Carrot -ニンジン村の姫と騎士-

第一話 帰郷2


 しばらく走り続けたヴィオラートは、洗濯屋の建物が見えなくなる場所まで来ると足を止めた。
 そこは村の出入り口で、道は外へと繋がる街道へと続いていた。
 村に出入りする人もいないので、周辺に人の姿はない。
「あーあ、お仕事なくなっちゃった」
 眉を下げて、しょんぼりと呟く。
「他に雇ってもらえるような所ないかな。月光亭も人手足りてるって言ってたし、ローにぃの家でお手伝いに雇ってもらおうかなって思ったけど、みんな良い顔しないし……」
 始めの仕事探しの時に、ヴィオラートは一番最初にサンタール家を訪ねた。
 ロードフリードの母親であるユリアーネに、メイドに雇って欲しいと頼み込むと彼女は難色を示した。メイドなんてさせられない、それなら息子の嫁にと本気とも冗談ともつかないことを言われたが、肝心のロードフリードのいない所でそんなことを決められるわけがない。
 驚いて家に帰り、家族に話すと、兄には怒られ、両親からも諦めるように諭された。
 皆が反対する理由は、家族の中で一人でも雇用関係を結んでしまえば、これまで築いてきた友人として対等だった彼らの関係を壊すことになるからだということは理解できた。
 その後、あちらこちらを歩き回って、ようやく雇ってもらえたのがレナータの洗濯屋だったのだが、それもダメになった。
 次の仕事がすぐに見つからないのは容易に想像できる事なので、彼女に落ち込むなというのは酷である。
「あたしができることって家事ぐらいしかないんだよね。お手伝いを欲しがるお金持ちの人が引っ越してこないかなぁ」
 願望を呟きながら、村の外を見る。
 先ほどまで何もなかった街道に、人影が見えた。
「あれ? 誰か来る」
 旅の人だろうか、徒歩で剣を装備している。
 荷物は少なく身軽で軽装だ。
 商人ではない、冒険者だろう。久しく見かけなかった来訪者に好奇心が湧いた。
「冒険者の人? それにしては雰囲気が違うけど」
 防寒用のマントを身に着けているが、その下の白いコートと鮮やかな青い服は上質のものだとわかる。襟や袖口には金の糸で上流階級の人が好むような刺繍が施されていた。
 なんとなくその場に立って見ていると、向こうもこちらに気が付いたようだ。
 顔を上げたその人は、村ではあまり見かけない整った顔立ちの美男子で、ヴィオラートは思わず頬を染めた。
 だけど、その顔には見覚えがあり、記憶の中のものと一致した瞬間目を見開く。
「ヴィオ?」
 彼が愛称で呼びかけて来た。
 声は記憶に残るものとは違う。
 彼はもっと小さくて、声だって高かった。
 わかっている。
 あれから六年も経ったのだ。
 兄は大人になり、背は伸びたし、声も変わった。
 彼も同じように成長しているはずなのだ。
「ヴィオラートだよね? わかるかな? ロードフリードだよ」
 優しかった年上の少年の姿が重なる。
 忘れるはずがない。
 何の変化もないはずの日常が、少しだけ変わってしまったあの日のことを。
 始めは、旅行に出かけた彼を待っている時のようなつもりで、あまり寂しさを感じなかった。
 何年も村には帰れない。
 そう言われていたはずなのに、実感するまでかなりかかった。
 兄と喧嘩をした日、いつもなら慰めてくれるはずの彼が現れなくて、やっと不在を自覚した。
 幾ら待っても来てくれないんだと理解すると、悲しくなって大泣きした。
 怒っていたバルトロメウスも、泣き出したヴィオラートにびっくりして、喧嘩をしていたことも忘れてどうしたのかと心配し出した。泣き続ける彼女を心配して、両親や村人達が声をかけてくれたが、誰に慰められても悲しみは深くなるばかり。一番声が聴きたくて、頭を撫でてほしい彼が、傍にいないのだから。
 月日が経てば寂しさも薄れていったけれど、思い出と会いたいという気持ちが消えることはなかった。



 現実に立ち戻ったヴィオラートは、成長した彼の姿に、埋められない月日と距離を感じた。
 ローにぃと気安く呼んで甘えていた頃の少年と、目の前の青年が同じ人とは思えなかった。
 お互いにもう子供ではなくなっていて、適切な距離の取り方がヴィオラートにはわからなかった。
 紡ぎかけたローにぃという呼びかけを、躊躇って飲み込む。
「あ、あの……、お帰りなさい、ロードフリードさん。すごく久しぶりだよね! 大人になっちゃったから、最初は誰だかわからなかったよ!」
 動揺を隠して元気よく返事をすると、ロードフリードは戸惑った顔をした。
 彼もまた、彼女への接し方で迷っていた。
 手を伸ばしたい衝動を堪えて、無難な返事を口にする。
「そうだね、ヴィオも大きくなったよ。俺の中では、記憶に残ってる小さい女の子のままだったから」
「それはお互い様でしょう、あたしだってもう子供じゃないんだから。帰ってきたの知ったら、お兄ちゃんも喜ぶよ。えっと先にお家に帰るんだよね。ユリアおばさんも首を長くして待ってるだろうしね! あ、フェルおじさんは村に帰ってきてたよ、ちょうど良かったね。それから、えっと……」
「ヴィオ」
 自分でもよくわからないまま喋り続けていたヴィオラートは、呼びかけられて口を閉じた。
 ロードフリードの瞳には、昔と同じ温かい色が宿っていた。
「家族や村のみんなにまた会えるのは嬉しい。だけどね、俺は誰よりも先にヴィオに会いたかったんだ。ここで会えて良かったよ」
 ヴィオラートの中で、六年前の喪失を味わった小さな彼女が蘇ってきて、泣き声を上げた。
 じわっと視界の隅が涙で滲んだ。
 大人になったつもりでいても、ヴィオラートはまだ子供だった。
 ロードフリードは昔と変わらず受け入れてくれる。
 そう思った途端、駆けだしていた。
 目の前まで走り、勢いよく抱きつく。
 小さい頃だって、彼はヴィオラートを受け止めてくれた。
 今はさらに大きくなった体で抱きしめてくれる。
「会いたかった! あたしもずっと会いたかったよ!」
 堪えきれずに涙が零れる。
 それは悲しいのではなく、嬉しさからくる涙で。
 頭に乗せられた手が優しく髪を撫でていき、心の奥底で泣き続けていた幼い彼女は、ようやく泣き止むことができたのだ。



 ヴィオラートは良い報告と、悪い報告を持って家に帰ることになった。
 ロードフリードが帰ってきたのは嬉しいが、自分は仕事を失った。
 僅かでも現金が手に入る洗濯屋の仕事は、生活の助けになっていた。
 ニンジンばかり食べる生活は嫌ではないが、偏った食事は健康的ではないし、何より畑で作っている野菜が売れないことで、両親が難しい顔をして話し合っていることが増えた。
 以前から、収入が落ちてきていることがわかっていたから、できるだけ現物支給ではなく賃金をもらえる仕事を探した。
 次の仕事もできれば賃金をもらえる仕事が望ましいが、そう上手く見つかるとは思えない。
「明日は村を周って仕事探しかぁ。村長さんの所はどうだろう? 人手不足ってことはないだろうしなぁ」
 兄が目指している冒険者という選択肢が頭の中に浮かんだが、首を横に振る。
「無理無理、あたしにできるわけないよ。剣だって持ったことないのに」
 小さい頃から兄達と駆けまわっていたヴィオラートだが、ロードフリードが騎士精錬所に行ってしまうと、バルトロメウスは冒険者の真似事をして村の外に出ていくようになり、妹を連れて出歩かなくなった。
 村の男は自衛のために一通り何がしかの武器を持ち、村の周辺に現れる弱い怪物程度なら退治できるが、女性達は村の外には出ないので戦闘能力のない者の方が多い。
 ヴィオラートも村から出る気はなくて、外のことは何も知らない。
 恐ろしい怪物が出ることは知っていたが、実際に見たことはなかった。
「ロードフリードさんはお仕事どうするんだろう? やっぱりおじさんのお手伝い? でも、おじさんは村の外でお仕事しているって聞いたけどな」
 道端では長話はできずに詳しいことは聞けなかった。
 小さい村なので、情報はすぐ伝わってくるだろう。
「せっかく帰ってきてくれたんだもん。ずっと村にいてくれるといいな」
 仕事のことを考えると憂鬱になるが、幼馴染の帰郷は落ち込みがちだった気分を上げてくれた。
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