錬金術には大鍋を使うのだが、台所を占拠すると母が困るので、父が裏に簡易の竈を作ってくれた。
裏には今は使っていない一頭だけ飼育できる大きさの馬小屋があり、煙突を作り、壁を抜いて空気や煙が中にこもらないように風の通り道を作り、雨の日でも問題なく使えるようにしてあった。竈の横には、大きな木製の作業台と椅子も備えてある。
父は馬小屋を改装する時に、母を口実にしていたが、実は娘に甘いだけである。
そんな所は兄と似ていた。
無事に作業場と素材を手に入れたヴィオラートは、まずは中和剤を作ることにした。
中和剤は錬金術の基本中の基本となるアイテムで、これを入れることで異なる物質を融和させ、本来ないはずの効果を与えることもできると書かれていた。
鍋に井戸水を入れて火にかける。
中和剤の材料となるものは多岐にわたり、素材には困らない。だが、出来上がりは素材の質に左右されるようだ。
ヴィオラートは外で手に入れた新鮮なニンジンを、惜しげもなく鍋に投下した。
大好きなニンジンだ、これは最高の中和剤になる。
彼女は頭の中でそう念じつつ、大鍋に合わせて作られた大きなかき混ぜ棒を動かし始めた。
「ぐーるこん、ぐーるこん」
リズムを取って唱えながら、ヴィオラートは鍋をかき混ぜる。
普通なら、ただの茹でたニンジンができるだけだ。
だが、鍋を満たす液体は色を変えて、オレンジ色に染まっていく。
ぐるぐるぐるぐる棒の動きに合わせて鍋の中身が回っていく。
ヴィオラートは体から少しずつ力が抜けていくのを感じた。
錬金術は、素材に術士の魔力と生命力を注ぎ込んで創造するのだとされている。
魔力は人なら大なり小なり持っているもので、その人の職業や生き方によって増えることがあるという。
錬金術士は調合で魔力を使うので、後天的に魔力の総量が増える者が多い。魔法使いと混同されるほど、熟練の錬金術士は魔力の扱いに長け、あらゆる属性魔法を使いこなす猛者もいるほどだ。アイゼルも護身用に炎、氷、雷と三属性の攻撃魔法を使えると言っていた。ヴィオラートにももちろん魔力はあり、まだ十五才という若さもあって、努力次第で伸びていくはずだった。
アイゼルの参考書には、疲れている時など、体調が万全ではないなら、調合を行ってはいけないと書かれていた。
無理をすれば、良くて気絶。
悪い時には意識が戻らぬまま、帰らぬ人になることもあるという。
ヴィオラートはそれらの注意事項を思い返しながら、自身の体調を確かめた。
「うん、まだ全然大丈夫。あ、キラキラしてきた」
不思議なことに変化を続ける鍋の中身が輝き始めた。
慎重にゆっくりとかき混ぜていく。
失敗するときは、光ることなく不穏さの漂うどす黒い色になり、弾け飛んで黒い塊が残るだけとなる。
黒い塊は使い道のないただのゴミで、こうなってしまうと捨てるしかない。
「これは一番簡単な調合だもの、必ずできる!」
輝きが消えて、オレンジの色を残した透明の液体が残った。
成功したのだ。
「や、やった! これで次の調合ができる!」
ヴィオラートは歓喜の声を上げた。
空き瓶に中和剤を詰めていき、机の上に並べていく。
完成品を前にすると眠気が襲ってきた。
「うう、今日はもうだめ。続きはまた明日にしようっと」
気が付けば、夜になっていた。
途中で母が持ってきてくれた料理を口にしたので、お腹は空いていない。
ヴィオラートは火を消して、簡単に片づけをすると作業場を出た。
家に戻ると、みんな寝てしまったのか、一階に人の気配はない。
二階の部屋に入ると、バルトロメウスはぐっすりと寝入っていた。
気持ち良さそうに熟睡している兄を見ていると、眠気を感じてくる。
「疲れたなぁ、あたしも早く寝よう。明日も頑張るんだから」
着替えて自分のベッドにもぐりこみ、目を閉じる。
その日の夜は、疲れすぎていたのか彼女は夢を見なかった。
次の日も、ヴィオラートは作業場にいた。
「えっと、中和剤は置いておいて、先にうにを作ろう。材料は鉱石と燃料。フェストとフロジストンで作れるかな」
使う素材は二種類のみ。
鍋の中に白い石を一個入れる。次にフロジストンを静かに入れると、かき混ぜ棒を持って、体の中から力を注ぎ入れるイメージをしながら、ゆっくりと腕を動かし始めた。
「ぐーるこん、ぐーるこん」
二つの素材はヴィオラートから注がれる力の影響を受けて、発光しながら液体へと変わっていく。
「よし、良い調子」
ヴィオラートは昨日の成功で自信がついており、かき混ぜる腕には迷いがない。
「トゲトゲのうにができますように、ぐーるこん、ぐーるこん」
イメージが鮮明だとうまくいくような気がして、彼女は頭の中で完成図を思い浮かべながら、ぐるこんを呪文のように唱え続けた。
その頃家の前では、隣家の主婦メラニーがベルタを捕まえて、心配そうに話しかけていた。
「ねえ、ベルタ。この間から、変な呪文を唱えているヴィオちゃんの声が聞こえるんだけど、大丈夫なのかい? 家の前を通ると黒い煙が出ていたり変な臭いもよくするし、何かおかしな魔術を始めたんじゃないかって、みんなが噂しているんだよ」
「ああ、アレね。大丈夫ですよ。最近あの子、錬金術というものを始めて、失敗するとそうなるみたいで、成功するようになれば落ちつくと思うんですけど」
ベルタは笑顔を引きつらせて、娘のために弁明した。
聞きなれない言葉に、メラニーは首を傾げる。
「錬金術ってなんだい? 魔術じゃないのかい?」
「少なくとも危険な黒魔術的なものではないんです。出来上がるのはスープばかりで、変な料理法みたいにも思えるんだけど……」
「料理なら上手だろうに、なんでわざわざそんなこと始めたのかね」
「錬金術がうまくなると色んな物が作れるそうですよ。宝石なんかも作れると言ってました」
「宝石! ありゃま、そんな物が作れたらあっという間に大金持ちだよ!」
メラニーは目を丸くして驚いた。
「ええ、ヴィオはそういった珍しい物を作って売るお店を開いて、村を復興させるんだって張り切っているんです。あの子のことを信じてあげたいけど、話が突飛すぎてなかなか信じられないの」
驚かれるのも当然と受け止めて、ベルタは頬に手を当てて不安な気持ちをつい零した。
驚きの収まったメラニーは快活な笑い声を上げた。
「はははっ、まあいいじゃないの。村と同じように萎れているよりは元気があってさ。ところで、あんた達。村を出ることにしたんだって? 子供達は残るって言ってるんでしょう?」
「ええ、村のことを考えれば申し訳ないのだけど、このままでは生活が厳しくて、これ以上は無理だと相談して決めました。ヴィオも連れていくつもりだったけど、あの子が錬金術で何か役に立つものを作れたら村に残ってもいいとヴィクトールと約束しているんです」
「なるほどね、ヴィオちゃんには頑張ってもらわないと。お隣が空き家になるのは寂しいからね。おっと、バルテルは残るんだったね」
「メラニーさん、あの子達のことをよろしくお願いします」
「任せておきなさい。赤ん坊の頃から知ってる子達だもの、飢え死にしない様にしっかり見張っておくよ」
メラニーが胸を叩いて快く請け合う。
次の瞬間、家の裏でヴィオラートの悲鳴が聞こえた。
「きゃああああっ! いやー! お鍋がどす黒くなってきたー!」
ぼむっと小さな爆発音が聞こえて、黒い煙が立ち上る。
ベルタとメラニーは引きつった顔を見合わせた。
「ヴィオちゃんに、怪我だけはしないように言っておいておくれ」
「すみません。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
深々と頭を下げるベルタに別れを告げて、メラニーは帰っていった。
「うわーん、また失敗だあ。素材が真っ黒になっちゃったあ」
裏ではゴミになった素材を前に、ヴィオラートの嘆く声が聞こえていたのだった。
何日もヴィオラートは調合に失敗していた。
最後のフロジストンを手に、彼女は深呼吸をする。
「これが最後の素材。失敗しても成功しても、草原に採りに行かないと。でも日にちも少なくなってきたし、ここで成功させないと厳しいよ」
いつもと同じく鍋にフェストとフロジストンを入れた。
調合は失敗続きだったが、日を重ねるごとに疲れなくなってきていた。
「これって、魔力と生命力が増えてきているってことかな。何度失敗しても無駄にはなってない。挑戦し続ければできるんだ!」
自身を鼓舞してかき混ぜ棒を握る。
いつものように魔力を注ぎ、液体になるまでかき混ぜ続けた。
「うにだよ、トゲトゲがいっぱいのうに~。ぐーるこん、ぐーるこん」
太陽が真上に来て、ゆっくりと落ちていく間、ヴィオラートは一心不乱に鍋と向き合い続けた。
やがて、久しぶりのキラキラが、鍋の中に満ちてきた。
油断をしないで、仕上げに入る。
「もう少し……」
輝きが鍋を満たし、液体が物体へと変わった。
茶色いトゲだらけのそれをそろっと持ち上げて、ヴィオラートは涙した。
「やった! うにだ、うにができた! 参考書に載ってたのとそっくりだよ!」
うにを両手で持ち上げて、作業場から飛び出す。
「うにー、うにだー」
喜びを抑えきれず外に出て、うにを掲げたままくるくると回りながら踊っていると、鍬を担いだバルトロメウスが通りがかった。
踊り狂う妹を見た兄は、驚いて鍬を投げ出すと駆け寄ってきた。
「ヴィオ! ついに頭をやられたのか! しっかりしろ! 親父! お袋! 大変だ! ヴィオが壊れたー!」
「お兄ちゃん? え? 何? ちょっと待ってえええ!」
うにを持ったまま、バルトロメウスに担がれて、ヴィオラートは家の中に運ばれていった。
心配して慌てる家族に、うにが完成して喜んでいただけだということを伝えると、両親は肩を落とし、バルトロメウスは怒り出した。
「紛らわしいことしてんじゃねえよ! びっくりしただろ!」
「ご、ごめーん。でも、それだけ嬉しかったんだよ」
「あんな姿を村の連中に見られたら、さらに変な噂が立つぞ、気をつけろよ!」
「うう、わかったよ。もう、外で踊ったりしないよう」
泣きながら謝り、ちらっと両親を見やる。
母は複雑そうな微笑を浮かべ、父は仏頂面でため息をついた。
「約束の日まで、まだ十五日ほど残っている。お前の分の荷造りも進めてはいるが、やると決めたからには最後まで頑張るんだぞ」
「うん! やっと錬金術のコツを掴みかけてきたの、約束の日にはもっと良いものが作れるようになってるはずだよ」
満面の笑みを浮かべてヴィオラートは断言した。
家族の間に気の抜けた笑いが起きる。
「わかった、わかった。じゃあ、明日に備えて夕飯を食べたら今日はもう休みなさい」
「今夜の夕食は豪勢よ。メラニーさんからお肉を分けてもらったの、イザークが山で大物を狩ってきたんですって」
「わあ、久しぶりのお肉だ!」
「イザ兄に感謝だな」
ご近所からのお裾分けで、久しぶりの肉料理が食卓に乗せられた。
もちろん付け合わせのニンジンは、ヴィオラートのお皿にだけ山盛りとなっている。
「美味しい~」
美味しいのは肉なのかニンジンなのか不明な感想を呟きながら、食の進むヴィオラート。
両親は娘の食べっぷりを嬉しそうに見守っていた。
「こうして四人で食卓を囲めるのも後少しね」
「そうだな」
しんみりと両親が小声で囁き合っているのを、バルトロメウスは聞かなかったことにした。
(いつかは独り立ちするんだから、その時期が早まるだけだ。俺は別に一人になったって平気だぜ)
強がりながら想像する。
この食卓に一人で座り、食事をしている姿を。
狭いと感じていた家も、一人になれば広々と使えるはずだ。
(外に出れば、一人でメシ食うなんてよくあることじゃねぇか。寂しいとかそんなこと思うわけないだろ)
隣でニンジンを頬張っている妹に目を向ける。
いるだけで賑やかなこの妹がいなくなれば、家も村も、何だか火が消えたようになるのではないかと思えてきた。
(違和感があるのも最初だけだ。すぐに慣れちまう)
バルトロメウスは、最終的にヴィオラートが残っても旅立っても、どちらでも構わないと思っている。
それでも少しだけ、妹の頑張りが認められて、村に残ることになればいいとも思うのだった。