お嬢様のわんこ

第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々・12

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 国に戻ってきて、数か月が過ぎた。
 平和と表現しても良い日常を送っている。
 処罰を求めていたエドモン殿とその一族も、リュミエール様が罰を与えることを望んではいないと知ると、償いに一族の総力を上げて後ろ盾となり、全力でお守りすることを誓った。
 王太子妃として、これほど頼もしい後援者はいないだろう。
 リュミエール様は殿下と同じく元々高水準の教育を受けていたせいか、お妃教育も順調だ。
 侍女達からの評判も良く、高い地位や権力に溺れることなく、その心優しいのんびりとした性質は変わることがない。
 ただ、一つだけ、予想外のことがあった。
 殿下への接し方で気づけば良かったのだが、単なる恋人同士の戯れと気にしなかったせいで、見落としていたのだ。




「あの、パトリス様。ご相談したいことが……」

 リュミエール様のお傍付きの侍女が、そっと声をかけてきた。
 侍女は周囲を見回して人がいないことを確認すると、私の前までやってきたが、口を開こうか開くまいか決心がつかない様子だった。
 別に私に懸想して告白を躊躇っているとかではない。
 連日似たような相談を持ち込まれているだけあって、もう慣れてしまった。

「リュミエール様のことか?」
「は、はい。あの……、私の勘違いだと思うのですが、時々とても情熱的な目で私をご覧になられているような気がして……」

 彼女は頬を染めて、恥ずかしそうに打ち明けた。
 頭の上から生えている白くて長い兎の耳が動いている。
 見られているのは、それだ。
 ため息が出てくるのを抑えることはできなかった。

「ある意味で勘違いであり、勘違いではないな。リュミエール様は獣人の耳や尻尾に大変興味をお持ちになられている。特に毛の多い種族がお好みなのだろう。そこには個人に向ける情も欲もない、あるのは獣耳と毛皮への憧れだけだ」
「そ、そうなのですか? ご自身もあのような見事な黒狼の毛並みをお持ちなのに」
「あの方は元々人族だ。己にないものに長い間憧れを抱かれていたのだろう。他人の体に触れてはいけないと理解はされているはず、気にはなるだろうが観賞ぐらいは許してさしあげてくれ」
「わかりました。お忙しい所、些末なことで煩わせてしまい、申し訳ございません」
「いや、構わない。些細なことでも、気になることがあるなら相談してくれ」

 侍女は一応は安心できた様子で、頭を下げると去って行った。
 一度、全員を集めて話をしておくべきだろうか。
 いや、いらぬ憶測や噂を呼んでもまずいな。
 私も時々視線を感じることがある。
 本人は気づかれていないと思っているのか、視線が合うと目を逸らしているのだが、気配を読み取れる私にははっきりとわかる。
 頭部に、特に耳に熱い視線を注がれているのを。
 殿下に知られたら嫉妬で荒れ狂うだろうなと、頭が痛くなってくる。
 授業の中に獣人の習性についての講義を加えるべきか。
 この辺は、教育係と相談して決めねばなるまい。




 中庭に面する回廊を歩いていると、向こうからこられたらしい陛下が立ち止まっておられた。
 視線は庭の方を向いている。
 あちらでは、リュミエール様が黒い狼と戯れていらっしゃった。
 この城に、獣の黒狼などいない。
 必然的にあれがラファル殿下であると、誰もが知っていた。
 知らないのは、獣の姿になれる獣人がいると知らないリュミエール様ぐらいなものだろう。
 城の警備に放たれている番犬達が彼女に可愛がられることに嫉妬した殿下は、対抗して狼の姿になり競うように可愛がられている。
 犬達も、意志疎通はできないながら殿下の嫉妬心に恐怖を覚えたのか、二人が一緒にいる時は近づこうとはしない。
 殿下は仰向けになり、腹を見せる服従の姿勢になり、甘えるようにくねくねと体を揺らしていた。
 リュミエール様は無防備に体を晒す狼に抱きつき、ふさふさの毛の感触を楽しんでおられた。
 あれの正体が一国の王太子かと思えば、少し情けないような気もしてくる。
 眺めている陛下の心境はいかがなものかと顔色を窺えば、意外にも微笑ましいものを見る目をなされていた。

「あ、あの、陛下……」

 声をかけると、陛下がこちらに気がつかれた。

「おお、パトリスか。今日は良い天気だな」
「はい、今日は日和も良く、外の空気に触れると気持ちが良いですね」

 当たり障りのない天気の話題で場を濁す。
 中庭の二人の話題に触れないように神経を使った。

「ラファルも楽しそうで何よりだ。ああやって二人が戯れているのを見ると、昔を思い出してな」
「そ、そうですか」

 避けていたのに、陛下の方から触れてきたー!
 反応に困りつつ、相槌を打つ。

「エリアーヌも犬が大好きでな。幼い私は嫉妬して、狼の姿になって犬を押しのけて彼女に甘えていたものだ。さすがに妻に迎えてからはやらなくなったが、それまでは彼女を独占していないと不安でな。私にはラファルの気持ちがよくわかる」

 私が城に勤め始めたのは、殿下が行方不明になってからだったからな。
 まさか、まったく同じことをやっていたとは……。
 離れていても、親子であったということか。
 複雑な感情に苛まれつつ愛想笑いを浮かべていると、陛下には気づかれたようだ。

「熱烈に相手を思う心情は理解できぬか。いずれお前にも番ができればわかるであろう。まあ、子供が出来れば落ち着くだろうから、今は多少見苦しいことをしようが寛容な心で見守ってやってくれ」
「いえ、お二人の仲がよろしいことは良きことです。こうして平穏に過ごされているのであれば、臣にとっても幸いです」
「そうよな。平穏、それが何よりも大切なことだ。私は二度とあのような苦痛に満ちた日々を送りたくはない」
「国民すべて陛下と同じ思いでありましょう。我々は過去を教訓とし、王家の方々をお御守りすると日夜研鑽を怠らず励んでおります。ご安心ください」
「頼りにしておるぞ」

 陛下は満足げに微笑まれると、歩を進めて立ち去られた。
 私はもう一度、中庭の方へと視線をやった。
 遊び疲れたのか、リュミエール様は殿下の体にもたれかかってお休みになられていた。
 殿下は黙って枕になりながら、こちらも昼寝を始めたようだ。
 毎日、社交や勉強で疲れているのだろう。
 ちょうどよい息抜きになっているのなら、見なかったフリをしておこう。




 ディオンの治療は、ペースは遅くとも着実に完治に向かっていた。
 後遺症も残らないだろうということなので、心配はしていない。
 意識の方は、我々が城に到着した頃には戻っていた。
 目覚めた途端に騒ぐのではと危惧していたが、これまでとは打って変わって神妙になり、おとなしくしている様子に拍子抜けしたものだ。
 どうやら殿下のお怒りを直接身に受けて感じたことで、己の過ちを理解したらしい。
 両腕を食い千切られたことも、半死半生の目に遭わされたことも、自ら犯した罪の報いとして受け入れており、自死も許さぬと伝えられたこともあって、病室で治療に専念しているというわけだ。
 そろそろ寝台から下りて、歩行訓練が始まるのだと聞きつけたので、久しぶりに見舞いに訪れた。

「どうだ、怪我の具合は?」
「はい、ほぼ元通りに治っております。後は衰えた筋力を戻すのみでございます」

 死にかけると、悟りを開くというしな。
 以前と違い、理性的な態度で受け答えする男に違和感を覚えつつ、私はリュミエール様が誰の処罰も求めず、全員をお許しになられたことを伝えた。

「親族から話は聞いているだろうが、お前の一族はリュミエール様の後援者となることで罪を贖おうとしている。お前があの方を良く思っていないことは知っているが、殿下に償いたいと思っているのなら、己の感情は殺して一族の指示に従うことだ」

 諭すつもりで言い聞かせると、意外なことにディオンの目に涙が浮かんだ。
 大粒の涙を落として、さめざめと泣いている。

「パトリス様、私が間違っておりました。本当の強さとは相手をねじ伏せる力ではないのですね。己を害した者さえ許す寛大な慈悲の心を持つあの方は、私には到底及びもつかない境地におられるのだ。殿下があの方に従おうとなされた理由がようやくわかりました」
「ようやく理解してくれたのだな。リュミエール様はお前を恨んでも憎んでもおられなかった。これから誠心誠意を尽くしてお仕えすれば、謝罪の気持ちもいつか必ず届くだろう」

 今度こそ、本当にわかってくれて何よりだ。
 私は泣いているディオンの肩を叩いて慰めた。

「この体が完治したならば、なにとぞあの方にお目通りをお許し頂きたい。直接お会いして謝罪を申し上げたいのです」

 ディオンは馬鹿だが、嘘をつくような男ではない。
 リュミエール様に対する謝罪の気持ちは本心からだろう。
 この男の性質上、これからは彼女を害するどころか、己の命を盾にしても守り抜こうとするだろう。
 信頼できる臣下は、得ようとしても得られるものではない。
 利用価値という点で、私はディオンを評価している。
 狼族に親族のいないリュミエール様には、この男は必要な存在だ。

「ふむ、殿下がお許しにならないかもしれんが話だけはしておこう。それまでは治療に専念しておくことだ」
「はい、よろしくお願いします」

 物事がうまく進むと、油断が生じるものだ。
 私はリュミエール様に願い出て、ディオンに謝罪の機会を与えることに成功した。
 用事があったせいで、そこに同席しなかった私が悪かったのだろうか。




「パトリス様! 大変です!」
「リュミエール様が罰と称して、ディオンの耳と尻尾を弄びになられてしまい、殿下がご乱心なされました!」
「早くなんとかしてください!」

 半泣きの部下に連れられて、謁見の間に行くと、殿下とリュミエール様は退室された後らしく、ディオンが一人座り込んでぼんやりしていた。

「ああ、こんな気持ちは初めてだ。あの方の手で撫でられるのはなんと心地よいことか……」

 ぼそぼそ呟いてるのを聞いて、マズイと血の気が引いた。
 本能に逆らえず、番認定などしようものなら、今度こそディオンは物理的に死ぬ。

「落ち着け、ディオン! リュミエール様は元人族だ! あの方は耳や尾を触る行為が獣人の求愛行動になるのだと知らぬのだ! 勘違いするな!」

 必死で言い聞かせると、ディオンは悲しそうに耳を伏せて、こくりと頷いた。
 良かった理性は残っているな。
 こちらはこれでいいとして、問題はリュミエール様だ。
 やはりきちんと講義をやっておくべきだったのだ。

 急いでお二人の部屋に行き、リュミエール様に獣人の異性との接し方に対する注意という名の説教をした。
 彼女は反省している様子で、私の話に聞き入っている。
 私が話している間も、乱心した殿下はリュミエール様にしがみついて、一心不乱に匂いを嗅いでいた。

 誰か一人ぐらい、頼りになる部下か、私と苦労を共にしてくれる人が現れないものだろうか。
 私も癒しが欲しい。
 忙しすぎて、伴侶を探す暇もないのだ。
 どこかに運命の人が転がっていないだろうか……。


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