花びら… shige side



◇ 1 ◇



 思い出すと、自分でも笑っちまえるくらい瞼が熱くなってくる。
俺はきっと、あの時見た光景を一生忘れはしないだろう――――――…………………。



 「俺が一体何したっちゅーのよ! 言ってみれ! いいから言えってしげ!!」
目の前に立つ男が顔を真っ赤にさせて激昂していた。
そんなにでかい声で怒鳴ったら誰かが来ちまうからやめれや……お前。
ぼんやりとどうでもいいことを考えながら、そんな顔を見つめる。
ぎょろりとした目を一層ギョロつかせて、大泉は尚も俺を責めたてていた。
「……なあ…頼むって…………なんかあんなら言ってくれや…………俺、お前に何かしたか? なあ……しげぇ………」
今度は泣き落としか? 大泉。
悪いけど俺、もう騙されないよ。お前がその口から洗いざらい全部白状しない限り―――俺は死んだって何も言わないし、お前を許すつもりも受け入れるつもりもないから。
自分でも笑えるくらい冷静な心のまま、目の前で怒ったり泣いたりするヤツの様子を眺めていた。
そう………これは眺めていたというのがぴったりだ。
俺はまるで芝居か何かを見るように大泉の言動を眺め、ただぼんやりとこの息苦しい時間が過ぎてくれることを祈っていた。
そんなに怒ることないべや、大泉。
お前が俺に隠してることに比べたら………俺があの時からずっと抱えている絶望に比べたら…………お前の怒りなんてちっぽけなもんじゃねーか。
―――もう止めようや、大泉。俺、もう疲れたよ。
お前のことで頭がおかしくなるくらい悩んで悩み抜いて、一人で泣きわめくのは……俺、もう止めにしたいんだよ。
ぼんやりとそう思いながら、俺は唇をきゅっと噛みしめたままヤツを正面から見据えた。
「なあ大泉、いい加減にしない?」
俺が口を開いたことで大泉の怒号がぴたりと止んだ。そのままじっと俺を見つめてくる。
絡み付くような視線がびりびりと痛かった。
だけどもう本当にこれで終わり。一切合切、俺らの関係はもうお終いにしようや、なあ。
元の仲いい友達に戻れんのには、もの凄く時間がかかるかもしれないけど……でもきっとこのままずるずると続けていくよりはきっといい。
俺なんか今は必死で若作りが出来てっけど、きっとあっという間に歳を取っていく。お前の側に今のままでいられる自信が俺にはないから。
お前の側にずっと寄り添っていられるのは………あの綺麗な子だけでいいじゃん、大泉。
 すうっと小さく息を吸い込み、お呪いの言葉をかけるようにして小さく呟く。
「俺達、もうとっくに終わってんだろ………」

そう、これは自分自身への戒めの言葉。
諦めようと必死で足掻く馬鹿でちっぽけな俺に言い聞かせる、ただ一つの真実……………。



 目を閉じると今でも鮮明に浮かぶ情景。
それはあまりにも自分の愚かさと絶望を一緒くたに呪いたくなった、最悪の光景。

 あの日俺はいつもより少し早めに仕事が終わり、メシでも食ってから帰ろうといつもの店に立ち寄った。
そこは大泉と最近よく行く場所で、隠れ家的な雰囲気がある洒落たアジアンテイストの店だった。何を喰ってもはずれがないのと、薄暗い店内の席がやはりアジアン的な布地である程度の目隠しがされていて、人の目をそんなに気にせずにくつろげるところが気に入っていた。
その日は大泉も俺も仕事の予定がぎっちり詰まっていて、とてもじゃないけど二人で会ってメシを食うなんて余裕はスケジュール帳のどこにも見当たらなかったが、俺の方はひょんな事から夜中まで入っていた仕事がクライアント側の都合で延期になり、思わぬ余裕が出来たのでメシでも食っていこう…と、本当に軽い気持ちでふらりと足を向けたのだった。
 入り口を入ると店員がすぐに声をかけてきたが、全く見かけない顔だった。頻繁に来ているせいで大抵の店員とは顔馴染みになっていたので、恐らく新人だったのだろう。
ある程度気心の知れた店員ならここで気を利かしてさっといつもの席に通してくれる筈だが、新人では流石にそんな融通が利くわけもなく、思った通り俺はいつも使っている奥の席ではなく入り口近くに通された。
まあ今日は一人だし気軽だからたまにはいいか……そんな事を思いつつ、定番のスープカレーを頼んで一息つく。
繁盛している店内を薄い布越しに観察しながら、カレーが運ばれてくるのを待っていた。刺激的なスパイスの匂いが空腹をより一層そそりたてる。
大泉は今頃まだ仕事をしているんだろうなーなんて思いを馳せていると、目の前に待望の一品が運ばれてきた。


 満ち足りた気分で食べ終わり、飲みものがまだかなり残っている時点で俺は席を立った。勿論帰るわけではなく、お手洗いにいくつもりで。
トイレは店の一番奥にあった。人目を避けるようにキャスケットを目深にかぶり直し、通路を歩いていく。
ふといつも使っているシートが手前に見えてきたので、なんの気無しに目をやった。薄いカーテンで仕切られてはいたが、麻紐のようなもので簡単に縛られた布地の隙間からは意外に中が覗けることが解って、一瞬ガッカリした。
自分が思っていたよりも俺達は人に見られていたのかもしれない。
そんなことを考えながら本当に意味もなく中の人間に目をやる。
綺麗な女の子と背の高そうな男が仲良さそうに並んで座っていた。女の子が男にベタ惚れなのか男の膝に自分の膝をくっつけそうな勢いで男の顔を見つめている。
ふと、男がどんな顔をしているのか気になった。
これは男としての性かもしれない。やはり見た目が可愛い女の子が熱い眼差しで見つめる相手を見て、品定めしてみたくなるのはもう習性と言っていいかもしれない。
布地が邪魔をしていて見えなかった顔が、通り過ぎる際にちらりと視界に入ってきた。
柔らかな癖毛のカールが特徴的だった。
長い顔に大きな目と重たそうな瞼。口許には青々とヒゲを伸ばし、やや疲れた表情に見えるのは目の下の隈が濃く浮き出ているせいか。

―――――――………大……泉………………………。

見間違う筈もない、大泉その人だった。
今朝事務所でちらっと会ったときに着ていたシャツもそのままで、大泉が女の子に向かって微笑みながら手を差し出している。長い人差し指と親指の中におさまってきらりと光るものは……。
女の子は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしたまま、左手を大泉にぎこちなく差し出している。
近くを通り過ぎるほんの一瞬のうちに、俺の目と脳裏にしっかりと焼き付けられた光景。
否定も何も彼もを受け付けることが出来ないくらい確実な場面。
女の子のあの嬉しそうな笑顔が、見るも無惨な現実を突き付けてくる。しかも無意識に。
 足元を掬われたような感覚を覚えながら、ふらふらとトイレに飛び込んだ。
そのまま呆然と鏡を見つめる。
オレンジ色の照明に照らされた自分の顔は真っ白で、まるで死人のように見えた。動く死体のようにぎこちない表情で、ただ目だけがぎょろぎょろと動いているような気がする。
何かを呟こうとしたが口の中はかさかさに乾いて、声なんてまるきり出てこない。
ただぱくぱくと虚しく口を動かした。
此処にいるのはまさに……生きる死体でしかなかった。



 今日もおにぎりのロケがある。
最近では大泉も俺を問い詰めることに諦めを感じたのか、随分と大人しくなった。
そんな態度がまた俺の神経を逆撫でする。
一言…………たった一言でもいいからちゃんとその口で告げてくれれば、それでお互い楽になれるのに。
俺は心からお前を祝福してやりたいと思っているよ。出来る限り平静でいようと頑張るし、きっと頑張れると思う。
なのに頑なに口を閉ざしたまま、不満を露わにした目つきで黙って見つめられるのは、気が狂いそうになる。
俺がここで泣き喚けば満足か? 大泉。
何も彼もぶちまけて泣けば……お前はあの子を捨てて俺の側にいてくれるのか?
――――どろどろと渦巻くどす黒い感情がはけ口を見失ったまま、俺の中でくすんだ澱になって溜まっていく。
大雑把でもいいさ。ただ一言だってもう構わない。お前の口からちゃんと言って貰えるなら………いっそ諦めもつけられるのに。
こんな僅かにも満たない希望を見出そうと、必死で足掻く事なんてしやしないのに―――――。


 そしてまた今日も俺は、大泉を無言で責め続けてしまうわけだ。マミを巻き込んで。
俺はお前の前でわざとじゃれ合ったり、いかにも仲良さげに喋り続けている。
これは俺に出来る最後の抵抗であり、お前への最後通告。
元の二人にもどるなんて……どうやったって出来やしないんだよ大泉。
お前があの子を選んだ時点で、全ては変わってしまったんだからさ。



 今日のロケは最悪なことにアクシデントに巻き込まれていた。
遅くても今日中には札幌に着くはずだったのに大きな事故で道路が封鎖されて、帰るにはかなりの遠回りを強いられてしまう。かといってそれをやれば、恐らくスタッフも俺達もボロボロになることは目に見えていた。
苦肉の策で近くの温泉旅館に宿を取ることになった。
それは別にいいさ。
けど、今は少しでも早く大泉と一緒の空間から逃げ出したい俺にしてみれば、どちらの選択も正直なところ拷問に近い。
更に最悪なことに突然週末に予約無しで飛び込んだ小さな旅館では、当然ながら限られた部屋しか与えられない。俺と大泉は有無を言わさず一緒の部屋にさせられた。
まだADが一緒なだけマシなのかもしれないけどさ……。

 温泉は悪くなかった。だけど浸かっている全員が見事に無言だ。
みんな心底疲れ切っている。
部屋に戻ると座卓が窓際に寄せられ、その手前に布団が三組並んで敷かれていた。
なるべく疲れた顔を見せないようにスタッフと二言三言くだらない笑い話をしながら、俺は一番端の布団の上にどっかりと座り込んだ。
まだ部屋の入り口辺りでぶすっとむくれたツラを晒している大泉にちらりと視線を投げかけ、顎で反対側の端の布団に行くよう示した。
意外に素直に大泉はそれに従い、反対側の布団の上でどっかりと胡座をかく。
ADだけがただ一人突っ立ったまま、おろおろとその様子を見ていた。
俺らの確執はスタッフ全員周知の事実で、今更隠すこともない。勿論Vが回っている間はきっちり今までの俺達を演じきっているから、視聴者にばれていることもない。
そんなわけでADは何か言いたげな表情をしながらも、無言で残された真ん中の布団に近付いてすとんと腰を下ろした。
 皆疲れた身体を引きずるようにして布団に潜り込み、目を閉じる。床の間にある行灯の柔らかい灯りが少し鬱陶しいと思いつつ、疲れのせいであっという間に意識が振り子のようにゆっくりと前後に揺れ……俺は深い眠りに落ちていった。
よもや大泉が何かを仕掛けてくるなど、露ほども思うことなく…………。


 閉じている瞼の裏にさっと人影が過ぎったような気がして、目を覚ました。
だが一旦寝入ってしまった脳味噌はそう簡単に目覚めてくれるわけはなく、暫く何も考えられない状態のまま、今自分がいる場所をぼんやりと考える。
ようやく頭が動き出してきた途端、俺のすぐ目の前に覆い被さっている大泉の姿が飛び込んできて思わず目を見張る。
咄嗟のことに何が何だか解らないまま声をあげようとしたが、あっという間に大きな手で口を塞がれた。
………冗談じゃねえ! なによこれ!?
口許の手をどけようとしても自分の両手が全く動かないことに気付き、愕然とする。
両腕が自分の腹の上で縛られているようだった。手首にギリギリと食い込む紐の感触がただもう不快極まりない。
もう一度叫ぼうとしたところで大泉がにやけたツラを近付けてきて、そっと耳元で何かを囁いてきた。
「……バぁカ。騒いだら隣で寝てる奴が起きちゃうでしょうが。おとなしくしとき……」
言葉がじわじわと耳から脳を浸食してくるにつれ、凄まじい怒りと屈辱感がふつふつと滾ってきた。
腸が煮えくり返るとはまさにこんな感じなのか?
だけどどんなに煮えくり返ったところで、今の俺には抵抗する手だてが全くなかった。出来ることといえばせいぜい目でこの怒りを訴えるくらいしかない。
出来る限りの怒りと憎しみを込めて大泉を睨み付けたが、目の前の大泉は何が嬉しいのかにやついた笑みを今度は普段テレビ向けに使っている笑顔に切り換えて、嬉しそうに俺の顔を覗き込みながら口を開いた。
「あらぁ、いいザマじゃないの? 佐藤さん。キミ、油断しちゃったねえ…ちょっとばかり。」
その言葉にカッときて、思わず口許を塞ぐ掌に思いっきり噛み付いてやる。血が出ようが肉が千切れようが知ったこっちゃねえ。
「……痛ッ………いってえなーおい。何してくれんのよお前。」
大泉がそっと手を離し、恐々と掌を見ていた。
そんな余裕綽々の様子が癪に障って思わずでかい声を張り上げた。
「………馬鹿かお前は! 悪ふざけも大ッ概にしやがれッ!!」
大泉はやれやれと言った顔で子供に諭すかのように囓られた手の方の人差し指を自分の口の前にたてた。
「しげー………だからさあ、でかい声出すなってば。今こんな格好見つかっちゃったりしたら、お前さんだって恥ずかしいべ?」
今度はその人差し指を俺の唇にそっと押し当ててくるので反射的にがぶりと歯を立てた。我ながら怒りに我を忘れた猫のようだ。
大泉は小さな声で呻いて手を引っ込めると、そのまま勢い良く俺の頬を両手で押さえ込んで無理矢理に唇を重ね合わせてきた。
咄嗟に唇をがっちりと閉じたが、大泉はお構いなしに俺の唇を舐っては何度も何度もやや乱暴に重ねてくる。
更に縛り上げた手首をぐいっと持って頭の上に持ち上げて更に身動きが取れないようにし、俺の弱い部分に唇を当てては舌先で愛撫を繰り返した。
大泉に慣らされた身体が否応なしに反応し、どんな些細な感触にも過敏なくらいに反応してしまう。
それが心底切なかった。
忘れなければいけなくて必死で振り切ろうとしている男の身体を……俺の身体は醜いくらい貪欲に覚えている。
例えこれが復讐じみた気持ちで与えられる快楽だとしても。
 気が狂いそうな心とは裏腹に愛撫が徐々にねっとりと激しさを増すたび、じりじりと焦げ付くような快楽への乾きが鎌首をもたげてくる。
それを必死で振り払おうと俺は暴れた。がっちりと動きを遮られた上半身はどうしようもないが、まだ足は動かせる。
それこそ死にものぐるいで逃れようと身体を動かす。それが布団の下での虚しい抵抗だとしても、何もせずに屈服など真っ平ごめんだ。
「降りろ! 止めろってこのクソ泉!! てめえなんぞに金輪際関わりたくねーんだよ俺はぁッ!!」
半狂乱になりながら泣き叫び、脚をバタつかせた。どうにかして上にのし掛かっている男を退けないことには、今まで一人で耐えてきたことが全て泡のように消え去ってしまいそうで……ただひたすらに怖かった。
 そんな俺の様子は大泉の行動をエスカレートさせるだけだった。
気が付けばさっきまでの余裕の表情は消え去り、その顔は怒りと欲望でぎらぎらしている。
着ていた浴衣の襟元をぐいっと引っ張られ、胸元が露わになる。両手首を頭の上で固定されたままなので、自然と俺は胸を反り返らせて大泉の目の前に晒している格好だ。
「見られて恥ずかしくねーんなら、せいぜいイイ声だせや。じゃなきゃ必死で耐えれ。」
先程とは比べものにならない屈辱感に唇を噛みしめる俺を見下ろしながら、大泉はゆっくりとそのざらついた舌先で胸の突起を舐め回し始めた。
痺れるような甘い快感が身体を電気のように走り抜けた。
「………ん……………く…ッ………」
絶対にあげたくない喘ぎ声が知らず知らずのうちに自分の口から漏れてしまうことに愕然としながら、それでも必死で唇を噛んで何とか堪えようと藻掻く。
けど、それは虚しい足掻きでしかなかった。
ほんの少し歯を立てられ、唇で啄まれるだけで……俺は反射的に悲鳴を漏らしてしまう。
泣きたくなるような責め苦に喘ぎながら、一方では与えられる快楽に身体を震わすあさましい自分が目を覚まし始めていた。
「あーあ………佐藤さん、全然変わってないねえ。なーによ、このいやらしい身体はさー。乳首ちょっと舐めただけで、こんなに善がっちゃってまあ……」
からかうような口調の言葉が棘のように突き刺さっては、少しずつ食い込んでくる。
悔しくて精一杯睨み付けようとするのにどうしても力が入らない。気を抜くと涙が溢れてきそうになるのを懸命に堪えながら、それでも尚必死で睨み続けた。
「何よそのツラは。言いたいことがあんなら言ってみれ? んー?」
大泉は口の端を少しあげ、笑っているのか怒っているのか解らない微妙な表情のままそんな事を呟き、硬く凝り始めた胸元をまた舌先で執拗に舐り続けた。
血液がじわりと下半身に集まってくるのが感じられ、じりじりと沸き上がる餓えにも似た焦燥感に苛まれる。
――――このままだと本気で後に引けなくなる。
もう何も考えずに流されるまま大泉を受け入れたい弱さと、精一杯抵抗して何とか逃れようとする気力が鬩ぎ合っては葛藤を繰り返していた。
 徐々に荒くなりつつある大泉の息遣いの合間に、しゅるしゅる…と嫌な音か聞こえてくる。
大泉は今度ははっきりと口許に笑みを浮かべながら、俺を見下ろしていた。
訳が解らないままただ得体の知れない恐怖だけが背筋を駆け抜ける。嫌な汗がじわりと額から滴り落ちた。
多分今大泉が手に持っているのは俺の浴衣の紐だ。そしてそれをあっと言う間に俺の手首に引っ掛けたかと思うと、のし掛かっていた身体をひょいと退けた。
思わず何が起こったのか解らないままほんの一瞬呆然としていた俺だったが、咄嗟に我に返ると慌てて腹筋を使って上半身を起こし、逃げようとした。
そう………した。結果的に失敗に終わったわけだ。
勢い良く上半身を持ち上げたまでは良かったが、縛られた手首に更に引っかけられた紐によってその動きは封じられ、見事な勢いで布団の上に引き戻されて叩き付けられた。
その間に大泉はその紐を枕元の近くにあった座卓の脚に易々と縛り付け終わって、面白そうに見物してやがった。
「おーお………随分とい〜い格好しちゃってまあ。お似合いですよー、佐藤さん。」
叩き付けられたときの身体の痛みと浴びせかけられる言葉の冷たさに思わず顔をしかめながら、俺はどうにかして逃げることを必死で考え続けていた。
このまま抵抗もしないでこいつを受け入れるの容易い。
けど、それじゃあきっとこれからも何も変わらない。
何とかして大泉を突き放さなけりゃ……大泉はきっとずっとズルズルと俺に執着してくるだろう。今みたいに。
それはきっと俺にも大泉にもいいことじゃないし、当然ながらこいつの嫁さんになる人に対して申し訳が立たない。
「大泉ぃ!! いい加減にしれって! 俺はもう二度とお前なんかと口を聞くのも寝るのもご免なんだよ!」
渾身の力を篭めて暴れながら声を張り上げた。
これで気がそげてくれさえすれば……みんなもう悪戯に傷つかなくて済むかもしれない。そんな僅かな望みを篭めて……。
「おいおい佐藤さん…あんまり叫ぶとお隣の方、起きちゃいますよ。」
大泉はつらっとした様子でそう呟き、暴れる俺を楽に押さえつけた。今や両手首を完全に封鎖されて繋がれているので、大泉は全くもって余裕綽々だ。
俺が暴れてぐちゃぐちゃにした布団をそっと剥ぎ取り、またもや上にのし掛かってくる。
俺はといえば最早出来る抵抗といえば顔を背けるくらいだった。
「なぁ………本当になしたのよ? 俺、お前になんかしたか? ここんとこ忙しくてちゃんと会ってなかったけど………お前に嫌われるようなことなんて、してねーと思うんやけど。」
そっと顔を覗き込んでくる。長い指先が汗ばんで張り付いた前髪をそっと掬い、優しく掻き上げた。
「なあ………しげぇ。」
…………やめてや、大泉。急にそんな優しい声で囁かれたら俺……挫けちまいそうになるべや。
胸の奥がぎゅっと熱いものに占拠されそうになって、慌ててそれを奥底にしまい込み、代わりに精一杯の抵抗を試みる。
「るせえッ!! てめえで解らねーんなら俺だって知ったこっちゃないね!!」
大泉を睨め付けながらそう叫んだ。
ああ………気が狂いそうだ。

「ああそうかよ――――んじゃあ俺もお前なんか知ったこっちゃあないわ。お前が泣こうが辛かろうが……好きにさして貰うって事で、いいね?」
大泉の目に怒りと妖しい光が宿っていた。今まで見たことがないくらい怒っているのは明白だった。
この時になって俺は火に油を注いでしまったことにようやく気付いたのだが、既に遅かった。
「……ッ…!……」
首筋に鈍い痛みが走った。しかも一カ所ではなく何カ所にも。
大泉が唇を押し当ててくるたび、じわり…と肌の上で小さな小さな炎が燃え上がっては余韻を残して消えていく。まるで桜の花びらが散っては舞い落ちるかのように、俺の肌の上にはらりはらりと落ちてくる。
今までは仕事に差し障るからとあまり付けられることの無かった赤い跡が、何度も何度も執拗に肌の上に残されていた。
 鈍い痛みはいつしか甘い疼きに変わっている。頭の奥が痺れたように麻痺して何も考えられなくなっていた。
ほんの僅かな刺激がかえって貪欲な身体を目覚めさせているのは明白だった。それでも何とか理性を保とうと、俺はきつく唇を噛みしめて声を噛み殺す。
気が付けば下着も全て剥ぎ取られ、大きく脚を開かされている俺がいた。








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