがあり、俺の嗅覚はそれを正確に嗅ぎ分けられた。
こっちだな。
お嬢様を落としたり、木や枝に引っかけたりしないように気をつけながら、薬草目指して走り出した。
依頼はなんとか無事に達成して報酬を得たものの、やはりお嬢様に冒険者稼業は無理だ。
当初の考え通りに、お嬢様には宿屋で待っていてもらい、昼の間に魔獣を狩ろうと考えた。
魔獣とは、魔に染まり、凶暴で攻撃的な性質を持つ獣のことを指す。
普通の獣とは違い、口から火や冷気を吐き出したり、硬い角や鋭い牙や爪を使って襲ってくる厄介な生き物達だ。
人を見れば獲物と認識して襲ってくるため、魔獣討伐は推奨されている。
魔獣の体は素材にもなるため、冒険者ギルドでも買取を行っていた。討伐は依頼扱いにもなっていて、金を稼ぐと同時に実績を積むこともできる。
風呂付きの宿に泊まるなら金が要る。
中級から上級の魔物を狩れば、十分間に合わせられるだろう。
お嬢様に不自由な生活をさせないことが第一だが、部屋に風呂がついているかいないかは俺にとっても重要だ。
俺はお嬢様にお風呂で洗ってもらうのが好きだ。
丁寧に髪や体を洗ってもらって、俺もお嬢様の髪と体を洗う。
その後、一緒にお湯に浸かってまったりと過ごす。
至福の時を、旅生活だからと諦める気はさらさらなかった。
狩りをするべく、魔獣が生息する森に入った。
俺が使っていた武器は家の物だからと、家財を処分する際に持っていかれた。
防具もなく、俺は装備なしで戦わなければならない。
これは想定内。
俺は素手でも戦える。
まず見つけたのは、角の生えた兎だった。
ホーンラビット、見た目そのままの名前。
額に生えた太い角と脚力を武器に襲ってくる凶悪なヤツだが、蹴り一発で仕留めた。
倒れた所に警戒しながら近づき、念のため腕を獣化させ、硬く鋭くなった爪で心臓を貫く。
成長するにつれて、俺は体の一部から全身に至るまで自由に獣化できるようになった。
今、俺の腕は、肘から先が人と狼の特性を混ぜ合わせた異形の姿に変化している。
心臓を潰せば血が飛び散り、手が血まみれになった。
錆くさい匂いが不快だが、仕方ないか……。
ホーンラビットは初級者用に認定されている弱い魔獣だ。
毛皮は売れるが、繁殖力の強いこいつらは大量に狩れるために希少価値は少なく、討伐報酬は銅貨二十枚と安い。
銀貨をたくさん稼ごうとするなら、もっと大物を狙うべきか。
臭いを嗅ぎ、獲物を探す。
お、向こうに大きな気配がするな。
小さな気配が複数逃げ惑っていて、それが狩りをしているのだとわかる。
まとめて狩ってやろう。
俺とお嬢様の幸せな生活のために、お前達の命は有効に使わせてもらうぞ。
昼過ぎには森を出ることができた。
背中に息絶えた赤い熊の魔獣を背負い、森で見つけた丈夫な蔦で縛り上げたホーンラビットを、左右の手に五羽ずつ下げて街へ入った。
返り血で頭から足の先まで血まみれになってしまった。
歩くたびに、周囲から人の気配がざっと引いていく。
遠巻きにしている群衆から、不審がるひそひそ声が聞こえてきた。
「やだ、何あれ?」
「冒険者か? あの背中の魔獣、上級指定のキングレッドベアじゃねぇ?」
「さすが獣人だと言いたいけど、なんか怖いよなぁ」
ギルドにたどり着くまで、街の警備兵に何度も呼び止められて、その有様はどうしたのだと問いただされた。
その都度、武器がないから素手で戦い、返り血を浴びたのだと説明する。
「これを売ればお金ができるので、装備や道具も揃えますよ」
金がないので、獲物も持って歩くしかないのだと言えば納得してくれた。
道具屋には魔法がかけられたアイテムが売っていて、収納用の鞄もあるのだ。
その鞄には空間を操作する魔法がかけられており、一部屋分ぐらいの特殊な空間と繋がっていて、鞄の口を開けて持ち主が念じるだけで出し入れ可能という優れもの。
少々値は張るが、冒険者には必須のアイテムなのだ。
明日は剣と鞄を買うか。
嵩張る獲物を運びながら、金の使い道を考えた。
ギルドに着いたが、荒事に慣れた冒険者達にも、全身血まみれはインパクトがあったのか驚かれた。
着替えもないので、そのまま買取のカウンターに行く。
「魔獣の買取と、討伐の報告申請を頼む」
「は、はい、ではこちらの部屋に運んでくださいっ」
奥の扉を指し示される。
本来なら、査定用の部屋で鞄から取り出すのが手順だが、直に持ってきてしまったので運ばねばならない。
指示された部屋へ移動しかけた俺の前に、知らない男が立ちはだかった。
「おい、兄ちゃん! なかなか面白いことを考えたなぁ。確かに血まみれで獲物を担いでりゃあ誰でも驚くが、それで俺達をビビらせようってつもりだったのなら生憎だったなぁ」
何を言っているんだ、こいつ。
つーか、邪魔。
早く獲物を売って、お嬢様の所に帰りたいのに。
「その背中のキングレッドベアも、誰かの獲物を掠め取ったか、買い取ったんじゃねぇのか? たまにいるんだよ、駆け出しの小僧が一目置かれようと見栄を張るってことがな!」
お嬢様、どうしているだろう。
今朝も不安そうだったしな。
必ず帰ってきてねって、泣きそうな顔で言われたら、俺も離れがたくてつらかった。
お嬢様のためだって、振り切って出て来たけど、できることなら一日中くっついて甘えていたい。
「お前、新入りだろう? 今日の所は勘弁してやるよ。その代わり、獲物をこっちによこしな、先輩への挨拶ってヤツだ」
こうしちゃいられない。
さっさとこれ売って、帰ろう。
「どけ」
一向に動こうとしない男を蹴り飛ばした。
聞いてなかったけど、不快な声だったので別に問題ないよな。
うん、一応加減はしたよ。
あと少し、この街で稼ぐつもりだし、殺しちゃマズイだろうから。
「アニキィ! しっかりしろー!」
「すげぇ、壁に減り込んでる」
「どんな蹴りだよ、あれ」
「だめだ、白目剥いている! 医者だ、医者に連れて行け!」
騒がしい所だな。
変な野郎がいっぱいいるし、危ないからお嬢様は二度と連れてこないぞ。
査定してもらうと、全部で金貨二十枚と銀貨二枚になった。
ホーンラビットは銀貨二枚にしかならなかったけど、キングレッドベアは上級の魔獣だったのでかなりのお金になった。
金貨を一枚両替してもらい、銀貨が一杯の革袋と、残りの金貨を入れた袋と、二つに分けた。
お嬢様に心配かけたくないから、上級の魔獣を狩ったことがバレないように、報酬を少なく見せるためだ。
金の管理は俺がしているので、お嬢様に銀貨の袋を見せておけば、実際の収入と支出が違っていても大丈夫。
ギルドで口座が作れるそうなので、金貨の半分は預けておく。
さあ、帰ろう。
脇目も振らず、お嬢様が待つ宿に帰還したものの、血まみれの俺を見てお嬢様が酷く取り乱し、着替えもせずに帰ったことを激しく後悔したのだった。
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