その5
「…あ。クリフト、こっちこっち!」
酒場へと入ると、奥のテーブル席から神官服を纏った青年が彼を呼んだ。
「マーカス。…すみません、お待たせしてしまいました?」
クリフトは奥の席へ向かうと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「オレも今来たばかりさ。先に話済ませるか?」
近寄って来た店員を一瞥すると、青年が訊ねた。
「ええそうですね。」
「んじゃ‥アールグレイ二つね。」
「はい‥畏まりました。」
店員はぺこりと会釈をすると、場を離れた。
「あ‥勝手に頼んだけど、よかったかな? お前‥紅茶等だったよな?」
「ええ。…それにしても。この時間に、随分空いてますね…?」
「ああ。今町に旅芸人の一座が来ていてさ。
今日で最後の公演らしいから、そっちへ行ってるんだと思うよ。」
「そういえば。広場に見慣れないテントがありましたね。」
「そうそう、あれ。意外に評判良くてさ。こんな時代だからな。
久しぶりの明るい話題で、町は持ち切りなんだ。」
「そうですか‥。」
「お待たせいたしました。」
暖めたカップが二つとティーポットが一つ、静かにテーブルに置かれた。
「…でな。お前に頼まれた件、教会サイドの情報で調べてみたんだが…」
頼んだものが届くと、青年は早速話を始めた。
「あら‥鷹耶!」
「マーニャ‥。なんでお前がここに?」
「鷹耶こそ。」
旅芸人が公演を行ってる場所は、すぐ分かったので、鷹耶は宿を出るとまっすぐその場
所へと足を延ばした。
テントの近くまで来ると、一座に混じって話し込んでた彼女が、声をかけて来た。
「え‥鷹耶? 鷹耶って…あの子?」
「あ‥あんた‥。…名前なんだっけ?」
「…アイシャよ。薄情な子ね。」
彼女の隣に居た踊り子が、呆れたように苦笑した。
「あら‥アイシャ、鷹耶を知ってるの?」
「ええ。マーニャこそ。…あ。もしかしてずっと探してたとか言うのって‥‥彼?」
「そういう事になるわね。」
「はあ〜。世間て狭いのねえ…。あの時の坊やがねえ‥。」
「誰が坊やだよ。」
「ふふ‥。オルガから話聞いてるわよ?」
「‥‥!」
「え‥オルガって、エンドールの?」
「マーニャもあいつを知ってるのか!?」
「面識はないけどね。名前くらいなら‥。で? 彼がどうしたの?」
「別になんでもねーよ。アイシャ! 何聞いてるか知らねーけど、マーニャに余計な事
言ったら承知しねーぞ!!」
真っ赤な顔で、鷹耶がアイシャに詰め寄った。
「はいはい。すっかり元気そうじゃない。安心したわ。」
彼の両頬を手のひらで包み込んだアイシャが、額を付けた。
「ルーエルに会いに来たの?」
「あ‥ああ。」
「彼なら向こうでファンの女の子に囲まれてるわよ。」
「‥サンキュ。」
「…で。どこで会ったの?」
鷹耶が去った後、マーニャが訊ねた。
「ああ。ブランカに向かう途中でね。たまたま一晩一緒したんだよ。すっごく暗〜い子
でさ。一人旅だったから、無事目的地だって言うエンドールに着けるかどうか、気に
病んだもんさ。」
「そう‥。きっと、あたし達と会う前だね。確かに‥会った頃は暗かったかも…。」
「大分落ち着いたんだね、彼も。…マーニャ。あんたいろいろいじめてるだろ?」
「あたしアイシャ程人悪くないもの。あんなにあいつ慌てた所、初めて見たわよ?」
「へえ‥そうなんだ。ふふふ‥。」
「あ‥ずる〜い! 独りで楽しんでないで、あたしにも教えてよ。」
「…そうですか。そんな事に‥‥。」
酒場。神学校時代の旧友に、サントハイム城についての情報を聞かされたクリフトは、
彼の話が終わると、大きく嘆息した。
「ああ…。実際大教会の司祭様達も、あの事件でいなくなってしまわれたろ? 残された
者だけでは、任された地区を見るだけで手一杯で…。姫様も城を空けたままだし‥。
そうそう。今は戻ってらっしゃるんだろ? このままお帰りになられるのかな?」
「…いえ。城の事件の黒幕らしい者を追ってますから、まだ…。」
「…そうだよな。その為に大変な旅をなさってるんだもんな。」
マーカスはしんみりと話すと、気持ちを切り替えるように、カップに残っていたアールグ
レイを飲み干した。
「まあ。難しい話はここまでにして。何か食おう。時間、まだ大丈夫だよな?」
「あ‥ええ。」
早速と、マーカスは酒とつまみになるような料理をいくつか見繕って注文を入れた。
まず運ばれて来たジョッキには、並々と麦酒が注がれていた。
「ではまあ‥久々の再会を祝して、乾杯と行こう。」
ジョッキを手に持つと、クリフトを促す。
「…お酒ですか?」
「一杯くらい付き合えよ。またいろいろ調べとくからさ。労ってくれてもいいだろ?」
「くす‥。確かに感謝してますよ、マーカス。ありがとうございました。」
「んじゃ‥乾杯。」
かつ…。お互いのジョッキが軽く触れ合った。
マーカスはぐいっと一気に煽り、クリフトは少しづつ口へ運ぶ。
二人は次々と運ばれて来た料理に手を伸ばしながら、お互いのペースで酒が進んだ。
「…なあ、所でさ。」
二杯目のジョッキがほとんど空になる頃、マーカスがふと切り出した。
「その後。姫様とはどうなんだ‥?」
「ブッ‥こほ…。な‥何言ってるんです、マーカス?」
口につけた麦酒をむせさせながら、クリフトが慌てる。
「まあまあ。お前が彼女に入れ込んでたのは、当時の学校の人間なら皆知ってる事さ。」
「ええっ?! そ‥そうなんですか…?」
「そうなんですよ。」
真っ赤な顔で項垂れるクリフトを愉しそうに見たマーカスが、きっぱり答えた。
「で‥? どうなんだ? 何か進展あったか?」
「マーカス‥。下世話じゃありませんか…?」
「何言ってるんだ? 基本的な人間の欲求はあって当然だろ。神職者だろうとな。」
「そ…うかも知れませんけど。姫様にそんな…。」
「う〜ん。相変わらず真面目だなあ、クリフトは。」
「あれ‥? クリフト?」
赤く俯く彼に、店に入って来た二人連れの片方が意外そうに声をかけた。
「…鷹耶さん。」
「鷹耶、知り合いですか?」
彼と一緒にやって来た青年が、後ろから顔を覗かせた。
「あ‥ああ。ルーエル、今一緒に旅してる仲間のクリフトだ。
クリフト、前に話したルーエルだ。…それで、彼は?」
クリフトと向かって座る青年を気にするように、鷹耶が訊ねた。
「あ‥はい。彼は神学校時代の旧友マーカスです。マーカス、こちらが今我々と共に旅
をしているパーティのリーダー、鷹耶さんです。」
鷹耶とマーカスは小さく会釈を交わした。
「…昔馴染みじゃ、積もる話もあるだろ? 邪魔しちゃ悪いからな。じゃ‥。」
鷹耶はそう言うと、彼らから離れた空いてるテーブル席へと向かった。
ルーエルもクリフトとマーカスに小さく会釈をし、後に続く。
そんな彼の姿を、クリフトはいつまでも目で追っていた。
金色の長い髪が印象的な、線の細い人。聞いていたよりずっと魅力的な微笑み…。
「…クリフト? ‥どうかしたか?」
顔色を窺うように、マーカスが訊ねた。
「…あ、いえ…。なんでもないです‥。」
「…なあ。あいつさ…お前の何?」
「え…?」
「いや‥さ。すごい顔で睨まれたからな。気になってさ…。」
「べ‥別に…。ただの‥仲間です。」
「ふ‥ん…。ただの…ね‥。そういやさ‥‥」
彼らが向かった席をちらりと窺った後、小さく零すと、マーカスは話題を変えた。
「気になりますか?」
席に着き頼んだ酒が届くと、ルーエルが愉しげに問いかけた。
「一緒に居た奴がさ。危なそうだから…ちょっとな‥。あいつ鈍感だし…。」
「くす…。あの彼が、先程話してた方なのでしょう? 可愛い方ですね。」
不愉快そうな鷹耶に、小さく笑った後、微笑んだ。
「…まあな。」
「ふふ…。本当に元気そうでよかった。オルガもびっくりしてたでしょう?」
「ああ。あいつも相変わらず元気そうだったな。…あんたらには、本当世話になったよ。」
鷹耶は笑んで見せると、ジョッキを傾けた。
「エンドールで再会出来たら、三人で飲めたんですけどね。」
「冗談だろ? 二人と一緒に飲んだら、俺悪酔いしちまうぜ。」
残念そうに言う彼に、うんざりした口調で鷹耶が呻いた。
「ふふ…楽しそうじゃないですか?」
「ああ‥そういう奴だよな、お前って。天使の微笑みの正体知ったら、さっきの女達は
さぞやショックを受けるだろうよ。」
「…あいつが気になるか?」
マーカスが静かに訊ねた。
「さっきから、全然箸が進んでないだろ。そいつも減らないしさ。」
彼が両手に持ったままでいるジョッキを指し、嘆息する。
「そんなこと‥ないですよ?」
クリフトはジョッキに口を付けた。
「…あいつには、気をつけた方がいいよ?」
「え…。」
「…お前はさ。気づかなかったろうけど。学校時代さ‥お前、人気あったんだぜ?」
マーカスはポツリと話し始めた。
「特に上級生から、圧倒的な支持があってな。
無事卒業出来たのが不思議なくらい、もてまくってたんだ。」
「え…? 何言ってるんです? 神学校は男子ばかりで…」
「そう。男子ばかり。規律の厳しい寮生達の日々の潤いが、可愛い生徒に向かってしま
っても、不思議はない。」
彼はジョッキを空にすると、追加を頼んだ。
「知ってるか? 出回っていたブロマイド。一番人気はお前のだったんだぜ?」
「…う‥そだろう…。」
目を丸くさせたクリフトが、赤い顔で呆れ返った。そんな物があった事すら初耳なのだ。
到着したお代わりのジョッキは二つ。マーカスは、僅かに残っていたクリフトのジョッ
キを空にすると、彼にも新しいジョッキを手渡した。
「…まあな。危ない先輩は極力近づけないようにして来たし。大抵の連中は、姫様に夢
中なお前を墜とせる自信もなくて、愛でて楽しんでただけだけどな。」
「‥‥‥‥‥。」
クリフトは知られざる学校の姿を聞かされ、衝撃を押し止どめる様に、コクコクと麦酒を
含んだ。
「…でも。今のお前見てると、ちょっと危ないかな…って。」
「…何故です?」
「う‥ん。以前はこれっぽちも漂わせなかった色気がさ‥あるんだよ。」
「え…?」
「だからさ。姫様と何か進展でもあったかな…と。」
「…なんで。そこで姫様が出るんですか。」
頬に朱を走らせながら、麦酒を煽るクリフト。
「…それとも。別に彼女作ったのか?」
「そんな人‥居ませんよ。」
「じゃ…あいつは‥?」
確信を突くように、密やかな声で訊ねた。
「…別に。なんでもありません。」
一瞬固まった様子を隠すかのように、平静にクリフトは返した。
「そうかなあ…?」
「どうしてそこだけ、深く訊いてくるんです?」
「別に‥気のせいだろ?」
「マーカスって、結構意地悪だったんですね。」
口元の笑みを見逃さなかったクリフトが、拗ねたように零した。
「なんで?」
「僕を困らせて、楽しんでるでしょ。」
「あそこ…大丈夫ですかね?」
ルーエルが、ピッチの速まった様子の席を目で指した。
「ああ‥。ちゃんと連れ帰るさ。」
「くす‥。本当に大切なんですね…。」
「…まあな。」
「彼…私の事、気にしている様子でしたよ? …何か話したんですか?」
「え…ああ。お前の事は知ってるよ。ほとんど話したからな‥。」
「なんでまた‥真面目な彼にそんな話を…?」
彼は呆れるように眉を寄せた。
「んー。成り行きでな。…不味かったか?」
「普通しませんよ?」
ルーエルが苦笑した。
「‥まあでも。意外に脈あり‥なんじゃないですか? 実は。」
「え…?」
「…ま。何の根拠もない、勘‥ですけどね。」
「‥んだよ、それ?」
軽く流す彼に、鷹耶が苦く笑った。
鷹耶は残っていた麦酒を飲み干すと、そのまま立ち上がった。
「今日は会えて良かった。一座の連中にもよろしくな。」
「ええ。私も、鷹耶の元気そうな姿を見て、やっと安心しました。…道中お気をつけて。」
差し出された手を握り返したルーエルが微笑んだ。
「ああ…。そっちこそな。オルガにもよろしく伝えてくれ。」
同じように笑んで返すと、じゃあ‥と席を離れた。
そのままクリフト達の席へと向かう彼を見送りながら、ルーエルが小さく吐息を落とす。
以前とはまるで違う、強い瞳で笑んだ彼は、とても頼もしく映っていた。
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