Labyrinth〜湯けむり紀行〜 「うわあっ! スコールか!」 朝一番で見張りの担当になっていたクリフトが、左側部のデッキで突如降り出した雨を 疎ましそうに見上げた。 さっきまで晴れ渡っていたのに、雨雲が船上空にしっかりと広がっている。 バシャバシャバシャ…。 クリフトは雨を避けるように、近くの連絡路へと走った。 船の右側部へと繋がる連絡路は船首側と船尾側にある部屋にも通じている。 ガチャ‥。 連絡路への扉を開けると転がるように中へ体を滑り込ませた。 「はあ‥はあ…。…あ〜あ。すっかりびしょ濡れだ‥。」 かなり景気よく降り出した雨は、瞬く間に彼を濡れねずみにしてしまっていた。そんな 自分の姿に、独りごちながら濡れた衣服を絞るクリフト。帽子を脱ぐと、濡れて張り付い た前髪をうざったそうに掻き上げた。 「多分通り雨なんでしょうけど…。」 小さな窓から外の様子を窺いながらポツリと零すと、小さく嘆息した。 (とりあえず。このなりをなんとかしないと…。) クリフトは船尾側の部屋へと移動する事にした。ここにはこういった時にすぐ対応出来 るよう、タオルや着替え等も常備してあるのだ。 カチャリ‥。 「あら…。あんたもやられちゃったのね‥。」 のんきそうな声が部屋の中からかかった。 「…! マーニャさん!?」 「はい‥タオル。…? どうしたの、真っ赤じゃない?」 ゆで蛸の様に頬を赤らめて後ずさったクリフトを、マーニャが怪訝そうに覗き込んだ。 「い‥いえ。すみません…。」 差し出されたタオルを受け取りながら、クリフトが視線を逸らした。 雨に濡れてしっかり身体に張り付いてるTシャツが描き出すラインは、この場合目の毒 なのかも知れない。しかも。マーニャは起きぬけのまま見張りに立っていたのか、ノーブ ラだったのだ。それがはっきり判別るだけに、クリフトはすっかり動揺してしまった。 「すみませんっ。失礼します!」 クリフトはそのまま身体を反転させ、部屋を飛び出した。 「…? ‥ああ、そっか…。クスクス‥」 ふと自分の姿を顧みて、彼の動揺を誘った要因に思い当たったマーニャが小さく笑って いた。 「ふわあ‥。気持ちいい風ねえ。ほら、アリーナも。」 マーニャが甲板から身を乗り出し、近づく景色に目を細めながら上機嫌な笑みを浮かべ、 やって来たアリーナに声をかけた。 朝の雨はとうに空の彼方。広がる青空はすっきりと晴れ渡っていた。 サントハイムへ向かう途中。 無人島かと思われた島の浜辺に村らしきモノを見つけた勇者一行は、何か情報が得られ れば‥とその島へ寄る事を決めた。 島の浜辺が間近に迫ると、陸からの心地よい風が彼らを通り過ぎて行く‥。 「…あの。鷹耶さん。本当にいいんですか?」 マーニャやアリーナがいる場所から少し後方のデッキで、近づく島影を見つめていた鷹 耶に、クリフトが声をかけた。 地図にも載ってないような小さな村になど、立ち寄るだけ無駄なのでは?…という意見 もあったのをクリフトは気にしていたのだ。サントハイムを目前にしての寄り道なだけに、 アリーナもブライもあまり乗り気でなかったのだから。 「ん…? まあ、いいんじゃない? 先の戦いは結構ハードだったしな。たとえ有効な情 報が得られなくても、鋭気を養う休息くらいにはなるだろ?」 「そうですね! 流石鷹耶さん。リーダーはこうでなければね!」 デッキへと出て来たトルネコが、鷹耶の言葉ににこにこと応えた。 「常に万全な体勢で臨めるよう配慮にあたる…我々のリーダーは実に頼もしい!」 「はあ…」 同意を求めるようにクリフトを見るトルネコに、彼が曖昧に頷いた。 1 「はあ…。」 「なあに嘆息ついてるんだよ?」 嘆息→ためいき 海辺の村に着いた後、自由行動が決まった途端、元気に泳ぎに行ってしまったアリーナ 達を見送ったクリフトは、独り浜辺に腰を降ろして白い波を見つめていた。 柔らかい日差しを受けながら、ぼんやりと、光る水面にどれだけ見入ってたのか。 声をかけられて初めて気づいたように、彼が驚いた表情でその声の主を見つめた。 「た‥鷹耶さん。 どうして…。だって皆さんと一緒に泳いで‥‥‥」 思わず海と目の前に立つ彼へと視線を行き来させる。 「お前がいねーとつまらねえしな。」 にっこりと鷹耶が言い切った。 「え…」 「まあ。あっちに居ると、アリーナに競泳させられるから、反って体力消耗するだけだ し…。」 言いながら、鷹耶はクリフトの隣に腰を降ろした。 「ライアンが相手してくれて助かったぜ。」 「ふふ‥。姫様は何にでも張り合いたがりますから。」 「それじゃ。俺がお前を取っちまったら、あいつもお前の存在を見直すかも知れねー な?」 クリフトの顎を捕らえた鷹耶が、そのまま自分の正面に彼を振り向かせた。 「な‥何を言ってるんです?!」 「恋敵が居た方が、張り合いあるっていう話だろ。」 「な‥誰の事言ってる…! …んっ。ふ…たか‥‥‥っ。」 鷹耶が捕らえていた顎をぐいっと上げると、そのまま彼が口づけて来た。 最近深さを増してきたディープな口づけ。彼の口内に滑り込ませた舌が、彼を味わうよ うに貪っていた。 「ん…! 駄目…です‥って。」 懸命に彼を引きはがそうとするクリフトに、鷹耶が応じる。 「はあ‥はあ…。もう。なんて事するんです? 誰かに見られたらどうするんです?」 一所懸命平静を装いながら、クリフトが小声で責めた。 「それって‥見られない場所でならOKって事? だったら場所変えようぜ!」 嬉々として鷹耶が宣った。 「ち‥違いますよ! どうしてそう、自分勝手に解釈するんですか、あなたは?」 「え〜。心外だなあ。俺は素直に解釈してるぜ? だいたい‥」 「鷹耶〜! クリフト〜! 一緒に泳ぎましょうよ?」 競泳にも飽きた様子のアリーナが、浜辺に座り込む二人の元へと駆け寄って来た。 「俺はもういいよ。せっかくの骨休めだ。のんびりさせてくれよ。」 「え〜。クリフトは? あなたちっとも泳いでないでしょ?」 海から上がったアリーナが、彼らを誘うようにやって来た。 「ね? 行こうよ?」 「い‥いえ。申し訳ありません、姫様。私泳ぎはあまり…」 「あら‥。クリフトって泳げなかったの?」 アリーナを追うようにやって来たマーニャが意外そうに言った。 「そんなはずないわよ。前に泳いでる所見た事あるもの。ね?」 確認するようアリーナがクリフトを窺った。 「はあ‥。泳げますけど…今日はその‥‥‥」 水着姿の二人への視線に困った様子で、クリフトが俯きがちに答えた。今朝の出来事が思 い出されて、どうにもいたたまれない。 「仕方ないわね。アリーナ、あまり無理強いしちゃ可哀想だから行きましょう?」 「う〜ん。そうね‥仕方ないわ。じゃ‥行くわね。気が変わったら来てね!」 ひらひらと手を振りながら、二人は海へと戻って行った。 「‥お前さ。マーニャと何かあった訳?」 去る間際、意味深なウインクをクリフトに残して行ったのを、鷹耶は見逃さなかった。 「え‥何‥って…。」 今朝の一件を思い出したクリフトが、かあっと頬を赤らめた。 「ふう‥ん。是非。聞かせて貰いたいな。」 その表情の理由を‥と、耳元で囁きながら続けた。 恐ろしく不機嫌な様子の彼に、クリフトが凍りつく。 「ち‥ちょっと。どこ行くんですか、鷹耶さん?!」 クリフトの腕を掴み上げ立ち上がらせると、鷹耶がずんずん歩き出した。アリーナ達が 泳いでいる浜から死角となる岩場に向かって…。 「た‥鷹耶さん…。」 恐る恐る声かけてみるが、掴んだ腕を引きながら、振り返る事すらしない。 やがて。 目的の場所に着いたのか、鷹耶がようやくクリフトの腕を解放した。 「さ‥。話して貰おうか?」 低く言いながら、クリフトが逃げられないよう彼の後ろに広がる岩壁に両手を着く鷹耶。 「…あの。‥話って言っても…別にたいした事じゃ…」 「ふうん。たいした事じゃない‥ね。なら、さくっと話せるよな?」 「う…。」 別に後ろめたい事など何も無いのだが、正直に今朝の一件を説明して納得してくれるもの なのか、測りかねたクリフトが言葉を詰まらせた。 それが。より彼を煽るとも知らずに…。 「俺には話せない‥?」 ゾクッ‥。冷ややかな物言いに身を退くと、冷たい岩が背に触れた。 「…あの。ちゃんと話しますから。」 だからこの体勢をなんとかして欲しい‥クリフトが願い出た。 結局。岩壁を背に並んでそこに腰掛けると、クリフトが少々躊躇いがちに話し出した。 今朝の出来事を…。 「…という訳です。それだけなんですよ?」 「つまり‥マーニャに猛烈に煽られちゃった訳だ。」 お前のココ…。言いながら、鷹耶が徐に手を伸ばした。 「…! 鷹耶さん!? 何するんですか!?」 「‥欲求不満なんじゃねーの? それってさ。」 振り払われた手をそのまま頭の後ろで組みながら、さっきまでの不機嫌さを引っ込ませた 鷹耶が瞳をすがめた。 「そ‥そんな事…。」 「最近抜いてないだろう‥?」 こそっと鷹耶が耳打ちした。 「…! どうしてそれ‥はっ。いえ‥あの…」 図星を指されたクリフトが頬を赤らめながら言い淀んだ。 「なんならさ。俺が手伝ってやろうか?」 鷹耶は楽しげに目を細めながら、クリフトの顎を捉えるとそのまま上向かせた。 「ん‥鷹‥‥。んっ‥は…ちょっと…?!」 口内を貪られていたクリフトが、顎を捉えている右手と反対の空いてる左手で、とんでも ない所を弄り始めた鷹耶に驚いたように身退避いだ。 「ちぇ‥。タイムアップか‥。」 鷹耶は残念そうに零すと、気配を感じたのか顔を上げた。 はたして。昼食を呼びかけに来たのはアリーナだった。 「ああ解った。すぐ行くよ。」 何事もなさそうにやって来た彼女に声をかけると、「待ってるわ!」と残して、彼女は踵 を返して去って行った。 「んじゃ‥行こうぜ。…大丈夫か?」 真っ赤な顔でいるクリフトに、鷹耶が苦笑する。 「…先に行ってて下さい。すぐ行きますから‥。」 もう何から考えればいいのか解らないでいるクリフトが、ぐったりと言った。 「仕方ねーな。すぐ来いよ‥?」 小さく頷いて答えるクリフトを見た後、鷹耶も浜へと戻って行った。 「はあ…。」 一人残ったクリフトが大きく嘆息する。 「なんなんだ‥今日は…☆」 |