カロッテ村が村人総出で村おこしに取り組み始めて、早四年が過ぎた。
ヴィオラートが始めた錬金術の店ヴィオラーデンも、つい先日に開店三周年を迎えることができて、経営は順調だ。
店内に置かれた商品は、食品に薬に日用品、手に取りやすい安価な武具まで揃えてあり、カウンターの傍には高価な宝石や装飾品も並べられている。
客層は一般人を始め、冒険者や商人、騎士に貴族など多様な人が訪れている。
近頃の人気商品は万能薬のエリキシル剤だろう。
希少な素材を使っているので値段は高いが、長年肺の病で苦しんでいたとある貴族令嬢が全快したと噂が流れてからは、遠い国から買い求めに来る人も現れるほどだ。
だが、店主に独占販売をする気はなく、エリキシル剤は各街の量販店にも登録されているので、それほど混乱はなく店は運営されている。
店主のヴィオラートは、久々に自らカウンターに立って接客をしていた。
調合用の素材も足りており、店に並べる品の在庫にも余裕ができたので、朝から笑顔で客を迎えている。
「ありがとうございました」
愛想良く頭を下げて、買い物を終えて出ていく客を見送る。
扉が閉まると、彼女はにんまりと微笑み、誰もいなくなった店内を歩いて、在庫の補充をしながら商品を並べ直した。
「ここの所、大きなトラブルもないし、売れ行きも順調だし、言うことないね。これなら、いつお父さん達が帰ってきても、胸を張って迎えられるよ」
村の発展も目覚ましい。
村長の自宅前の通りは石畳で舗装され、村外れだった場所は拓けて商店がたくさん建ち並び、移住者の住居も増えて活気づいている。
「もう村じゃなくて街だよね。ハーフェンにだって負けてないと思うな」
ヴィオラーデン周辺の地域は以前のままの村の姿を残しているが、これは元から住んでいる村人の希望でそうなっていた。
村の存続のために土地が栄えるのは喜ばしいことだが、のんびりとした昔ながらの生活も捨てられない。
そういった要望も根強くあったため、旧集落は農業地区として山や畑が残され、開発が進んでいるのはこれまで手が入れられていなかった方面の土地が中心となっている。
発展していく村と自然の調和を象徴するがごとく、村長の家の前にある広場には、昔からそこに根を張る大樹が残されていた。
村おこし企画の目玉として、三年間行われたチャリティオークション。
計三回行われたオークションにて、最も高値で落札された出品物を提供した者に与えられた、大樹のある場所に村のシンボルを造る権利。
村長は大樹を切り倒すつもりだったそうだが、権利を与えられたロードフリードは大樹の保存を希望した。
「ロードフリードさんが選ばれて良かったかも。あたしだったら、にんじんが良いとか適当なこと言ってただろうなぁ」
大樹ほどの大きさの巨大にんじん。
見てみたかった気もするが、実現できたかどうかはわからない。
ヴィオラートは少し残念な気分になりつつも、窓の向こうに見える大樹を見て微笑んだ。
ヴィオラートにとっては順調で、憂いも何もない平穏な日常が過ぎていく。
妙にニヤついた顔をした兄が話しかけてくるまでは。
「えっと、お兄ちゃん、今なんて言ったの?」
井戸端会議に興じるおばさん達の口調を真似ながら兄が言った言葉を、ヴィオラートは聞き間違いかと疑って聞き返した。
「だから、ロードフリードに好きな相手がいるらしいって言ったんだよ」
話を振ったバルトロメウスは、妹も興味津々で話に食いついてくるだろうと期待していたのだが、ヴィオラートは声を失って硬直していた。
「おーい、ヴィオ?」
目の前で手を振ってみる。
ヴィオラートは瞬きすると、煩わしそうに兄の手を払いのけた。
「もう、そういうこと言うのやめなよ。ロードフリードさんだって迷惑でしょう」
「誰彼構わず言いふらしてるわけじゃない。大体、そういう話になったのだって、先にあいつが俺に絡んできたからだぞ」
バルトロメウスは不機嫌そうに眉を寄せた。
彼の思い人をロードフリードは知っている。
進んで教えたわけではないのだが、いつのまにか知られていた。
一緒に酒を飲んでいると、なかなか進展しない恋の話で少しからかわれて、意趣返しのつもりで言ったのだ。
恋をしたこともない奴が偉そうに言うなと。
そうすると、ロードフリードは苦笑して、片思いの苦しさは知っているつもりだと答えた。
「酔わせて相手が誰だか口を割らせようとしたんだが、こっちが先に酔い潰れちまった。ちくしょう、あいつ酒に強いな」
「お兄ちゃんが弱すぎるんだよ」
悔しがる兄に、ヴィオラートは呆れた顔をした。
「それで、お前になら言うかもしれんと思ってな。ちょっと聞いてきてくれねえか?」
「え? 嫌だよ。自分で聞けばいいじゃない」
「聞いてもダメだったからお前に言ってるんだろ。なあ、ヴィオだってロードフリードの好きなヤツが誰だか興味あるだろ?」
「ないもん! そんなの知りたくない!」
強い口調で拒絶して、ヴィオラートは手で口を押さえた。
目の前の兄が驚いた顔をしていたからだ。
「な、なんだよ、怒ることないだろ。何か嫌なことでもあったのか?」
「ご、ごめん、何でもないよ。あ、あたし、ちょっと外で気分転換してくる。お兄ちゃん、少しの間だけお店番お願いね!」
「お、おい!」
戸惑う兄の声を扉を閉めることで遮り、ヴィオラートは外に飛び出した。
頭の中が真っ白になって、何も考えられない。
ロードフリードに好きな人がいると知って、強い拒絶感を覚えたことに、彼女は衝撃を受けていた。
当てもなく村の中を走っていたヴィオラートは、村内で一番大きな屋敷の前で足を止めた。
ブリギット・ジーエルンの邸宅である。
ヴィオラートが作ったエリキシル剤で病を完治させたブリギットは、以前の高慢な態度はすっかり改めて、ヴィオラートにも友好的に接してくれるようになった。
お互いに同年代の友人がいなかったこともあり、今では親友とも呼べるほど交流を深めている。
「ブ、ブリギット~」
情けない声で名を呼びながら駆け込んできたヴィオラートを迎えたブリギットは、始めは心配そうに声をかけたが、話を聞くうちに苦いものを食べたような微妙な顔になった。
「ロードフリード様に好きな人がいると知ってショックを受けて、そのことに戸惑っているということでいい?」
「う、うん……。そういうことかな」
話している間に頭の中が整理されて、冷静になってきたのだろう。ヴィオラートはしおらしく頷いて、ブリギットを見つめた。
「…で、その好きな人について、兄妹揃って心当たりがまるでないと……」
心なしかブリギットの声には呆れが混ざっていた。
ヴィオラートは不思議そうに彼女に問いかける。
「ブリギットは誰なのか知ってるの?」
「恐らく、この村で知らないのはあなた達だけだと思うわ。そうね、離れて見ている方が気づきやすいのかもしれないわね」
ヴィオラートは再びショックを受けた。
共に育ち、村では一番の仲良しで、お互いのことは何でもよく知っていると、そう思っていたからだ。
それなのに、村の人達も周知のことを、自分達だけが知らなかったなんて信じられない。
「だ、だって、確かにロードフリードさんは女の子に優しいからモテるけど、今まで特別な人なんていなかったもん」
「あなたの目から見れば、特別な人はいなかったでしょうね」
今日のブリギットは少し意地悪だと、ヴィオラートは泣きそうになった。
昔の険のある態度ではないものの、答えを知っているのに教えてくれない。
素直な気持ちが表情に出ていて、それを見たブリギットは肩を竦めた。
「以前の私なら、腹を立てて追い出している所だわ。でもね、今はあなたのことを大事な友達だと思っているの。だから、ヒントぐらいはあげてもいいわ」
「ヒント?」
「そう、その人は、ロードフリード様の最も身近にいて、誰よりも大切にされている女の子なの。あの方のことをよーく知っているあなたなら、ここまで言えばわかるでしょう」
「え? ヒントって、それだけ?」
「これだけあれば十分よ。これ以上は付き合っていられないから、自分で考えてちょうだい」
「ま、待ってよ、ブリギット」
あれよあれよという間に、ヴィオラートは外に出されていた。
しばらくお屋敷の前で呆然と立ち尽くしていたが、諦めて歩き始める。
「わからないよー。最も身近にいて、大切にされている女の子なんて、一体誰……」
独り言を途中でやめて、立ち止まる。
村に戻ってきてからの、ロードフリードの様子を思い浮かべてみれば、その隣にいつもいる女の子なんて一人しかいなかった。
「あ、あたし……?」
人差し指を自分に向けて、頼りなさげな声で呟く。
「え、えー、でも、そんな……」
ブリギットの勘違いということはないだろうか?
しかし、バルトロメウスは、ロードフリードから片思いの相手がいるとはっきり聞いている。
採取の護衛に、店の手伝いと、ロードフリードがヴィオラートの傍にいる時間は長い。
一緒にいない時は、剣の鍛錬か村周辺の警備、もしくは冒険者の仕事をしていて、女性と接する機会など皆無に等しい。
考えれば考えるほど、彼の傍にいるのは自分しかいなかった。
大切にされているのかと問われれば、即答で頷ける。
ロードフリードはいつも優しくて親切で、ヴィオラートは頼りっぱなしだ。
甘えすぎかなと思うことはあったものの、幼い頃から知っている気安さも手伝って、差し出される手を躊躇うことなく取ってきた。
「でも、告白されたわけじゃないしなぁ……」
やっぱり自信が持てなくて、彼の思い人が自分だなんて思えない。
だけど、本当にそうであれば、驚きの後は嬉しい気持ちだけが残った。
もしも、他の男性に好意を寄せられたとしたら、ヴィオラートは気持ちを受け止められなくて困っただろう。
その違いに気づいてしまえば、彼への気持ちが明確になる。
「あたし、ロードフリードさんのことが好きなんだ……」
胸が締め付けられるように苦しくなり、彼のことを思えば温かい感情が湧いてくる。
長い歳月をかけて育んできた彼への好意に、恋という名が付けられた瞬間だった。
恋心を自覚したものの、何をすればいいのかわからず、ヴィオラートは仕方なく自宅に戻ってきた。
すぐに戻ると言って出てきたが、すでに日は暮れかかっていて店には閉店の札がかけられていた。
ヴィオラートは遅い帰宅に文句を言う兄の姿を想像して、重い気分で玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
「お、やっと帰ってきたか」
意外なことにバルトロメウスは怒ってはいなかった。
むしろ、心配そうな顔を向けてくる。
「ちょうど店内の掃除が終わった所だ。帳簿は後で確認するか? 夕飯も作っといたから今日はゆっくり休め」
「ありがとう、ごめんね、心配かけて。ちょっと疲れちゃったから、部屋で少し休むよ」
考えすぎて疲れているのは本当なので、申し訳なさを感じつつも、後を任せて二階に上がる。
「次にロードフリードさんに会ったらどうしよう。今まで通りに話せるかなぁ」
変に意識してしまって挙動不審に陥りそうだ。
ヴィオラートはベッドに倒れこむと、枕に顔を埋めた。
「両想いだったら、その先は……。お父さんとお母さんみたいな夫婦になるのかな」
結婚しても錬金術のお店を続けたいと言ったら、ロードフリードはもちろん許してくれるだろう。
一緒に採取に出かけて、採ってきた素材を使って調合をしているヴィオラートの隣で、接客をしている彼。
「なんだ、今とあまり変わらないね」
頭の中で未来の風景を思い描いて、ヴィオラートの頬が緩んだ。
「やっぱり、ちゃんと気持ちを確かめた方がいいよね。勝手に都合の良い想像なんかしてたら、違った時がつらいもん」
失恋したらと想像すれば、悲しくなってくる。
ふわふわ浮ついたり、落ち込んだり、恋をすると心が忙しい。
たった一日で世界が変わったような、目まぐるしさを感じた。
「本当のことを知るのは怖いけど、それまではちょっとぐらい夢を見ててもいいよね」
彼のことを思い浮かべれば、この上ない幸福感に包まれて、照れてベッドの上を転げまわりたくなった。
実際に暴れれば、物音に驚いた兄が飛んでくるのでやらないが、それぐらい彼女は初めての恋に舞い上がっていた。