5
「…う、ああっ‥!」
ガバリ。鷹耶がベッドから跳ね起きた。
明かりを落とした真っ暗な部屋の中、荒い呼吸が繰り返される。
じんわり滲む嫌な汗を身体中で感じながら、鷹耶は深呼吸で乱れた息を整えた。
ここは洞窟の中程にある異空間の宿屋。
疲れた身体をしっかり休めようと、早々にベッドへ入った彼だったが、深夜(?)ひどい
夢に魘されて、目を覚ましてしまった。
鷹耶は呼吸が幾分落ち着くと、隣へ視線を向けた。彼と同室となったのはピサロ。
「…起きてたのか?」
身体を起こしこちらへ足を投げ出すようベッド端へ腰掛けてる彼に気づき、鷹耶が低く話
した。
「…随分長く魘されてたな。」
「‥‥‥愉快じゃねー夢、見てたからな。」
ぷい‥と目線を外し、鷹耶が仏頂面で答える。真っ暗な室内だったが、目が慣れて来ると
彼の視線がすべてを見透かすよう己を捉えていて、居心地悪かったのだ。
ピサロは無言のまますくっと立ち上がると、彼のベッドの前へと移動した。
「‥まだ気が乱れているな。…眠れぬ‥か‥?」
震えの治まらぬ彼の肩に、ピサロの手が止まる。鷹耶はビクンと大きく躰を跳ねさせた。
「‥構うなよ。あんたは休んでくれていーから。」
うざったそうに彼の手を払い、鷹耶がぞんざいに言い捨てる。
ピサロはそれを気に掛ける様子もなく、鷹耶のベッドへ腰を下ろした。
「…なんで、俺に構う訳?」
「隙だらけの貴様が興味深くてな。」
呆れる鷹耶に、ピサロが人の悪い笑みを浮かべて返す。
「…というのもあるのだが。対戦を控えてるのに、寝不足は不味かろう?」
「‥今晩は多分、もう眠れねー…」
静かに話す彼に毒気を抜かれた鷹耶がこぼした。
「ならば‥」
ピサロは徐に掌を彼へ翳すと、呪文を唱えた。
「…効かぬ‥か。重症だな‥‥‥」
強力な眠気を誘う呪文がまるで効果を表さず、ピサロが嘆息する。
「酒でも調達して来るか。」
そう言うと、彼は腰を上げスタスタ戸口へ向かった。
ほどなくして。
彼は酒瓶を2本携え戻って来た。
「‥本当に酒貰って来たのか?」
鷹耶がなんとも言えない表情を浮かべ、魔王をみつめる。
再び彼のベッドへ腰掛けたピサロは、サイドテーブルに置かれたグラスに酒を並々注ぐと、
それをぼんやり眺めていた鷹耶に手渡した。
「あ‥ああ。…サンキュ。」
鷹耶は渡された透明な液体が揺れるグラスを口元へ運び、くぴ‥と含んだ。
試すようにほんの1口だけ含んだ液体は、喉を通ると焼けつくよう熱を帯びて流れる。
「‥これ、かなり強くないか?」
辛い‥といった表現がピタリとくる味わいに顔を顰めさせ、鷹耶が感想をこぼした。
「そうか? …お子様には強かったか?」
「誰がお子様だ‥!」
しれっと返すピサロに、鷹耶が口を尖らせる。
「生まれて10数年しか経っておらぬのだろう?」
「‥そーゆーあんたはどうなんだ?」
「122‥だったか。まあ、あのサントハイムの爺さんの倍は生きてるな。」
「ふ〜ん。そっか…あんたって、見た目あれだけど、ブライよりジジイだったんだ。」
コクコクとゆっくりグラスを傾けながら、鷹耶がクスクス笑った。
「年寄りこき使ってたなんて、悪かったな。」
「ふん‥人間と同じに考えて貰う必要はない。私など、まだまだ若輩だ。」
「いやいや‥無理しなくていいから。部屋割りブライ達と一緒の方が落ち着いたんじゃな
いか? 実は。」
「ほお…。なかなかいい度胸だな、鷹耶?」
あくまで年寄り扱いしたがる鷹耶に、ピサロが声を低めて口の端を上げた。
ギクン‥と身体に緊張を走らせる彼の肩に腕を回し、ピサロがその手で彼の頬に触れる。
「…あの、な‥ピサロ。」
タラタラと内心冷や汗をかきながら、鷹耶が吃りがちに話す。
「なんで…俺の名前、呼ぶんだ? …すっごく嫌なんだけど‥?」
他のメンバーの名など口にした事ないピサロが、時々気まぐれに鷹耶の名を口にする。
鷹耶はそれがどうにも落ち着かなくて、ひどく苦手だった。
「貴様が嫌がるからだろ? 何故そうも、名を呼ぶ度に固まるのだ?」
「‥んなの、俺にだって解んねー。」
グラスの酒を煽ると、おかわりを告げるようピサロへ差し出した。
ピサロは黙って受け取ると、身体を離し酒を注ぐ。
またグラスいっぱい注がれた酒を、鷹耶はゴクゴク煽った。
「あんたは飲まねーの? …ってかさ。こんだけ強い酒持って来るんなら、肴も欲しかっ
たな‥と思うのは、俺だけか?」
あまり進んでない様子のピサロに、鷹耶が仏頂面のまま語りかける。
「肴‥か。私は貴様で間に合ってるが?」
不機嫌顔が愉しいと揶揄かうようピサロが笑った。
「俺はあんた見てても楽しくないし。腹の足しにもならねー。」
むしろ悪酔いしそうだ‥と文句付けつつグラスを傾ける。ピサロもグラスを空にすると、
コトンとサイドテーブルへ置いた。
「文句の多い奴だな‥。」
呆れたようにこぼすピサロが、鷹耶からグラスを奪った。
「‥んだよ? まだ飲んでるんだ‥‥‥っ!」
返せとばかりに手を伸ばした鷹耶を躱し、グラスの酒を口に含んだピサロが、彼の口を塞
いだ。
「ふ‥く‥‥‥」
不意打ち食らって口内まで侵入された舌が、悪戯するよう巡ったかと思うと、送り込まれ
た酒が喉を滑ってゆく。ごくん‥と嚥下したのと同時に、ピサロは唇を解放した。
「‥油断ならねー奴だな、本当…」
顔を顰めさせ、鷹耶がぽつんと呟く。
「肴の代わりの戯れ事だ。‥少しは愉しめたか?」
「全然。俺、あんたとキスしたくないし。」
口の端を上げ訊ねてくるピサロに、賺した口調で鷹耶が答える。 賺した→すかした
「そうか。」
「…あんたは楽しい訳?」
「かなりな。」
「ふうん‥。クリフト狙いかと思ったんだけど…」
「坊や相手でも愉しめそうだがな。」
クス‥と含んだように微笑いながら、ピサロがこぼした。
「‥手出すなよ? あいつには、絶対‥!」
ギロっと彼を睨みつけ、鷹耶が低く威嚇する。
「貴様なら‥いいのか?」
意外に動じた様子を見せない鷹耶に、ピサロが愉しげに話した。
顎を捉えたピサロが覗き込むよう顔を近づけて来る。
「…キスだけ‥だぞ。」
鷹耶は逡巡した後ぼそっとこぼし、瞳を閉じた。
ふわりと重なった唇が、その形を確かめるよう触れ、啄んでくる。くすぐったさに微笑い
がこぼれると、その隙間から舌が差し入れられた。
「…ん。‥ふ‥‥‥」
ゆっくり口腔を巡る舌が鷹耶のそれに絡みついて来る。最初は途惑うようにしていた彼も、
侵入者の与える温かな感触に馴染んだのか、享受し始めた。
強ばっていた躰が弛緩した頃、そっと離れた唇からほうっと吐息がもれる。
鷹耶が何かを呟きかけたが、その前に呪文の光が彼を包み込んだ。
「少し眠れ。まだ夜は長い。」
「…お節介‥だな‥‥」
静かに語りかけるピサロに、鷹耶は一瞬意外なモノを見たように視線を止めた。
重くなってきた瞼をゆっくり綴じた彼が、そのままピサロへ体重を乗せてゆく。
深く穏やかに繰り返される呼吸をしばらく肩で感じていたピサロが、彼を静かに横たえさ
せた。
「世話のかかる奴だな‥」
枕に沈んだ頭をふわりと撫ぜ、ピサロがぽつんと呟いた。
静かに眠る姿は、初めて出逢った時のあどけなさを思い出させる。
好奇心に瞳を輝かせていた明るい青年。暗い陰りなど、当時は微塵も纏わせずに居た。
その原因だろう悪夢の元が己に在る事は、理解している。
が…鷹耶は一度もそれで罵る事をしてこない。
それが不可思議で、それ故にか、無視出来ない存在になりつつあった。
「う〜、頭痛ぇ‥」
翌朝。
ガンガンと頭部に響く不快感を覚えながら目を覚ました鷹耶は、身体を起こし絶句した。
―― 一体なにが起こったんだ?
「昨夜はよく眠れたか?」
呆然とする鷹耶の背中に、やけに機嫌よさそうな魔王の声が掛かった。
「…俺さ。その‥よく覚えてないんだが。
なんであんたが俺のベッドで寝てる訳?」
努めて平静を装いながら、鷹耶が恐る恐る事態の説明を求める。
「覚えてないのか?」
肩肘を付きくつろいだ様子の彼が、愉しげに聞き返した。
「‥酒飲んだのは、なんとなく覚えてる。それから…うんと‥‥‥」
う〜ん唸りながら腕を組む鷹耶。そんな彼の腰をぐいっと引き寄せたピサロが、体勢を入
れ替えあっさり組み敷いた。
「なんなら‥思い出させてやろうか?」
不適に笑んでくるピサロに、鷹耶が苦い顔を見せる。
「…なんとなく思い出してきた。
あんたまさか、俺の寝込み襲ってねーだろうな?」
「寝ている奴に手を出してもつまらなかろう。」
「‥じゃー何で‥」
「貴様が服を掴んで離さなかったのだろう?」
「俺が…?」
呆れ顔で告げられて、鷹耶が考えるよう目を閉じる。
実際服を掴んでいたのは事実だったが、鷹耶が眠りに就くとスルリと外れたのだという
コトを、彼は知らない。
「まーよくあるコトだ。気にするな。‥ってコトで、どかない?」
覚えていないが、有り得ないとも言い切れず、開き直ったようにっかりと、鷹耶は
ピサロに声をかけた。
2006/2/8
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