ぼんやりとした明るさが部屋を包む頃。クリフトはふっと目を覚ました。
薄暗い室内を瞳だけで確認する。静まり返った部屋には、誰の気配も感じられない。
クリフトはそっと身体を起こすと、もう一度ぐるりと室内を見回した。
「鷹耶‥さん?」
彼の姿は部屋になかった。自らの姿を顧みれば、服の乱れは整えられ、肌もきれいに拭
われている。…傷口もホイミで治療してくれたようだった。
「…ッ。痛っ‥。」
それでも。慣れない行為に筋肉が悲鳴を上げ、身体が軋む。ベッドから出たクリフトは、
窓際に移動すると、白々と明ける朝の空を静かに眺めた。
ひっそりと寝静まった宿をそっと出たクリフトは、ゆっくりと昇り始めた朝日を見つめ、
しばらく足を止めた。柔らかな陽差しが徐々に村を照らしてゆく。ゆったりとした空気が
身を包むのを思いながら、クリフトは再びのんびりと歩き出した。
村の外れにある小さな教会。古ぼけた教会は、大きな樹木に守られるよう、ひっそりと
佇んでいた。
キイ‥。金具が軋むような音を立てながら、扉がゆっくりと開く。クリフトは無人の礼
拝堂にそっと足を踏み入れた。
コツコツと足音が祭壇へ向かってゆく。祭壇前でゆっくりと膝をついたクリフトは、祈
るように手を合わせた。
「‥‥‥‥」
「‥おや? 朝早くから熱心ですね。」
クリフトの長い祈りは、この教会を預かる神父の声が終わりの合図となった。
「…あ。すみません、勝手に入り込んでしまって。…ッ。」
やって来た神父に慌てて立ち上がろうとしたクリフトだったが、急な動きに軋む躯が悲鳴
を上げた。
「おや‥大丈夫ですか?」
年配の神父が気遣うよう手を差し伸べると、近くの長椅子へと彼を誘った。
「あ‥はい。すっかり夢中になってたようで‥。」
「そのようですね。あなたも教会に縁があるようお見受けしますが、旅のお方ですか?」
「はい‥。サントハイム教会の神官を務めております。」
二人は長椅子に腰掛けると、お互い名乗り合った。
「…え? それでは、あの夢について、神父様も調査を?」
例の不思議な夢について話が及ぶと、神父から意外な答えが返って来た。
「ええ‥まあ、調査という程しっかりしたものではありませんがね。あの夢を見たとい
う村人の証言を書き留めてあるんですよ。なんせ相手が[夢]だけに、時と共に記憶
が薄らいだり変換したりしかねませんからねえ。」
「そうですね。実際昨日村人に訊ね回って見ましたが、感想はマチマチでした。」
「そうでしょう。話をする時点で、どうしても見た者の主観が混じって伝わっていきま
すからね。出来るだけシンプルに、発信されてる夢の形を留める為に、村人の話を集
める事にしたんです。」
「あの‥差し支えなかったら、私にも見せて頂けないでしょうか?」
「ええ‥構いませんとも。」
クリフトは神父が書き溜めた夢の話に目を通した。
「はあー。こうして文章で見直すと、改めて夢が蘇りますね…。」
一通り目を通したクリフトが、感心したように嘆息した。
「…赤い瞳に銀髪の魔族ピサロと、淡い桜色の髪をしたエルフの少女ロザリーですか。
…この少女がエルフというのは、どこから‥?」
「彼女から感じる気配は、明らかにピサロとは違って居ました。彼が魔族であるのは間
違いないでしょう。そして、他にあの特徴ある耳を持つ種族として知られてるのは‥」
「エルフ‥という訳ですか。」
「…わしの子供の頃ですが。エルフに逢ったという旅人が居りました。‥大きな大きな
大木の麓にひっそりと在るという、エルフの村の話。エルフ達は見事な薄紅色の髪を
靡かせて、風と戯れ躍っていた…と、夢見るよう語っていたのを、よく覚えてます。」
「エルフの村…。あの塔はそこに在るのでしょうか?」
「さあ‥どうなのでしょうね。」
「‥いろいろとお話ありがとうございました。長々とお邪魔してしまって。」
「いやいや。こちらこそ、年寄りに付き合わせてしまいました。」
クリフトが教会を出る頃には、すっかり陽が昇りきっていた。
鳥たちの呼び合う声が辺りに木霊する。既に朝の仕事を始める村人の姿も、チラホラ見
受けられた。
宿に戻ると、食堂が始まったばかりらしく、宿の女将さんがせっせと料理支度を始めて
いた。
「おはようございます。」
「おはよう、早いねお客さん。昨夜はしっかり休めたかい?」
「あ‥はい。あの…食事、もう出来ますか?」
「ええ勿論。何になさいます?」
ぱたん‥。スープだけの軽い食事を済ませたクリフトは、一旦部屋へと戻った。
朝の光が降り注ぐ室内に、鷹耶の姿はない。
「鷹耶さん…」
クリフトは大きく嘆息すると、先程寝ていたベッドに腰を下ろした。
隣にある整えられた寝台に、昨晩の情事の名残はない。
(どうして‥‥?)
昨晩から何度も過った問いかけが膨らむ。
「やっぱりあの夢が‥‥。夢? …そういえば‥‥‥」
ぽつりと呟くクリフトが、ある事を思い出した。
――あの時。鷹耶さんが言ってなかったか? 自分の村を滅ぼした者の名を!
バルザックを倒した後、辛そうに滅ぼされた村の話をした鷹耶。
それを憶い出したクリフトが、バッと立ち上がった。
――そう。確かに言っていた。村を滅ぼしたのはデスピサロだと!!
「デスピサロ‥‥ピサロ…。…同一人物‥なのか?」
仇が夢に現れた事で動揺して? それで…?
「それで鷹耶さん、あんなに‥」
クリフトはきゅっと拳を握り締めると、気持ちを切り替えるよう頭を振って部屋を出た。
今日の出立は朝食後‥と昨夜打ち合わせてあったので、クリフトは宿を出ると馬車に向
かった。
出る前に顔を出した食堂にも、馬車にも、鷹耶の姿はなかった。
「おはようクリフト。早いな。」
「おはようございます、ライアンさん。」
ライアンが到着すると、その後もメンバーが集合し始めた。
トルネコ・ブライが揃って来た所で、馬車の用意を整え、その頃合いを見計らったよう
にミネア・アリーナ・マーニャがやって来た。
「後は鷹耶だけね。今日はクリフト一緒じゃないんだ?」
「あ‥ええ。」
マーニャの問いかけに、クリフトが途惑いがちに答えた。
「あ‥。来たみたいよ。鷹耶〜!」
宿とは反対の道からやって来た人影に、アリーナが手を振った。
「…皆揃ってるみたいだな。じゃ‥行くぞ。」
鷹耶はそれだけ言うと、さっさと御者台に乗り上げた。ライアンが手綱を手に隣へ座る。
他のメンバーは幌へ乗り込むと、早速馬車が走りだした。
「ねえねえクリフト。」
馬車後方に陣取った女性陣。アリーナがこっそりとクリフトに声をかけて来た。
「鷹耶、なんか機嫌悪いね?」
「はあ…。そうですね‥。」
ひっそりと耳打ちするアリーナ。クリフトはそっと御者台へ視線を移すが、積み荷に遮ら
れ、彼の様子は窺えなかった。
「昨夜の夢が原因なのかなあ‥?」
「…恐らく。」
「…あのピサロってさ。私たちが追っているデスピサロの事よね?」
ぽつんと言うアリーナを、クリフトが凝視めた。 凝視め→みつめ
「どうして‥それを…」
「ああうん。朝起きてからさ、マーニャやミネアと話したんだ。その時にね。
夢の検証、ちゃんとしたいんだけど、出来るかなあ…?」
「さあ…うわっ!」
ガクン‥と馬車が止まり、幌が大きく揺れた。
「アリーナ・マーニャ! 魔物だ! 出てくれ!」
鷹耶の声が届く。呼ばれた二人は弾けるよう馬車から飛び出した。
幾度か戦闘をこなしながら、一行は夕刻には目的のバトランドへ入る事が出来た。
「‥城へ向かうのは明日だな。仕方ねーや。今夜は城下町の情報収集やって、明日の朝
食後ミーティングをやる。…以上、解散。」
宿のカウンターから戻って来た鷹耶が、今後の予定を話した。
持っていた部屋の鍵を三つ、アリーナへと渡す。
「‥そいつが三人部屋の鍵だってよ。後はツイン部屋だ。」
「…鷹耶、シングル取ったの?」
彼の手のひらに残る鍵を見ながら、アリーナが訊ねた。
「ああ。まあな。たまにはいいだろ?」
「…ええ、そうだけど。」
言い淀むアリーナを置いて、踵を返した鷹耶はさっさと場を去ってしまった。
「わしらも部屋に落ち着くかの。姫様、鍵を下され。」
「あ‥うん。はい、ブライ。」
「じゃ‥アリーナ、あたしたちも行こうか。」
呆然と鷹耶を見送るクリフトを横目で見ながら、マーニャが彼女を促した。
アリーナ・マーニャ・ミネアが部屋へと向かう。ブライから鍵を一つ受け取ったトルネ
コが、ライアンと共に歩き出した。
「クリフト。わしらも行くぞ。」
「…あ、はい。」
ひっそりと吐息をついた後、クリフトはブライの後をついて部屋に向かった。
「はあ‥‥。」
荷を置くと早速情報収集に出掛けて行ったブライを見送り、一人部屋に残ったクリフト
は、力が抜けたようベッド端に腰を下ろした。
(…今日は一度も顔を合わさなかったな。)
今日の戦闘で前線に立つ事がなかったのは、自分の身体を気遣ってくれてるかとも思えた
のだが。部屋も別に取ってる所を見ると、そうでなく、自分と顔を合わせたくなかっただ
けでないのか‥そう思えてくる。
まあ。今日は自分だけでなく、他のメンバーも寄せ付けずにいた鷹耶だったのだが‥。
「…情報収集、僕も行かなくちゃ‥。」
正直身体が重かったが、クリフトは身体を叱咤するよう立ち上がった。
「‥‥! あいつ‥‥。」
部屋の窓からぼんやり外を眺めていた鷹耶は、宿から出て行く人影に舌打ちした。
「あんなに青い顔してたのに。なんで…」
昨夜ひどい事をしてしまったという自覚はしっかり在る。だからこそ、昨夜の憤りが鎮ま
らないままの鷹耶は、彼の側に寄らず済ませる事で、辛うじてのバランスを保っていたの
だ。…側にあれば、傷つけてしまうコトを恐れて。
鷹耶は彼が向かう方角を見定めてから、窓辺を離れた。
重い足取りで宿を出たクリフトは、しばらく進むとグラリと視界が歪むのを感じた。
「あれ…?」
貧血かな‥不味いなあ…そう思いながら、クリフトは側にあった街路樹に寄りかかる。
ふと顔を上げると、近くに教会が見えたので、そこで少し休ませて貰おうかと、クリフ
トはふらつく足取りで歩き出した。
霞む視界の中、思考までが鈍ってゆく。教会を囲む壁に身体を預けたクリフトは、ほーっ
と息をついた。茜色に染まり始めた空。遠くに見える山並みが濃く陰を落とし始めたのを
瞳に映しながら、彼は遠い日を想った。
世界のコトがいろいろ知りたくて。両親に無理を言って入れて貰った神官学校。
元々あまり身体が丈夫でなかったクリフトは、慣れない寄宿学校での生活に、最初は随
分と苦労した。城下町のサランには、クリフトが幼い頃、彼の村の教会に務めていた神父
がいたので、体調を崩した時に何度か世話になった事もあった。
ふと、そんな事を憶い出したクリフトが、自嘲気味に微笑をつくる。
「…昔のコトなのにな‥」
寝込むコトなど現在ではほとんどなくなっていたのに‥と、己の不甲斐なさに嘆息する。
クリフトは壁に預けていた身体を起こすと、歩き出そうと足を踏み出した。
グラリ‥視界が揺れ、かくんと膝を着くクリフト。そのままゆっくりと地面に倒れてゆ
く身体は、駆け寄った人影に支えられた。
「…ん。…あれ‥?」
目を覚ますと、見知らぬベッドに横になっていた。
「どこだろう…?」
きょときょと辺りを見回す。ベッドの他には小さなサイドテーブルが置かれただけの質素
な部屋。テーブルに飾られた可愛らしい花が彩りに添えられ、小さな明かりの中に浮かん
でいた。
クリフトはそっと身体を起こすと、部屋を静かに出た。
廊下を進むと明かりのこぼれる方へ足を向ける。食堂へ導かれたクリフトは、食事の用
意をしている神父の姿を見留めた。
「おや‥。気が付かれましたか? ご気分はいかがです?」
「あ‥はい。すみません、すっかりお世話になってしまったようで。もう大丈夫です。」
クリフトはぺこりと頭を下げると、にっこりと話した。
「ここは‥教会ですか?」
「ええそうですよ。教会の前に倒れていらしたとかで、旅の方がここへ運んで下さった
のです。」
「旅の‥?」
「ええ。珍しい緑の髪をした青年ですよ。あなたを運ぶと、すぐ立ち去ってしまわれま
したが…。」
「…そうですか。」
それが鷹耶だと知ったクリフトが、安堵の笑みを浮かべる。
「…たいしたもてなしは出来ませんが、よろしければご一緒にいかがですか?」
神父がクリフトに席を進めた。テーブルには香りのよいポタージュスープと焼きたてのパ
ン、リンゴサラダが乗っかっていた。
「ありがとうございます。それでは‥お言葉に甘えさせて頂きます。」
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