Carrot -ニンジン村の姫と騎士-

第三話 錬金術の可能性3


 素材を使い切ったヴィオラートは、ロードフリードに護衛を頼んで、採取のために再び草原に出て行った。
 うにをもう少し作りたいのと、新しい調合のために魔法の草がもっとたくさん必要になったからだ。
 前回と違い、予め拾うものを決めていた彼女は、せっせと採取に励む。
 ロードフリードは周囲を警戒しながらついて歩き、遠目に怪物の影を確認すると、ヴィオラートには気づかれないように安全な方へと誘導した。
 戦う術も武器も持たない彼女を、なるべくなら戦闘に巻き込みたくなかったからだ。
「このぐらいでいいかな。ロードフリードさん、そろそろ村に帰りましょうか」
 立ち上がったヴィオラートが、声をかけてくる。
 カゴには、上の方まで素材が入っていた。
 限界まで採取したらしい。
 村を目指して歩きながら、ロードフリードは彼女に話しかけた。
「錬金術は順調かい?」
「うん、今のあたしに作れるものを最後の日まで精一杯作るつもり。お父さんが認めてくれるかどうかはわからないけど、後悔だけはしたくないの」
 そう語るヴィオラートを見て、ロードフリードは初めて彼女を一人の大人として認識した。
 まだ子供だと思っていたのに、少しずつ彼女は庇護されるべき存在から、自立した大人へと変わろうしている。
 未来を真っすぐ見据えて、目標に向かって力強く歩く姿を眩しく感じた。
「大丈夫だよ、ヴィオならやり遂げられる。きっと、おじさんも認めてくれるよ」
 彼女の力になりたいのに、危険から守ること以外何もできない。
 励ましの言葉しか口にできないことを歯がゆく思う。
 表情に出さないように気をつけて、こっそり落ち込んでいると、ヴィオラートが服の袖を掴んできた。
「ヴィオ?」
 何かあったのかと顔を見ると、彼女は笑っていた。
「ロードフリードさんにそう言ってもらえたら自信がついたよ。認めてもらえるかわからないなんて思ってたら良くないね。うん、絶対に大丈夫!」
 そう言うと、彼女は急に前へと駆け出して立ち止まると、大きく両腕を振り上げた。
「あたしは村に残って、これからも毎日ニンジン食べるぞー! 隣の国になんて行かないぞー!」
 大きな声で決意を叫ぶ。
 叫び終えたヴィオラートは、すっきりした顔で振り返った。
「これが終わったら、新しい調合をどんどん試していくつもりなの。材料を採りに近くの森に行くから、護衛よろしくね」
 ロードフリードは頷いて、彼女の隣に並んだ。
 励ますつもりが励まされている。
 ヴィオラートは気づいていないが、彼の心に光を与えるのは、いつだって彼女の何気ない言葉や屈託のない笑顔だった。
 気持ちが明るくなれば、不思議と何でもできるような気になってくる。
 望んだ未来だけを見つめて、彼らは村への帰路を歩き始めた。



 残りの日数は十日あまり。
 うにで散々失敗したものの、その経験がヴィオラートに調合の感覚を覚えさせていた。
 もしもここにアイゼルがいたとして、コツを言葉で伝えられても、よくわからなかっただろう。
 結局、実践することで覚えるしかない。
 ヴィオラートは井戸水で丁寧に洗った魔法の草を作業台に並べて、選別を始めた。
「最初は失敗してもいいように、品質は普通のにして、新鮮なのはとっておこう」
 鍋の中に魔法の草を入れて、中和剤を注ぐ。
「本物は見たことないけど、本で見た覚えがある。瑞々しい緑の野菜、ほうれんそうっていうんだ」
 素材に魔力が馴染み、液状化していく。
 ヴィオラートはかき混ぜ棒を動かした。
 ゆっくりゆっくり、美味しそうなほうれんそうを思い浮かべながら。
 今、彼女の体から出ていく魔力は微々たるものだ。
 初歩の錬金術は、魔力よりも生命力を必要とする。
 だからか、できるアイテムは威力の弱い、普通の品の中に埋没してしまうほど凡庸なものでしかない。
 錬金術を知って数か月。
 何年も学んできたアイゼルと同じように、最初から目を見張るような凄いものが作れるとはヴィオラートも思っていない。
 父に見せたいのは、錬金術の可能性だ。
 アイゼルが見せてくれた時ほどの、興奮と感動は与えられなくても、自分が感じた輝きを知って欲しい。
 かき混ぜられて、くるりくるりと回っていく液体の色は緑へと変わり、輝き始める。
 やがて、鍋の底に出来上がった緑の野菜が姿を見せた。
 想像通りのほうれんそう。
 ヴィオラートは手に取ると、一部を摘まんで引き千切り、口に入れた。
「ちょっとだけど、疲れた体に力が戻ってくる感じがする。成功したみたい」
 嬉しさに、また踊りだしたくなったけれど、兄から受けた説教を思い出すと自然と体の動きは止まる。
「あはは、後はもっと質の良い物を作れるように調合しよう」
 自重、自重と戒めて、彼女は次の調合のために魔法の草を手に取った。



 約束の日。
 プラターネ家では家族全員が揃って食卓を囲んでいた。
「はい、これが今のあたしが作れる最高のアイテムだよ」
 ヴィオラートが食卓に二つのカゴを置いた。
 一つにはうにが、もう一つにはほうれんそうが入っている。
「あら、これってほうれんそうじゃないの。大きな街に行かないと手に入らない珍しい野菜よ」
 真っ先に反応したのはベルタだった。
 彼女はほうれんそうを手に取ると、しげしげと観察する。
「これは魔法の草を材料にしたものなの、本物じゃないけど効果は本物以上だよ。食べてみたけど、元気になったもん」
 ヴィオラートが説明している横で、今度はヴィクトールがうにに興味を示した。
「こっちのは、お前が騒いでいたうにというヤツだな。これも食べられるのか?」
「ううん、これはね、爆弾なの。投げて使うんだよ」
 爆弾と聞いて、両親が体を引く。
 二人の反応を見て、ヴィオラートは慌てて説明を付け加えた。
「あ、勢いよく投げたり、転がしたりしなければ大丈夫だよ。それに威力も弱いし、威嚇に使えるぐらいかな。どっちも旅に持っていったら役に立つよ」
 ヴィオラートは、父の様子を窺った。
 ヴィクトールは難しい顔をして、手に持ったうにとほうれんそうを見ていたが、二つを静かにカゴに戻した。
「これだけでは、店を始めてもすぐに閉めることになるな。食材にしても、爆弾にしても、街に行けばもっと良い物が手に入るだろう」
 父の言葉に、ヴィオラートは俯いた。
 やはりダメだったのだろうか。
「だがな、お前がここまで夢中になり、頑張ったことは今までになかったことだ。まだ始めて数か月で、形になるものが幾つも出来たんだ。続けていれば、お前が言うように珍しくて便利で不思議な道具も作れるようになるのかもしれないな」
 ヴィクトールの口調には、諦めの中に感心も混ざっていた。
 仕方なくという体裁は崩さず、しかし内心では認めてくれたのだとヴィオラートは感じ取った。
「お、お父さん、それじゃあ……」
「村に残ってもいいだろう。父さん達も向こうですぐに良い仕事が見つかるかどうかもわからないからな。少なくとも、村にいれば飢え死にすることはあるまい。三年経ったら一度帰ってくるよ。その時の状況次第では向こうに連れていくこともあり得るがな」
「あ、ありがとう! あたし頑張る! 錬金術のお店を作って大きくして、お父さん達も養ってあげるから、そうなったら絶対に村に帰ってきてよ!」
 両親は娘の言葉を否定することはなかった。
 久しぶりに憂いのない顔で二人は笑っていた。
「そうだな。好きで出ていくわけじゃないんだ。生活していけるようなら村に帰ってきてもいい」
「張り切りすぎて、無茶なことはしないでね。バルテル、ちゃんとヴィオの面倒を見てよ。ああ、あなたなら一緒になって馬鹿な事をしそうだし、やっぱりロードフリードにも頼んでおくべきかしら?」
「いらねーよ! 俺だって、もうガキじゃねぇんだから、ちゃんと常識ぐらい弁えてるさ」
 母からいまいち信用ならないと言われて、バルトロメウスはムキになって言い返した。
「どうかなぁ? お兄ちゃん、時々調子に乗って変なことするし、何回恥ずかしい思いをしたかわからないよ」
 ヴィオラートがジト目で付け加える。
 バルトロメウスは素知らぬ顔で、そんなことはないとふんぞり返っていた。



 数日後、両親は子供達を残してカロッテ村を旅立った。
 村の出入り口まで見送りについてきたヴィオラートは、遠ざかっていく両親の姿に寂しさを覚えた。
 泣き出すことはなかったが、身近な人がいなくなるのは、幾つになろうとも悲しく思う。
 姿が見えなくなっても、名残惜しむようにその場に立っていると、バルトロメウスが彼女の頭に手を置いた。
「一人ぼっちになったわけでもないだろ。早めに親離れする時がきたぐらいに思ってろ」
 励ます兄はいつになく優しかった。
 普段からこうならいいのだが、妹限定で捻くれているのか、彼は兄らしい顔をなかなか見せてくれない。
 だけど、必要な時には気にかけて傍にいてくれる兄が、ヴィオラートは大好きだった。
「うん、お兄ちゃんがいるもんね、別に寂しくないよ。三年経ったら、またみんなで一緒に暮らせるように頑張ろうね」
 ヴィオラートにいつもの明るい笑顔が戻り、バルトロメウスも笑い返した。
「頑張るのはいいが、本当に店が開けるほどの物ができるのか? 俺の稼ぎは当てにするなよ、畑は作るが収入は見込めねぇからな」
「もう、お兄ちゃんはやる気がないなぁ。冒険者になるって夢はどうしたの? 最初から諦めてたら何もできないよ」
「別に諦めてはいないぞ。そのうち、依頼が向こうからやってくるような有名な冒険者になってやるさ。まあ、俺の夢はそれだけじゃないけどな」
 最後の方は言葉を濁して、バルトロメウスはニヤけた顔をした。
 ヴィオラートは怪訝に思って問い詰めた。
「他の夢って何かあるの?」
「それは、まあ、色々あるんだよ、人に言うほどのことでもないさ」
 バルトロメウスは答える気はないようで、それ以上問いかけの隙を与えないようにか、さっさと踵を返して村へと戻っていく。
「あ、待ってよ」
 歩き出した兄を追いかけて、ヴィオラートもその場を離れた。
 両親との別れを済ませたというのに、明るい顔で家へと戻っていく兄妹を、すれ違った村人達は優しい眼差しで見守っていた。
 これまで村を離れた人達は、失意と悲しみを抱えて旅立って行った。
 彼らと同じ気持ちを味わったはずなのに、希望を失っていない兄妹の姿に、沈んでいた村人達の心にも一筋の光が差し込んだ。
 上向きの心は連鎖していく。
 ほんの小さな光でも、集まれば明るさを増して全てを照らすほどの輝きになる。
 ヴィオラートは自分でも知らぬうちに、村に灯る最初の光になろうとしていた。
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