Carrot -ニンジン村の姫と騎士-

第一話 帰郷4


 その夜、月光亭は若者を中心にいつにも増して賑わっていた。
 村の青年会の面子が集まり、居合わせた常連客と一緒に祝杯をあげようとしていた。
「では、久々に村の仲間が帰って来たことを祝ってー! 乾杯!」
「かんぱーいっ!」
 青年会のリーダー、イザークの音頭で、それぞれ酒の入ったジョッキやグラスを持ち上げて打ち合わせる。
 イザークは、プラターネ家の隣家に住む主婦メラニーの息子である。
 バルトロメウス達より五才年上で兄貴分の彼は、山で仕事をする樵で、薪や木材となるアイヒェを卸していた。
 他の青年達も仕事はほぼ農業で、にんじん、ひよこ豆、ランスの実に小麦など、村で消費される食材を生産している。
いずれも外との取引に苦労しているが、祝いの席で暗い話題は避けたいのか、まずは主役への質問が集中した。
「騎士の訓練てどんなことするんだ? やっぱり実際に戦いに出たりとかするのか?」
 まずイザークが話題を振り、ロードフリードは思い出しながら答えた。
「最初は体力作りからでしたよ。朝から晩まで体を動かしていたな。食事の用意に掃除も洗濯も当番制で、自分でやらなくてはいけないから、慣れるまでが大変だった。それから勉強もさせられたよ。読み書きができるのは当たり前、礼儀作法に、歴史も学んで、集団行動を想定した戦略なんかも教わったな」
「うへぇ、勉強もするのかよ。俺、頭使うの苦手なんだよなぁ。行ってみたかったけど、ついていけそうにねぇや」
 小麦農家の青年ギードが、茶化すように言った。
 他の青年達も笑って同意する。
 騎士精錬所は、大抵の少年なら一度は憧れる場所だ。
 だが、現実は厳しく、ある程度の経済力がないと入所することができない。
 普通の農家では、貴重な働き手の息子を手放し、なおかつ卒業まで援助をするなんて余裕はない。
 ロードフリードが精錬所に行けたのは、実家が村の名士で裕福な家庭であったからだ。
 辺境の村に住む少年の夢は憧れで終わるのが常で、実際に機会を手にできる者は限られていた。
「訓練は木剣で、本物の剣を持たせてもらえたのは二年目辺りからかな。実戦訓練は三年目に入ってからだった」
 ロードフリードは、そこまで話して黙り込んだ。
 初めての実戦訓練。
 彼はそこで悪意を持った者達に陥れられ、生と死の間を彷徨い、特異な存在と出会って強力な加護を得た。
 人に知られることを恐れて、二度とその力に頼ったことはなかった。加護の力を使うには代償に多くの魔力が必要だったこともあり、今後も使うつもりはない。
 加護を与えた存在が人語を操る知能を持った竜だと知られれば、騒ぎ立てるものが必ず現れて、村での平穏な生活は望めなくなる。それほどに厄介なものが彼の身には宿っていた。
「どうかしたのか?」
 不自然な沈黙に気づき、イザークが怪訝そうに問うた。
「いや、ちょっと思い出していただけで……。野外演習なんかもあってさ、森や山で狩りをして、採ってきた物を焚き火で焼いたり、大鍋で煮込むなんてこともしたよ」
「へえ、それは面白そうだな」
 精錬所での様子を一通り聞き終えると、彼らの興味は都会の娯楽へと向けられた。
「なあなあ、ハーフェンてやっぱり美人が多いのか? 都会の酒場にはお酌してくれる綺麗な姉ちゃんとかいたりするって聞くぞ」
 ここと違って、と誰かが呟くと笑い声が起きる。
 店主のオッフェンは素知らぬ顔だ。
 酒場に併設されている雑貨屋はすでに閉めてあり、女性店主のクリエムヒルトは帰宅している。
 店内に女性がいないことから、男達は興味津々で都会の女性について知りたがった。
 ロードフリードは苦笑しながら質問に答える。
「俺はあまり興味がなかったから、そういうお店には行ってないんだ。でも、いつも通っていた酒場の店主さんは女性でね。とても綺麗な人だった。田舎から出てきて店を始めたそうだから、話しやすい人だったな」
「おお、年上の美人か?」
 妄想をたくましくして、男達は盛り上がる。
「待て、こいつは昔から女にはさらっと世辞を言う奴だったぞ。酒場の店主をしているぐらいだ。熟女を通り越して、ばあさんかもしれん」
「水を差すなよ、馬鹿。いいんだよ、現実の俺達はむさ苦しい男ばかりの酒場にいるんだ。想像でぐらい美人店主がいてもいいだろ」
 想像を巡らせて、それぞれ好き勝手に騒ぎ始めたので、ロードフリードは輪の中心からそっと離れてカウンターに移動した。
 青年達は気づいていたが、あえて声をかけなかった。
 バルトロメウスが隣に座ったので、親友同士の会話を邪魔しないように配慮したのだ。
「しかし、せっかく都会に行っといて、出会いがないまま帰ってきたのかよ。もったいねぇことするなぁ」
 ギードが呆れたように言った。
「ああ、ロードフリードは……ほら、いるだろ?」
 イザークが意味ありげに笑みを浮かべて一同を見回す。
「え? ああ、そうか。そうだったもんな」
 青年達は顔を突き合わせて、ひそひそと囁きあった。
 彼らはバルトロメウスを気にして声を潜め、ロードフリードを見てニヤニヤと笑った。
「数年後が楽しみだ」
「意外とあっという間にまとまるかも」
「賭けでもするか? 俺は二年な」
「じゃあ、俺は三年」
「バルテルは壁になりそうだぞ。ヴィオも鈍いしなぁ。俺は五年はかかると見た」
「おいおい、まとまらないに賭けるヤツはいないのかよ」
「ロードフリードがどうして帰ってきたと思う? それも、出世を約束された竜騎士隊への入隊を蹴ってまでだぜ。そこまでして、この村に戻りたがるほどの理由なんて限られてるさ」
 村の若者が大勢都会に出ていき、女性の数も減っていく中、将来ヴィオラートを嫁にと誰も考えなかったわけではない。
 兄のバルトロメウスが普段の態度とは裏腹に、実は妹を大事にしていることと、不在であっても消えることのなかったロードフリードの存在が、考えるだけで終わらせてしまった。
 ヴィオラートは普通の思春期の少女らしく、恋に憧れる言動をしながらも、現実の恋愛となると無意識に周囲の男を対象から外しているようだった。
 幼少期から家柄も顔も性格もいい、おまけに強くて頼りになる男が傍にいて仲良く過ごしていたのだ。
 恋愛相手に求めるハードルが上がっていても不思議はない。
 ロードフリードなら、ヴィオラートも心を動かすだろう。
 幼い頃から彼らを知る若者達は、もう他人事と割り切って、妬ましくなる感情を賭けの対象にすることで水に流すことにした。



「久しぶりだな。ヴィオがお前の成長に驚いていたが、性格はあまり変わってないようだな」
 バルトロメウスが声をかけながら、カウンターに座ったロードフリードの隣に腰をかける。
「ああ、そっちも相変わらずで安心したよ」
 笑みを交し合い、手に持っていたグラスを打ち合わせた。
「ヴィオも来たがってたが、夜の酒場には連れてこられねぇからな。家に置いてきた」
「そうだな、まだ早いか。ヴィオともゆっくり話したかったんだけど」
「お袋がヴィオ連れてお前の家に行くって言ってたから、そのうち邪魔すると思うぜ」
「楽しみに待ってるよ」
 ロードフリードのハーフェンでの生活は先ほど話したので、今度は離れてからのことをバルトロメウスが語りだした。
 主に冒険者の修行のために、村の外に出た話だ。
 初めての戦闘から、強敵との遭遇まで彼は熱を込めて語った。
「そこで、俺はこう剣を構えて、一気に振り下ろして……」
 バルトロメウスの話を、ロードフリードは相槌を打ちながら楽しそうに聞いていた。
 ただそこにヴィオラートの話が出ないことが不思議だった。
「ヴィオは連れていかなかったのか?」
「さすがに村の外まではな。冒険者になるのは俺だけでいい」
 そう言ったバルトロメウスは兄の顔をしていた。
 妹をからかって喜ぶような兄だが、本音の部分では慈しみ守ろうとする。
 ただ素直に本音を口にしないので、兄妹喧嘩はしょっちゅうで、ロードフリードは機嫌を悪くしたヴィオラートを慰める役をすることが多かった。
 ロードフリードは頷いて、グラスの酒を口に含んだ。
 しばしの沈黙の後、グラスをテーブルに置いた彼は、ぽつりと呟いた。
「何も聞かないんだな」
「ん? 何をだよ」
 バルトロメウスは何のことかわからずに、続きを促す。
「騎士になるために行ったのに、騎士隊に入らなかったことだよ」
 ロードフリードがそう言うと、バルトロメウスの答えは意外なものだった。
「そんなこと、俺が口を出すことじゃない。ちゃんと卒業はしたんだろ、資格も取った。その後どうするのかはお前の勝手だ」
「てっきり怒るかと思っていた」
 バルトロメウスも精錬所に行きたがっていたことは知っていた。
 自分だけが騎士になる機会を手にしたのに、あっさりと手放したことを詰られるのではないかとロードフリードは思っていたのだ。
「まあ、昔の俺なら怒ったかもなぁ」
 バルトロメウスは酒を呷ると、陽気に笑った。
「六年も経てば、俺も大人になるさ。色々諦めることも多かったが、村に残って悪いこともなかった。騎士の訓練てのは受けてみたかったが、お前が帰ってきたから万事解決。落ち着いたら、剣の手合わせしようぜ。俺の方が才能はあるんだから、あっという間に追い越してやる」
 酔いも手伝って、バルトロメウスは大言壮語を口にする。
 根拠のない自信に満ちているのは、彼の長所であり、短所でもあった。
「バルテルは本当に変わってないな。わかった、手加減なしで叩きのめしてやる。こっちは毎日死ぬ思いで剣を振ってたんだ。そう簡単に追い越されてたまるか」
「おお、望むところだ!」
 バルトロメウスとの距離感は、あっという間に昔に戻った。
 拳を打ち合わせて笑い合う。
「青年会で村周辺の見回りとかもやってるからな。冒険者の仕事とは別になるが構わないよな」
 青年会が中心となって、村の周辺に出る弱い怪物は率先して倒している。
 弱くても数が増えると脅威となる。
 さらに捕食のために強い怪物が現れることもあるため、適度な間引きは定期的に必要とされていた。
「青年会もここにいる面子だけだからな。万が一の時は、親父世代や爺さん連中まで駆り出さなきゃ間に合わないんじゃねぇかな。お前が帰ってきたから、ちょっとは安心できるだろうけど」
「そんなに人が減っているのか?」
「正確に言うなら村全体でだな。今だって村出る相談してる家はあると思うぜ。ヴィオも仕事なくなったって言って帰ってきたしよ」
「ヴィオが? 昼間会った時はそんなこと言ってなかったぞ」
「今日のことだったからな。帰ってきたばかりのお前にする話でもないだろ」
「そうか」
「釘は刺しといたけど、あいつが雇ってくれって言ってきても断れよ?」
「わかってる。俺もヴィオを使用人のように扱いたくない、それに母さんが断るんじゃないのか?」
「察しが良いな。前の仕事探しの時に真っ先に行ったんだよ。ヴィオは昔から可愛がってもらってたし、働き易そうとか気楽に考えてたんだろうな。おばさんは、メイドは駄目だから嫁に来いって言ったらしいが」
 ロードフリードは飲みかけた酒を戻しそうになった。
 口を押さえて、ゆっくりと飲み込み直す。
「か、母さんがそんなことを?」
「冗談だったんだろうとは思うけどさ。ヴィオが驚いて逃げ出すぐらいのインパクトはあった」
「そ、そうか、逃げたんだ……」
「あいつ何でもすぐ信じ込むだろ。家に帰ってきて、お嫁に来いって言われたって大騒ぎしてたからさ。肝心の婿がいないのに、どうやって嫁に行くんだって言ったら落ち着いた」
 その時に自分が村にいたらどうなっていたのか。
 ロードフリードは想像してみたが、狼狽える自分の姿しか見えずに頭を振った。
「いや、いたとしても困っただろうな。だって、ヴィオはまだ子供だし……。」
 記憶の中ではずっと九才の女の子だったのだ。
 十五才の彼女と再会して多少認識は改まったが、やはり成熟した大人とまでは思えない。結婚だのなんだのという話を持ち出すには、まだ早い気がした。
「ヴィオといえば、あいつ昨日までローにぃって呼んでたくせに、いきなりさん付けで呼び出したりしてよ。お前に子供だと思われるのが嫌だとか、意味のわからないことを言ってたぜ」
「俺が急に大人になったように見えて、戸惑っていたみたいだったな。俺もちょっと驚いた」
「驚いた?」
 バルトロメウスには、二人の戸惑う気持ちは共感しづらいものだった。
 ヴィオラートの成長は間近で見てきたし、ロードフリードが大人になって帰ってきても、大して変化を感じなかったからだ。
「俺の記憶の中だと、ヴィオは小さな女の子だったんだ。でも、もうあの頃の幼い子供じゃない。わかっていたはずなのに、実際に会うとどう接していいのかわからなくなる」
「大きくなったって言っても中身はまだまだガキだぜ。相変わらずニンジンニンジン言ってるし、色気なんて欠片もねぇ」
「一応聞くけど、付き合っている人や縁談とかは……」
「そんな相手がいるわけねぇだろ。あいつを嫁にしたら、毎日ニンジン食わされるのは目に見えてるんだ。村の男連中は見向きもしねぇ。うちは金もねぇからな、よほどの物好きじゃなきゃ欲しがるヤツなんていねぇよ」
 バルトロメウスの言葉には、少しばかり自虐の響きが混じっていた。
 彼は妹が村の青年達にそれなりに意識されていたことを知らない。縁談がないことについても、苦境に立たされている一家の境遇のせいであると考えている。
 ロードフリードは納得できないものを感じながらも反論はしなかった。
 ただ、ヴィオラートがいれば、毎日楽しいのだろうなとは思った。
「俺は毎日ニンジン食べてもいいけどな」
 ぽろっと小声で落とした呟きは、周囲の喧騒に紛れてバルトロメウスには聞こえなかった。
 毎日が嫌なら自分で他の料理を作ればいい。
 幸い精錬所で料理当番をこなすうちに、最低限の調理ならできるようになった。見た目は悪いが、味には自信がある。
 一緒に台所に立って料理をするのもいいだろう。
「……俺は何を考えてるんだ」
 これでは、ヴィオラートを娶るつもりであるかのようだ。
 そんなつもりはないと言いながら、想像する未来の中にヴィオラートの姿は必ず含まれていた。
「ん? 何か言ったか?」
「いいや、ただの独り言だ」
 ずっと心の中の大きな部分を占めていた少女。
 大切で愛しいと思っていることは確かだ。
 だけどそれは、共に育った幼馴染ゆえの情なのか。
 自分にとってヴィオラートがどんな存在なのか、ロードフリードはまだわかりかねていた。
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