Carrot −ニンジン村の姫と騎士−

第一話 帰郷


 王国が誕生した頃から人々が行き来してきた古い街道を、一台の幌付き馬車がゆっくりと進んで行く。
 荷台には大小様々な大きさの木箱が積まれていて、一目で行商人の荷馬車だと窺い知れた。
 街道の周辺は緑で覆われているが、少し離れた場所には運河が通っている。船での流通が盛んになった昨今、街道を利用する荷馬車は減ったが皆無というわけではない。
 首都ハーフェンと、国内にある陸路の中継地とされるファスビンダーを結ぶこの街道は、まだ使われている方だ。
「お、街が見えて来たな」
 馬車を操る行商人が声を上げた。
 遠目にファスビンダーの街並みが見えてくる。
 酒と樽の街と称される通り、家ほどの大きさを持つ巨大なワイン樽が目印の、歴史を感じさせる古めかしい建物が多い大きな街だ。
 馬は機嫌よく歩き、荷馬車の車輪も不調を訴えることなく軽快に回り続けている。
 道の先を見ても不足の事態は見当たらず、空は快晴で申し分ない。
 街に着くのもすぐだろう。
 商人の店はこの街にあり、何事もなくたどり着けそうなことに安堵した。
「今回も無事に取引が終わったな。ハーフェンで別の護衛を雇うことになった時は不安だったが、良い冒険者に当たって良かった。人は見た目で判断するものじゃないな」
 商人はちらっと荷台を振り返った。
 積み上げられた荷物の向こう、荷台の一番後ろに、一人の青年が座っていた。
 身長は高く、体格も細身には見えるが貧弱な印象はない。
 少し襟足の長い髪は櫛が良く通りそうな清潔感のあるもので、顔立ちも中性的で、舞台役者顔負けの美男子だ。
 剣士という触れ込みだったが、護衛としてみれば、年は若く、そして雰囲気が上品で穏やか過ぎた。着ている服も上質で、恐らく貴族か金持ちの道楽息子がお忍びで旅をしているのだろうと見当をつけた。
 不安はあったが、ちょうど護衛を請け負ってくれる冒険者が彼しかいなかったのだ。
 他の護衛を見つけるまで滞在期間を伸ばすわけにもいかず、しかも彼は依頼を受けても受けなくても即日に出発するという。
 いないよりはマシという心境で、商人は彼を雇ったのだ。
「蓋を開ければ、賃金以上の働きをしてくれたがね」
 出発してすぐに怪物に襲われた。
 それも、木の頭部にピンクの大きな花を咲かせたアルラウネと呼ばれる植物系の怪物だ。
 良く現れるゼリー状の怪物である青や緑のぷにぷに程度なら、幾ら頼りない護衛でも相手にできるだろうと思っていたが、これは相手が悪過ぎる。
 商人は荷物を捨てて全速力で逃げようとしたが、荷台に乗っていた彼が飛び出し、瞬く間に退治してしまった。
 その後も彼は、出てくる敵を難なく排除して、安全に荷馬車を街まで護衛してくれた。
「カロッテ村に行く途中だと言っていたが、ここらにそんな村あったかな?」
 商人がファスビンダーに店を持って十年ほどになるが、聞いたことのない名だ。
 街の南から伸びる寂れた街道を進むと、村が幾つかあるらしいので、そのうちの一つかもしれない。
「昔は辺境にもたくさんの村があったらしいが、今は若者が仕事を求めて都会に出ていくことが多いからな。自然と廃村になってしまった所もあると聞く。街道も寂れて通る者も減った。護衛を雇うにしても金がかかる。利益が見込めないのに田舎まで出向いての取引は誰もやりたがらんか」
 商人仲間で南に向かう者といえば、知り合いがいるとか昔からの馴染みだからとか、縁や義理での理由が多い。
 身なりの良い青年が向かうには、似つかわしくない場所に思えた。
「詮索はやめとくか。冒険者のようだし、腕試しに行くのかもな」
 彼の目的がなんであれ、商人には関係のないことだ。
 それより、ハーフェンで買い付けてきた商品を売ることのことのほうが大切だった。
 興味はあっさりと移り、辺境の小さな村のことは忘れられる。
 青年の故郷カロッテ村は、今や近くの街の住人にすら知られていないほど寂れていた。



 ロードフリードはファスビンダーで護衛の仕事を終えると、宿で一泊だけして体を休めることにした。
 せっかく銘酒が多いと名高いファスビンダーを通るのだ。成人後に酒を好んで嗜むようになった彼は、日が落ちる前にワイン倉庫に立ち寄って、土産用と自分用にと数本のワインを購入した。
 元々深酒はせずに、味を堪能する方だ。
 明日からの旅路に差し障りのない程度に飲んで、温まった体を寝台に横たえた。
 荷造りもやり直し、日持ちのする携帯食料を買って、できるだけ身軽にと旅支度を調えた。
 護衛の仕事を受けたおかげで馬車に乗れたので、帰路の日程が大幅に短縮できた。何も問題が起こらなければ、あと数日で村に着けるだろう。
「もうすぐ村に帰れる。みんな変わっていないといいな」
 ロードフリードは自覚のないままに、重い溜息をついた。
 騎士になるために行った首都ハーフェンでの生活は、彼の成長に大きな影響を与えた。
 十二才から騎士精錬所で訓練を受けて、十八才になった今年、精錬所で実力を認められた者のみが入れる竜騎士隊への入隊資格を得た。
 周囲はそのまま入隊するものと思っていたようだが、ロードフリードは帰郷を選んだ。
 尊敬し、目標にしていた竜騎士ローラントが、入隊を拒んだ理由を問いただしてきたが、彼を納得させられるだけの答えは返せなかった。
「故郷の村を守りたいって、理由にはならないのかな」
 ロードフリードが守りたかったのは、優しい思い出が残る故郷とそこに住まう大切な人達だった。
 竜騎士隊に入れば、さらに故郷は遠くなり、首都など主要な大都市の守備任務が優先され、行動を縛られることになる。そうと知った時、道は決まった。
「それに、俺には都会は合わなかった。街も人も疲れることばかりだった」
 良いところがなかったわけではない。
 発展した街は便利で、豊かで、華やかだ。
 少しの間だけ、例えば観光にでも立ち寄ったのなら、これほど負の感情はもたなかっただろう。
 人も物も溢れるほど満たされているせいか、都会に潜む闇は深い。
 特に首都に住む貴族階級の人々は気位が高く、地方から来た教養のない者、貧しい者を見下す傾向が強かった。
 精錬所に入れる者は裕福な家の出ばかりとされているが、その中でも権力や財力の差は生じるもので、家の名で派閥を作り、自身の実力よりも親の威光を振りかざして優位に立とうとする者が少なからずいた。
 幸いだったのは、監督や指導をする竜騎士達は、そういった肩書に惑わされることなく、訓練生達に接していたことだろうか。
 実際、訓練生時代に人格や実力に難ありと評価された者は、たとえ出身が高位貴族であろうとも、騎士隊への入隊資格を得ることはできなかった。
 ロードフリードは彼らの派閥には関わろうとしなかったので、精錬所で実力を認められるようになると、陰口や嫌がらせの対象にされたことがあった。
 それらも含めて試練と思えという教育方針だったのか、竜騎士達は静観しており、嫌がらせに屈して心身を病み、故郷に帰っていく仲間を何人も見送った。
 ロードフリードの心が折れなかったのは、騎士になる夢を持っていたからだ。
 強くなって故郷の人達を守る。
 その思いを支えに訓練に励んだ。
 煩わしい人間は実力で黙らせて、表面上は平気な顔をしていても、心はどんどん擦り減って、癒しを求めた。
 そんな時、決まって思い出すのは、ニンジンが大好きな女の子のことだった。
 人懐っこい笑顔を浮かべて、ニンジンを齧っている姿を思い浮かべると、どんなに嫌なことがあっても、全て忘れて笑ってしまう。
「早くヴィオに会いたいな」
 帰りたい理由は、もしかしたら彼女の傍にいたいからなのかもしれない。
 ロードフリードは瞼を閉じて、眠りに入る。
 幸せだった幼い頃の記憶を思い返しながら。



 大きな木製のタライに、井戸から汲んできた水をたっぷりと注ぎ入れる。
 汚れた洗濯物を水に浸して、石鹸と洗濯板を使って丁寧に擦り洗う。
 大物のシーツなどは足で踏み洗うこともある。
 村の女達の仕事の一つである洗濯は、重労働であり、稼ぐ一つの手段でもあった。
「よっし、終わりー!」
 洗い上げた洗濯物をすべて干し終えて、ヴィオラートは声を上げた。
 彼女は背中まで届く栗色の長い髪をした、ごく平凡な村娘だ。村娘らしい地味なデザインの若草色のワンピースと、白いエプロンが良く似合っている。
 幼さの残る愛くるしい笑顔でいつも周囲を和ませて、村人達に可愛がられていた。
「レナータおばさーん、洗濯物干し終わりました!」
 ヴィオラートは雇い主である洗濯屋の店主レナータに声をかけた。
 家の中から別の作業をしていたらしい、ふくよかな体付きの中年の女性が表に出てくる。
 レナータはヴィオラートがやり遂げた仕事を確認して満足そうに頷いた。
「良い仕事をしてくれたね。はい、今日の分の賃金だよ」
 彼女が差し出した賃金は100コール。数時間の労働の見返りとしては妥当な額だ。
「ありがとうございます!」
 喜んでお金を受け取り、財布代わりの皮袋に入れたヴィオラートは、雇い主の女性が浮かない顔をしていることに気が付いた。
「レナータおばさん、どうかしたんですか?」
「あのね、ヴィオちゃん。言いにくいんだけど、仕事は今日までにしてもらえないかね」
 突然の申し出に、ヴィオラートは驚いた。
「え? あの、あたし何か失敗しましたか?」
 動揺して震えながら尋ねると、レナータは首を横に振った。
「ああ、そうじゃなくて……、ほら、最近引っ越しが多いでしょう。お得意様も減ってねぇ、月光亭だって酒場の方は村の男共が集まって賑わってるけど、外から来る宿泊客がほとんどいなくて宿の方はさっぱりだしね。洗濯の依頼も以前に比べて減ってしまって、そろそろ回す仕事がなくなってきたんだよ」
「そうですか……」
 自分が悪いわけではないと知って、多少は心が軽くなったが、職を失うという衝撃の強さは変わらない。
「本当に悪いね。良く働いてくれてて、このまま続けて欲しいんだけど仕事がなくちゃどうしようもないし」
「いいんです、また別のお仕事探します。今までありがとうございました!」
 ヴィオラートは笑顔で感謝の気持ちを述べると頭を下げた。
 申し訳ないと繰り返すレナータに手を振ると、元気よく駆けて行く。
 彼女を見送ったレナータはため息をついた。
「落ち込んでないわけはないだろうね。村はどんどん寂れていくし、仕事がないからって若い者は都会に出て行く。若い者だけじゃなくて、廃業して家族で村を出て行く家も増えた。うちも息子は他所の街に行ってしまったし、移住を考えた方がいいのかもしれないねぇ」
 彼女の呟きは、多くの村人が同意することでもあった。
 カロッテ村は近年になって急速に過疎化が進み、危機的状況を迎えている。
 焦った村長が村おこしにと、広場に大量のニンジンを置いて取り放題としたが、村人なら自分の畑で採れるものだし、観光客もニンジンが無料だからといって、わざわざこんな辺境まで来る物好きがいるはずもなかった。
「愛着のある村だから、なくなって欲しくはないけどね。何か人を呼び込めるような名物なり、店なりがあればいいんだけど」
 村人達は世代ごとに集まって改善策を話し合ってはいるが、打開策は見いだせていない。
 諦めて去っていく者が出ると、また一人と次々後を追っていく。
 残っているのは、村の重鎮達とかろうじて村に仕事のある人々だけだ。
 放棄された畑が目立ち、故郷の土地が荒れ始めている現状に、村人達は胸を痛めていた。
「そういえば、サンタールさんの息子が帰ってくるって話だったね。村から出て行く子達が多い中、戻ってくるなんて奇特なことだ。少しは村に活気が戻るといいねぇ」
 疲れた顔をしたレナータは、背中を丸めて家に戻って行った。
 カロッテ村の人々は徐々に明るさを失いつつあった。


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