お嬢様のわんこ

第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・1

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 ラファル殿下が誘拐された時、私はまだ十才の子供だった。
 夜半に王城から火が出て、出火に気付いた城下の街は騒然となった。
 私はすでに眠っていたが、外から聞こえてくる慌て騒ぐ大人達の声に目が覚めて起きていくと、家の外には出るなと父にきつく注意された。
 どうやら外には凶悪な賊がいるようで、街の治安を守る兵達が怒声を上げながら通りを走り回っている。
 同じく起きて来た弟妹と共に、両親の寝室に連れて行かれ、家族で固まり夜を過ごす。
 その夜、城で何が起きたのか、翌日には国民すべてが知るところとなった。

 ラファル殿下を連れ去った賊は、近隣諸国を荒らしていた盗賊団の残党だ。
 旅の商人や小さな村を襲い、略奪を繰り返していた奴らを捕えたのは、我が国の王が率いる軍勢であり、討伐の手を逃れて逃げ延びた盗賊どもは、頭目を殺され、多くの仲間を獄に繋がれたことを逆恨みしたのだ。
 陛下に対する恨みを晴らすため、奴らは幼く無力な王子に目をつけた。
 正攻法で、王は倒せない。
 だから、代わりに王の子を生き地獄に落とすことで復讐しようとした。
 城の警備がほんの僅か緩んだ隙を見計らい、奴らは王子を盗み出した。
 その際、警備についていた騎士達、王子の世話をしていた侍女らが多数死傷し、同朋を襲った悲劇に狼族の民は憤った。
 怒り狂った国民総出の捜索により、賊は全て捕えたが、ラファル殿下を見つけることはできなかった。
 もう逃げられないと悟った賊達は、高笑いをしながら王に向けて叫んだ。

『貴様の子はすでに手の届かぬ遠い地に送ってやったぞ! あれは己の出自も知らず、奴隷として一生虐げられて生きていくんだ! 勇猛な狼の王よ、武力しか誇れぬ能無しの王! 我が子一人守れぬ不甲斐なさを嘆きながら生きていくがいい!』

 血走った目で呪詛の言葉を吐きながら、賊は自らの喉を掻き斬り、次々と自害していった。
 生きた手がかりは失えど、賊の残した言葉から、奴隷を売買している商人を捜索することになった。
 奴隷の存在は、正規の手続きを経た場合に限り認められている。
 すなわち、借金奴隷、犯罪奴隷の二種類だ。
 誘拐された人間を売り買いすることは犯罪であり、王子もまた闇のルートで売買されたと考えるべきだろう。
 表に出てこない密売人にたどり着くのは容易ではなく、七年かけて捜索を続けても、王子が売られた組織を見つけるには至っていなかった。




 十七才になった私は、魔術師として城に勤めることになった。
 若年ではあるが才能を見込まれて配属されたのは、王妃様が率いる王子捜索班だった。

 王妃エリアーヌ様は、王族の血を引いてはいるが灰狼族の特徴を持つ、有力貴族出身の姫君だ。
 陛下とは幼馴染で、お二方は長い歳月をかけて愛を育みあったと伝えられている。
 エリアーヌ様は幼少の頃からお体が丈夫ではなく、御結婚の際には反対の声もあったのだが、陛下がぜひにと望まれて妃にされた。
 仲睦まじいお二人の間に、黒狼族の特徴を持つ男子が生まれたと聞き、国民はこれで陛下が妾妃を娶らずに済むと安堵したものだ。
 だが、王子が行方知れずとなり、我々が思い描いていた明るい未来は打ち砕かれた。
 我が子が己の手の届かぬ場所で、地獄の苦しみを味わっていると知りながら、平静でいられる親がいるだろうか。
 国王夫妻は気丈にもお役目を果たされていたが、王妃様は年々弱っていかれた。
 眠れないのだと聞いた。
 初めの頃は眠り薬を用いてなんとかお休みになられていたものの、薬というものは常用すれば体が慣れてしまい、次第に効果が落ちていく。
 休めぬ体は病魔を呼び込み、内部から蝕んでいく。
 それでも王妃様は、公務の合間に王子を探し続けた。
 違法な取引をしている奴隷商人の情報が入れば、我々を指揮して市場を摘発し、誘拐された人々を数え切れぬほど救い出した。
 多くの人に感謝をされ、慕われた王妃様。
 なのに、神は残酷で、彼女が一番救いたかった我が子を返してはくださらなかった。

 間もなく、王妃様はお倒れになり、儚くなられた。
 最期の時まで王子の身を案じ、救い出せぬことを悔いておられた。
 王妃様が身罷られた日の陛下の悲痛な慟哭は、生涯忘れられぬだろう。
 国中が喪に服し、全ての民が涙を流した。
 そして、我々は決意を新たにする。
 王妃様の御遺志を継ぎ、いつか必ずラファル殿下を見つけ、お救いするのだと。
 一人残された陛下の為にも、我々は諦めるわけにはいかない。




 地道に情報を集め、捜索を続ける。
 人の闇は底知れぬほど深く、違法奴隷の密売に手を染める商人は尽きない。
 数えるのも嫌になるほどの商人を摘発したにも関わらず、黒狼族の子供を売り買いしたという者は一向に捕まらなかった。
 大地は広大で、国交のない遠方の国々まで全て探し尽くすにはさらに何十年とかかるだろう。
 商人だけではなく、奴隷が送られそうな鉱山や土木工事の現場、色街まで調べ歩く。
 情報網もできる限り広げた。
 国交を開いた国には、王子捜索への協力を頼み、他国に赴く国民には、どのような場所であろうとも黒狼族の少年を見かけたら知らせてくれるように触れをだした。

 騎士、魔術師達には、捜索の助けになりそうなら、些細なアイデアでも出すようにと命令が下りた。
 すると、遠見の魔法があるのなら、それを応用し、精霊に殿下の居場所を捜させることもできるのではないか? と、魔法を使えぬ騎士の一人が進言してきた。
 しかし、それは無理なのだ。
 精霊が起こす奇跡は、酷く気まぐれで、融通が利かない。

 幼子が魔法を習う時に、最初に教わる寓話がある。
 昔、欲の深い男が、土の精霊に魔力を代償にするから、この世界のどこかにあるはずの鉱脈から、金塊を取り出して持って来いと命じた。
 代償に、男は体に宿る全ての魔力を奪われて、瞬く間に命をも失った。
 男の亡骸の上に、砂粒が一つ落ちてきた。
 命と引き換えに男が手に入れたのは、金色の目に見えぬほどの小さな粒のみ。
 どこにあるのかもわからない、範囲の広すぎる、大それた願いを叶えようとしても、精霊は人に都合よく動いてはくれない、命を落とすだけで何もならないという戒めである。

 王子を捜せという命令は、寓話の金を捜せと命ずるのと同じ行為。
 恐らく願ったが最後、誰がやっても命を落とし、王子の居場所もわからないだろう。仮に居場所が見えたとしても、それを誰かに伝える前に術者が死ぬ恐れもあるのだ。願いと代償が釣り合わなければ、精霊はそれぐらい残酷なことを平気でする。
 精霊は厳正にして公平だ。
 世界の秩序を守るため、神が定めた理に忠実に従っているだけだと分かってはいても、一切の情を持ち合わせないあれらのことを、私はどうしても好意的に見ることはできなかった。




 エドモン殿は、先代の国王陛下の側近であり、王妃様と同じく、灰狼族ではあるが王家の血を受け継ぐ上級貴族の当主でもあった。
 一族の者は王族に主に発現すると言われる獣化能力を持ち、剣の道にも秀で、武を極める者が多くいる猛者揃い。
 彼の一族が代々の王に重用される最たる理由は、彼らが持ち得る武勇もあれど、一度忠誠を誓えば一切の見返りを求めず忠勤に励む、愚直なまでに誠実な心根を買われてのことである。
 エドモン殿も例に漏れず、今代の王にも忠実に仕えていた。
 王家を御守りすることに誇りを持っていたはずだ。
 だからこそ、王子が浚われたことに、エドモン殿は誰よりも責任を感じておられた。

「あの日、ほんの数時間のことだ。孫が生まれたからと家に戻ったばかりに……!」

 王子捜索のため、共に行動するようになると、エドモン殿はたびたびそんな風に後悔を口にされることがあった。
 涙ぐみながら懺悔する彼の言葉を黙って聞く。

 城が襲撃された時、エドモン殿は自宅にいた。
 息子夫婦に子供が生まれ、一目だけでも会っておきたいと数時間の外出許可を取り、王子のお傍を離れ、自宅に戻った隙を突かれたのだ。
 確かにこの方がお傍にいれば、賊が何百人いようとも、王子を守りつつ、撃退することも可能だっただろう。
 御守りすることができたからこそ、エドモン殿の後悔は深く重い。
 贖罪のために自害をしようとするまでに思い詰め、それを陛下に叱責されて以降は、ラファル殿下をお救いすることだけを考え、捜索にも全力を尽くしてこられた。
 エドモン殿は、殿下の匂いを覚えておられる臣下では唯一の方だ。
 彼の鼻を欺くことなど誰にもできない。
 謝礼金目当てで偽者を仕立ててやってくる不届き者も、すぐに偽りを暴かれ裁かることとなった。




「行商を生業にしている商人が、殿下らしき御子を見つけたと、謁見を願い出ているそうだ」

 捜索班の面々を集め、エドモン殿が険しい顔をして言った。
 今年に入って三人目だ。
 王子を失って十年、成長の過程で顔が変わることもあるため、近年似たような年恰好の子供の毛を黒く染めて連れてくる者が増えた。
 偽者と判明すれば死罪は免れぬと言うのに、人の欲望とは恐ろしいものだ。
 これだけ愚かな詐欺師が続出している現状ゆえに、最初から疑ってかかってはいるが、万が一ということもある。
 陛下を無駄に失望させるわけにはいかないので、まずは我々が真偽を確かめるべく面会することにした。

 商人は人族の男だった。
 連れている子供は確かに黒い毛並みをしていたが、今にも泣き出しそうな頼りない表情をしている。
 耳と尾はぺたりと伏せられており、酷く怯えているのがわかった。

「旅の途中、道端で倒れておられた所をお救いしたのです。誘拐された王子様のお話は、商人仲間の噂で耳にしておりました。さぞかしご苦労をなされたようで、見つけた時にはかなり衰弱しておられました。それゆえに暫くは我が家で療養して頂き、この通り、元気になられたのでお送りしてきた次第で……」

 男は恩着せがましい口調で、親身に王子の世話をし、ここまで連れて来たと強調した。
 エドモン殿に視線を送ると、怒りを瞳に宿したしかめっ面で、首を横に振った。
 この子の匂いは王子とは違うようだ。
 それに、この男の話が嘘である決定的な証拠が子供にはあった。

「ところで、あなたは魔法の心得がおありではないのでしょうか」
「え、ええ、はい。私は商人でございますので、学んではおりません」

 私が問うと、男は面食らった表情で頷いた。
 そうだろう。
 多少なりとも魔法の知識があれば、このようなすぐバレる嘘などつくはずがない。
 呆れと怒りで歪む顔面に、無理やり笑みを乗せて、愚かな男に引導を渡すことにした。

「そうですか、我々魔術師は魔力や精霊の存在が感知できましてね、この子に施された奴隷契約の痕跡も見えるんですよ、主人はあなたですね。我らの同朋の子を偽者に仕立てあげ、王を謀ろうとした罪は重い、単なる死罪では済まされません」

 嘘が露見したと知った男は、悲鳴を上げて逃げ出そうとした。
 すぐさま騎士達が取り押さえ、拘束した後、牢へと運んでいく。
 背後関係を調べ、動機と首謀者と協力者を割り出した後は、迅速に裁く流れだ。
 恐らく、今回は公開処刑になる。
 偽者に奴隷を使った時点で、情状酌量の余地はない。
 名も身分も偽りで、謝礼金を受け取った後、姿を消す算段だったのは明白だ。

 我々は残された子供に目を向けた。
 主人の命令で話すことを禁じられているのか、子供は震えて蹲り、可哀想なほど小さくなっていた。
 私は水の精霊を呼び、子供の毛に付着していた染料を落とさせた。
 黒かった毛並みが、私と同じ紺色に変わっていく。
 エドモン殿も、部屋にいた騎士や魔術師、文官達も、子供を痛ましげに見つめた。
 同じ年頃だけに、奴隷にされているであろう王子の姿と重なり、感情の起伏の激しいものは涙を流していた。
 エドモン殿は、一番激しく泣いて、勢いよく子供を抱きしめた。

「辛かったろう! もう大丈夫だ! 家に帰してやるぞ! 行くところがないならうちの子になるといい!」

 子供は驚いたのと、主人の脅威がなくなったと知ったこともあり、こちらもまた大声で泣いた。




 後日、子供は奴隷契約から解放されて、親元に戻ることができた。
 地方の小さな村から誘拐された子供だったらしい。
 これからは、さらに各街や村と連絡を密にして、子供達を誘拐犯の魔の手から守らねばならない。

 ラファル殿下はどこにおられるのだろうか。
 獣人の潜在能力は高く、特に王族の子であれば、うまく育てればどのような道でも頭角を現すはずだ。
 盗賊の手により攫われたのだ、犯罪者が主人となっている可能性もある。
 闇組織の手先として育てられ、あの子供のように詐欺の手駒とされたり、盗みや殺人をさせられている恐れもあったが、あえて口には出さなかった。
 罪を犯した殿下を、陛下が裁くことも有りえるのだと、考えたくもない。
 王妃様を亡くされた陛下は、一日だけ悲しみに沈んだ後は、平静を装い王の務めを全うされている。
 こちらが悲しくなるほど、陛下は私的な感情を消し去り、国のために生きておられる。
 陛下の悲しみを癒せるのは、ラファル殿下だけなのだ。
 悪い想像が杞憂となることを祈り、一日でも早く、陛下に喜びを取り戻して差し上げたいと私は願う。

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