Carrot -ニンジン村の姫と騎士-

第一話 帰郷3


 考え事をしているうちに、ヴィオラートは自宅についてしまった。
 意識を切り替えるために頬を軽く叩いて笑顔を浮かべると、元気よく扉を開ける。
「ただいまー」
 声をかけて家に入ると、ちょうど家族全員が揃っていた。
 父のヴィクトール、母のベルタ、そして兄のバルトロメウス。
 彼らは台所で食卓を囲み、何事か話し合っていた様子だった。
「お帰りなさい、ヴィオ」
 迎えの声をかけてくれたのはベルタだ。
「お母さん、ただいま! はい、今日のお仕事の成果だよ!」
 ヴィオラートは母に賃金の全てを渡した。
「ありがとう、ヴィオ。助かるわ」
 ベルタは躊躇いがちにお金を受け取った。
 ヴィクトールは無言で目を伏せる。
 本当は受け取るべきではないのだが、そうは言っていられないほど家計は火の車だ。
 ヴィオラートはまったく気にしていないが、彼らは親として、我が子に家計を気遣われることに情けなさを感じていた。
 両親の胸中で、このままではいけないとの思いが強くなる。
 両親の思いをよそに、ヴィオラートは兄に駆け寄ると話しかけた。
「お兄ちゃん! ローにぃ…じゃなかった、ロードフリードさんが帰ってきたんだよ! さっきそこで会ったんだ!」
「おー、そうか。前の手紙に帰ってくるって書いてあったからな。今は家にいるんだろ、家族水入らずを邪魔しちゃ悪いから、後で会いに行くか」
 バルトロメウスはさして驚いた様子もなくそう言った。
 ヴィオラートは拍子抜けして、肩を落とす。
 一人ではしゃいでいるのが、急に馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「六年ぶりなんだよ? お兄ちゃんは嬉しくないの?」
「美人が帰ってきたとかならともかく、野郎の幼馴染が帰ってきたからって、そう盛り上がってたまるか。話なら今夜酒場にでも連れて行って飲みながらするさ」
「あたしも行きたい!」
 すさかずヴィオラートは手を挙げた。
 バルトロメウスは、挙げられた彼女の手を掴んで下ろした。
「だめだ。今夜は男だけで積もる話をするんだよ。お前は邪魔だ」
「ひどーい、仲間外れにしないでよ」
 文句を言っても、バルトロメウスは聞き入れなかった。
 手を振ってあしらわれて、ヴィオラートは頬を膨らませた。
「ヴィオはだめよ、夜の酒場はあなたにはまだ早いわ。そのうち、私と一緒にお家を訪ねましょうか、ゆっくりと都会の話も聞きたいしね」
 膨れる娘をベルタが宥める。
「うん、わかった」
 渋々だが、ヴィオラートも納得して諦めた。
 家族のやりとりを眺めていたヴィクトールが、笑みを浮かべて呟いた。
「ロードフリードが帰ってきたのか。フェルとユリアも喜んでいることだろう、一人息子が旅立って、夫婦二人の生活は寂しいもんだっただろうからな」
 お互いの両親は子供の頃から仲が良く、特に母親同士は家の行き来も盛んにしていた。
 ベルタは親友と喜びを分かち合い、我がことのようにロードフリードの帰郷を喜んでいた。
「手紙で帰って来るって知らせが来た時、ユリアったら年甲斐もなくはしゃいでいたわ。騎士精錬所は卒業したそうだけど、村でやりたいことがあるからって戻ってくる事にしたらしいのよ」
「そうなんだ」
 ヴィオラートが相槌を打つ。
 首都に騎士になるための訓練を受けに行ったとは、ヴィオラートも聞いていた。
 バルトロメウスも行きたかった様子だったが、家には息子を精練所に入れるだけのお金がなかったので諦めたのだ。
「村の青年会も大勢抜けて、今残ってるのは十人程度だからな。みんな喜ぶと思うぜ」
 バルトロメウスの言葉に、ヴィクトールは苦い顔をした。
「そんなに出て行ったのか、村でできる仕事ははっきり言ってもうないからな。仕方のないこととはいえ、つらいことだ」
「あ、あのね、そのことなんだけど……」
 ヴィオラートはちょうど良い機会だと思い、洗濯屋の仕事がなくなったことを話した。
「明日になったら、また探しに行くよ。お手伝いさんとか、子守を探している家がまだあるかもしれないし」
「ロードフリードの所はダメだぞ」
 バルトロメウスがすかさず釘を刺す。
「う、わかってるよ。ユリアおばさんにも断られたもん、諦めてるよ」
「無理して働かなくても、家事を手伝ってくれればいいわ。あなたは頑張っていたもの、少し休みなさい」
 ベルタが優しく声をかける。
「お母さん……、ありがとう」
 母に頭を撫でられて、ヴィオラートは無意識に意気込んでいた仕事探しへの重圧から解放された。
 仕事は探し続けるにしても、時間をかけても良いと思えるようになったことで、心が少しばかり軽くなった。
「ところでよ、ヴィオ。何で急にロードフリードにさん付けなんて始めたんだよ?」
 兄に問われて、ヴィオラートは顔を強張らせた。
 理由を聞かれても、自分でもよくわからない。
「べ、別に、理由なんてないよ。ただ、なんとなくローにぃなんて呼んだら、子供っぽいかなって思っただけだよ」
「あいつは気にしないと思うがな」
「あたしが気にするの! お兄ちゃんだって会ったらわかるよ。ローにぃ、すっごく大人になってるんだから! だから、あたしだって子供のままだって思われるの嫌だもん」
「ヴィオも大人になってきたんだものね。バルテルも細かいことは言わないの。長いこと会ってなかったんだから、接し方がわからなくなっても当然よ。ゆっくりと新しい関係を築いていけばいいんじゃないかしら? あんなに仲が良かったんだから、きっとすぐに前みたいに仲良くなれるわよ」
 ベルタが間に入って、娘の戸惑いに寄り添った。
 ヴィオラートも、よくわからない自分の気持ちに一応の回答を得た気がした。
(ローにぃ、昔と同じで優しくて、全然変わってなかったな。だけど、あたしも大人になったってこと忘れちゃダメなんだ。あの頃みたいに、もう甘えられないよね)
 再会した時は、うっかり子供の自分が顔を出してしまって抱き着いてしまったが、あれを最後にしなければ、いつまで経っても世話の焼ける子供と思われてしまう。
 六年の間にヴィオラートの世界も多少なりとも広がって、世間の常識を知る。
 無知な子供だから許されていたことが、許されない年になった。
 先日、この国で成人とされる十五才の誕生日を迎えた彼女は、大人扱いされて然るべきだ。
 世間では、同じ年で家を出て、独り立ちをする者も珍しくなかった。
(ローにぃは、あたしのお兄ちゃんじゃないんだ。いつでも傍にいてくれるわけじゃない。できるだけ、迷惑かけないようにしなくちゃ)
 ロードフリードはバルトロメウスとは張り合ったり喧嘩をしたりしていたが、ヴィオラートには優しくて、お願い事は何でも聞いてもらえたし、悪いことや危ないことをすればやんわりと窘められた。
 カッコ良くて優しい年上の幼馴染に、幼いヴィオラートは憧れを抱いて懐いた。
 家族と同じぐらい大切で、大好きな人。
(明日から、会いたい時に会えるんだ)
 ヴィオラートは心がほんのり温かくなるのを感じた。
 言い表せない嬉しさが広がっていく。
 その気持ちが何か、彼女はまだ気づいていない。
 緩やかに時が流れる村と同じく、育つ想いもまたゆっくりと大きくなろうとしていた。



 ヴィオラート達の家より、少しだけ離れた場所にロードフリードの実家であるサンタール家はあった。
 カロッテ村の中でも、歴史の古い名家だ。
 都会の貴族達から見れば、田舎の名家など庶民と変わらないが、現地の村人からは一目おかれる存在だった。
 木造ながら母屋は屋敷と呼ぶのに遜色のない大きなもので、蔵も備えている。
 家の広さに家族だけでは手が回らないので、メイドや庭師が雇われていた。いずれも村の住人で、貴重な雇用を担っていた。
 当主の父フェルディナントは船を所有しており、村の外で輸送業を営んでいる。
 事業の本拠地は別の街にあるが、住居はあくまでカロッテ村に拘り、長い期間家を空けながらも居住を続けていた。
 それは村の存続のためであり、彼の妻のためでもあった。
「ただいま」
「お帰りなさい、ロードフリード」
 ロードフリードが家に入ると、母のユリアーネが出迎えてくれた。
 息子と面差しの似た彼女は、若い頃の美貌や体形をそのまま維持した上品な婦人だった。元は大貴族の末娘だが、療養先のカロッテ村で村の若者と恋に落ち、駆け落ち同然で結婚してそのまま村に居ついている。都会には戻りたくないが口癖の彼女は、のんびりとした田舎暮らしが性に合っているようだ。
 ロードフリードは都会での経験を経て、そんな母への共感は増している。
 里心がつくといけないからと、精錬所時代に両親は一度も面会に訪れなかった。
 久しぶりに会った母は、以前と変わらず美しかったが、やはり少しだけ老けて見えた。六年の歳月をこんな所でも実感する。
「まあ、大きくなったわね。お父さんも大きいからそうなるだろうとは思っていたけど、やっぱり精錬所で鍛えられたからなのかしら?」
「どうだろうね。俺には母さんが小さく見えるよ、村を出た時はまだ俺より背が高かったのにね」
「あなたが成長する姿を傍で見られなかったのは残念だったわ」
 自分より体の小さな母に抱擁されて、頼りなく感じるその背に手を伸ばした。
「これからは傍にいるよ。俺はこの村を守るために帰ってきたんだ」
「村の現状はもう知っているでしょう? だからお父さんはあなたが精錬所に行くことを許したのよ。騎士隊に入れば将来の心配もしなくて済むだろうからって」
「精錬所で学んだことは騎士隊に入らなくても役に立つことばかりだ。しばらくは冒険者として活動するつもりなんだ。仕事はそれなりにあると思うよ」
 ユリアーネは体を離すと、穏やかに微笑んだ。
 その笑みを見て、受け入れられたのだと知る。
「あなたはもう大人だもの、好きにしなさい。でも、それなりの甲斐性がないとヴィオちゃんはお嫁に来てくれないわよ」
「は? な、なんでヴィオ?」
 いきなり、ヴィオラートと嫁の話がでてきて、ロードフリードは狼狽えた。
 ユリアーネは息子の反応を見て、意外そうに首を傾げる。
「あらやだ、違うの? わざわざ田舎に帰って来るぐらいだから、てっきりそうだと。え? ハーフェンでお嫁さん見つけてきたの?」
「お嫁さんから離れてくれ! 俺はまだ結婚する気なんてない! ハーフェンにもそういう人はいないから!」
 結婚を急かす母親に、ロードフリードはたまらず叫んだ。
「えー。お母さん、早く孫の顔が見たいのに、子守もしたいのにー」
「近所の子守でも手伝ってくれば?」
 頭痛を覚えて、投げやりに答える。
 結婚に乗り気ではない息子に、ユリアーネは徐々に不機嫌になっていく。
「最近、子供が少なくて、お手伝いが必要な家ってないのよ。はあ、もう、この子ってば、頼りない。いい、ロードフリード! 村の女の子も少なくなってるの! ぼんやりしてると皆どんどんお嫁に行っちゃって、その気になった時には誰も残ってないなんてことにもなりかねないんだからね!」
 頬を膨らませる母に、ロードフリードは呆れた視線を送った。
「ヴィオだって、まだ結婚するような年じゃないだろう。帰ってくるなり嫁探しとか、何しに帰ってきたんだって皆に笑われるから、そういう事は外では口にしないでくれよ」
「お母さん、今のヴィオちゃんの年にはお父さんに恋をしてたわ。いつまでも子供だって思い込んでると、他の人に取られちゃって後悔することになるんだから」
「だから、俺はヴィオとは別に……」
 言いかけて、ロードフリードはふと想像した。
 別の誰かと結ばれたヴィオラート。
 その時、自分はどうするのか。
 笑って祝福できるのか。
 どうしてそんなことを考えてしまうのかもわからずに混乱した。
 急に固まった息子を見て、今度はユリアーネが呆れる番だった。
「もう、本当に剣の稽古ばかりしていたのね。顔は良いから、年頃になったら女の子に興味持ったりして、浮名を流すような不良になってたらどうしようかって心配してたのが馬鹿みたいだわ。手紙でも、毎回最後にはヴィオちゃんの様子を聞くぐらい執心していたくせに、なんて鈍い子なの」
 恐らく聞いていないだろう息子に向けてぶつぶつと呟く。
 玄関ホールに微妙な空気が漂う。
 再会の喜びは、息子に嫁が来るのか否かの不安へと変わろうとしていた。
「ただいま」
 いきなり玄関の扉が開き、壮年の紳士が顔を出す。
「ああ、やはり帰っていたのか、ロードフリード」
 入ってきたのは、父フェルディナントだ。
 ロードフリードとユリアーネは、彼の帰宅に驚いて振り返った。
「あ、あなた。お帰りなさい」
「と、父さん、えっと、お帰り、それとただいま」
「お帰り。よほど鍛えられたのか、見違えるほど逞しくなったな」
 父は息子の肩を軽く叩くと、上着を脱いで妻に渡した。
「帰る途中でバルテルに会ったよ。今夜、月光亭に飲みに行くからお前に来るようにと伝えてくれと言っていた。家に来るかと誘ったんだが、家族水入らずを邪魔しては悪いと遠慮されたよ。あの子も気遣いのできる大人になったな。昔は手の付けられない腕白な悪戯坊主だったのに」
 思い出し笑いをする父につられてロードフリードも笑った。
「バルテルは変わった?」
「いいや、大人にはなったが中身は変わってやしない。お互いに最初は戸惑うかもしれんが、すぐに元に戻れるだろうさ」
 ロードフリードは父の言葉に安堵した。
 ヴィオラートも確かに成長はしていたけれど、中身は昔のままだった。
 きっとバルトロメウスもそうなのだろう。
 あの楽しい日々が戻ってくる。
 帰ってきて良かったと、心から彼はそう思った。
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