◇ 2 ◇



 まだ荒い息の中で、何度も唇に口付けを繰り返した。
シゲの声は掠れてしまっている。必死で悲鳴を噛み殺しても、それでもやっぱり口からは知らず知らずに漏れていたからだ。
額や頬に汗で張り付いた髪を掻き上げてやると、瞑っていた目をうっすらと開けた。それほど長いってワケじゃないのに華やかに見える睫毛が、切れ長の目を縁取っていて……やっぱりコイツ、綺麗。
それにこの黒い髪。俺が癖っ毛でサラサラに憧れているからかもしれんが、やっぱりこれも綺麗。
つーか、似合ってるんだろうな。黒いのがかえって白い肌に映えるから、いやらしくて……艶っぽい。
そんな髪を指先で弄びながら、また口付けた。今度は額にひとつ、瞼の上にもひとつ。
「いやー………ま〜だいやらしい顔してるわ。」
あまりに色っぽい表情のままなんで、ついつい口にしてしまう。
「……んだよ、それ。」
シゲは呆れて呟いた。
「俺から見たらお前だって、さっきから相当にやらしい顔してるよ。」
下からぴしゃっと俺の頬に手を当てて、ちよっと口を尖らせてから………にっと笑う。
そんな顔見てたら、ちょっとこれはヤバい感じだなー。
「シゲぇ…………あのさあ。」
そう言いながら、シゲの手を取り―――俺は昂ぶりを取り戻しつつあるモノをそっと触らせた。
「う……………っそ…………………お前の………………」
そのまま絶句した。そりゃーそうだ。シゲの手の中で俺のモノは既にガチガチに反り返り始めている。
「なあ………もう、やべえ?」
硬くなったソレをシゲのモノにゆるゆると擦り付けた。いざとなればこうやってるか、スマタで我慢するかだな。
「…………大泉。」
シゲが下からじっと見つめてから、口を開いた。
「しょうがねえなあ…全く…………覚えたてのガキみたいじゃねーかよ。」
苦笑いしながらも、シゲは俺の背中にするりと腕を廻し抱きついてきて、こう囁いた。
「惚れた弱みだ。好きにしろ。」
―――――鼻血が出そうだ。
なんて事言ってくれるんでしょうか、この男は。しかもこんなにあっさりと。
「嘘っ……………マジで!?」
「マジで。」
自分でそう言った途端に顔をさーっと赤くして、ぷいとそっぽ向いてしまった。
こんなに可愛いと……俺、気が狂いそうだよ。


 さっきとは違い、二回戦目は格段にやりやすくなってる。
シゲの中は俺の体液で満たされてて……出し挿れするたびにいやらしい音がぐちゅぐちゅと響き渡った。
そのせいで大分痛みも軽減されているのか、シゲは悲鳴と言うよりは掠れた甘い喘ぎみたいなものを口から漏らす。
 それにしても……本当になんて綺麗なんだろう。
白い肌に汗が時折滴り落ちてゆく。無駄な贅肉のない引き締まった身体に華奢な腰つき。
手足がすんなりと伸びていて、いくら見ていても見飽きない。
もっともっと………感じさせたい。
感じるままに、乱れさせたい。
熱い想いは、留まるところを知らないよ………

 両手で身体中を弄ぐってやる。触れるか触れないかくらいの、感度で。
俺の掌の中で熱を持ち続ける身体。
気が付けば胸の突起が凝って立ち上がっている。薄赤く色づいてなまら美味しそうなので、緩く腰を使いながら舌を這わせた。
「……ぅ………ん…ッ…………」
舌先で擽ると、小さくイヤイヤをして引き離そうとする。
目の端に涙を浮かべて耐えてる姿がいじましくて…もう少し苛めてやりたくなった。
右手をそーっと下腹部に伸ばしてシゲのモノに触れ、指先で愛撫してやる。
「ゃ…………ぁ…………お…ぉ………いずみぃ…………」
シゲのモノは完全とは言い難いが、しっかり勃ち上がってきていて、なんだか感動………
ちゃんと感じてくれてる。こんなに淫らな熱を抱えて。
「シゲ………我慢しなくていいんだぞ。」
ちゅっと突起に口付けて、また口に含む。
ビクビクと跳ねる身体を抱き締めながら、刺激を与え続けた。
段々と二人の息づかいが荒さを増してくる。
 そろそろ限界を迎えそうになってきた俺の元気すぎる息子を、シゲの中のある一定の部分に向かって打ち付ける。
その瞬間、電流に打たれたみたいにシゲが身体を硬直させた。
「……だ………ッ…………………や…………………ああ……………んっ……………」
「ここ…………そんなに気持ちイイ?」
「ちが…ッ…………やだ……………は…………ぁあ………………」
大きすぎる快楽がシゲを半狂乱にさせていた。今にも達してしまいそうなシゲのモノが、如実にそれを語っている。
何とかして逃れようと足掻くのを押さえつけ、開かせた膝をがっちりと掴んで腰を折り曲げさせた。
こうすると、シゲの下半身は俺の身体の下ではっきりと開かれてしまうわけで……相当恥ずかしい格好をさせてしまっている。
「シゲ………目ぇ開けて………見てみろよ。」
「や………だ!」
「いーから………ちゃんと見ろって………」
渋々目を開いて、シゲは愕然した顔で目に涙を溜めていた。
「ちゃんと見えたべ? 入ってるとこ。」
赤く染まった顔を背け、再び目をぎゅっと閉じる。
「駄目だって………ちゃんと見てろよ。」
自分の中に体液塗れの俺のモノが呑み込まれている光景は、相当にショックだったらしい。
「……仕方がねーなあ………」
そう言いながら身体の下に向かって、ゆっくりと腰を打ち付けた。
ぐちゅぐちゅという淫らな調べが辺りに響き渡って、なまらいやらしい。
「すげえだろ…シゲ。さっきからずっとこうやって………お前と繋がってたんだぞ………」
徐々に打ち付ける速度を速めると、シゲの口からは悲鳴に似た喘ぎが絶え間なく上がる。
この感じだと……………シゲ、このままイっちゃうかな…………
「…………好きだよ、シゲ。お前が、大好き。もっともっと………めちゃくちゃにしてやりてえわ………」
最後の言葉は殆ど聞こえないくらいになってしまった。俺も限界が近くて―――――
「大泉ぃ……………お……いず…………み………………ッ……………」
シゲは必死で言葉を振り絞った。
「もっと………好きって……言え!……………………俺のこと…………大好きって……っ…………」
「シゲ、好き…………大好き……………お前が………大好き…ッ………………」
「……………俺も………ッ………」
俺達は殆ど同時に昇り詰めた。
体液を迸らせ、絶頂を迎える。
それはあまりにも甘美で…酔いしれそうな瞬間だった……………



 辺りが大分明るくなってから目が覚めた。
気が付けばチェックアウトの時間が近い。
腕の中には当然の事ながら、シゲの寝顔。昨夜相当に無理をさせちゃったせいか、かなりぐっすりと寝入ってる。

微睡みながら寝顔を見つめた。
ほんの一週間前までは………全く考えられなかった事だな、これ。
シゲを抱いてるの事と言うよりは、誰かに心をときめかせるという事が。
もの凄く臆病になっていた筈なのに、今はそれすら不思議な気がしてくる。きっかけがあれば、心ってこんなに簡単に変わるもんなんだなー……
今はただ、腕の中で幸せそうに寝息を立てている男が愛しくて愛しくて―――たまらない。

 そーっと寝顔に口付けしようとした途端、携帯の着信音。このメロディは…………メールかな。
「…………う…ん………………なんか…うるせえ…ぞー…………」
シゲが寝惚けながらごろりと寝返りを打ったので、『寝顔に口付け計画』はあえなく失敗。
時間も時間だ。そろそろ起きてここを出ないといかんなぁと思い、断腸の思いでシゲを揺り起こした。
「おーい、起きろーシゲ。時間だよー。」
びくともしない。俺も寝起きは悪いが、コイツも相当なもんだ。
「起きろー………追加料金取られちゃうよーシゲーーーーー。」
「…え…………あ………あぁ………………………うん。」
まだ寝惚けているのか、重い目を擦りつつ布団をはね除けて起きあがった。当然ながらお互いまっ裸なんだが、すっかり忘れていたらしい。
「――――――うわッ!?」
一糸纏わぬ姿で慌てて肩を抱えて、ぶるっと震えた。
「……バカだな? お前。いっきなり起きあがったら俺だって寒いべや。忘れてんじゃねーぞー……」
茫然とベッドの上に座っているシゲの肌には、昨夜俺が彼方此方に付けてやったキスマークが赤く浮かび上がっている。
「あーあ、シゲってば…朝から随分と美味しそうですな。せっかくだからこのまま押し倒してあげようかー?」
その言葉にシゲは顔を赤くして、サイドテーブルに置いてあったメモ帳を投げて寄越した。
「嘘だっつの。ホラ、早く着替えて出るべ。」


 ホテルをチェックアウトして、その場でタクシーに乗り込んだ。ここからならシゲのアパートはさほど遠くはない。
本当なら地下鉄で帰るところなんだろうが、如何せんシゲが動けない―――――
………そしてそれは俺の責任が大なワケであった。
やっぱり最初っからハードにやったのはまずかったわ、ほんと。
シゲ、ボロボロになっちゃった………
ゆっくりとしか歩けなくて、しかも苦痛に脂汗を浮かべちまうくらい、相当辛そうなんだもんなー。




 清々しい朝ですね、皆さん!
僕は、ご機嫌で仕事をしていますよー。
今日は明けて月曜日。土・日と充実した休日を過ごし、先週とはうって変わってのやる気バリバリモードであります。
隣の席の佐藤君はまだ何かちょっとだるそうなツラをしていらっしゃいますが、そんな事僕ぁ知りません! ええ、知りませんってば!!
なーんて脳内でテンションをあげながら、仕事を片付けていた。
週末、さんざんイチャイチャべたべたしまくって、俺は元気溌剌なんだけどねー………シゲがやっぱりボロボロなワケ。
そして今も時折辛そうに腰をさすりながら、書類を作っております。
音尾が心配して『腰痛?』なんて聞いてるけど、そーんな生易しいものではないので、俺は一人で笑顔を必死で噛み殺しているっちゅー感じよ。
あのワイシャツの下に、無数のキスマークが隠れてるって知ったら…皆さんさぞや驚かれるでしょうなあ。

ああ、なんか幸せ………俺ってば。



 そして待ちに待った週末がやってきた。
もう俺もシゲも今日は朝からそわそわしっぱなし。
恋愛の初めって、どうしてこんなに浮き浮きするんだろうなー、全く。仕事が手に着かねえっての。

 さっさとタイムカードを押し、二人揃って会社が入っているビルを出ようとした時―――不意に肩をポンっと叩かれて振り返った。
「久しぶり………大泉っ!」
小柄な背丈。長く伸びた黒髪。大きな目をくりくりさせた可愛らしい顔がにこやかに微笑んでいる。
「え………………お前……………」
顔から見る見る血の気が引くのが解る。
「酷いよー、大泉ぃ………空港まで迎えに来てくれるかと思ったのになあ。」
何とか言葉を喋ろうとするのだが、喉のところで詰まって―――――ひとっつも言葉にならない。
「めぐ………ちゃん…?……………」
隣にいたシゲが、恐る恐るその名を口にする。
そうだ。ここにいるのは―――めぐだ。
でもどうして。なんでいきなり………俺の目の前に!? いや違う。俺達の目の前に現れんのよ――――――!?
「あ、ああ! 確か、えーと…………シゲさんでしたっけ? どうも、ご無沙汰してましたっ。」
明るくて元気が良くて、人当たりのいい性格。
めぐはあの頃と何一つ変わっちゃいなかった。

だけど……………俺は………………………もう。


 どうして良いか解らず、隣のシゲを見た。
シゲは――――――はにかんだように笑っていた。
傍目にはそう見えるだろう、おそらく。
でも俺には…………その笑顔は泣き顔にしか見えなくて。
何か言おうとするのに、言葉はやっぱり出てこなかった。
必死でシゲを見つめる。言いたいことを言えずに、目で伝えようと足掻いて。

そして……シゲはそれを解っていたんだと思う…………

解っていて、アイツはうっすらと微笑んだ。

「………良かったな、大泉。ずっと待ってためぐちゃん…帰ってきて…………」


右手をぴらぴらと振り、シゲはゆっくりと後ずさる。
「じゃあ俺………帰るわ。これから約束あるんだ。じゃな! めぐちゃんも、じゃあ!」
くるっと背中を向けて小走りで俺の目の前から去っていく。俺はシゲの名前を叫ぶ事も出来ず、小さくなっていく背中をただ茫然と見送った。


どうして、何にも言ってあげられなかったんだろう……俺。
シゲはあんなにも泣きそうな顔をしていたのに。
心臓が張り裂けそうなくらい苦しくて、動悸が早くなる。

俺は――――――最低じゃないか!


 「どうしたの…? 大泉。」
めぐが不安げにこちらを見上げてきた。
「あ、ああ…いやっ…………なんでもない。………なんでもないんだ……………突然で、その………あまりにもビックリしちまってさ………」
「突然って……ちゃんと先週メールしたよ、私。もしかして見てなかったとか?」
首をほんの少し傾げてにっこり笑いながらも、ちょっと不満げなニュアンスを含ませてそう言った。
俺は慌てて携帯を取り出し、未読のメールを探す。
「先週って………先週のいつ頃よ?」
ここのところ携帯のメールなんて殆ど放っておいたので、迷惑メールが大量に放置状態だった。その中から該当しそうなものを探し出しながら、なんとなく上の空で尋ねる。
「多分先週の土曜日、かなぁ。日本でだと……多分ね。」
―――――先週の土曜日。
そりゃあ……メールなんて見ていられる状況じゃなかったわ。
なんてこった………ちゃんとそれさえ見ておけば、こんな形でシゲを傷付ける事は避けられた筈なのに。
 俺はメールを探すのを諦め、恐る恐るめぐを見た。
めぐはまだ首を傾げたままだ。
「大泉……怒ってる? 突然こんなところで待ち伏せしてたから………」
「い……いや、そういう事じゃないんだ。………めぐのせいじゃないから……その、気にしないで。」
俺は慌ててめぐの手を引っ張って歩きだした。
「どっか、メシでも食いに行こう。な?」


 聞けば、めぐはつい今し方帰ってきたばかりらしかった。
「札幌駅……随分変わっちゃったねえ! 改札出てビックリしちゃったよ。あんなに大きくて綺麗になってて。私がイタリアに行く前はここまだ工事中で何にも無かったんだよね。凄いなあ、本当。おっっきいよねえ……一日見て回っても全然回りきれないでしょ? ね、大泉?」
興奮して喋りまくるめぐを余所に、俺は心此処に有らずといった感じで、適当に相づちを打った。
ゴロゴロとめぐのスーツケースを引きずりながら、ステラプレイスの上のレストラン街へ向かっている。
 適当な店を物色していると、レストラン街に併設されているとある場所へと出てしまった。
「ねえ大泉……ここ、何のセット?」
言われてドキリとする。
ここは…………これは………………
「うわ、もしかしてこれ………教会なんじゃない?」
「…当たり。石づくりの教会とかって言うらしいわ。」
俺はなるべく何でもないようなふりをして、その場から足早に立ち去ろうとしたが、めぐは暫くしげしげとその場所を見ていた。

 アジアンフレンチと銘打たれたレストランに入り、適当に注文を済ませてから俺はトイレに行って来ると告げて、店を出た。
フロアの隅の目立たない場所で携帯を取り出し、電話をかける。だが、出ない。
いや、出てくれないと言ったほうがいいのかな………
呼び出し音が何度も虚しく耳元で響く。
一旦切り、かけなおす。そしてまたリダイヤル。
何度も何度も繰り返して、シゲが電話に出てくれることを祈った。
だけど、やっぱりシゲは出るはずが無くて。
あんな顔して走り去ったシゲが、許してくれるわけはないのに………バカだな、俺。
 失意のまま、めぐの待つレストランに戻った。
「丁度良かったー、今お皿が来たところ。もうねー、むこうだと毎日毎日イタリア料理でしょ……やっぱり飽きちゃうんだよね。」
めぐは嬉しそうに笑って、料理を口に運んでいた。
「メール……ごめんな、見てやれなくて。」
「ううんいいよ………私こそ、今までずっと返事できなかったし……」
「…いつまで……お前こっちにいる?」
「うーん、決めてないんだぁ………せっかくやっと取れた休みでしょ。もう3年もこっちにいなかったから、少しゆっくりしたいのもあるし。」
俺はそんな話を聞きながら、胸の中が痛くて仕方がなかった。

めぐは…………好きだと思う。多分、今でも。

たけど―――――シゲは?

俺の中で様々な想いが泥沼化して、とてもじゃないけど食事を味わう余裕がない。
半分ほどで食べるのをやめ、俺は一緒にオーダーしたカクテルばかりを飲んでいた。
「ねえ………大泉ぃ?」
大きなくるくると良く動く瞳が、訝しげに見つめてくる。当たり前だよな……明らかにおかしいもん、俺。
「何かあったの……?」
「……いや、何もねーって。ただちょっと、その……仕事で疲れてるだけだって。悪い悪い、せっかく帰ってきたのに心配かけちゃってさ。」
精一杯笑顔を作った。
めぐはちっとも悪くない。悪いのは、全部俺だ。
勝手にもう駄目だと思って、諦めて………シゲにときめいて……………
こんなにもアイツに夢中になってるのに―――どうしようもない状態に陥っちゃってる。
そう、悪いのは全部………俺。


 めぐを家に送りながら、俺はずっと他愛のない話ばかりを選んで話した。
これ以上めぐを不安にさせちゃいけない。そればかりを考えて。
「ありがと、大泉。今日は突然で本当にゴメンね。驚かせたくって待ち伏せなんてしちゃったけど……ごめん。」
別れ際にそう言って、笑った。
「でも、帰ってきてやっぱり一番最初に会いたかったんだあ。ありがとうね!」
―――――そんな事、言わないでくれや…………めぐ。
俺、お前にきっともの凄く酷い事をしてるんだぞ。
お前がいない間に心変わりして、今だってそいつの事が気になって気になって気になって―――狂いそうなんだ。
だからそんなに無邪気に……微笑まないでくれ―――――



 隣の席には、いつもの通りシゲがいた。
普段と何も変わらず仕事をこなし、週末の間に溜まったものを精力的に片付けている。
俺はと言えば、仕事なんて全く手に着かなくて………ただただ茫然としてた。
シゲは全く態度を変えない。
普通にしゃべって普通に仕事して、普通に笑う。
だけどそれは………俺の知っているシゲではなくて、別の人間の言動にしか見えなかった。
それは完璧に、『職場の友人』としての言動でしかない。
どこか冷たくて余所余所しくさえある態度だった。

 金曜の夜、めぐを送ってからすぐにシゲの家に向かった。
移動中もシゲは電話には出てくれず、全て留守電にされている。
家の前で何度か呼び鈴を鳴らして待ったが……やはり出て来てはくれない。
どうしても諦めきれなくて、家の前で暫く立ち尽くしていたが、他の住人の迷惑になるのですごすごと引き上げるしかなかった。
それから土曜・日曜と最悪の週末を過ごし、月曜日を迎えている。
 思い切って昼休みにでも話しかけよう―――と思ったら、さっさと一人でメシを食いに出ていってしまい、戻ってきたのはぎりぎりの時間。これじゃあどうしようもない。
次に仕事が終わってからなんとか捕まえて!
と、頑張ってみたが―――これもあえなく失敗。仕事が終業時間まで終わらずに残業となった俺を横目で見ながら、シゲはさっさと帰ってしまった。

 こんな調子でいたら、永遠に俺はシゲを諦めなきゃならなくなる。
そんなのは真っ平ゴメンだよ。
………でもちょっと待て。シゲと話が出来たところで、一体どうなるってんだ?
めぐの事を何も解決させないまま、ずるずるとシゲと付き合っていたところで………結局はこの間みたいに、どちらも等しく傷付けてしまうことになる。
じゃあ、どうすればいい? 大泉洋。

――――どうする? 大泉洋――――



 「突然呼び出して、悪かったな。」
「ううん、丁度今日は暇だったし。昨日はねぇ、達子たちとすっごく盛り上がったんだよー。大泉も来れば良かったのに。」
めぐは向かいの席で微笑んでいた。
「それにね、あたしも話があったの。本当に丁度良かった。」
「話……?」
自分の方から本題を切り出す前に、先に切り出されてしまった。
「うん。ずっとむこうで考えてたんだけどね………」
一旦口ごもって一息おいてくる。この雰囲気は……………ちょっと、ヤバい。
「あたし、帰ってこようかなーって……こっちに。」
「あ、ああ………帰ってこられるんだ………………。でも、仕事は……?」
精一杯悟られないようにしているのに、声は微かに震えてしまっていた。
「―――辞めようかな、って……そう思ってる。」
そう言ってめぐは視線を反らし、窓の外の夜景をじっと見ていた。
「ここのところね、全然駄目なんだ……仕事。もう限界かなぁって、なんか自分で感じちゃったんだよね。」
「あの…………めぐ…………俺さ………」
めぐは視線をゆっくりこちらに戻し、黒い瞳で見つめてきた。その視線が痛いくらいに真摯で…切なさが込み上げる。
「もし………………もし、大泉がまだあたしのことを想っていてくれるなら。こんなに待たせちゃってたけど………帰ってきて、ちゃんと大泉と付き合いたいの………………ずっと一緒に、居たいの……………」
めぐの顔は真剣そのものだった。
そして、俺の答えを待っている。純粋な気持ちで。
めぐはずっと一緒に居たいって―――――そう言ってくれてる。

……………でも、俺が今求めてるのは……………

「ご……めん、めぐ!」
俺はでかい声で叫んでいた。
「………おおいず……み?」
呆気にとられて目を丸くしためぐが暫く口をポカンと開けていたが、やがてポツリと呟いた。
「……あー……やっぱりかぁ。」
視線を下に落とし、カクテルグラスを見つめた。
「今、いるんでしょ? ………好きな人。」
ズバリ確信を突いてくる。
「大泉、すぐ顔に出ちゃうもんね………やっぱりだぁ。」
「めぐ………?」
俺はその続きが言えなくて、口を開けたまま茫然としている。
「この前、なんかぴーんときちゃったんだ。遠距離恋愛、苦手だって言ってたもんね。なのに無理して今まで頑張ってくれてたんだよね。」
めぐは綺麗な蒼い色のカクテルを一口含んで、そっと笑った。
「―――嘘よ、嘘。辞めるなんて真っ赤なウソ。だってあたし今の仕事、大泉よりも大切だもん! その為にイタリアまで行ったんだから………帰ってくるなんて大嘘に決まってるじゃない。」
「嘘……なわけ、無いだろ……お前………」
めぐの大きな瞳がすっと細められた。そして一粒、涙が頬を伝っていく。
「だからぁ……全部ウソだってば。第一あっちには大泉なんかよりも優しくてイイ男がごまんといるんだから! いつまでも大泉を縛り付けてちゃいけないもんね、あたし。」
とびっきりの笑顔と、一粒の涙がめぐを一際輝かせていた。全く――俺には勿体ないくらいの、女だよ、お前。
「ねえ、最後に教えてくれる? 大泉の好きな人って………あたしの知ってる人?」
かなりのきわどい質問に一瞬たじろいだが、俺はゆっくりと頷いた。
「誰? あたしが知ってて大泉の知り合いだよね……」
心臓がバクバク言っている。ここで名前を出したら、めぐは卒倒しないだろうか。
「言い辛そうだね…………って事は、もしかして……………純子とか!?」
がくっと力が抜けた。
「――いや、だってあの美人な彼女はうちの安田主任と付き合ってたんだぞ。」
「でも結婚式当日に破談になったって聞いたけど……」
俺は何と説明していいか解らずに途方に暮れてしまう。
「……ま、いいか。」
めぐも諦めて淋しそうに微笑んだ。

ごめんな…………めぐ。


 別れる際まで、終始めぐは明るく振る舞っていた。
なるべく俺に気を遣わせないように、必死で演技してるのが見え見えなのに。
「ね、大泉。その好きな人とは付き合ってるの?」
「……いいって、その話は。」
「よくないよぉ。こーんないい女が身を引くんですからね、そこだけはちゃんと知っておきたいじゃない。」
おちゃらけたふりをしては、けらけらと笑ってくれる。
「一応な。………けど今は……よく解らん状態、かな。」
「喧嘩したの?」
「……いや。」
困り切って言葉を濁した。まさか、めぐが帰ってきたところを目撃していたからとは、口が裂けても言えない。
「ふーん、そっかぁ……」
めぐは少し何かを考えてから、すっと寄ってきて耳元で小さく囁いた。
「…いや、それはちょっと………第一そんなの、予め言えっていわれったって……」
「いいじゃない、嬉しかったよ………あたしはすっごく。」
にっこり笑ってからその後もう一度囁いてきた。
俺はそっとめぐの頬にお別れのキスをする。微かに触れるだけの切ない口付けを。
「ありがと、大泉。じゃ……元気でね! 新しい恋、頑張るんだぞ!!」
目を真っ赤にして、めぐは手を振ってくれた。
こんな最低な俺で、ごめん。本当に――――ごめん。

めぐが立ち去った後、俺は一人呟いてみた。
「愛してるって………言えってかよ………」





 多少の二日酔いのまま出勤した俺に対して、シゲは昨日と変わらずの態度を続けている。
当たり前か。
シゲはきっとシゲなりに精一杯頑張っているんだと思う。
虚勢を張って、必死で昔の何の関係もなかった友人同士に戻ろうとしてくれて居るんだろう。
でも俺は――――もう決めたから。
お前だけを見て、ときめいて、一緒に笑い合っていようって………決めたんだ。
だから俺に最後のチャンスをくれないか?
もう……あんなに悲しい顔は絶対にさせないから。
だから、どうか俺にほんの少しの時間を与えてほしい。たった一言伝える猶予を、俺に…………

 シゲがタイムカードを押して退出したのを見計らって、俺も同じように退出する。
目の前をすたすたと歩いていく男は、何事もなかったような涼しい顔をしている。
「シゲ。」
後ろから声をかけると振り向きもせずに『なんだ大泉。悪いけど俺、急いでんだわ。また今度にしてくれる?』と言って、小走りでエレベーターに乗り込んだ。
続いて俺も乗り込もうとして、すんでの所で間に合わずに無情にも扉は閉められた。締まる瞬間こちらを見据えた顔には表情が全くない。
「くそっ………あの野郎。」
ここはビルの8階だが、降りようと思えば他にいくらだって手はある。
俺は慌てて階段をもの凄い早さで駆け下り始めた。流石に一気にに駆け下りるにはなかなか体力的に辛いものがあったが、今は一刻を争うときだ。そんな悠長な事など考えている暇はない。
時折脚をもつれさせながらも息を切らせて一階まで駆け下り、ビルの出口にむかって更にダッシュした。
シゲは………丁度この建物を出るところだった。
「シゲぇ!!」
腕をひっつかみ、何とか動きを止めた。だけどやっぱりこっちを見ようともしない。
「ごめんって言ってるだろ、大泉。俺、急いでるから………用事があるならまた今度にしてくれや。」
淡々と言い放って、腕を引き抜こうとするのを両手でガッチリ掴んだ。
「はな…………話くらい…………させ……れ。」
息が切れいるため、それを言うのが精一杯だった。
「話なんて……ないべや、もう。」
くるっと振り向き、俺の顔を見てにっこり笑った。
「全部気のせいだったんだって、大泉。何も彼も。あれもこれも全ー部……気のせい。だから、もう何もナシ。な? 解るだろ?」
「―――お前ッ…バカ言うなってぇ!!」
ついつい大声になってしまった。辺りには仕事を終えた他のサラリーマンやOL達がゴロゴロしてる。
それが俺の叫び声で全員が一斉にこちらを向いていた。
途端に恥ずかしさが込み上げてきて一瞬怯んだ隙に、シゲは俺の腕を振り払って目の前から走り去った。
ビルを飛び出し、夕方の人通りの中を全力で走っていく。
慌ててその後ろ姿を俺も全力で追った。
その辺にいた人間達は一体俺達のことを何と思っただろうか。大の男が二人してスーツ姿で…夕闇迫る街中を追いかけっこしているのは、もの凄く奇異に映ったことだろう。
 シゲは信号を全部無視して、車をすり抜けながら逃げてゆく。当然俺も同じようにして、車がガンガン走っている道路を走って渡りまくった。
お互いほんの少しでも気を緩めれば、多分絶対に車に跳ね飛ばされて、あっという間にあの世行きだったろう。
が、幸いなことに神様っつーのは居たらしい。俺達は辛うじて全てを無傷でやり過ごした。
 いつしかビジネス街を抜け、大通公園にまで出てしまっていた。
大きな広場に出て、円形の噴水の前まで来たところで、漸くシゲのスーツの裾を捕まえる。
何せシゲは足が速くて体力も俺よりあるもんだから、ここまで追っかけられたこと自体が既に奇跡のようだ。
俺もシゲもぜいぜいと息を切らし、肩で息をしながらその場にへたり込んだ。やや暫く二人ともそのままでひいはあ言っていたと思う。
もう逃げられないと悟ったのか、シゲは苦しい息の下で呟きながら俺を睨み付けてきた。
「あの……なぁ、大泉…………さっきも俺………言ったべ?………何も……………なかったんだってば………」
負けじと俺も言葉を吐き出す。
「俺も…言ったべや…………話…………させれって……………」
石畳の上に直接座り込んでぜえはあ言いながら、俺はシゲを見つめた。
「めぐとは……………終わってる。ちゃんと……………終わらせた…………だから………」
シゲの顔色がさっと変わる。
「バカかよお前ぇ! ………まだ遅くないって、今からめぐちゃんとこに行って謝って来い!」
「いや、もう遅いよ。俺、好きな奴が居るって……あいつに言っちゃったもん。」
そのままシゲを引き寄せた。俺もシゲも全力疾走のせいで汗塗れになってる。
汗で上気した身体を後ろから思いっきり抱き締めて、耳元で囁いた。
「シゲ……………」
腕の中の身体がびくんと硬直する。
「………愛してる………」

夕暮れ時の大通公園、赤々と夕日に染まる噴水の前で――――俺はその一言に全てを賭けた。
これ以上の言葉はもう言えなかった。
全ての想いをこのたった一言に込めて、俺はシゲに伝えるしかなかった。

 ゆっくり体の向きを変えて、こちらに振り向いたシゲは………茫然としていて。
それから徐々に、目に涙をいっぱい溜めて唇をきつく噛みしめた。
……きっと、ずっーと我慢してくれていたんだよなぁ、お前は。
バカで生真面目で融通が利かなくて。
もの凄く自分本位で我が儘な人間みたいに見られるけどさ。
でも人一倍、優しい奴だって事―――――俺だけが知ってる。

もう泣かさない。
あんなに悲しい笑顔もさせない。
俺の出来る限りの全てで、お前を守りたいんだ。
だから、切なくて泣くのは今日でお終いにしようか。

………俺、きっともうお前しか見えねーからさ………



―――――辺りに人がいるのも構わずに、俺達はどちらからともなく唇を重ね合いながら、きつく抱き締め合っていた―――――



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