お嬢様のわんこ

第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・5

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 指示された、依頼人が待っている街に着くと、いつものようにお嬢様を宿に残して出かけていく。
 ギルドに入り、指名依頼の件を職員に伝えると、すぐに依頼書を渡された。
 討伐対象は上級魔獣レッドドラゴン。
 体の大きさは二階建ての建物ほどあり、空を飛び、口からは炎を吐き、鋭い爪と牙で獲物を引き裂く、かなり厄介な魔獣だ。
 そいつが住みついた場所は麓に貧しい集落が幾つかある山の頂上で、襲撃を恐れて狩猟や採取ができなくなった住民が困っていた所、通りかかった他国の貴族が奇特なことに大金を出してギルドに依頼を出したそうだ。

 しかし、ドラゴンなら国が軍隊を出さないか?
 領民の窮状を無視するほど、この地方の領主が悪政を敷いている様子もない。
 疑問が顔に出ていたのか、職員が言い足した。

「その辺りの事情は依頼人に会えばわかると思います。討伐には依頼人の方々も同行するそうですから」
「え?」

 ますますよくわからない依頼だ。
 とにかく会えばわかるか。
 依頼人に連絡を取ってもらい、翌日には対面することができた。




 案内された部屋に入ると、五人の男がテーブルを囲んで座っていた。
 俺が室内に足を踏み入れると全員揃って立ち上がった。
 魔術師なのか、黒いローブを着た男が三人、残りの二人は騎士なのか銀色の全身鎧を着ている。
 男達に共通していたのは狼の耳と尻尾だ。
 俺と同じ、狼族の獣人。
 色は灰色と紺色で、黒い奴はいない。
 俺を見る彼らの目は驚きで見開かれている。
 黒い毛が珍しいからだけではなさそうだ。
 初めてみた同族に懐かしさを覚えると同時に、嫌な予感がした。

「俺がクロです。依頼の詳細を聞きにきました」

 とりあえず、声をかけてみた。
 だが、男達は身動きせずに俺を凝視している。
 なんだ、こいつら。
 複数の野郎に熱い目で見つめられても、気色悪いだけだぞ。

「エドモン殿、どうですか?」

 紺色の若い魔術師が、灰色の騎士の爺さんに問いかけた。
 爺さんは目を見開いたまま、ふらふらと俺の方に近寄ってくる。
 その尋常ではない様子に恐れを抱き、逃げようかと思ったが、足が動かなかった。尻尾が勝手にくるっと巻きあがり、縮んでいる。

 向けられているのが殺意や敵意であれば対処は簡単だ、殴ればいい。
 だが、爺さんの意図がわからない。
 これから何が起こるのかわからない、どう動けばいいのか判断できなくて、俺の体は固まったままだ。

 爺さんが俺の正面に立ち、くんくんと鼻を動かす。
 俺の鼻にも爺さんの匂いが届く。
 あれ、なんか懐かしい匂いだ。
 緊張が解けた瞬間、爺さんの厳つい顔がくしゃりと歪み、目から滝のように涙が流れ出した。

「おお、おおっ! これは紛れもなく殿下の匂い! よくぞ生きていてくださいました! これほど立派になられて、爺は、爺は……」

 うおっ、なんだこの爺さん!
 縋りつくな、鼻をこすりつけるな、よせ、涙で服が濡れる!
 お嬢様が選んでくれた大事な服なんだぞ! 汚すな!

 興奮して俺に抱きついている爺さんを、紺色の魔術師が肩を押さえて諌めた。

「落ち着いてください、エドモン殿。この方がラファル殿下であらせられると、間違いはないのですね?」
「もちろんじゃ! このお方の匂いは正真正銘殿下のもので間違いない! 殿下、今までさぞやご苦労をなされたことでございましょう、爺がお迎えにまいりましたぞ、これからは皆で殿下をお守り致します、陛下も殿下のご帰還を待ちわびておられます、さあ一緒に帰りましょう!」

 陛下って誰だ? 俺が殿下? 意味がわからない。
 ぐいぐいと俺の腕を引っ張る爺さんは、どこへ行こうとしているんだ。

「おい、待てよ! 俺は依頼を受けに来たんだ! レッドドラゴンを討伐するんだろう! 日が暮れる前に帰るんだから、爺さんの戯言に付き合ってる暇はない!」
「そ、そんな、殿下!」
「俺はデンカなんて名前じゃねぇ! 俺の名前はクロだ!」

 力任せに振り払うと、爺さんは呆然とした顔で俺を見ていた。
 先ほどまで喜びを顕わにしていた耳と尻尾は悲しそうに垂れていて、ちくりと胸が痛んだ。
 ああ、もう、なんだよ。
 初対面のはずなのに、この爺さんには妙な親近感があって調子が狂う。
 紺色の魔術師が、場を取り成すように俺に話しかけて来た。

「すみません、クロ殿。幼かったあなたには我々の記憶は残っていないのでしょう、戸惑われるのも無理はない。ですがあなたは我々が長年探し求めて来た人なのです」

 聞かされた話を要約すると、俺は幼い頃に攫われて、彼らはずっと俺を探していたということらしい。
 俺の本名はラファル。
 狼族の国、ロー王国のたった一人の王子だなんて、何の冗談だ。

 お嬢様のお屋敷があったグラス王国は人族の国で、狼族の国とは遠く離れすぎて国交はなく、捜索の手が及ばなかったのだ。
 奴隷商人の所にいた頃なら、迎えも手放しで喜んだんだろうけどな。
 今の俺には救いの手は必要なかった。
 俺はもう居場所を見つけてしまったんだ。

「ギルドから情報が入って、俺が王子か確認するために依頼をだしたのか」

 少し前、ギルドマスターに素性について聞かれたことを思い出した。
 獣人のマスターは、狼族の王子が捜索されていることを知っていたんだ。
 それで、俺が討伐と採取依頼しか受けないことも教えて、こいつらはわざわざ討伐の指名依頼を出して対面を目論んだということか。

「それだけが理由ではありませんがね。レッドドラゴンはどこの国の軍隊でも手こずる凶暴な魔獣です。リオン王国とは懇意にしておりますので、殿下の捜索にご協力頂いたお礼に、我々で討伐すると申し出たのです。もちろんようやく巡り会えた殿下を危険に晒すつもりはありません。討伐は我々にお任せください、そのための人員は揃えております」

 紺色の魔術師はパトリスと名乗り、自分と爺さんを含めた五人がドラゴン討伐のために選ばれた精鋭だと紹介した。

「これは俺に出された依頼だろう。戦わないで報酬をもらうわけにはいかない」
「あなたは王子です。戦いなどは臣下の我々にお任せくださればいいのです」
「俺は王子じゃないし、臣下なんて持った覚えはない。冒険者を辞める気もないし、報酬がないと困るんだよ。討伐は俺がする、お前らは邪魔するな!」
「殿下、お待ちください!」

 レッドドラゴンが居座っている山の場所は、地図を見て確認済みだ。
 足を獣化させて、全速力で走る。
 あいつらより先に着いて、ドラゴンを倒してやる。




 山が見えてきた頃、後ろから声が聞こえて来た。
 まさかと思って振り返る。
 五つの影がどんどん近くなってくる。

「殿下ああああああああっ!」
「早まらないでくださいいいいいっ!!!」

 騎士は俺と同様に足を獣化、魔術師は宙に浮かんで飛んでいた。
 精鋭だと言ったのは嘘じゃない。
 なんて速さだよ。

 瞬く間に距離を詰めて来た連中を振り切ることはできず、山の中腹で追いつかれた。
 爺さんは年のせいか、一人だけ息が切れていた。
 大丈夫だろうか。

「で、殿下、お一人でドラゴンに、挑まれるのは、無謀、です、わ、我々と共に……ごほっげほっ!」
「エドモン殿、しっかり! 水を飲んでください!」

 パトリスが爺さんに水筒を渡して、背中を擦っている。
 爺さんは咳き込みながら、俺に懇願の眼差しを向けた。

「じ、爺は今度こそ殿下をお守りするのです、殿下がドラゴンに挑まれると仰るのなら、この身を盾にお使いくだされ!」

 爺さんはどうしてそんなに必死になってるんだろう。
 この場にいる誰よりも、爺さんは俺の心配をしている。

「爺さんに盾になってもらうほど俺は弱くない。ついてきたければ来ればいい、だが邪魔だけはするなよ!」

 日が真上に来ている。
 さっさと討伐を終えないと、日が暮れるまでに帰れない。
 宿代は数日分を前払いで渡してあるものの、お嬢様を一人にはしておけない。
 急いで終わらせないと。




 山頂に近づくにつれ、緑が少なくなっていく。
 焼け焦げた跡があちらこちらにあり、岩肌が剥き出しになって赤茶けた土が辺りを覆っていた。
 熱気が肌を煽り、炎を操る存在がいることを示している。
 標的のレッドドラゴンは山頂にいた。
 俺達の姿を見つけると、縄張りを荒らされたと思ったのか、敵意を見せて襲い掛かってくる。
 赤い巨体の背に生えた翼を広げ、空高く飛び上がる。

「くるぞ、散れ!」

 爺さんの指示で、他の四人が別方向に走る。
 固まっていては共倒れになるからだ。
 爺さんは俺についてきて、ドラゴンとの間に立とうとする。

「爺さん、邪魔だ! 後ろに下がってろ!」
「いいえ、殿下のご命令であろうともこればかりは聞けません! 例えこの身が朽ち果てようとも殿下のお体には傷一つつけさせませんぞ!」

 頑固ジジイが!
 気絶させて、遠くに放り投げるか?
 老いても獣人、体の頑丈さは人間よりも遥かに優れている。
 多少雑な扱いをしても大丈夫だろう。

 爺さんを気絶させるべく、背後から機会を窺う。
 そうこうしている内に、他の四人とドラゴンの戦いは白熱していた。

 ドラゴンが上空から炎を吐く。
 標的になったのは、もう一人の騎士だ。
 すかさず魔術師が魔法で水の防壁を作り出して騎士を庇う。
 冒険者にも魔法を使うヤツはいるが、魔術師が作り出した水の壁は今まで見たことがないほど巨大で頑丈なものだった。襲い掛かってくる炎を全て呑み込み消し去ってしまう。

「空からの攻撃はこちらにとって不利だ、ヤツの翼を狙うぞ!」

 パトリスと魔術師が、左右から風の魔法を打ち込んだ。
 突風が刃物のように襲い掛かり、ドラゴンの翼を根元から断ち切る。
 巨体が地面に落下し、山を震わせた。
 痛みに唸り、怒りに満ちた竜の咆哮が響き渡る。

「落ちたぞ、仕留めろ!」

 騎士が剣を振り上げて突進していく。
 あれはドラゴンキラーか。
 竜種に対して絶大な効果を発揮する世界に数本しかない貴重な魔法剣だったはず。
 剣は容易く竜の鱗を切り裂き、胸から腹にかけて深い傷を負わせた。大量の血が飛び散り、ドラゴンの体が大きくのけぞる。

「やった!」

 四人は勝利を確信し、歓声を上げた。
 いいや、まだだ。
 倒れ込む赤い竜は、怒りを湛えた瞳で敵を見据えている。
 開いた口からは熱気が漏れていた。
 炎が来る。

「気を抜くな!」

 大声で叫び、足で地を蹴り上げた。
 爺さんの頭上を遥かに飛び越えて、ドラゴンの真上まで飛んだ。
 狙うのはドラゴンの心臓だ。
 落下の勢いを利用して、両足から飛び込み、硬い鱗を突き破って、心臓ごとドラゴンの胴体を貫通した。

 ドラゴンは炎を吐くことなく息絶えた。
 貫いた体に踏みつぶされないように素早く離れると、地響きを立てて巨体が横たわる。
 竜種は初めて狩ったけど強かったな。
 あいつらが翼を切り落とし、弱らせていなかったら危なかったかもしれない。
 悔しいが認めるしかない。
 今の俺はまだ弱い。
 魔法も使えるようにならないと、お嬢様を守れなくなる。

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