可憐な蕾が花開く時


 ノブが回る音で、コルテスは目を覚ました。
 気配でシャリステラだとわかったが、こっそりとした動きといつまでも口を開かないことで、危険が迫っている等の緊急の用事ではないと判断した。
(何しに来たんだ?)
 最近のシャリステラの考えることはわからないことだらけだ。
 悪戯でも仕掛けにきたのだろうか。
 いきなり上に飛び乗ってきたりして、などと考えて、子供ではあるまいしと却下しかけた。
(いや、時々シャリーは突拍子もないことをするからな、ありえないことじゃない。腹に力を入れておかないと、余計なダメージを食らう)
 あれこれ想像して衝撃に備えるより、起きた方が良さそうだと思い直してシャリステラがいる方向に顔を向ける。
 途端に、こちらを覗き込む彼女と目が合った。
「シャリー?」
「兄さま……」
 シャリステラの様子がおかしかった。
 熱に浮かされたように瞳は潤み、頬には赤みが差している。
「どうした? どこか具合でも悪いのか?」
 コルテスは体を起こすと、シャリステラの額へと手を伸ばした。
 触れた額は温かったが、熱があるほどではない。
「違うの、熱はないよ、どこも悪くないです」
「なら、いいんだ。何か欲しいものでもあったか? 喉が渇いたなら水を持ってこようか」
 シャリステラは首を横に振ると、内緒話をするようにコルテスの耳元に顔を近づけた。
「そうじゃなくて……。あのね、兄さま、一緒に寝てもいいですか?」
「………………は?」
 コルテスが疑問の声を上げるまで、たっぷりと間が空いた。
 とんでもない爆弾を落としたシャリステラは、発言を訂正することなく、恥ずかしそうに胸元で手を握り合わせている。
「な…、え…、お前、もう添い寝が必要な年じゃないだろう」
 子供の頃ならよく隣で寝ていたが、青年期に入ってからはそんなことをした覚えはないし、周りも当然許さない。
「今まで一度もそんなこと言わなかっただろ、急にどうした? 一緒に寝たなんて親父に知られたら、俺が血祭りに上げられる」
 大人になってしまった今では隣で寝ただけでも大問題で、嫁入り前の嬢様に不埒なマネをしたと、半殺し程度にはされそうだ。
 普段は穏やかな分、激怒した時は心底恐ろしくなる父親の顔を思い浮かべて、コルテスは身震いした。
 シャリステラが眉間に皺を寄せた。
 何が彼女の機嫌を損ねたのか予想がつかなくて、コルテスは考えることを放棄した。
「お互いに子供じゃないんだ、一緒に寝ていいわけがないだろう。わかったら戻れ」
 シャリステラの背後にある扉を指し示す。
 しかし、彼女はそちらには向かわずに、さらに一歩近づいてきた。
「自分が子供じゃないってわかってます。兄さまだって、大人になったって言ってくれましたよね。わたし、だから来たんです」
 目の前にいるのは誰だろう?
 コルテスは目を疑った。
 確かに姿はシャリステラなのに、切ない表情を浮かべて迫ってくる彼女は別人のように儚く妖艶な気配を纏った女に見えた。
「兄さまには言ったことはなかったけど、偶に告白されるようになったんです。綺麗だとか可愛いだとか、褒め言葉と一緒にあなたが好きですって言ってくれるの。でもね、全然心に残らなくて困るだけで嬉しくないの。兄さまに綺麗になったって言われたら、信じられないぐらい嬉しくて舞い上がってしまうのにね」
 シャリステラの周囲にいるのは女性ばかりで、異性に言い寄られる心配をしたことがなかったため、コルテスは何度目かわからない衝撃を受けた。
 己の目が節穴だっただけで、シャリステラは美しく成長し、すでに大輪の花を咲かせて手折られる時を待っていた。
「して欲しいのは添い寝じゃないの。兄さまならわかるよね? もうすでに好きな人がいて、わたしのことをそんな風に見られないなら、今度こそ追い出して。そうしたら諦められるから」
 考える時間が欲しいなどと言い出せる雰囲気ではない。
 シャリステラは昔から、ひどく思い詰める性質の持ち主だ。
 コルテスは悩んで落ち込む彼女を心配して、一人で考え込むなとよく声をかけていた。
 今回も一人で思い悩んだ末に、おかしな結論を出したようだ。
 返事をする以前に、彼女がこの唐突な選択を迫るに至った過程を知る必要がある。
「シャリー、物事を悪い方に考えるのはお前の悪い癖だぞ。ここに座って落ち着いて話せ。お前の言っていることは、俺の一生を左右することだ、軽はずみに返事なんかできるか」
 コルテスはシャリステラの手を引いて、隣に座らせた。
 シャリステラはおとなしくベッドに腰を下ろした。
 俯いて座る姿が叱られた子供みたいに見えて、コルテスは無意識に彼女の頭を撫でていた。
「何がどうして、そこまで思い詰めた。俺にわかるように話してくれ」
 シャリステラは無言で俯いたまま、無意味に手の指を絡め合わせている。
「ユリエさん……」
 ようやく出てきた一言は予想外のものだった。
「ユリエがどうした? あいつが何か言ったのか?」
「何も言われていません。兄さまとユリエさん、仲が良いよね、いつも一緒に旅に出てるし……」
 口調から男女の仲を疑われていることに気がついた。
 異性で信頼関係があるとはいえ、互いにそういった関心はない。ユリエの男の好みは知らないが、少なくとも自分が該当するとは思えなかった。またそのことを残念に思うこともない。
「付き合いが長くて、気心の知れた仲だ。学校に行ってた頃は随分と世話になったし、今でもそうだ。目的が同じで、お互いが持つ不足を補えるからちょうどいい相棒なんだよ。行先によっては他のヤツも加わる。俺はユリエと一緒にいたいから旅に出てるわけじゃないぞ、向こうだってそう思ってる。そんなこと、最初からわかっていたことだろう」
 疑いの余地を残さぬようにはっきりと告げると、シャリステラは目に見えて落ち込んだ。
「そうだよね、ごめんなさい。最近急に不安になってきちゃって、兄さまがわたしや一族よりも大切な人を見つけて、どこか遠くに行ってしまうと思ったの」
「なんだ、信用がないな。俺がお前を置いて消えるわけがないだろう。俺が世界を見たいのは視野を広げたいからだ、いずれは族長になるシャリーをしっかりと支えられる男になるために必要な経験だと思っている。お前が族長に相応しい錬金術士になった時、守る立場の俺が頼りないなんて言われたら情けないからな」
「兄さまが旅に出るのはわたしを支えるため……」
 噛みしめるように、シャリステラが呟く。
「あまり言わせるなよ、恥ずかしくなるだろ。それより気になることを言っていたな、告白されたとか何とか……」
 落ち着いてくると問わずにはいられなかった。
 少し目を離した隙に悪い虫が集まっていたなどと、寝耳に水で聞き捨てならない。
「そ、それはもう終わったことです、すぐに断りました。兄さまが全然意識してくれないから、他の人はそうじゃないんだって言いたくなったの」
  「誰に褒められても困るだけで嬉しくなかったのに、俺の綺麗だって言葉一つで舞い上がったんだったな」
「ああ、うう…、言わないでください、恥ずかしい」
 先ほど見せた大胆さはどこへ行ったのか、シャリステラは顔を赤くして目を瞑った。恥ずかしがる姿でさえ愛しくなり、急激に彼女に触れたい欲求が高まった。
 シャリステラを大人の女性として見ていると、認めないわけにはいかなかった。
「俺は今、無性に悔しいと思っている。まだ蕾のままだと思い込んで、どこの馬の骨ともわからん男共に先を越されたんだからな」
「え……?」
 告白を断って何もなかったとしても、シャリステラへの求愛を他の男に先にされたという事実は変わらない。
「意識してなかったわけじゃない、まだ早いと思っていたんだ。俺はお前を生涯守っていくつもりでいるのに、伴侶の座を他の男に渡すはずがないだろう」
 幼い頃は同じ年頃の男と女はお互いしかいなかった。
 街に行けば、そうではないと知っていたはずなのに、旅に夢中で忘れていたことに、自業自得とはいえ腹が立った。
「シャリーが喜ぶなら褒め言葉ぐらい幾らでも言ってやる。その代わり、俺しか知らないお前を見せてくれ」
「あ、あの、それってどういう……」
 華奢なシャリステラの体は、少し力を入れただけで簡単に押し倒すことができた。




 視界が急に天井を向いていて、シャリステラは動転した。
 覆いかぶさってきたコルテスに気づき、驚いて動こうとしたが、彼の両手が逃げ場を封じていて身動きが取れない。
 武器を持っての立ち合いなら一度だけ勝ったことがあるが、純粋な腕力を持ち出されてはシャリステラに抗う術はなかった。
「兄さま、急にどうしたんですか?」
 改めて、シャリステラはコルテスとの体格の差を意識した。
 細く小柄な彼女と比べれば、戦士となるべく幼少の頃から鍛えてきた彼の体は頑丈な鎧のように大きくて逞しい。遺跡を徘徊する凶暴な魔物達を屠る強靭な手足は、シャリステラを守るものであり、決して傷つけることはない。
 それがわかっているから動けないように捕らえられても、驚いただけで恐怖心はなかった。
「散々迫っておいて、それを言うのか。シャリーが不安にならないように、ついでにこれ以上余計な虫が集らないようにするんだ」
 つい先程までの自分の行動を指摘されて、シャリステラは真っ赤になった。
 思い詰めて、らしくないことを半ば自棄になってやってしまっただけで、冷静になると同じことはできそうにない。
「テオ爺に血祭りに上げられるって、さっき…」
 彼自身が口にした拒絶の理由を言えば、コルテスは悟りきった目をした。
「覚悟は決めた。本気なら許してもらえるだろ、多分……」
 最悪の予想が当たり、仕置きを受けることになろうとも引く気はないようだ。
 そこまで言ってくれるならとシャリステラも気持ちが固まった。
「その時はわたしも一緒に怒られます」
「親父がシャリーに手を上げるわけないだろう、俺が死なないようにせいぜい祈ってくれ」
 茶化すように言った後、コルテスが顔を寄せてきたので、シャリステラは目を閉じた。
 頬に口づけられて、恥ずかしさで体中が熱くなった。
 これほど近い距離で触れ合うなんて、子供の頃にだってしたことがない。
 ぎゅううっと強く目を瞑って次の行為がくるのを待っていると、体の拘束が緩んで覆いかぶさっていた気配が消えた。
「兄さま?」
 そっと目を開けると、体を起こしたコルテスが気遣う眼差しで見下ろしていた。
「怖いか?」
「初めてだから何をするのかわからなくて緊張してるけど、兄さまだから大丈夫」
 コルテスはいつもシャリステラを気遣って守ってくれた。
 今も緊張で固まった彼女に気づいて止めてくれたのだろう。
 シャリステラも体を起こすと、彼に擦り寄った。
 引き寄せられるように唇を重ね合わせて、甘さを含んだ吐息を吐く。
 熱を帯びた瞳に互いの姿を映し、さらに近づいて肌を触れ合わせる。
 黄昏の空を流れる雲が月の光を消して、初めての夜を迎える二人の姿を闇が静かに覆い隠していった。




 心が通じ合い、結ばれたとはいえ、彼らの生活が大きく変わることはなかった。
 シャリステラは黄昏について調べながら街の人々から持ち込まれる依頼を解決していき、コルテスは見知らぬ街や遺跡を巡るために旅に出る。
 今までと違うことを挙げれば、彼女の左手の薬指に銀色のリングが填められていたことと、出発の前に誰も見ていない間に唇を触れ合わせるキスをしたことだった。
 休息の時を終えて、再び旅立つコルテスを見送るシャリステラは、憂いのない顔で笑みを浮かべた。




 ある日のステラード支部。
 今日も今日とて全ての事務机に書類が山となって積まれ、役人達が書き物をしたり、連絡や報告に出入りしたりと忙しなく働いていた。
 そんな彼らの一人であるシャルロッテが、隣の机に座る相棒に何気なく目をやると、見慣れないものがあることに気がついた。
「あれ? ステラって、そんな指輪してたっけ?」
 シャルロッテの疑問の声に、シャリステラに注目が集まる。
 多くの視線が自らに集まっていることを知ると、彼女は恥ずかしそうに指輪を填めた手を、もう片方の手で隠した。
「それに、その位置! 婚約指輪じゃない! まさか、知らないでつけてるの?」
 驚きのあまり、気遣いも忘れてシャルロッテは詰め寄った。
 少なくない数の告白を全て断っていたシャリステラに、いきなり恋人らしき影が現れたのだ。何かの間違いだと思うのは無理からぬことだった。
「間違いじゃないよ、そんなに大きな声を出さないで」
 注意しても手遅れで、同僚達や出入りのハンターらは知らぬ顔をしていても聞き耳を立てていた。
「いつの間にそんな人ができたの! 教えてくれたっていいじゃない!」
「隠すつもりはなかったんだけど、言い出す機会がなくて……」
「どこの誰なの! 大事な預かりものの、あたしのステラを誑かした男はー!」
 親友として、または家主として、シャルロッテは見過ごせない。
 相手の男の品定めをしてやると息まく彼女に、シャリステラは勢いに引きながら指輪の贈り主を白状した。
「指輪をくれたのはコルテス兄さまなの、街の人達にもすぐにわかる約束の証だって言ってた。ついこの間まで全然気がつかなかったの、わたしって子供の頃から兄さまが好きだったのよ。どんな人と出会っても、心が動かないのは当たり前ね。わたしの気持ちはすでに決まっていたんだから」
 指に光るリングを愛おしげに撫でて、シャリステラは幸せそうに笑った。
 シャルロッテのテンションは下がり、口から砂を吐き出しそうなうんざりとした顔になった。
「そうですか、それは良かったですねー」
 棒読み口調で拗ねるシャルロッテ。
 最初から最後まで、蚊帳の外に置かれていたことが悔しかったらしい。
「ご、ごめんね、ロッテのことが信用できなかったわけじゃなくて、わたしもよくわかってなくて、自覚したのも気持ちが通じ合ったのもいきなりだったから、いつ打ち明ければいいのかわからなかったの」
「ふーんだ、あたしだって内緒でこっそり恋人を作って、ある日突然指輪を填めて驚かしてやる!」
 無理だろうと、その場にいた全員が思った。
 常に賑やかで、素直過ぎて隠し事の下手なシャルロッテに、内緒で異性と付き合うなどと器用なマネができるはずがない。
 シャルロッテは立ち上がると、財協組合のカウンターの方へ向けて、声を張り上げた。
「ラウルさーん! あたしと内緒で恋に落ちよう! そして指輪を買ってください!」
 彼女がラウルを選んだのに深い意味はない。
 独身で、それなりに収入があって、ただそこにいたからだ。
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ! こんなに大勢いる前で大声だして秘密にする気があるのか! しかも指輪目当てがあからさま過ぎる! 他を当たれ!」
 シャルロッテが本気ではないとわかっている故に、返事は辛辣なものだ。
 しかし、ただの当てつけで言っているシャルロッテは気にしない。
「えーと、じゃあ、ソールさんでもいいや」
 でもって何だと周囲に突っ込まれながら、シャルロッテは標的を変えた。
 ソールは常と変わらない無表情で彼女を見ると、首を横に振った。
「お断りします。それよりあなたに任せた調査の方はどうなっていますか? 期限は切られていませんが、簡単な案件に時間をかけ過ぎるのも信頼を損ねる一因となります。他の方もさっさと仕事に戻ってください、持ち込まれる依頼や報告はこうしている間にも溜まっていくのですからね」
「はいっ!」
 ソールの静かな叱責の声が、シャルロッテのみならず、全員の意識を引き締めた。
 シャリステラも慌てて成すべき依頼の確認を始める。
 書類を持った腕を持ち上げると、填めたばかりの指輪が目についた。
 二人で選んだことを思い出して頬を緩ませる。
(体は離れていても、心は繋がってる。わたしの心に兄さまがいるように、兄さまの心にもわたしがいるんだ)
 どれだけ遠く離れても不安はない。
 コルテスは誓いを守る人だから、シャリステラは彼との未来を信じることができた。


END


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