可憐な蕾が花開く時


 かつて大陸の周囲には水を湛えた広大な海があった。
 水が消え、黄砂が海を呑み込み、植物は枯れ果てて、大地は際限なく干上がっていく。滅びを招く黄昏の浸食は、辺境の地にも等しく訪れた。
 辺境の村の一つに、ルギオンと呼ばれる村があった。
 村の住人は、船の一族と自らのことを称していた。古式の錬金術を巧みに使う者が族長を務める、古い歴史のある村だ。
 一族が名乗る族称は、造船技術と共に受け継がれてきた遺物の船に由来する。
 シャリステラはその船の一族の長の娘として生を受けた。
 周囲を砂の海に囲まれた小さな村は豊かではなく、姫様や嬢様と呼ばれて大切にされていたけれど、特別な暮らしをしていたわけではなくて、彼女は少しばかり引っ込み思案な普通の少女だった。
「この砂漠の向こうには、ステラードって街があるんだ。この村より大きくて、人もたくさんいるって親父が言ってた」
 シャリステラにそう教えてくれたのは幼馴染の少年だ。
 血の繋がりはなくても一族の者は等しく家族同然であるから、シャリステラは彼をコルテス兄さまと呼んでいた。
 兄や姉と慕う人は他にもいるが、コルテスは戦士の家系に生まれたこともあり、幼少期から族長の娘であるシャリステラの近くに控える護衛の役目を与えられていた。同じ年頃の子供が彼しかいなかったことも理由の一つだ。
 護衛と言えば大層なものに聞こえるが、実際には妹の面倒を見る兄程度の認識でしかない。
 腕白な少年にとって、おとなしい少女のお守りは時々煩わしくなることもあったが、懐いて後ろをついてくる妹分は可愛らしくもあり、二人の関係は概ね良好だった。
 彼らは船が停泊している港で、並んで砂漠を見つめていた。
「ステラードに修行に行ってこいって言われた。街には学校があるからそこで色々学べってさ。俺も親父が乗ってるあの船に乗って、砂漠を越えていくんだ」
 シャリステラは困惑の面持ちでコルテスを見上げた。
 彼は地平線の彼方へと顔を向けて、瞳を輝かせていた。心はすでに未知の土地へと飛んで行ってしまっている。
「兄さま、ステラードに行ったら、もう帰ってこないの?」
 修行や学校などと言われても、幼いシャリステラにはよくわからなかった。
 ただ、コルテスがいなくなることだけは理解した。
 そして、ステラードは遠くて、一度行ってしまえば簡単には帰れないほど遠い場所だということも。
 不安に駆られて訊ねると、コルテスは笑ってシャリステラの頭を撫でた。
「そんなに長くはいないさ、俺は船の一族の戦士なんだ。シャリーのことを守らなきゃいけない」
「だったら、街になんか行かなくても……」
「親父から行ってこいって言われたこともあるけど、俺自身も街に興味があるんだ。人から話を聞くだけじゃなくて、自分の目で見て、色んなことを知りたい」
 彼の迷いのない言葉を聞いて、シャリステラは俯いた。
 知らないものは怖い。
 外への興味がないことはないが、今の平穏を捨ててまで行きたいとは思わなかった。
 コルテスは勇敢だ。
 シャリステラには彼を止めることも、ついていくこともできない。
 あちらに長くはいないと言われても、これまで二人でいた場所に、一人でいることになる寂しさと心細さを思えば涙が浮かんできた。
 流れ落ちる滴で頬を湿らせていくシャリステラに気がつくと、コルテスはバツが悪そうに頭を掻いた。
「ちゃんと帰ってくるから泣くなって。そうだ、土産に何か好きな物買ってきてやるよ。何がいい? 綺麗な小物とか、それとも甘い菓子の方がいいか?」
「お土産なんかいらない。兄さま、行かないでぇ」
 とうとうシャリステラは泣き出して、コルテスにしがみついた。
 まだ幼いシャリステラは、感情を抑えることなく訴える。
 けれど、願いが聞き入れられることはなく、コルテスは困った顔をして、悲しむ彼女を宥め続けた。
 それも遠い昔の話。
 二度目の別れの時、旅に出たいと望みながら諦めようとするコルテスの背を、シャリステラは自ら押した。
 これが永遠の別れではないと知っているから、彼女は笑顔で見送ることができたのだ。




  ルギオン村とステラードの水枯れ問題が落ち着いた後、シャリステラはステラードで働くことにした。
 錬金術の研究機関『中央』がステラードに仮のものとして置いていた支部が正式なものとなり、そこに錬金術士として籍を置く。
 黄昏の調査をするには、その方が良いと思ったからだ。
 下宿先はシャルロッテの自宅で、仕事も二人で一緒にすることが多い。
 業務の内容は、元々彼女がこの街で請け負っていた仕事の延長でもある。書類仕事が多少増えたが、頼りになる相棒や仲間の存在もあり、充実した日々を送っていた。




「初めて見た時にとても綺麗な人だと惹かれました。好きです、俺と付き合ってください!」
 財協組合に出入りしている顔見知りのトレジャーハンターの青年に呼び止められたかと思えば、突然の告白。
 シャリステラは困惑して、何と答えたものかと口ごもった。
 確かに相手の顔は知っているし、挨拶や世間話程度の言葉を交わしたことはある。
 しかし、告白されるほどの好意をもたれるような関わり方をした覚えはなくて、戸惑うだけで心が動くことはなかった。
「ごめんなさい」
 それしか言えなくて、頭を下げる。
 人付き合いが苦手な彼女に気の利いた返事ができるはずもなく、誤解を招かないように簡潔な言葉で断るしかなかった。
 肩を落とした青年が去ると、シャリステラは安堵の息を吐いた。
 それまで周辺に人の気配はなかったが、青年の姿が見えなくなったタイミングで、物陰からシャルロッテがこそこそと出てきた。
「ロッテ、見てたの?」
「ごめん。覗くつもりはなかったんだけど、ステラの姿が見えたから声をかけようとしたら、告白が始まっちゃってさ」
 咄嗟に隠れて、出るに出られなくなったのだと、シャルロッテはあたふたと言い訳を述べた。
 シャリステラは気まずさを誤魔化すように微笑んだ。
「別にいいけど、誰にも言わないでね」
「わかってるよ、人の失恋話なんて言いふらしたりしないって。あ、そうそうあたしは支部に戻る途中なんだ、ステラは?」
「わたしもそう、一緒に行こうか」
「うん」
 目抜き通りに出て、並んで歩き始めると、シャルロッテが窺うように問いかけた。
「さっきのさ、どうして断っちゃったの? お友達からって言っても良かったのに」
「だって、そういうの全然考えられなかったから、変に期待を持たせても悪いでしょう」
 安らぎを与える闇夜のごとく艶やかな長い黒髪、絹を連想させる白い肌にほっそりとした華奢な体、育ちの良さが感じられる優し気な顔立ち。シャリステラは外見だけで印象を述べると、清楚で慎ましやかに見える。
 年はすでに少女の域を出ており、大人の色香が仄かに備わりつつあった。
 自然に男達の目は彼女に向けられ、憧れに近い好意を持つ者は多くいる。時々告白に踏み切る勇者が出るが、全て熟考の余地もなくお断りされていた。
 シャルロッテはといえば、相も変わらず元気過ぎる性格が災いしてか、今の所は色恋沙汰に縁はない。本人も積極的ではないので色気のある話は当分先と思われた。しかし、親友の恋となれば興味は当然あるので、もう少しだけ話を引き出そうとシャルロッテは試みた。
「そういう所ははっきりしてるんだね。もしかして、心に決めた人がいるの?」
「そんな人はいないけど……」
 シャリステラは眉を下げて俯いた。
 これ以上は続けない方が良さそうだ。
 シャルロッテが顔を前に向けると、支部が間借りしている財協組合の建物が見えてきた。
 見覚えのある人物が、扉を開けて外に出てくる。
「あ、ユリエさん!」
 シャルロッテの声を聞いて、シャリステラが顔を上げた。
 ユリエも二人に気がついて近寄ってくる。
 女性ながら双剣を装備した勇ましい姿は、相変わらず頼もしく、経験を積んでさらに熟練の気配が増している。
「お久しぶりです、帰って来てたんですね!」
「お帰りなさい」
 シャルロッテが話しかけて、シャリステラも続く。
「二人とも元気そうね。シャリーはしばらく見ない間に雰囲気が変わった、少し大人になったかな」
 ユリエがシャリーと呼ぶのはシャリステラの方だ。
「そ、そうですか?」
 片頬に手を当てて、シャリステラは照れた。
「ユリエさん、あたしは?」
 手を挙げて、ワクワクと瞳を輝かせるシャルロッテを、ユリエはしげしげと眺めまわした。
「ロッテは…あまり変わっていないようね」
「ええー、そんなぁ」
 無情な感想に落ち込むシャルロッテ。
「大人に見られたかったら、もう少し落ち着つくといい」
 微笑むユリエに、シャリステラはおずおずと声をかけた。
「あの……、ユリエさん、コルテス兄さまは……」
「コルテスなら港にいる」
 港で船の整備をしていると、彼女の言葉は示唆している。
 黄昏の海を渡る旅に、船は必要なもの。
 彼らが乗っている船は、ルギオン村のものではなく、ステラードで手に入れた中型の砂航艇だ。二人は見分を広めがてら、トレジャーハンターとして各地を巡っていた。
「私は依頼の報告を済ませて帰る所。旅の話をまとめたいから、しばらくはステラードにいる」
 ユリエはそう言って、ミルカが待つ自宅へと帰っていった。
 彼女が街に留まるということは、必然的に相棒のコルテスも街にいるということになる。
 ユリエを見送った後、シャリステラはシャルロッテに向き直った。
「ごめんね、ロッテ。わたし、今日は兄さまの所に行ってくる」
「やだなー、謝ることないよ。今日だけじゃなくて、いつものように『兄さま』が街にいる間は存分に甘えてきなよ。大人になったなんて言われても、ステラもまだまだ子供なんだね」
「ロッテ! わたしは久しぶりに兄さまに会いたいだけで、そんな…あ、甘えたいなんて考えてないよ!」
「はいはい、わかりました。兄妹水入らずで過ごしたいだけなんですよねー」
 珍しく慌てているシャリステラの反応が面白くて、からかうシャルロッテ。
「もう、ロッテの意地悪!」
 頬を膨らませて、シャリステラは歩き始めた。その後ろを焦った顔でシャルロッテが追う。
「からかってごめんなさい! そんなに怒らないでよー」
「許しません! しばらく反省してなさい!」
「ステラの好きなお肉買ってあげるから機嫌直して」
「お肉程度で懐柔などされません」
 むくれているシャリステラに、あの手でこの手で許しを請うシャルロッテ。
 居合わせた支部と財協組合の面々は、二人の様子を面白そうに傍観していた。
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