お嬢様のわんこ
第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・7
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冒険者になる以前の殿下の経歴を調べるために、グラス王国へ調査に出していた部下が戻ってきた。
攫われた直後の殿下がどのような経緯でそちらの国に連れて行かれたのかは不明のままだが、冒険者登録をする直前まで、とある大きな商家に仕えていたことがわかった。
商家の主人は少女の父親で、すでに亡くなっていた。
父親亡き後、店と販路を丸ごと買い取った同業者の男がいて、長年の親友でもあったそうなので、詳しい話を聞けそうだということだった。部下の身分では面会が叶わず、ひとまず報告するべく戻ってきたようだ。
男はモーリスという名で、グラス王国でも有数の大商人。
貴族相手の商談も多く受けており、見知らぬ一般庶民が聞きたいことがあると面会を願い出た所で、部下と同様に忙しさを理由に断られるだけだ。
我が国と国交はないが、他国の貴族が面会を求めているとなれば、少しは融通を利かせてくれるだろう。
手土産に国内で取れる希少な鉱物を幾つか見繕い、ロー王国魔術師団団長の肩書を使って、改めて面会を申し込んだ。書面には我が国が狼族の国であること、クロ殿の件で話が聞きたいことなども添えておいた。
返事に時間がかかるかと思われたが、意外にもすぐに要望は聞き入れられた。
エドモン殿に殿下を託し、私は単身グラス王国に飛んでいった。
「ようこそいらっしゃいました。ああ、そのお耳は確かにクロと同じ。あの子はようやく自身の出自を知ることができたのですな」
モーリスは快く私を迎えてくれた。
高価な調度品に囲まれた広い応接室で、私と彼は対面に座った。
まずは手短に、クロ殿が我が国の王子殿下であったこと、十八年前に起きた誘拐事件のことなども説明する。
「当時、殿下は幼すぎて、故国のことをご記憶に残されてはいませんでした。我々がどれほど言葉を尽くしても、ご自身の身分が王子であることを認めようとはなさらず、いまだご帰還くださいません。それどころか、奴隷身分のままで暮らすこともやぶさかではないご様子。王子の信頼を得るためにも、我々はあの方のことを深く知らねばなりません。どうか、お願いします。私にこちらにおられた頃の殿下のことを教えてくださいませんか」
頭を下げる私をモーリスは恐縮して制止し、お安い御用だと請け合ってくれた。
「それならまずはリュミエールの父親のローランのことから話しましょう。彼があなた方の大切な王子殿下を奴隷にしていたのは事実ですが、それは彼のせいではない。彼らが出会った時、クロは奴隷市場で売られていたのですからな」
モーリスはローランは悪い男ではないと念を押すように言った。どちらかといえば、お人好しの部類であったと。
「商人などやっているからには強かさも持ち合わせてはいましたが、根は優しい男でした。彼を悪く言う者は、商売敵か、成功を妬んだ碌でもない輩ぐらいでしょう。ただ、容姿の方は今一つでしてな、これと思った女性には良い人ではあるが恋愛対象には思えないと断られ、縁談を持ちかけてくるのは金目当ての強欲な女ばかり。とうとう四十近くになってしまい、結婚は諦めたと酒の席で零していたこともありました」
そんな頃、ローランは恋をした。
相手は子爵家の令嬢オレリアで、十五才の初々しい娘だった。ローランは夜会で見かけた彼女を妖精に例えてこっそりと見つめていたらしい。
「ローランも、自分が相手にされることはないと始めからわかっておりました。彼女には若く美しい恋人がいましたからね。相手に気付かれないように、ただ影から想うだけのいじらしい恋でした。ところがオレリア嬢の実家は荘園経営がうまく行かずに破産寸前まで追い詰められていましてな、社交界にデビューさせた娘に裕福な結婚相手を宛がおうと、あちらこちらに縁談を持ちかけ始めました。恋人の実家は爵位こそあれど貧しく、子爵家がオレリア嬢の縁談を他家に求めても口を挟むことはありませんでした」
子爵家の困窮は浪費癖を持つ家人のせいでもあり、結婚後も多額の援助を求められるのは明らかだった。
幾ら令嬢が類まれな美貌の持ち主でも、そのような厄介な事情を持つ花嫁を進んで得ようと考える者など皆無に等しかった。
誰もがそっぽを向く中で、一人だけ求婚者が現れた。
求婚者の男爵は壮年の男で、過去に四度も結婚歴のある悪い噂の絶えない人物だった。
使用人への虐待が噂になるほど酷く、かなり粗暴で嗜虐趣味を持つ男は、いずれの妻とも死別しており、そのような男の下に嫁げば令嬢に恐ろしい災厄が降りかかることは誰でも容易に想像がついた。
「さらに男爵は子爵家の足下を見て、援助の金額を値切ったそうです。僅かな金でも得たかったのか、あろうことか子爵は男爵との縁談を進めようとした。その話を聞きつけたローランは、男爵よりも遥かに良い条件で子爵家に縁談を持ちかけました。ローランは平民ですが、得意先や懇意にしている上級貴族の方々の後ろ盾があり、子爵家はオレリア嬢をローランに嫁がせたのです。ですが、令嬢は世間知らずの少女でした。恐ろしい運命から救い出してくれた男が夫になったことを知ろうともせず、そればかりかローランを恥知らずな成金と蔑んで嫌ったのです」
オレリア嬢は義務と割り切って、一人娘のリュミエールを産んだ。
子供は一人産めば十分だろうと、産後は夫を拒んで一度も寝室に入れなかったが、ローランは妻の冷たい仕打ちにも文句ひとつ言わずに子爵家への援助を続けた。
「オレリア嬢は娘のリュミエールにも冷淡に接していましたよ。リュミエールは父親に愛されて育ち、素直で優しい子になりました。幼いながら周囲を気遣い、あまり手のかからない子供だった彼女が、唯一言った我侭が犬が欲しいというものでした。母に厭われ、父には滅多に会えない生活を余儀なくされ、あの子は寂しかったのでしょう。商売柄、客を招く機会が多い我々の屋敷では、愛玩犬を飼うのは難しいことでしたので、ローランは悩んでおりました。そんな時、彼はクロを見つけたのです」
ある日、モーリスとローランが奴隷市場の前を通りかかると、通りに面した檻の中に、獣人の少年が入れられているのを見つけた。
それが殿下だった。
売りに出すためか、身綺麗に整えられてはいたものの、同じ年頃の子供と比べれば体は痩せていて、瞳は諦めきったように暗く淀んで冷え切っていたという。
「ちょうど奴隷商人と客が会話しているのを耳にしましてな、その客というのが先ほどのオレリア嬢に求婚した例の男爵だったのですよ」
珍しい獣人の奴隷なら、すぐに高値がついて売れると目論んでいた奴隷商人だが、予想に反して買い手がつかなかった。
男爵は常連で、買い手がつかないようなら、売値の半額で引き取ると商人に持ちかけていた。
男爵が奴隷を甚振る目的で購入しているのはわかりきったことだ。このまま放っておけば、少年は男爵に引き渡され、凄惨な暴行の末に短い生涯を終えることになってしまう。
『あの子には犬のような耳と尻尾があるじゃないか。あれならリュミエールも気に入るだろう』
ローランはモーリスにそう言って、すぐさま奴隷商人に少年を買い取る旨を告げに行った。
商人には、あくまで娘が気に入ればと前置きしつつ、商談がまとまれば提示された金額に色を付けて購入すると言い添えて、迅速に少年を引き取る手続きを済ませた。
「引き合わせてリュミエールが気に入らずとも、ローランはあの子を買い取ったでしょう。商人の下に返せばその後の少年がどうなるのか、わかっていたのですから。その時には、獣人は優秀な資質を持っている、育てれば一流の商人にできるなどと理由をつけていたでしょう。商人である以上、情に脆いと思われてはいけません、下手な弱みを見せると足下を掬われますからな、慈悲を施すのにも建前が必要なのです」
つまり、殿下は危うい所をローランに救われたことになる。
我々は彼に感謝するべきなのだろう。
成長した殿下に再会できたのは、紛れもなく彼の優しさのおかげなのだから。
「予想以上にリュミエールはクロを気に入りました。ローランは従業員宿舎にクロの部屋を用意するつもりだったらしいのですが、娘が眠る時まで離そうとしない上に、飼うはずの犬の代わりだという建前もありまして、同じ部屋で生活をすることになったようです。リュミエールとクロに奴隷契約を結ばせたのは、傍に置く保険のためだったのでしょう。ローランにとってリュミエールは何者にも代えがたい愛しい娘。クロの性質がわからない最初のうちは、絶対に危害が及ばないようにしておく必要があったのです」
殿下と少女の屋敷での生活は、たまに屋敷を訪れるモーリスの目から見ても微笑ましく幸せそうで、時には胸やけがするほどに甘いものだったそうだ。
ええ、想像がつきますよ。
殿下は、飼い犬になりきって、ご主人様に甘えておいでだったに違いない。
人としての尊厳よりも、犬なら許される特権を取ったのだろう。
「ローランはクロを口では飼い犬代わりの奴隷として扱っていましたが、与えた待遇は養子と言っても差し支えのないものでした。思った以上に優秀なクロの様子と、リュミエールと仲睦まじく戯れる姿を見て、いずれは奴隷契約を破棄して婿に迎えてもいいかもしれぬと呟いていたこともあります」
殿下が喜んで飼い犬に甘んじておられていた影で、ローランは殿下を奴隷身分から解放する気であったらしい。
娘が成人し、殿下との結婚を望めば、自身の後継者として迎え入れるつもりで最高の教育を施し、商売のやり方も徐々に仕込んでいたのだとか。万が一、自分が亡くなって、娘が家を放り出されることになっても、殿下を一人前に育てておけば生きていけるだろうからと、金に糸目を付けずに優秀な家庭教師を手配して徹底的に学ばせた。殿下は獣人の中でも王族であったから、真綿が水を吸い込むがごとく与えられた課題をこなしていったはずだ。
ローランが亡くならなければ、今頃殿下はこの街で少女と所帯を持ち、大商人の跡継ぎとして忙しい日々を送っておられたのだろう。
「二人が冒険者となり、旅に出ることにしたのは、リュミエールの母であるオレリア嬢のことがあるからでしょう。私はクロにローランが残した店を任せたいと申し出たのですが、彼は断わり、リュミエールと二人で穏やかに暮らせる地を探すと言って旅立ちました。クロを奴隷にしているからといって、リュミエールを悪く思わないで頂きたい。リュミエールはクロに愛情を持っています、クロのためになるなら奴隷から解放するはずです。それをいまだにしていないのなら、恐らく二人とも契約を共にいる理由にしているのでしょう。彼らが何よりも恐れているのは、お互いを失うことでしょうからな」
話を聞き終わり、礼を述べてモーリスの屋敷を出る。
必要なことは全て聞いた。
殿下の過去、少女とその父親のこと。
それと、殿下を売った奴隷商人のことも。
奴隷商人は今でも同じ場所で奴隷を売っているそうだ。
その男の奴隷の管理方法は伝え聞く方法と同じ、極限まで飢えさせ、暴力で恐怖心を叩き込み服従させる悪辣なもの。殿下も例外ではなく、屋敷に買い取られた直後は周囲の挙動に怯え、主人に従順に従うよう教育されていた。
言葉を話し始めたばかりの幼子が、十年もの長き時をそのような恐ろしい環境で過ごしたのだ。
殿下の心境を想像すれば胸が痛み、我が子の身を案じて心身をすり減らし耐えていた国王夫妻の姿を思い返せば、怒りは簡単に蘇った。
首謀者は自害し、仇は死に絶えたと思っていたが、まだ残党がいたようだ。
奴隷商人が如何様にして殿下を手に入れたのか、そこから辿っていけば裁くべき者達が釣れて行くに違いない。
まずは国に報告をいれよう。皆、喜んで捜査に加わるはずだ。
奴隷商人を潰すのだから、こちらの王に断わりを入れに行かねばならないな。
これは少し帰りが遅くなりそうだ。
束の間、殿下のお幸せな生活を覗き見しなくて済むと思うと晴れやかな気持ちに……いやいや、やるべきことが山積みなのだ。殿下のお傍にはエドモン殿がおられるのだし、任せておけば安心だ。
私の要請を受けて、新たに殿下誘拐事件残党捜査班が結成され、グラス王国に到着した。
彼らが到着するまでに、グラス王に話をつけ、すぐにでも奴隷商人を捕縛できるように準備を整えておいた。
以後の捜査の指揮も執る気満々だった私に対して、一団を率いてきた騎士が手柄を横取りするようで申し訳ないと謝りつつ、自分が王のご命令で責任者に任じられたのだと告げて来た。
え? つまり私の仕事はここまでということか?
殿下の護衛に戻れと?
エドモン殿からも、早く戻ってこいと催促の手紙が来ていた。殿下の家が完成したらしい。
平穏な日々よ、さらばだ。
少しばかり気を重くしながら、私は労いの言葉をくれる彼らに後事を託し、グラス王国を後にした。
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