お嬢様のわんこ

第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・3

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 翌日、私とエドモン殿は配下から騎士を一人選び、冒険者ギルドを訪れた。
 入り口付近には酒場が併設されており、飲食だけではなく、冒険者達が仲間との待ち合わせに使っているらしい。
 すれ違いになることを避けるため、早朝から酒場のテーブル席に座り、殿下を待つ。
 我々を警戒して、すでに街を出られたかと不安になった頃に、殿下が入り口の開き戸を開けて入ってこられた。

「殿下!」

 エドモン殿が席を立って駆けてゆく。
 ラファル殿下は不機嫌そうな顔で、我々を見やった。

「一緒には行かないって言っただろ。もうお前らからの指名依頼は受けない、仕事の邪魔をするな」

 突き放す口調で言い放つと、殿下は受付に行き、討伐依頼が出されている魔獣のリストを受け取った。
 我々には構わずに、外に出ていかれる。

「お待ちください、殿下!」

 エドモン殿が追っていかれたので、私達も追いかける。
 ラファル殿下は、エドモン殿には強い拒絶をなさらない。
 彼に二心がなく、純粋に身を案じている気持ちが伝わっているからか、僅かなりと匂いに覚えがあるからなのか、我々に対するものよりは警戒心が薄くなっている。
 うるさそうにしながらも、本気で怒ることはなく、無視を決め込み、こちらが諦めるのを待っているようだ。

 当分は勝手について歩くしかないな。
 時間をかけて信頼関係を築き、陛下のお気持ちを伝えれば、会うことに前向きになってくださるだろうか。
 道のりは長そうだ。




「いいか、絶対についてくるな! ギルドから帰った後の俺のことを詮索するようなら、二度と傍には近寄らせないからな!」

 日暮れ前に討伐を終えた殿下は、ギルドで獲物を換金した後、我々に命じられた。
 今までのやりとりから十分考えられることではあったので、素直に頷き、帰って行かれる殿下を見送った。
 去っていく背中が見えなくなると、行動開始だ。

「昨夜の打ち合わせ通り、兎と猫も移動を開始しました。我々は猫を追います」
「うむ」

 兎と猫とは、我々の配下のことである。
 我が国は狼族の国だが、他種族がいないわけではない。
 婚姻により移住して来た、縁を頼って住みついた、理由は多様にあるものの、そうやって国民となった者の中には城勤めをする者もいた。
 兎族と猫族の魔術師達は、庶民の服を着て街の風景に溶け込んでいる。
 まず兎が殿下の後をつけ、猫が兎を追う、その猫を追うことで、尾行していることを悟られずに殿下の滞在先を見つけ出すのだ。

 猫の後を追っていくと、宿屋が集まる通りにたどり着く。
 猫はすでに兎と合流しており、殿下の姿は見えない。

「殿下はあちらの宿に入られました」

 兎が示した宿は、二階建ての大きな宿屋だ。
 入り口付近には案内役を兼ねた警備員が常時立っており、出入りする客の確認をしている。
 揉め事を起こしそうな酔客や柄の悪い人間を事前に排除しているため、建物内にいれば安全に過ごせるだろう。
 なかなかの高級宿だ。
 殿下は宿泊客であることを示す割符を見せて、入っていったそうだ。
 宿はここで確定だな。
 我々は斜め向かいの宿屋に飛び込み、通りに面した大部屋を確保した。

 部屋に入り、部下の魔術師に遮音の結界を張ってもらう。
 私はこれから別の魔法を使うので、そちらにまで手が回らないからだ。
 大部屋のベッドは六つ。
 そのうちの一つに腰掛けると、エドモン殿が向かいのベッドに腰を下ろした。
 椅子に座る者、床に直に座る者、立ったままの者、様々だがそこは各自好きな位置に待機してもらった。

「さて、ここからは私の仕事ですね」

 私は風の精霊に魔力を喰わせて、仮初の目を呼び出した。
 精霊の力を具現化させたそれは、緑の蝶の姿をしている。
 これから行うのは遠見の魔法だ。
 蝶は私の第二の目となり耳となる。
 魔法の持続時間は短く、覗ける範囲は狭いが、向かいの宿屋程度の距離ならば十分だ。
 目を閉じると蝶の視界が脳裏に浮かび上がった。
 音が二重に響き始めるが、意識して切り替えることで、聞き分けることができる。

 窓から蝶を飛ばし、宿の入り口の扉が開いた隙に中に潜り込ませる。
 殿下はちょうど階段を上って行かれる所だった。
 捜しまわる手間が省けて助かった。

「殿下を発見、部屋に戻られるようです」

 蝶の視覚と聴覚に集中しつつ、現状を報告する。
 部屋にいる周囲の者達は、固唾を飲んで私の言葉に聞き入っていた。

 廊下を歩く殿下の後ろをついていく。
 気づかれる様子はない。
 視界に入らなければ、無害な蝶のことなど気に留めないか。

 殿下は一番奥の部屋で足を止められた。
 ここが宿泊されているお部屋のようだ。
 中に人がいるのか、殿下が扉をノックされた。
 いよいよ殿下を隷属させている者の顔を拝むことができるのだ。

「部屋の前に着きました。殿下が扉を開けられます」

 エドモン殿を始め、同僚達の緊張が高まった。
 どれほど凶悪な面構えの男が登場するのか、皆も身構えているのだろう。




 扉を開けた殿下は、初めて聞く嬉々とした声で部屋の中にいる人物に呼びかけた。

『ただいま戻りました、お嬢様!』
『お帰りなさい、クロ!』

 予想に反して、殿下の帰宅の声に応えたのは、可愛らしい少女だった。
 長い栗色の髪をした人族の娘。
 年は十代半ばだろうか、アーモンドの瞳は明るく輝いており、全体的に受ける無邪気な印象のせいで、小動物のような愛らしさを覚えた。
 体つきは細身で小柄だが、胸や臀部などの女性を強調する部位は豊かに育っている。
 抱きついてきた彼女を受け止めた殿下は、緩み切った顔をしてその柔らかな肢体を堪能しているように見受けられた。

『大丈夫だった? 怪我はしてない?』

 少女は何よりもまず、殿下の怪我の有無を確認した。
 言葉だけではなく、声も表情も伴ったものだ。

『今日も傷一つありません。報酬も十分な額を稼げましたよ、誉めてください』
『ありがとう、クロ。だけど、本当に危ないことはしちゃダメよ』

 少女は差し出された報酬の確認はしたものの、額については思うことはないようだ。
 金に欲目のある場合、目つきにそれが表れるものだが、少女の瞳が濁ることはなかった。

 殿下は床に膝をついて、少女に頭を差し出した。
 何をしているのだろう?
 少女は殿下の手を取って立たせると、室内に置いてあった椅子へと座らせた。

『クロは良い子ね』
『はいっ』

 少女は椅子に座った殿下の側に立つと、おもむろに頭を撫で始めた。
 ちょうど彼女の胸の位置に頭がくるようで、ボリュームのある二つの膨らみに、にやけた顔が埋まっている。
 少女は幼子にするように「偉いね、頑張ったね」と声をかけて、殿下の頭を撫で続けた。

 なんだこれ?

 私の脳は、思考を放棄しようとしていた。
 いやいや、落ち着け、任務はまだ始まったばかりだ。

 しかし、殿下のあの締まりのない顔はどうだろうか。
 昼間、我々と対面した時の凛々しさなど欠片も残されてはいない。
 殺伐とした人生を送ってきたと思われる鋭さを宿した瞳、冷徹に獲物の魔獣を屠る雄姿、人を寄せ付けない警戒心に満ちた言動、これらの姿を見た私は、殿下は愛や情に飢えた孤高にして孤独なお方であると思い込んでいた。
 故郷に戻り、お父上に再会された暁には、その孤独は癒され、真に安らげる居場所を見つけられるのだろうと……。

 ……もう、癒されてますよね。
 殿下は少女の腰に手をまわして、どさくさ紛れにお尻を触っていたり、顔を近づけて頬を舐めたり、甘え放題しておられる。
 少女の方は過剰なスキンシップに対しては軽く窘めたりしているようだが、基本的には全て受け入れ、甘えてくる姿を見て可愛い可愛いと笑っている。
 殿下はそろそろ二十歳になっておられるはず。
 可愛い盛りはとっくの昔に過ぎ去っており、大きく逞しく育った現在、間違っても少女に可愛がられる容姿ではなくなっているはずで、不思議すぎる光景に声を出すことを忘れた。


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