翌日の朝。
朝食を終えたヴィオラートは、二階にある兄と共用の自室でベッドに腰を下ろし、アイゼルにもらった参考書を広げた。
「スープ以外の役に立つもの……。野菜や調味料を使うと、成功しても料理になっちゃうし、多分だめだ」
書かれた文字一つ一つ読み込みながら、ヒントになるものがないか探していく。
「フェストって白い石? ……うにって、これは鉱石と燃料になる何かで作るの?」
初歩のものとして書かれているアイテムを作るのに、必要な素材の特徴などを頭に入れていった。
「知らない物が多いや。雑貨屋さんに売ってたかな? うう、でも、材料を買うお金がないな。ああ~、どうして残しておかなかったの、あたしの馬鹿!」
働いたお金は全て母に渡してしまい、お小遣いとして手元にあるのはほんの僅かだ。
ヴィオラートは特に欲しい物もないしと、貯金をしていなかった自分を詰った。
「渡したお金は生活費で必要だからお母さんには貰えないしね。どうしようかな……」
頭を抱えてベッドに突っ伏していると、部屋の戸が開く音がした。
「何を唸ってんだ、お前」
部屋に入ってきたバルトロメウスが、間仕切りの向こうから顔を出していた。
ヴィオラートは起き上がると、兄に駆け寄った。
「お兄ちゃん! お金貸して!」
「はぁ?」
両手を突き出して要求すると、バルトロメウスはあからさまに顔を顰めた。
「お願い! 1000コール、ううん、500でいいから貸して! 材料を買うお金がないの!」
「500ってお前、結構大金だぞ。俺が金を持っているように見えるのか?」
そう言われて、ヴィオラートは視線を上下に動かし、兄の全身を改めて見直した。
シンプルな白いシャツの上に黒いベスト、下は黒いズボンに足元は頑丈なブーツを履いている。野良仕事に適した安くて丈夫な服だ。装飾品など金目の物はまったくない装いである。
倹約してサイフに金が入っているかというとそうでもない。兄は年中金欠で、懐の寂しさを嘆いていることが多い。
「見えない」
肩を落として呟くと、バルトロメウスは腕を組んで胸を反らした。
「わかってんじゃねーか。冒険に出ると準備に金がかかるんだよ。稼いでもすぐ使っちまう」
胸を張って言うことではないのだが、兄も開き直らねばやっていられない心境なのである。
「お兄ちゃんの役立たずー」
妹から失望と蔑みの視線を受けて、バルトロメウスは逆ギレして不機嫌になった。
「何だとコラ。もう諦めて、親父達について行っちまえ」
「残るもん! 絶対、お父さんを納得させるから!」
怯まないヴィオラートとしばらく睨み合っていたが、バルトロメウスが先に折れた。
兄妹喧嘩が尾を引かないのは、結局兄が自ら負けて、妹に勝ちを譲るからだ。
彼はため息をつくと、窓の外を指し示した。
「材料が買えないんなら、外で採ってこいよ。何を作るのかは知らねぇが、何か拾えるだろ」
兄の言葉が予想外すぎて、ヴィオラートは狼狽えた。
「そ、外って、村の外? 無理だよ、外には怖い怪物がいるんでしょう?」
「村を出たすぐの草原ならそれほど出ないんだよ。たまに青いぷにぷにが出るぐらいだな。あまり村から離れずに、さっと拾って帰ってくりゃ、大丈夫だろ」
「つ、ついて来てよ。お兄ちゃん、一応冒険者でしょう?」
「冒険者を雇うなら金がいるぞ。お前なら身内割引で一回の雇用費を20コールにしといてやる」
「ひどい! お金ないって言ってるじゃない! お兄ちゃんは、あたしが遠くに行ってもいいって言うの?」
目に涙を溜めながら、ヴィオラートは抗議した。
兄妹の情に訴えようとしたが、バルトロメウスの反応は冷たいものだった。
「俺は別に一人で暮らしてもいいんだよ。むしろ、親父達と一緒に行ってくれた方がいいな。お前を養えるほど稼げるとも思えんし」
「あたしは錬金術で稼ぐから養ってくれなくてもいいよ。じゃ、じゃあ、後払いでどう? お金が手に入ったら賃金はまとめて払うから一緒に来てよ」
「話にならねえ。冒険者に払う賃金ってのは、基本は前払いだからな。例外はない」
「いいもん! わかった、一人で行く! お兄ちゃんの意地悪!」
ヴィオラートは兄を押しのけるようにして部屋を出た。
荒い足音を立てて階段を下りていく。
一階に両親の姿はなく、どこかに出かけたらしい。
村にいる間は畑仕事は続けるつもりらしいので、そちらにいるのかもしれない。
「お兄ちゃんの薄情者! そんなにあたしが邪魔だっていうの! いっつもお洗濯してあげてるのに、もう知らない!」
ヴィオラートは納屋からカゴを引っ張り出してくると、背中に背負った。
草原に出る道は知っている。
問題はぷにぷにに出会ったらどうするかだ。
「別に戦わなくても逃げればいいんだ。でも、ぷにぷにってどのぐらい早いのかな?」
ヴィオラートが村中を走り回っていたのは六年以上も前の話だ。
今はその頃より、足が遅くなっていてもおかしくない。
逃げきれなかった時はどうなるのかと想像して、彼女は恐怖で体を震わせた。
「やっぱり怖い~。……あ、そうだ」
ヴィオラートは頼りになる幼馴染のことを思い浮かべた。
ロードフリードなら助けてくれるかもしれない。
彼は頼って欲しいと言っていた。
ほんのちょっとの外出に付き合うぐらいなら、快く承諾してくれるだろうか。
「行ってみようかな」
ヴィオラートは草原には向かわずに、サンタール家に足を向けた。
近所とはいえ、それぞれの家の間には畑などがあり、意外と距離がある。
気が急いているヴィオラートは、駆け足で彼の家を目指した。
「村の外へ行きたい? 一緒に行くのは構わないけど、どうかしたの?」
息を荒くして訪ねてきたヴィオラートを見て、ロードフリードは面食らった。
まずは事情を聞こうと、質問する。
「お父さん達が、隣の国に引っ越すって言ってて、お兄ちゃんは残るのに、あたしはだめって言うの」
ヴィオラートの顔は真っ赤だった。
怒りと興奮で、高揚している状態だ。
一度冷静にさせた方がいいと判断して、ロードフリードは彼女を家の中に招き入れた。
「まずは座って落ち着いて。何か飲み物を持ってくるよ」
父は仕事で別の街に行き、母は近所の家を訪問中で不在だ。
余計なことばかり言ってくる母がいないことを幸いと思いつつ、紅茶を入れて、居間で待つヴィオラートの所へ持っていった。
「熱いから、ゆっくり飲むんだよ」
「ありがとう」
熱い飲み物を入れたのは、時間を置く意味もある。
湯気の出ているカップに息を吹きかけている間に、ヴィオラートの呼吸は次第に落ち着いていった。
ようやく冷めた紅茶を飲んで、ヴィオラートは息をついた。
「いきなり訪ねてきて、ごめんなさい。でも、あたしにはロードフリードさんしか頼れる人はいないの」
彼女はまず急な訪問を詫びて、昨夜に言い渡された父の引っ越し宣言から、この家に来た経緯を語り始めた。
「お父さんが錬金術で何か役に立つものを作れたら残っていいって言ったの。でも、材料を買うお金がなくて。お兄ちゃんは貸すお金はないって言うし、材料採りに行くのにも付き合ってくれないしで、一人で行くって言って家を飛び出してきちゃった。だけど、やっぱり怖くなって、ロードフリードさんのことを思い出したの」
ヴィオラートは上目遣いでロードフリードを見つめた。
不安そうな彼女の顔を見ていると、ロードフリードに断るという選択肢は浮かばなかった。
「事情はわかった。確かに青いぷにぷになら子供でも勝てるけど、万が一ってこともあるしね。ついて行くから安心しなよ」
「やったあ! ありがとう! あ、でも、あたし今お金持ってなくて、雇用費は後払いでもいい?」
「護衛というほど大げさなことでもないし、お金はいらないよ。一緒に散歩するぐらいのつもりで行くから気にしないで」
実際、ロードフリードにとって村の周辺を歩く程度なら造作もないことだ。ぷにぷになら一撃で倒せるし、出ないことも多いので、賃金をもらうのは気が引ける。そもそもヴィオラートを守るのは当たり前のことで金銭を要求する気もなかった。
ヴィオラートは彼の優しい申し出に、涙して感謝した。
「うう、ありがとう~。錬金術で何か良い物作れるようになったら、プレゼントするね」
「楽しみにしてるよ。さあ、行こうか」
「うん」
元気の戻ったヴィオラートは、草原に向かおうとカゴを背負って外に出ていく。
ロードフリードは剣を持つと、彼女の後を追っていった。
二人で草原の前まで来ると、バルトロメウスが村との境界にいた。
待っていたのは明白で、彼はヴィオラートを見ると気まずそうに視線を逸らした。
「たまたま今日はこっちに行く気になったんだよ。俺はそこらで適当に怪物共を狩ってるから、お前らも素材拾ったらすぐ帰れよ」
偶然だと強調しながら、彼は先に立って歩いていく。
ヴィオラートは素直ではない兄の真意を汲み取って笑顔になった。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
背中に向けて声をかけると、バルトロメウスの肩が大きく跳ねた。
こちらに向けていない顔は赤くなっているに違いない。
兄妹のやりとりを見ていたロードフリードは、愛情表現が子供の頃よりさらに捻くれてしまったらしい親友を見て、笑いを堪えていた。
「素直に心配だからついて行くって言えばいいのに、無駄に喧嘩をする所も変わってないな」
そもそもバルトロメウスがヴィオラートを危険に晒すわけがない。
彼女がロードフリードを訪ねずに一人でここに来たとしても、こっそり後ろをついてきて、本当に危なくなったら助けに入るぐらいのことはやっただろう。
普段の態度からヴィオラートからはそれほどとは思われていないようだが、バルトロメウスは重度のシスコンだった。
それなのに妹をからかったり意地悪をするのは、可愛すぎる故に構いたいだけの行動と思われる。
なかなかに彼は面倒な性格をしていた。
バルトロメウスは青年会が行う怪物の間引きの時の要領で、周辺を見回るつもりでいるようだった。
元々、この周辺に出現する怪物は少ない。
そちらは任せておくことにして、ロードフリードはヴィオラートの側についていることにした。
草原に入ったヴィオラートは、足元を見て歩く。
なぜかニンジンやひよこ豆が自生しており、彼女はあやうく外に出た目的を忘れそうになった。
「わあ、ニンジンだあ! ここに生えてるのって誰でも採っていいんだよね? ちょっとだけ持って帰ろう!」
色艶の良いニンジンを選び、土から引っこ抜いてカゴに入れていく。
ロードフリードは、大好物を前に我を忘れかけている彼女の肩に手を乗せた。
「ヴィオ、ニンジンを持って帰るのはいいけど、錬金術の素材のことも忘れてはいけないよ」
「あ……。はーい、ごめんなさい」
ヴィオラートは笑って誤魔化すと、近くに生えている草に注目した。
紫の花弁のついた草が、あちらこちらで目に付いた。
「これって雑草? こういうのも使えるのかな?」
「ああ、これはトーンと言って、魔法の草とも呼ばれている。煎じて飲んだり、傷口に塗ったりして、昔から薬草として重宝されている」
しゃがんで見ていると、ロードフリードが教えてくれた。
「薬草なら使い道がありそう、これも持って帰ろう」
群生していたので、まとめて結構な量が採れた。
別の素材を求めて、また歩き出す。
「白い石見つけた! これがフェストなのかな? どれが良いのかわからないから、形がいいのを拾おうっと」
手の平サイズの白い小石を、綺麗な丸い形をしているものを選んで拾った。
たくさん落ちているので希少価値はないが、初歩の素材としてなら使い道は多い。
「あ、これ、何だろう?」
次に見つけたのは、石のような何か。
内側から燃えているようで、表面に熱が噴き出ているように見える。
「これはフロジストン。石みたいに見えるけど中は気体になっていて、よく燃えるんだ。」
「ロードフリードさん、よく知ってますね」
「村の男は十才になれば、父親に連れられてここに来るんだよ。大人になったら怪物相手に戦えるように練習するためにね。子供だから見たことの無いものには興味を持つだろう? これは何かって人に聞いたり、本で調べたりして知ったんだ」
「お兄ちゃんは食べられるものはよく持って帰ってきたけど、こういう石とかには興味なかったのかな。見たことないや」
「フロジストンは日が経つと質が落ちていくんだ。たくさん持って帰っても保管に困るものだから、必要な分だけ拾うといいよ」
「はい。うーん、これも使えそうだし、持っていこう」
フロジストンを拾い、慎重にカゴにしまう。
他の素材が燃えてしまわないか心配だったが、見た目と違い、手で触ってもほんのり温かいだけで火傷の心配はなかった。
念のため、周囲にはフェストを入れておく。
硬い石なら燃えることはないし、安心だ。
「ここで採れるものは、このぐらいかな。別の素材が欲しければ、近くの森まで行くしかないよ」
フロジストンの採取が終わると、ロードフリードが言った。
材料は十分揃ったので、ヴィオラートは帰ることにした。
「とりあえず、これで作ってみます。だめだったら、もう一度採りにこないといけないけど、また頼んでもいい?」
「もちろんだよ。遠慮せずにおいで、いつでも付き合うから」
「ありがとう、あたし頑張るよ。遠くの街になんて行きたくないもん」
二人は草原を後にする。
ヴィオラートは村に戻る前に、一度だけ草原の方を振り返った。
結局、ぷにぷにには一度も襲われなかった。
兄が周辺を見回っているので、そのおかげかもしれない。
これからも採取を続けるのなら、いつかは怪物に遭遇し、戦わねばならない日もくるのだろうか。
想像すると憂鬱になったが、今は約束の日に向けて調合を成功させることだけを考えなければいけない。
彼女は前を向き、次に挑戦する調合について思考を始めた。