特命係長・安田顕の謎








 「安田さんって、ホント何考えてるか分かんないッスよねー。」
そう言いながら大泉の前で屈託無く笑ったのは、音尾琢真だった。
大泉も音尾も共に安田商事の総務二課に務める同僚だ。同期で入社し、同じ課に配属され、等しく成績を争うよきライバルでもある。
と言っても常にコンビを組んでする仕事が多いので、本人達にライバルといった敵愾心は毛頭無いと言ってもいい。
さらにこの課には先輩社員である森崎と佐藤が居るが、この二人はどちらかというと仕事の出来ないタイプで、あとから入社してきた二人に追い越されてもどちらかと言えばのほほんとしているような連中だった。
そんな二課を纏めているのが、総務二課係長の安田顕。
どうにも得体の知れない人物で、一言も発せずに何時間も課の隅にうずくまったまま底知れぬ不気味さを醸し出しているかと思えば、一転してきりりとした顔つきでバリバリと仕事をこなす人物でもある。
まぁ大概の時間は居るのか居ないのかも分からぬような暗くもの静かな状態で自分の机に座っているか、または全く課に姿を見せないかのどちらかなのだが。
そして気が付けばいつの間にか完璧に成果を上げ、大泉や音尾も全く歯が立たない程の結果を叩き出している。
音尾達はいつも首を捻りつつ、そんな安田の率いる総務二課で決して表沙汰には出来ないような裏の業務を淡々とこなしていた。

 今は終業時間を一時間程過ぎたところだった。
音尾と大泉は狭い二課の奥にある更に狭い会議室で安田から依託された調査業務の打ち合わせの最中だが、何となく大泉が時間を気にしだしそわそわしている。
「ねえ、聞いてる? 大泉!」
やや離れ気味の目と目の間にほんの僅かな皺を寄せて音尾が話しかけるが、大泉は返事も上の空でしきりに携帯を気にしている素振りをする。
「……もう。いいよいいよ。今日はこれでお開きにするべ。これ以上続けたってアンタちっとも俺の話なんか聞いちゃいないみたいだし。」
呆れた表情の中にどこか憎めない雰囲気をさせながら、音尾がテーブルの上に広げていた書類をざっと纏めだした。
「さっきからやたらとメールチェックしてっけど……もしかしてこれからデートかい?」
含み笑いしながら音尾は大泉の顔を覗き込む。
「ん、ああ…………まあ、そんなもんだ。」
慌てて大泉も後片付けをしながらぶっきらぼうに答えた。
「ふーん……いいねーモテモテで。今日は金曜日だしね〜。でも用事があるんなら先に言ってくれれば良かったのに。」
そんな言葉に大泉はほんの少し動きを止めてから小さな声で曖昧な返事をする。
「大泉、いいよーもう帰っちゃっても。後は俺がやっちゃうから。急いでんだろ?」
「あ…そ? 悪いね音尾! じゃ、俺行くわ。ホント悪いね!」
途端に目を輝かせて顔を上げた大泉。
現金な奴だなあ…と、多少呆れ美味の音尾はそれでも人の良さからか、小さく笑みを浮かべて脱兎の如く背を向けて会議室を飛び出していく大泉の背中を見つめた。
「……いいねぇ、本当。楽しそうで。」


 狭い室内一杯に無理矢理置かれた会議用のテーブルの上には、ばらまかれた資料や簡単なレポート類が未だ雑然としている。
音尾はそれらを丁寧に分類分けしながら集めた。元来整理整頓はそんなに得意な方ではないが仕事のことに関しては別で、自分の納得のいく成果を上げるための努力は惜しまない質だ。
誰も居なくなり静まり返った場所で黙々と片付け、それらを全てしまい終えたところで会議室の扉が静かに開いた。
「……あー………音尾君、まだ残ってたんだ………」
頭をぼりぼりと掻きながら安田がのっそりと入ってくる。ここ数日姿を見せなかった係長だ。
「安田さん、お久しぶりッス〜! 片付け終わったんでこれから帰るとこッス。」
普通なら嫌味に聞こえそうな挨拶も、音尾が言うと何故か嫌な棘が感じられない。
「あっそう。」
安田は素っ気なく呟くとくるりと背を向けた。
相変わらず掴み所のない人だな……そんな事を思いながら、音尾も安田の後を追って出た。
自分のデスクの上も適当に片付けて荷物を纏めふと安田の席に目をやると、安田が机の上に腰を掛けながらぼんやりと自分を見ている。
「…………どうしたんスか?」
こんな事は日常茶飯事なので慣れっこだが、流石に無言で見つめられていると余り良い気はしない。
「やーすーだーさん。」
鞄を脇に抱えて近付くと、安田が表情一つ変えずにぼそりと呟いた。
「音尾君………………メシ、食いに行かない?」
その言葉には有無を言わさぬ雰囲気があった。



 安田はポケットに手を突っ込みながら繁華街をぶらぶらと歩き、音尾もそれに従ってやや後ろをついて行く。
社屋から十五分ほど歩いて繁華街の一角に入ったのだが、一向に安田は足を止めない。このまま行くと繁華街から外れてしまう…といったところまで来て、ようやく安田の足が止まった。
うらぶれたビルの暗い階段を降り、更に寂れた雰囲気の地下街にひっそりとある居酒屋が安田の目的地だった。
部下を連れて食事を……などという雰囲気ではない様子の飲食店だが、安田は構わず暖簾をくぐる。
中に入ると何とも昭和の香り満載といった風情の小さな飲み屋だ。店を一人で切り盛りしているらしい親父さんが深く刻まれた皺だらけの顔を上げもせず、やや低めの声で『いらっしゃい…』とだけ呟いた。

何て安田に似合う場所なんだろう――――。

音尾は顔を紅潮させて感心しつつ店内をしげしげと見渡しながらカウンターに座った。隣では安田が早速熱燗を注文している。
「音尾は………何にする?」
湯気が上がるお手拭きで手どころか顔すら拭きかねない安田が、辛うじて聞こえる程度の声で聞いてきて、慌てて生を注文する。程なく年季が入った徳利と猪口と、凍り付きそうなほどに良く冷やされたジョッキが二人の目の前に無造作に置かれた。
安田の猪口に酒を注いでから音尾はジョッキを手に取るとそれを口許に運び、威勢良く喉を鳴らして飲み始めた。
実際喉が渇いていた。
もう寒い季節とは言え三十分近く歩き続けていたため、額にもうっすらと汗が滲む程心地の良い熱で身体が火照っている。
そんな音尾の体に、冷たくて喉越しの良いビールは天の恵みのように感じられた。
「……ん〜! 美味い〜!!」
半分ほど飲み干したジョッキ片手に満面の笑みを湛えている音尾を、安田が静かに見ている。手にした猪口をちびりちびりとやりながら、その目でじっと音尾を観察していた。

 頼んだ料理をつまみながら、音尾は物怖じせず安田に話しかけた。
普段はその近寄りがたい雰囲気のためかなかなか話しかけられないのだが、今は酒の力のお陰ですらすらと言葉が口から飛び出し、無表情な安田を苦笑させるほどだった。
そんな音尾の雰囲気に呑まれたのか、必要な事すら最小限の言葉しか発しない安田が珍しくぽつりぽつりと喋りだし、気が付けば随分と饒舌に語り始めていた。
一旦語り出すと安田という人間は歯止めがかからなくなるらしい。
普段出し惜しみでもしていたのかと思うほど滑らかな口調と雰囲気で、多彩な事柄を自分なりの観点と分析を交えて面白おかしく語る様は圧巻としか言い様がなかった。
しまいには音尾の方が安田にすっかり呑まれたように、次から次へと繰り出される話題に感心ししたり相づちを打ったりしていた。
「や…安田さんって……物知りなんですね……」
先程までとは全く別人のような安田に圧倒されながらも、音尾は持ち前の好奇心で目をきらきらさせながら話に聞き入り、熱心に語り続ける安田の横顔を見つめていた。
あんなにぼんやりとして何を考えているか解らない顔をしていた筈の不気味な上司が、今は目の前で生き生きと博識ぶりを垣間見せてくれているのが不思議でならなかった。
冴えないとしか思えなかった顔も実際近くでよく見てみれば実はもの凄くいい男の部類に入ることにも気付き、更に驚きを隠せない。
やや長めのボサボサの髪と野暮ったい眼で覆い隠されていた素顔を垣間見た気がする。
実際たまに五月蝿そうに掻き上げた前髪の下から覗く顔立ちは、男でも惚れ惚れする程整っていた。
――――成る程、いざという仕事の時はきっとこんな顔をして女性を虜にしているのだろう。
一人で納得しながら、音尾はにこにこと安田の話に聞き入っているのだった。



 「安田さ〜ん、この前はご馳走様でした! また飲みに行きましょうね〜!」
週明け、満面の笑顔で安田にそう言う音尾を、周囲の人間は少しぎょっとした顔で見つめていた。
「音尾……何、安田さんと飲みに行ったの?」
明らかに驚愕の表情を浮かべてこっそりと聞いた大泉に音尾はキョトンとした顔をしながら頷く。
「この前ってもしかして俺が先に帰っちゃった時のこと?」
恐る恐る聞く大泉に音尾は可愛らしい笑顔でもう一度頷いた。
「………あの人と飲んで、楽しかった?」
訝しげな表情で訪ねられ、音尾も流石に気が付いた。他の人間は饒舌な安田の姿など殆ど知らないのだから。
「結構ね、楽しいよ。安田さんいい人だし。俺は全然平気ー。思ったよりあの人、変な人じゃないかもよ。」
それだけ言うとさっさと自分のデスクに着いて仕事の準備に取りかかるが、大泉は全く納得出来ないのか渋い顔をして首を捻っている。
遠巻きに見ていた森崎と佐藤も音尾に近付き、小声で訪ねるが音尾の返事は殆ど同じだった。
「やだなあみんな、じゃあ今度は全員で一緒に行きましょうよ! 飲み会やりましょ!」
音尾が呆れ顔でそう言うと全員が何とも言えない表情をする。
「……いや、俺パス……」
目を伏せがちな佐藤。
「俺もパース! そんな辛気くさい酒が飲めるかってんだ。」
大泉もそっぽを向く。
「ん〜…………んん〜………飲み会ならやっぱ美味いものが食いたいなあ…………そうだ、今日の昼は何を食べに行こうかなあぁぁぁぁ…………」
興味が本日のランチ方面にそれてしまったらしい森崎。
等の安田はそんな部下達の様子など気にならないのか、部屋の隅で無表情に明後日の方向を見ていた。


 結局その週末、半ば音尾からお強請りするような形で強引に安田と飲みに行き、それからちょくちょく安田と仕事帰りに食事をしに行くようになった。
安田は音尾の予想を良い意味で裏切るように、毎回雰囲気の違う店へと連れていく。先週が雰囲気のいい静かなカクテルバーだったら、今週は粋な蕎麦屋で一杯…といった感じで一々音尾を驚かせ、楽しませた。
普段は見せない安田の一面が垣間見ながら、音尾はまるで子犬のように無邪気に安田の後をついて回った。

 この日は如何にも安田が好きそうな裏寂れた焼鳥屋に来ていた。
燻されて黒光りする梁や柱、カウンターテーブル等が実に渋い。職人の雰囲気満載の親父さんが炭火で焼いているらしい串からは油の焼ける美味そうな匂いが漂ってくる。
カウンターの隅に腰を落ち着けたところで音尾が上機嫌であれこれと注文している中、安田はまたちびりちびりと冷や酒を口に運ぶ。
店内には常連らしい年輩の男達が数人いるだけで、有線だけが静かに耳馴染みの演歌を流し続けていた。
「ここもいい雰囲気ですねー、安田さん。」
音尾がジョッキの中身をぐいっと空けながら言うと、安田がほんの少しだけ口許に笑みを浮かべる。
「……だろ。」
コップの中身をくいっと喉に流し込み、安田が嬉しげに一言呟いた。
「俺ね、他のみんなも誘ったんですけど、全然来てくれないんスよ。」
音尾が口を尖らせて理解して貰えない不満をつらつらと口にしたが、安田は意味ありげな笑みを浮かべながら横目で音尾を見ている。
「別にあいつらに理解して貰おうとは思わないから、いいよ。音尾がこうやって付き合ってくれるようになっただけで、俺は満足だからあんまり怒るなよ。」
くいっと冷やを流し込みながら、安田は本当に満足そうに笑っていた。
「音尾は……ほんと、可愛いなあ…………」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟く。



「安田さぁん………俺に是非とも、秘訣ってやつを教えて貰えませんか? ねえ!?」
かなりアルコールが回ってきたのか、安田に絡むように質問を続ける音尾と、苦笑いしながらはぐらかす安田。
「馬ぁ鹿、そうおいそれと教えられるかってんだ、大体お前には無理!」
どぶろくを片手に軽くいなす安田に、音尾は赤い顔をますます赤くして、食らいつく。
「いや、そりゃあ俺と安田さんじゃ見てくれがかなり違うから……ってのは解ります! でも俺、貴方みたいになりたいんです! こう、何て言うのかなぁ……コツみたいなものはあるでしょ? ね? ね?」
何をそんなにしつこく聞いているのかと言えば、安田の女性を簡単に落とすテクニックには何か秘密が有ると踏んだ音尾がその秘訣を少しでも教えて貰おうと躍起になって食い下がっているのだった。
これには安田も苦笑いしっぱなしでのらりくらりとかわしているのだが、何せ相手は酔っぱらい。全く諦めると言うことをしない。
そのうち安田の顔から笑みが消え、深く息を吸い込んだかと思うと静かにゆっくりと吐き出す。
音尾の顔を真正面から見つめ、静かに口を開いた。
「……………音尾の気持ちはよく解った、特別に教えよう。ただし他言無用だからね。」
音尾の顔がぱっと明るくなる。
「マジっすか!? 本当に!?」
大声を上げた音尾に他の客の視線が集まる。
「静かに……音尾、他の人に迷惑をかけちゃあいけないよ。」
その途端に姿勢を正し、安田の一挙手一投足に注目する音尾。
「秘訣ねぇ…此処じゃあ教えられないなぁ。」
安田は意味ありげな視線をすっと流すと、席を立ち勘定を持ってレジまでさっさと歩いていく。
呆気にとられて暫し呆然としていた音尾が慌ててその後を追った。


 店を出た安田は大きな通りへと歩いていく中、ぽつりぽつりと話し出す。
「音尾はさあ、キノコ山本って聞いたことある?」
一瞬キョトンとした音尾は少しして目を輝かせた。
「……もしかして、あの伝説のAV男優のですか? 実際に見たことは無いけど、何かもの凄いテクニックを駆使するAV男優ってハナシですよねー。」
「うん、そう。実はそれが秘訣。」
安田は足を止めて客待ちのタクシーへと乗り込む前に取り残されて唖然と立ち竦む音尾を見上げて言った。
「――――――うちに有るよ、見に来るか?」
言われた瞬間音尾は顔を輝かせ、返事もそこそこににタクシーの座席へとなめらかに滑り込んだ。
普通に考えればそんなビデオ一本で女性にもてるようになるわけがないと冷静に考えられるはずだが、この時の音尾は随分と酔いが回っており、また何かとんでもない秘訣が隠されている筈…と激しい思い込みが有った。
まさかこの時の軽はずみな行動が今後の自分を大きく変えてしまうなど、当然思いもよらない。

安田は静かに自宅の住所を運転手に告げると、腕組みをして目を閉じる。時折外から差し込むネオンのけばけばしい明かりが安田の整った横顔を照らし出すたび、音尾は憧れを湛えた目でうっとりと見つめるのだった。



 そろそろ深夜にさしかかる頃、タクシーは静かに住宅街の一角に停まる。
安田の暮らす賃貸マンションがそこにあった。
エントランスを通り、無言でエレベータに乗り込む二人。安田はいつもの何を考えているか読めない無表情で、隣の音尾は好奇心でいっぱいの表情を浮かべているのが対照的だった。
最上階で降りると安田は奥の部屋へと向かう。
安田の部屋は家族向けの間取りをした3LDKだ。一人で暮らすには広すぎるのか、主に使われているのは居間周辺といったところ。
物の少ないリビングにはソファとオーディオ類だけが設えられ、なかなか雰囲気は悪くない。
そんな事を思いながら辺りを物珍しそうに観察している音尾。
「その辺に適当に座っててよ、何か飲む?」
安田が冷蔵庫を開けながら声をかける。
「あー…もうお酒は結構です、僕のことなら水でも貰えれば十分ですから〜。」
フローリングの床に胡座をかいて座り込んだ音尾は落ち着かないのかそわそわしている。
安田はペットボトルの水と自分用の冷酒を手に、近付いてきて同じように床に腰を下ろした。
手にした水を無言で差し出しながら、近くにあるラックに目を遣り何かを探しているような視線が暫く彷徨っている。
目当ての物が見つからないのか安田は多少顔を曇らせながら、音尾を振り返り呟いた。
「音尾君、今日はもう遅いからこのままうちに泊まっていきなよ……明日は仕事休みだからいいよねぇ……」
弾かれたように音尾が身を固くする。流石に上司の家に泊まり込んでもいいものかと困惑しているようだ。
「じゃあ、とりあえずシャワーでも浴びて、酒でも抜いてきなよ…その間に俺は例のビデオを探しておくから。」
すっと立ち上がり、居間に隣接する部屋へと消えた安田は手に真新しいバスタオルとローブを持って現れ、無造作に投げて寄越した。
「浴室はキッチンの奥にあるから。」
ぶっきらぼうに言ってまたラックの前に座り込んだ安田はぶつぶつ呟きながらビデオを探している。
有無を言わさぬ雰囲気の中で音尾はただ呆気にとられながら安田に従うことにした。
確かに飲み過ぎた感のある自分にシャワーは有り難い、だがあまりにも無遠慮ではないのか? そんな事を思いながらも、熱い湯を勢い良く頭から浴びているとどうでもいいような気になってくる。
シャンプーを頭から被り豪快にわしわしと髪を洗うと更にどうでも良くなってきた。伝い落ちる泡と一緒に全て流れ落ちてしまったかのようだ。
浴室から出る頃には音尾はかなりすっきりとした気分になっていた。
タオルで豪快に髪や身体を拭きまくった後、バスローブを羽織る。
「安田さぁん、風呂……有り難う御座いますー。」
「おお、音尾! 早くこっち来い、見つけたぞー!」
居間で安田が手招きしている。
安田が手にしていたのは古ぼけたアダルトビデオのパッケージ。
音尾が駆け寄って覗き込むと、安田は中身を取り出してデッキにセットした。
再生した途端、聞き覚えのあるいかがわしい喘ぎ声と嬌声が静かな室内に響き渡る。
流石に音尾の顔がまたぱっと紅潮するのを安田は横目で見ながら立ち上がる。
「じゃ、俺もシャワー浴びてくるわ。お前好きに見てていいぞ。」
それだけ言い残し足早に浴室へと消える安田。
音尾はペットボトルに口を付けつつ、画面を見続ける。
画面ではキノコ山本と思われる男優が見事な肉体を駆使して女優を啼かせている。
――――にしても少々これはアダルトビデオの範疇から外れているのではないか?と、音尾は首を捻る。
あまりにもアクロバティックな体位で、しかも明らかに楽しんでいるのは男優だけ―――――そんな雰囲気がありありと見えて、白けた雰囲気が漂う。女優も如何にも演技していますといった風情だ。
一体これの何処か秘訣なんだろうか? 音尾は今頃になってようやく何かおかしいことに気付いたようだ。

 そもそも安田は勘違いをしている……と、音尾は溜息を吐いた。自分の知りたかった秘訣は如何に女性をいとも簡単に落とせるか、攻略することが出来るか? だった筈で、落とした女性をどんなテクニックを駆使して自分に引きつけるかはその次の段階であるのに……と、思わざるを得ない。
画面ではいよいよキノコがフィニッシュを迎えるところだ。
随分身体が柔らかい人なんだなあ、と全く違う事を考えつつ、行為の終了を見届けた。
しかしこの男優は実に幸せそうにこの行為に及んでいる。
こちとら楽しむなんて余裕なんかありゃしねーんだよ……と心の中で呟いたその時、背後に人の気配を感じて振り返ると安田がローブを荒々しく羽織り、前髪からは水滴を滴らせつつ立っていた。
さっと両手で前髪を掻き上げ、ソファに片脚を掛ける姿はまるで海辺の石原裕次郎のようだ。
そのポーズのまま音尾をじっと見つめる。
「やす………ださん………?」
そのあまりの変貌ぶりに驚きの余り声も出ない。いつもの眼鏡を掛けた得体の知れない雰囲気の安田は何処かへ消え失せ、そこに立っていたのはワイルドな雰囲気を身に纏ったまさに水も滴るいい男といった風体の安田だった。
安田は何も言わずただじっと見つめてくる。
眼鏡の奥の瞳はこんなにも甘かったのか…などと感動しながら、音尾は射竦められたようにその瞳に吸い込まれそうになる。
自分が女だったら、まず間違いなくあの胸元にふらふらと吸い寄せられて腕の中だろうなあ…などと漠然と考える。
「音尾………来いよ。」
ああ、こんな渋〜い声で自分の名前を呼ばれたらそりゃあひとたまりも無いだろうねぇ………。
音尾はぼんやりとそんな事を思う。
「……そう、いいこだね………おいで………」
耳元にかかる息と甘い囁きに気付いてはっと我にかえると、音尾は安田の腕にしっかり収まっている。
これは何事かと気付いた時には既に遅し、と言ったところだろうか。安田が耳元に蕩けそうな程甘い声で囁きかけてくる。
それがまた何とも心地よくて、再度意識がふっ飛びかけるが慌てて首を振り、どうにか意識を保つ。
「安田……さん、あんた…………俺に何をした…?………」
自分の身体に巻き付いてる腕に力が籠もり、苦しいくらい抱きすくめられる。
「―――何って、何も別に。お前が勝手に飛び込んできたんじゃないか………俺は何もしてねえぜ、音尾。」
口調まで今までの安田とはがらりと変わっている。
成る程、これが謎に包まれていた安田の実態か………などと感心しつつ、流石に身の危険を感じて音尾は身を捩ってその腕から抜け出そうと足掻くが、そうすればそうするほどに安田の腕は執拗に絡み付いてきてなかなか抜け出せない。
じっとりと脂汗が額から滴り落ちるのを感じた。
自分も身体は鍛えている方でわりと筋肉質なのだが、目の前の安田もかなり筋肉質でしっかりとした体つきをしている。
容易に振り解けないことに徐々に焦りを感じていた。
「おやおやぁ、暴れん坊だなあ…………ちゃんと大人しくしてろよ音尾………」
そんな事を囁きかけながら音尾の耳に唇を這わせ、やんわりと歯を立てた。その途端に音尾は小さな呻き声を
漏らす。全身から一気に力が抜けそうになるのを懸命に堪える。今度は冷や汗が背中を伝う。
「そうそう…………大人しくして、そう…いいこだ………」
再び耳を甘噛みし、今度は耳の中に舌を差し込んでくる。
もう音尾は限界だった。腰砕けになり、全身から力が抜けていく。
気が付けば安田がしっかりと抱き抱えている状態だ。
「よっ…と。」
すかり力の抜けた音尾の両手を自分の首に回すと、掛け声と共に安田は音尾の体を軽々と抱え上げて歩き出した。
花嫁でも抱きかかえているように慎重に丁寧に音尾を抱っこしたまま、安田は居間の隣の部屋へと進む。
そこは寝室のようで、安田が一人で寝るのには大きすぎるサイズのベッドが間接照明の明かりの中でぼうっと白く浮かび上がっている。
ゆっくりと丁寧に抱え降ろされた音尾はぼんやりとしたまま無防備に手足を投げ出してしまっている。
暗かった室内は枕元に明かりが灯され、ぼんやりと部屋の輪郭が浮き上がっている。やはりがらんとして何も無い部屋。大きな窓のカーテンは閉め切られ、反対側の壁には大きめのクローゼット。そして中央にはこのベッドが設えてあった。
「――――うーん、俺の眼力も捨てたもんじゃないなぁ……男の音尾までこうも簡単に陥落しちまうか………」
そんな事を呟きながら音尾のやや短めの髪を指先で掻き上げた。
「がんりき……ぃ?…………………何それぇ……………」
音尾がようやく正気を取り戻して掌で瞼を擦りながら身体を起こしかけた。
「んー………何でもない。お前が知りたがっていた秘密はまだ有るんだよ、お・と・おくん

すかさず上から覆い被さって再びベッドの上へ押し戻す。
「なにすんですか…ぁ………安田さ…ん」
困惑顔でそう言った唇をそっと安田の唇が塞いだ。何回か軽く吸い上げた後、やや開き気味の唇の間に舌先をするりと滑り込ませる。
逃れようとする音尾の顔を両手で押さえて、舌はねちねちと音尾の口腔内を蹂躙し始める。
逃げる音尾の舌を追いかけて捉え、ねちっこく絡み付いた。
「……っ………んん…………ッ………」
息苦しさに喘ぐ音尾の様子を見つつ、そっと唇を離して額と額をくっつける安田。
音尾の目前に安田の整った顔がもの凄い至近距離で密着している。思わず顔が赤らむほど、いい男だ。
筋の通った鼻梁、甘さの中に危険な雰囲気を潜ませた眼差し……思わず見惚れそうな凛々しい顔立ち。
やや薄目の唇には先程の執拗な口付けの名残の唾液がうっすらと艶めかしく光っている。
その唇が僅かに動き、渋さと甘さがバランス良く混ざり合った心地よい響きの声が紡がれる。
「音尾ぉ……教えてやるよ、全部お前に。個人レッスンってヤツだな。」
そんな事を実地でレッスンされても困る!―――と反論したいのだが、何故か言葉にならない。
言いたいことは一つも言えずじまいで、目だけおろおろと動かしていると今度は瞼を舐められる。
「心配すんなって………悪いようにはしないから………」
悪いようにったって、今十分悪いようにしてるよアンタっ!と叫びたいのにどうしても思いが言葉にならず、不明瞭な呻き声しか出てこない。
こうなったら全力で逃げ出そうと決意して渾身の力で暴れてみるが、上からがっちりのし掛かられているので子供のように手足をばたばたさせているだけでこれもまた何ら状況は好転しない。
そう言えば安田は思ったより着やせするタイプのようだと今頃になって気付く。
ややはだけたガウンの下から覗く肉体は音尾と遜色無いほどしっかりと鍛え上げられた筋肉質な体型だった。
ブロンズ色に輝く引き締まった肉体だ。
途端に冷や汗が全身から吹き出す。
冗談で有ればいい。酒に酔った安田の粋すぎた悪ふざけだと思いたい。
だが、間近に有る安田の顔は酒に酔った風もなく全く素面のように見える。そしてフェロモン全開といった感じの男の色香を漂わせまくって何やら唇を顔の彼方此方に押し当てては舐めてくる。
それは思ったよりも嫌な感じではなく、どちらかと言えば気持ちが良いことに罪悪感のような物すら感じた。
そう、音尾は自分が本当に嫌がっているわけでない事に自らに嫌悪感を感じている。
確かに安田に憧れていた。いい人だと思っていたし、好意を寄せていたがよもやそんな感情ではない!と、必死に自分に言い聞かせる。
ましてや男女の仲のように一線越えたいと思うわけがない、と。
混乱する頭でそこまで考えていたらようやく言葉が口から飛び出た。
「や………安田さんって………ホモだったんですか!?」
震える声でそこまで言い切って安田の目を覗き込んだ。安田は楽しそうに音尾の首筋にちろちろと舌を這わせていたが、顔を少し上げて音尾の顔を見下ろす。
何て楽しそうな表情なんだろう…と、音尾はぼんやりそんな事を思った。艶めかしい色をした舌でゆっくりと薄い唇をねっとりと舐めた安田は、微笑を浮かべていた。
「――――――――違うね。」
その言葉に弾かれたように音尾はもう一度頑張って言葉を振り絞る。
「じゃ……じゃあ、もう止めません? マジで洒落になってない……ッスよ………」
声が震えてしまう。いや、声だけではなかった。安田の唇が肌に触れるたびに寒気にも似た震えが身体を苛む。
それが決して嫌でないことに、音尾は恥ずかしさを覚えていた。
「大マジだもん俺――――洒落でこんな事出来っかよ。」
そう言って目を覗き込まれた。途端に全身に弱い電流が流れたようになり、意識がとろんとしてくる。
まるで夢の中にいるようなほわんとした感じが心地良い。
「音尾君はさぁ………俺のこと、嫌い?」
「……嫌いじゃ……ないけどぉ……………やっぱ……これはまずいでしょ…………男同士だよ、俺達………」
どうにか意識を保ちながら、必死で伝えたいことを口にした。
ともすればこのまま流されてしまいたい自分がいるのを、懸命に抑え込む。
安田は穏やかな目をしてもう一度音尾の瞳の奥を覗き込んだ。
「俺のこと……好きだよね………音尾………」
ゆっくりと囁くと音尾は顔を赤らめてふるふると小さく顔を横に振ったが、もう一度同じことを耳元でゆっくりと囁くと困惑顔で安田の顔を見つめ返してくる。
「………解らない…ッス…………」
泣き出しそうな表情で、顔を背ける。
落ちそうで落ちないのがもどかしくて、安田は唇の端に笑みを漏らした。
この微妙な雰囲気が安田の自尊心をいたく擽る。今までの女達であれば簡単に意のままに出来たのだが、流石に男相手ではそう上手くはいかないようだ。
だが安田は不適な笑みを浮かべたまま、もう一度音尾の耳元で名前を囁いてから舌を這わせる。
びくっと身体を震わせた音尾はしっかりと目を閉じたまま、顔を背けている。
構わず耳たぶを甘噛みし、音尾の反応を楽しむ。
目を必死に閉じて身体を固く強張らし、唇をきつく引き結んでいるが、ほんの少し唇や舌先でなめらかな肌の上に触れてやると途端に固く閉じた唇から愛らしい喘ぎ声とも悲鳴ともつかぬ声を漏らし、身体を震わせる。
調子が出てきて既に乱れているローブの前をはだけさせ、身体を撫で回しては唇で音を立てて吸い上げてやる。逃れようと安田の肩を両手で掴もうとするのだが全く力が入らない様子だ。
「やめ………て………………退いてよ……………何やってんだよ…ぉ…………」
泣きそうな顔を背けて、音尾が絞り出すような声で呟く。
そんな声にもお構いなしで、綺麗な胸筋とぷちんと固くなった薄赤い突起を存分に撫で回し、その感触を十分に楽しむ。
指先に触れた突起を指の腹で優しく撫で回すと音尾が顔をしかめて身体を震わせた。
爪先でつまむと小さな喘ぎ声を漏らす。
そっと顔を寄せて唇で吸い上げたり舌先で転がして可愛らしい声を暫くの間味わった。
喘ぎ疲れてぐったりとしてきた音尾のローブを難なく剥ぎ取り、安田は上からその見事な肉体をしげしげと見下ろした。綺麗に割れた腹筋。ほどよく盛り上がった胸筋。首筋から肩に掛けてのラインも惚れ惚れするほど美しい。
筋肉に異常な執着心を持つ安田にとってある意味理想の肉体がそこに有った。
散々眺めて目で味わってから、ベッドの上に力なく投げ出されている脚を掴んで膝を立たせ、膝裏を掴んで大きく開かせた。
音尾が突然の事に恐怖の表情で目を一杯に見開いて口をぱくぱくさせた。
膝を抱え込まれて身動きが取れない。更には安田の顔が自分の股間に埋められていた。
視線を恐る恐る下半身にやると、安田が嬉々として自分の分身を右手で支え、大きく口を開いたところだった。
「や………っ!…………あ……ッ…………ん……………」
あっと言う間にくわえ込まれ、温かくてねっとりと絡み付く粘膜の中に納められてしまった。
今まで経験したことのない刺激的で恥辱的なこの行為に、音尾のモノはあっさりと反応し、その部分に痛いくらい血液が集中する感覚に、思わず罪悪感を感じずにいられない。
だがこれまで味わったことのない程の快楽を味わっているのも事実だった。
安田は力強く顔を上下に振り、音尾を易々と絶頂へと導く。時折動くのを止めて下から音尾の顔を見上げてくる安田の艶めかしさと言ったら無かった。
唇の端からは音尾のものと思われる透明な体液と自らの唾液を滴らせ、不適な笑みを滾らせている。
その表情を見ただけで不覚にも達しそうになる自分に音尾は自らを恥じずにはいられなかった。
程なく、限界が訪れる。身体がビクビクと震えた後、さっと硬直し目の前が真っ白になる。
安田は射出されたものを喉を鳴らして飲み下し、ふたたび顔を上げて唇にも付着していた白いものを舌で丁寧に舐め回して取るとにやりと笑みを浮かべていた。






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