お嬢様のわんこ

第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・8

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 家が完成し、殿下は私の予想通り、邪魔者のいない二人だけの生活を満喫なされていた。
 エドモン殿に強要されて、時々様子を覗き見ているが、相も変わらず仲睦まじいお二人です。
 いつまでも少女と呼称するのも何なので、これからは殿下に倣ってお嬢様と呼び変えるとしよう。
 お嬢様が家事の一切を引き受けて、殿下の食事は全て彼女の手作りとなった。
 昼食ももちろん手作りであり、狩りに行き、昼食時に弁当を広げる際、殿下がこちらを威嚇してくるようになった。
 特に何かおっしゃるわけではないが、一口もやらぬと目が語っている。
 誰も取りませんよ。
 嫉妬深いのは獣人特有の習性なので、我々は気にせず露店で買った品で食事を済ませる。
 部下の中には故国にいる妻の作った料理を懐かしむ者もいるが、独身の私は特に感慨もなく、任務が終わる頃には町中の店の料理を食べ尽くしているかもしれないと考えていた。

 ラファル殿下を故国にお連れするために、越えなければならない障害は幾つもあった。
 本人への説得が最優先の課題だが、我ら臣下一同も一枚岩というわけではない。
 殿下の伴侶が人族の少女と知り、王太子として迎えることに難色を示した者達が出て来たのだ。
 若い者は比較的柔軟で、王が黒狼族であるならば伴侶が他種族であってもいいのでないかと許容の姿勢を見せたが、老齢の者の多くは、未来の王妃はやはり狼族でなければならないと主張する。
 陛下の御命令であれば内心がどうであれ従うだろうが、そもそもラファル殿下に王位を継ぐ気がない現状では、陛下がご自身の希望を述べられることなどないのだ。
 ラファル殿下を説得するためにも、せめて臣下の意志だけでも統一しておきたいのだが、なかなかうまくいかない。

「頭の痛いことです」

 これらの現状について、私は率直に鬱々とした気持ちを零した。
 愚痴る相手は文官のトップである宰相殿だ。
 宰相ナゼール殿は、私の同期でもある黒狼族の青年で、陛下の姉君の子――つまり、ラファル殿下の従兄弟にあたる。
 王位継承権はラファル殿下のすぐ下で、殿下が戻られなければ王位はこの方に譲られるが、本人は王になる気はまったくなく、ラファル殿下を王太子にしたい我々の頼もしき同志だ。
 国に戻った際に、彼の執務室に立ち寄り、現状報告のついでに相談して帰るのが常になっていた。

「最終的には力づくで黙らせるしかないな。反対派の意向を左右しているのは、いずれも長老格の隠居老人だ。ここはエドモン殿の出番だろう」

 私の愚痴に返事を返しつつ、ナゼール殿は疲れ切った顔をして、ため息をついた。
 言葉は尽くしたのだ。後は、彼らの割り切れない気持ちを圧倒的な力で粉砕し、ねじ伏せるしかない。
 我々が出てもいいのだが、老人達にすれば若造の我々に負けては立つ瀬がないであろうし、同年代のエドモン殿に敗れるならば素直に敗北を受け入れてくれるだろうと配慮した結果の人選だ。
 エドモン殿は殿下のお傍を離れることになると知れば嫌がるだろうが、うまくいけば臣下の意志をまとめられるとあれば行ってくれるはずだ。

「この国は脳筋ばかりで嫌になりますね」
「そう言うな、武力を尊ぶのは我らの本能。殴り合いで納得させられれば、一番後腐れがなくていい」

 本来、戦闘行為とは無縁のはずの文官だが、上位の役職に着くほど武力も求められる。
 ラファル殿下が戻られねば、王となられる予定のナゼール殿も例には漏れず、剣や格闘術、魔法など幅広く学び、習得されていた。
 ご本人は昔から陛下の補佐をする宰相になりたいと言い続けておられたので文官の道へと迷いなく進まれたのだが、進路を決める時に当時の騎士団長や魔術師団長が熱心に勧誘に来ていて、彼の人の武の才を惜しんでいたことは今でも語り草となっている。
 ようするに、ナゼール殿も武闘派だ。
 口での説得が困難だと悟ると、すぐさま拳での話し合いに移行する。
 我が国はそうやって成り立ってきた。
 強者の言うことには素直に従う、純真な狼達の国なのだ。




 リオン王国に戻り、エドモン殿に宰相殿とした話を伝えると、快く老人達の説得を引き受けてくれた。

「任せておくが良い! 陛下の御心も慮れぬ愚か者共め! 我が拳にかけて叩き潰してくれる!」

 頼もしいことですが、手加減はしてください。
 潰しちゃだめです。
 あくまで賛成の声を引き出せればいいんですからね。

「しかし、儂が離れるとなれば、殿下の警備が心許なくなるな」
「ご心配なく、こちらへの人員を増員するように手配してきました」
「ううむ、勝手を言ってすまぬが、一人推薦したい奴がおる。幼少の頃から儂自らが鍛えて来た騎士じゃ。叶うことなら殿下にお仕えさせたいと思っておったので良い機会だ。殿下ならば、あやつを従えてうまく使ってくださるだろう」

 エドモン殿が推薦したのは、彼の孫でディオンといい、騎士に成り立ての若者だった。
 身内だからと甘い評価を下す人ではないので、実力は確かなのだと思う。殿下の側近候補も育てていかねばならないので、ちょうど良い。エドモン殿の推薦を受け入れ、呼び寄せてもらうように頼んだ。
 ただ、孫には少しばかり懸念があると、エドモン殿は申し訳なさそうに付け足した。

「ディオンは素直な男じゃが、体を鍛えすぎたあまりに力のみを信奉し、己よりも弱い者を認めず、侮るようになってしもうた。上司となるパトリスが魔術師だと知れば見下してくるじゃろう。どういったわけでか、あ奴は魔術師が己の力では戦えぬ弱者だと思いこんでおるのだ。口で説明しても納得はせんじゃろうから遠慮せずに殴り倒してくれ」

 殿下に対しても、同じように伝えて欲しいと言付けられた。
 ものすごく、面倒なことになりそうな気がした。
 しかし、エドモン殿の顔を立てる意味でも断れない。

「わかりました。その際は全力で殴りつけます。なるべく任務に支障が出ない範囲で痛めつけ……ではなく、躾させて頂きます」
「無理を言って申し訳ない。儂もなるべく早く戻って来られるようにするでの」
「よろしくお願いします」

 話がまとまると、エドモン殿はさっそくと故国への帰路につき、入れ替わるようにディオンが到着した。




 エドモン殿のおっしゃった通り、ディオンは皆をまとめる責任者が私だと知ると、不遜な態度を隠しもしなかった。
 魔術師団の団長という立場にも、敬意を払う価値などないと考えているのだろう。

「魔術師ごとき脆弱な輩に殿下の護衛が務まるものか。精霊の力を借りねば何もできぬ輩に指図されるなど御免こうむる。お爺様がおられぬとはいえ、力のある騎士殿が大勢残られているではないか。そちらの方々の命令なら喜んで聞こう」

 武威を示す前にまず対話をと考えていたが、これでは話にならない。
 少しばかり溜まっていたストレスのせいもある。
 私も狼族の男だ。
 正面切って侮られて、穏便にすませる必要性など全く感じなかった。
 こうなることも想定して、多少暴れても問題ないように顔合わせは外で行ったのだ。遠慮なくぶちのめしてやろうじゃないか。

「言いたいことはそれだけか? お前には諭す言葉など不要だな。手っ取り早く上下を決めよう、手合わせしてやるからかかってこい」

 こちらの空気が変わったことに気が付いたのか、ディオンが警戒の表情を浮かべた。
 借り物の力と言ってはいるが、魔法攻撃の威力自体は脅威であることを知っているのだろう。身構えて私の出方を窺っている。

「安心しろ、騎士に成り立ての小僧ごときに魔法は使わん。お前が納得できるまで、私自身の力でその歪んだ価値観を矯正してやる。剣を使ってもいい、最初から全力を出せ」
「ふんっ! その強がりがどれほどのものか見せてもらおう!」

 ディオンは剣を抜くと、猛然と突進してきた。
 年齢を考慮すれば、なかなか目を見張る動きだ。
 だが、その力も所詮若手の中で有望であるに過ぎない。

「はっ」

 こちらからも距離を詰め、一瞬で懐に飛び込む。
 一発目は顔へと下から抉るように拳を打ち込み、腹に膝蹴りを入れる。ディオンの装備は全身鎧なため腹部も金属で覆われているが、私にとってこの程度の装甲は布切れを巻いているのと変わらない。
 膝が鎧をへこませて、中身にまできっちり威力を通したことを確信する。
「ぐっ! がっ! くおおおおおっ!」
 ディオンは連続で訪れた強烈な痛みの中で、それでも剣を振り下ろそうとしてきたが、闇雲に振るわれた剣に当たるような間抜けではない。見切って避け、横に回り込んで剣を持つ腕を掴んだ。

「ふんっ!」

 力任せに投げ飛ばす。
 宙を舞った体を地面に叩きつけると、ディオンの口からは獣の咆哮に似た叫び声が上がり、苦痛にのたうつ蛇のように転げまわった。

「く、そ……、こ、こんな、はず、じゃ……」

 転げながらこちらを見上げる瞳には、驚愕と屈辱に震える怒りの炎が見える。
 長年持ち続けた価値観を覆すのは容易ではない。
 そもそも、この男は何を根拠に魔術師の力が弱いなどと思い込んだのだろうか。

「一つ教えてやる」

 這いつくばるディオンを見下ろして、努めて冷静な声を出した。

「狼族の男はほぼ全て騎士の適性がある。魔術師団に入る者は、魔法しか使えないのではなく魔法も使えるから望まれて入団するのだ。そこをはき違えるな」

 脳筋揃いの狼族は、魔法を使える者が希少なのだ。
 現状、魔術師団の構成員の半分は他種族の者で埋まっていたりする。
 一応、狼族の国を称する我々としては、団長に他種族の者を据えるわけにはいかず、魔法の才ある狼族の若者は漏れなく魔術師団に勧誘するよう推奨していた。

「お前は体で覚えるタイプなのだろう、見ればわかる。私も狼族なんだ、拳で語り合う方が楽でいいに決まっている。安心しろ、死ぬような怪我はさせない。骨が折れた程度なら、簡単に治してやれるからな」

 後で部下が言うには、私はにこやかに笑いながら、目が笑っていなかったそうだ。
 殺気に当てられて、数人の若い者が怯えてひっくり返っていたとか。
 正直、この後のことはあまり覚えていない。
 殴っては治療を繰り返していたら、周囲に止められ、ディオンが泣いて謝ってきたので許してやることにした。

 その後、数日は任務内容の説明と、教育的指導を繰り返し、選民思考に偏りがちなディオンの意識改革に努めた。
 エドモン殿の家系は女性も御強いからな。
 ディオンは特に馬鹿……じゃなくて純粋だったせいで、力が強い者が尊ばれ、弱者は従う者、という動物的な思考回路を持つようになってしまったようだ。
 それが証拠に鉄拳制裁を繰り返しても、相手が自分より弱いと認定すると、すぐに見下そうとする。
 はぁ、これはどうやれば矯正できるんだろうか。
 私の言うことは従順に聞くようになったが、前途多難だ。
 そろそろ殿下にも会わせないといけないしな。
 私はディオンを呼び出して、念を押すように言い聞かせた。

「いよいよ明日はお前を殿下に引き合わせるが、殿下は我らの大切なお方だ。くれぐれも失礼な態度を取るなよ」
「はっ! 心得ております、パトリス様!」

 結局、ディオンは初見で殿下を見下し、殿下御自身の手で従順な下僕と化した。
 エドモン殿、あなたの孫はどこまで馬鹿なのか。
 これから殿下の護衛につけますが、いつか取り返しのつかない失態を犯しそうで、憂うあまり私の胃に穴が開きそうです。


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