泡沫に…
「はあ‥‥‥」
船の縁に両腕を預け、顎を乗せながら深い溜め息をこぼす。
青い青い海原。青い空。果てなく広がる青の世界に、白い波を立てながら船がゆっくりと
西を目指し進む。
ぼんやりと海へ視線を向けたまま、オレはもう一度深い息を吐いた。
「随分と退屈そうですね、ソロ?」
いつの間にか側へやって来ていたクリフトが話しかけて来た。
「…ん? …そーだな。もうこの景色も見飽きちゃったし‥‥」
「くす‥。姫様と同じ事おっしゃる。」
髪と同じ空色の瞳が、優しく細められた。
ミントスで仲間になったサントハイムの神官クリフトは、ミネアと同じ22歳。
オレより頭1つ高い身長の彼が、少し高い場所から笑んでくる。
オレも同じように笑んで返すと、身体を反転させ、船の縁に寄りかかった。
「アリーナも大分飽きてるみたいだもんね、船旅に。」
「ええ。魔物との戦闘が生じても、姫様は思うように戦えませんからね。
早く陸地が見えないものかと、先程また、マストを昇ってしまわれましたよ‥」
「ははは‥。もうすっかり日課になってるね、それ。…でも、気持ち判るなあ…。」
「ソロもそろそろ陸地が恋しくなりましたか?」
「…ん。まあね‥」
視線を落としながら答えると、オレはそのまま白い道を残す波間へ眼を移した。
ミントスを発ってからもう2週間余り。…あいつ、どうしてるのかな?
(う〜ん…これは‥。確かにマーニャさんの言われる通りかも知れない。)
クリフトは黙りこくったままの横顔を眺めながら、数日前の彼女とのやり取りを思い出し
ていた。
―――ソロはきっと恋をしてるのよ。
この数日不安定さを増して来た彼を心配したクリフトに、マーニャが断定口調で語った。
確かに、目の前の少年は同じ歳であるかの少女には見られない艶‥のようなモノが滲みで
ている。勇者ソロと合流して約2週間。戦っている姿は、流石頼もしさが溢れている。
だが‥こうして佇む姿は、少し頼りなげで、仄かな色香すら窺わせる。
クリフトはひっそりと吐息をつくと、ソロを促した。
「ソロ。そこでぼんやりしてると危ないですから。船内に戻られてはいかがですか?」
間があって、振り返ったソロが考えるように眉根を寄せた。
「‥‥でもオレ。もう少し外に居たい。」
「では…せめて奥へ移動して下さい。海へ投げ出されてしまわないようにね?」
「…うん。」
デッキ中央の船長室の壁に背を預け、オレは腰を下ろした。
クリフトは移動するオレを見届けた後、アリーナが居るマストの下に戻って行った。
アリーナはよく小さな怪我をする。傍から見てハラハラするような危ない事に、平気でチャ
レンジするから。ちょっとした傷が絶えないらしい。クリフトはそんな彼女の側にいつも
居て、その都度回復魔法を施していた。彼女はそれをあまり歓迎してない風だったが、
それだけ彼にとって彼女が大切なんだろう。
…そういうのって、羨ましい。
オレは雲1つない空を見上げると、しばらく逢えずにいる奴を思い出していた。
銀の髪。紅の瞳――初めはあんなに疎ましかったあいつの訪れが、今は待ち遠しい。
仲間が増えて。みんなとも親しくなれて…なのに。寂しさだけが埋まらない。
新しく仲間になったアリーナは、お姫様‥といっても全然気取ったとこなくて。同い年の
せいか一番早く親しくなれた。船で同室となったクリフトも、いつも笑顔を絶やさない人
なので、割合すぐに打ち解けた。
マーニャ・ミネアのお姉さんぶりは相変わらずだし。トルネコ・ブライとも上手く言って
る。なのに‥‥なんだか元気になれない。
オレは何度目か判らない嘆息をつくと、自室へ引き返した。
その夜。一度寝付いたオレだったが、夜中目を覚ますと、どうにも目が冴えてしまった。
隣で眠るクリフトを起こさないよう、そっと部屋を出てデッキを目指す。
蒼い闇を明るく照らす月光に誘われて、オレは後部デッキへ移動した。
静かな波が白く光る。ゆっくりと伸びる波が銀の光を反射させ揺らいでいた。
―――逢いたいな。
この前逢った時、しばらく逢えないって奴も言ってた。それはオレも一緒だったけど…
「…早くキングレオに着かないかな?」
…そしたら、逢えるかも知れない。そんな事思いながら、ひっそりと呟く。
縁に乗せた腕に顔を預けていたオレは、コテンと傾けると、そのまま指先に唇を導いた。
上下の唇を小指で軽く辿らせる。ふと鮮烈に蘇ったのは…あいつの接吻。
甘い感触を過らせたオレは、どくん‥と躯の内に熱を点火らせてしまった。
(やばい…! どうしよう…?) 点火らせ→ともらせ
…独りでした事ない訳じゃないけど。あいつと逢ってから、そんな必要なかったし。
部屋にはクリフトがいるから不味いよな‥。
といって…ここでする訳にも行かないし。ふぇ〜どうしよう…?
「…ソロ? 眠れないのですか?」
ドキン! 不意に背後から声がかかり、オレは大きく背中を跳ねさせた。
「…クリフト‥」
オレはびくびくと視線だけ彼に向けると、動揺を隠しながら答えた。
「‥目が覚めたら姿がなかったので。探しましたよ?」
「…ごめん。なんか目が冴えちゃったからさ。ちょっと気分転換にね…」
「そうですか。…独りになりたい時は、誰にでもありますよね。」
ソロの狼狽えぶりから察したクリフトが、にっこりと微笑んだ。
「ソロ…いい事教えてあげましょうか?」
そう続けたクリフトは、そういう時の穴場的な場所をソロに話して聞かせた。
「へ‥へえ〜なるほどね。そういうの…考えた事なかったや…」
「独りで考え事するのに都合いいですよ。そういう穴場覚えておくと。」
「うん…そーだね。」
「…じゃ、私は先に戻りますね。ソロも気が済んだら戻って下さいね?
あまり夜更かししないように。」
「あ…うん。おやすみなさい。」
「おやすみなさい、ソロ。」
にっこり微笑うと、クリフトは踵を返し船室へと歩いて行った。
彼の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見送っていたオレは、人気がなくなると大きく
嘆息する。
どうしてクリフトがあんな事話し出したのか判らなかったけど。
でも…すごくありがたかったかも…。
オレはかなり切羽詰まった状態だったので、ほう‥と息を吐いた後、一番近場な場所を早
速目指した。
荷物の保管庫として使っている小さな部屋。オレ達の部屋とは反対の階段を下った先にあ
るその場所に、オレはやって来ていた。
この時間、こちらへやって来る人間はまずないはずだし…たしかに穴場‥だよな。
そっと部屋に滑り込むと、オレはほう‥っと息を吐いた。
部屋の奥に腰を降ろし、壁に背を預け窮屈さを訴えるソレをズボンから取り出す。
やんわりと握り込みそっと滑らせてみる。
じんわり滲む露を塗り込めるようにしながら扱いていくと、どくん‥と質量が増した。
「…ん‥んっ‥‥は‥‥‥」
声を殺しながら、一点に集中させてゆく。音にならぬよう唇だけで奴の名を呟いた。
(…ピ‥サロ‥。)
あいつの感触を思い出しながら、上下させる。温もりを‥動きを手繰ってゆくと、別の場
所に疼きが飛び火していった。
(あ…どうしよう?)
‥‥こんな事今までなかったのに‥。…でも‥‥‥
オレは空いてる方の手を口元へ運ぶと、躊躇いつつも指先を口に含んだ。
たっぷりと唾液を絡ませ、後ろへ滑らせる。
(‥‥ピサロ…)
紅の双眸は時に柔らかで。銀色の長い髪はさらさら気持ちよくて。細く長い指先は…器用
にオレを快楽に導いてゆく。
オレはあいつの幻影を追いながら、行為に没頭していった。
「はあ…はあ‥‥」
思うように達けなくて手間取ったものの、ようやく迎えた解放感にオレは大きく息を吐く
と、白濁したモノを手近にあった布で拭った。
呼吸を整えながら、ぼんやりと暗い室内の宙を見つめる。
躯はすっきりしたけど…なんだか‥侘しい。
本当のピサロに触れて欲しい。
その想いがより一層膨らんでしまった。
(ピサロ…)
すっ‥と流れ落ちた一筋の涙。その意味を測ることなく、オレは自室へ引き返した。
翌日から。オレは昼の間ずっとデッキで戦闘待機要員を務め始めた。アリーナと同じに。
海上は陸地より魔物に遭う確立が低いので、戦闘を警戒しながら、彼女に付き合って組み
手等の鍛練にも明け暮れた。
オレもアリーナ同様怪我の発生率が増えてしまったので、クリフトだけでなく、ミネアま
で回復要員に付き合わせる羽目になったけど。
昼間目一杯身体動かして、夜はぐっすり眠って。
そんな日々を繰り返してる内に、オレ達は目的地の大陸へ無事到着した。
コーミズ村で城の様子を聞いた後向かったキングレオ城。
ミネア・マーニャは今度こそ仇を!…と張り切っていたのだが、生憎城の警備は厳重で、
鍵を手に入れてこっそりと忍び込む以外、内部侵入は不可能に思われた。
オレ達は港町ハバリアで、その鍵についての情報が得られないかと、キングレオから更に
北に位置する、この町へとやって来ていた。
「…じゃ、あたし達は情報収集に行って来るけど。あなた達はお留守番しっかりね?」
夕食後。オレとアリーナ以外のメンバーは、夜の町に情報収集に出る事が決まり、早速出
掛けて行ってしまった。
「あ〜あ。港町だけは絶対出してくれないのよね、夜間は。」
残されたアリーナがぽつりとこぼす。
「アリーナも? ‥オレも駄目って言われるのは港町なんだよな。
他はあんまり言われないのにさ。」
「そうそう。私も同じ。世間知らずなんだから危ない‥って言われちゃうのよね。」
「つまんないよね、留守番なんてさ。」
「本当。…けどさ。それで一度こっそり抜け出した揚げ句、事件に巻き込まれそうに
なったりしちゃったからさ。こういう時はおとなしくする事に決めたの。」
「‥‥あのさ。それって、もしかしてコナンベリーだったりする?」
どっかで聞いた事ある話だっただけに、思わず訊ねてしまった。
「ええそう。…もしかして。ソロ、あなたも身に覚えあったり…?」
苦い顔のオレに、アリーナが確認してくる。
オレは神妙に頷くと、2人で大きく嘆息し、くすくすと笑い出した。
「ふふふ…。私達ってば、変な所似てるのね。」
「はは‥本当、そうだね。」
オレとアリーナはその後しばらく雑談を交わすと、それぞれの部屋に戻った。
宿の部屋はクリフトとの2人部屋。
オレは着替えを用意すると、下の大浴場にそのまま向かった。
あまり客の居ない宿の風呂は、この時間貸し切り状態で。
広い石造りの浴槽にのんびりと足を投げ出しながら、ゆったりと湯船に浸かっていた。
「はあ‥いい湯だな…。」
船では水を無駄遣い出来ないので、こんな風にのんびりお風呂入るのって、本当久しぶり
なんだよなあ…そんな事考えながら、オレは夜空に見入っていた。
少し雲がかかった空は、時折明るい星が瞬くだけで、少し面白味に欠けてたけど。
ようやく大地に落ち着いてる実感を感じながら、オレは旅の疲れを癒していた。
「あ…クリフト、お帰りなさい。」
部屋に戻ってしばらくすると、クリフトが戻ってきた。
「ただいま‥ソロ。…まだ休まれてなかったんですね。」
「うん…。なんか眠くなんなくて…。ちょっとさ‥涼みに行って来ようと思うんだけど…
…いいかな? あの…宿の外には行かないからさ。」
「屋上ですか?」
「うん。」
「冷えないうちに戻って下さいね?」
「うん! じゃ‥行って来るね。」
…航海の後半。アリーナと一緒にやたら面倒かけたせいか、クリフトまでマーニャ達みた
いに世話焼きモードオンになってしまったらしい。保護者みたいになって来た彼に断りを
入れると、オレは宿の屋上目指した。
外に出ると海の音がより間近に迫る。すっかり雲に覆われてしまった夜空は、暗い海をよ
り暗くしていた。
今日で陸地に着いて3日。…あいつはまだ、忙しいのかなあ‥?
オレは外壁に腕を預け、空と海の境界霞む闇をぼんやりと見つめていた。
―――逢いたいな。
声に出せない分、切なく溜まった想いに心が沈む。
「…忘れちゃった‥かな?」
オレの事なんて。
ふっ‥と呟いた言葉がズキリと胸を抉る。はらはらと流れる涙が頬を伝うと、夜風が冷た
く染みた。
「…何を泣く‥?」
背後から低い声が届いた。…ずっと聴きたかった声音。
オレはあたふたと涙を拭うと、急いで振り返って声の主の確認をする。
黒衣に身を包んだその男は、紅の双眸を怪訝そうに細めながら、静かにオレのすぐ側に佇
んでいた。
驚きに見開かれた蒼の瞳が、次の瞬間歓びに支配された。紅潮した頬が笑顔に緩む。
ソロは弾かれたように目の前の男に抱きつくと、消え入りそうな声音で「逢いたかった」
とだけ絞り出した。
「…移動するぞ?」
小さく抱きしめ返しながら、男がひっそりと囁く。
ソロはそのまま頷きかけたものの、突然腕を突っぱね身体を離した。
「…あ、あのさ。ちょっとだけ待っててくれる? その‥仲間に断ってくるから。」
「‥‥すぐ戻れよ?」
「うん。…ごめんね、待ってて!」
ソロは嬉しそうに言うと、足取り軽く階段を降りて行った。
残されたピサロが小さく嘆息する。短気な彼にしては珍しく寛大に「待つ」のを承諾した
のは、思いがけず向けられた極上の笑顔と、心底から発したと思われる先程の彼の言葉が
思いの外心地よく響いたコトに起因していた。
パタパタと宿の廊下を走り、オレは部屋の扉を勢いよく開けた。
「クリフト!」
…ところが。部屋に居ると思っていたクリフトはそこに居なくて。オレは部屋の隅々まで
視線を巡らせ、がっかりと項垂れた。
…どこに行ったんだろう?
「…ソロ? どうしたんですか?」
階段を上って来たクリフトが、部屋の入り口で肩を落とす彼に声をかけた。
「あ‥クリフト。よかった。あのね…ちょっとさ、オレ出て来るから。遅くなっても心配
しないで、先休んでてくれる?」
ソロはやって来たクリフトを部屋に連れ込むと、早速切り出した。
「え…出て来るって? ソロ?」
「…ごめん。ちゃんと戻るから‥心配しないで。じゃ‥。」
ソロは言いたい事だけ告げると、部屋を飛び出して行ってしまった。
クリフトが遠ざかる足音を聴きながら、深く嘆息する。
「…判りやすい子ですね、ソロは‥‥」
久々に見せた明るく弾んだ姿は、恋人と会える歓びに溢れていた。
「…な‥なんで‥?」
クリフトに断りを入れた後、すぐに屋上へ取って返したオレだったが。
戻った場所には誰の姿も見えなかった。
…もしかして。帰っちゃったの…?
おろおろと周囲を見回すと、屋上への出入り口の屋根の上に、探す姿があった。
「どうしてそんな所に‥」
「…他の者の足音が近づいたのでな。もういいのか?」
不審そうに眉を寄せるオレにさらりと答えながら、奴がオレの前に立った。
「うん‥ありがとう、待っててくれて。」
「では‥行くぞ。」
きゅっと寄り添うオレの背に腕を回すと、ピサロは移動呪文を唱えた。
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