『 砂漠に赤い薔薇が咲く』
◇ 1 ◇
駅に向かう途中、俺はふと足を止めて空を見上げた。
お世辞にも真っ青とは言えないが、思っていたよりも綺麗な空だった。
うっすらと光る淡い空色には白や薄墨色の雲がかかっている。今まで見慣れていた透き通るような青さではないが、慣れれば案外この色も捨てがたい。
じっと見上げていると額から汗が噴き出してきた。もう暦の上ではとっくに秋な筈で、今頃向こうは上着を着込んで肩を窄める頃だろうというのに、今俺の頭の上にある太陽はほんの僅かながらもまだ夏の輝きを感じさせながら輝いている。
見る間に流れ落ちてくる汗を慌てて手の甲で拭った。
夏の日差しと暑さは思いっきり大歓迎だが、この汗だけは困りものだ。
新陳代謝が半端でないのか何なのか……とにかく汗っかきの俺は撮影中もこまめに汗を拭いてはメイクを直さないと、あっと言う間にシャワーでも浴びたかのようになってしまうというメイクさん泣かせだ。
そんな俺が全国区のドラマの撮影に入ってから一ヶ月くらいが経っていた。
ようやく現場の雰囲気にも慣れてきてはいたが、それと同時にぽっかりと穴が空いたような寂寥感がじわじわと俺を襲い始めてもいた。
最初の一週間はまだ良かった。新しい環境で四苦八苦しながら無我夢中で突っ走っているうちは、淋しいと思っても正直それどころじゃなかったから。
でも今になって少し余裕が出てきた途端、俺は自分がたった一人で見知らぬ場所に放り出されていた事を思い出してしまった。
毎日毎日、地元に帰る日を待ち望んでは唇を噛んで耐えた。
おにぎりのロケの日なんて、遠足を待つ子供みたいに指折り数えて待っていた。
気心の知れた友達やスタッフと馬鹿みたいに大騒ぎしたかった。俺が俺でいられる場所に今すぐ飛んで帰りたかった。
そして何より……安らげる場所が欲しかった。
女々しいと笑われようとも、あの長い腕の中にすっぽりと収まって安心していたかった。
でも現実はそんな事を許してはくれる筈もなく。家に戻れば鍵を忘れてくつろぐことも出来ず、ロケに来ればもの凄く楽しいものの、その後またすぐに襲ってくる孤独感とのギャップに怯える始末。
せっかく二人っきりで過ごせると思われたロケの夜も、今回に限ってはスタッフと相部屋という無惨な有様。
部屋は豪華だし露天風呂も最高だったけど、やっぱり納得がいかない現実に嫌って言うほど俺は打ち砕かれた。
指折り数えて待っていた安らぎなんて、どこにもひとっつもありゃしねえ。
勿論、あいつだって仕事でしょっちゅう行き来してるんだからこっちで会えばいいだけの話なんだけど……出来ればなるべくそれはしたくなかった。
あいつにはあいつの仕事がぎゅうぎゅうに詰まっている筈で、それを俺の我が儘で時間を割かせたくはなかった。
これは昔っからの俺の中での決めごとだったから、今になってそれを破る事はどうしても出来なかった。
『何してる? 俺は今休憩中でスタッフとラーメン食べに来てま〜す!!』
一旦楽屋に戻った昼下がり、スタッフから配られた弁当を小さな机の上に広げてぼんやりとそれをつつきながら携帯を取り出し、いつものようにメールの画面を開くと……美味そうなラーメンの写真が貼付されただけの簡単なメール。
差出人はいつものあいつ。
ごく短い内容の文字を目で追いながら、思わず苦笑してしまった。毎日毎日、気を遣っているのか何なのか、大泉は暇があるといつもメールを送ってくれていた。
内容はごく簡単なものもあれば、これはダイアリーに送った方がいいんじゃねえか?って感じの近況が書き連ねてある長文もある。
その時折で様々だったけど、俺にはその気持ちがもの凄く嬉しかった。
本当は電話でもいいから声が聞きたいと思う……が、それも俺は自分に禁じていた。
声を聞けば会いたい気持ちが抑えきれなくなる。あいつの都合なんてお構いなしに飛んでいっちまう可能性が高い。
だから自分からは絶対に電話をしなかった。
そして何故かあいつも同じ気持ちなのか、メールの頻度とは反比例して決して電話をかけてこようとはしなかった……。
本日の撮り分が終わったのは夕方頃。今日の撮影現場は都心から少し離れた学校だったので、最寄りの駅まで歩いてから電車に乗り込む。
大分こっちの生活に慣れたとはいえまだまだ路線図なんて俺には強敵もいいところで、ふっと気を抜くとそこは全く知らない場所だったりする事もある。ましてや俺が借りている部屋がある場所は都心の真ん中から少しだけ外れた住宅地なので、そこに帰り着くまでが毎回戦いだ。
今日も気合いを入れて乗り継ぎを繰り返し、何とか最寄り駅にまでたどり着いた。ほっと胸を撫で下ろしながら改札を出ると外は既に暗くなりかけている。
外灯に照らされた駅前の道をぶらぶらと歩いた。このまま行くともうすぐ見慣れたブルーの看板を掲げたコンビニが見えてくる。
見慣れないコンビニが多い土地だけに、地元でもよく使っていた……ましてや番組でかなり繋がりのあるそのコンビニは、常に独りぼっちで孤独感に苛まれている俺の心をほんの少しだけ和ませてくれる、まさに「ホットステーション」…ってわけだ。
晩飯用の蕎麦がそろそろ切れかけてるからそろそろ買い溜めしないとな……なんてぼんやり考えながら入り口の前まで来たとき、携帯が鳴った。
丁度学生や会社員が家路に着く時間帯で、駅前の通りには色んな人間が歩いている。ましてやここはコンビニの前。そんな雑踏の中でいきなり聞き慣れた某アニメのBGMがエンドレスで流れ続け、慌てふためいて携帯をさがしてポケットを弄ぐるがなかなか見つからない。
どうしてこういうときに限って必要な物って出てこないんだろな!?
そんな事を思いながら今度は鞄の中を引っかき回してようやく発見。慌てて液晶の画面を覗き込む。
「…………!? マジ?」
俺はすうっと息を吸い込んで少しだけ心を落ち着けてから、まるで何事もなかったかのような冷静な声を作って電話に出た。
「…おう、珍しいな! なしたよ?」
顔がにやけてしまわないように必死で普通を装ってみる。
『ああ? なしたじゃねーべや! なんでさっさと出ないのよ!?』
耳元に懐かしい怒鳴り声が響く。やっべ……嬉しくて俺ちょっと涙でそう……。
「るっせーな、携帯がみつかんなかったんだって! そんな事で一々つっかかんなバーカ! ………で、何?」
いかにも気にしていませんよーなんて声を作って……俺ってば役者だね。
いや、役者だけど。
『お前今何処よ? 撮影はもう終わったんだべ?』
「んー、さっき終わって帰ってきたとこ。お前は?」
忙しなく家路に着く人々の流れを避けて道の端に佇みながら、闇になりきれずにまだほんの少し赤さが残っていた空を見つめる。
『終わってなかったら電話なんかしねーっちゅうの。』
聞き心地の良い口調にイントネーションがじわりと耳から胸に響いてきた。
終わったって事は……これからメシにでも付き合えって事なんかな?
そんな事を思ったら自然に顔が緩んでくる。
『お前、今から来れっか?』
案の定大泉の口からそんな言葉が飛び出してきて、俺は小さくガッツポーズ。
「………んー…今から〜?」
少しばかり渋った声色でそう答えてみる。本当なら即答でイエスと答える所だが、やはりここは少し焦らしてやりたい。せっかくあいつからかけてきてくれたんだし、もう少し余韻を楽しんでみたりして。
『……あれ? 佐藤さんもしかして……お取り込み中?』
いや! ……いやいやいや!! 違うぞ大泉! 今のはちょっとしたポーズだ、格好つけだ!
『そうでしたかー。じゃあ邪魔しちゃ悪ぃから……いいや。じゃ、まったねー!』
プツッ…………ツーッ…ツーッ…ツーッ……………
―――――――オイちょっと待てクソ泉ーッ!!
てめえ普段だったら馬鹿みたいに強引じゃねえかよ! なんで今日に限ってそんなに素直に引いちまうのよ!!
俺は酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせながら暫く宙を眺めていた。端から見たら絶対、突然女にふられて呆然としてるアホな男に見えていること間違いなしだろう。
やや暫く惚けた後、慌てて正気に戻ってあいつの携帯にかけ直す。こうなったら自分から電話しないなんて決めごと、くそ食らえだ!
発信音が耳元で数回鳴るも、今度は大泉が出やがらない。ああ? 何してんだ、あいつ!
一旦切ってもう一度発信。で、虚しく響くコール音。
もしかしたら携帯置いてどっか出掛けちゃったんか? いや、この一瞬でか!?
不安と苛々がどんどん俺を焦らせ、額からは暑くもないのに汗がしたたってきた。
やっぱり端から見たら俺、最高に阿呆な奴にしか見えねえよ、これ………。
苛立ちに頭をガリガリ掻きむしりながら三度目のかけ直し。これで駄目なら諦めるしかない。少し焦らしてやろうなんて考えた俺が馬鹿だったんだと自分に言い聞かせて、家で一人寂しく蕎麦でも啜ろう。
最早俺の目は虚ろ以外のなにものでもなかった。半ば諦めながら、でもどこか諦めきれなくて未練たらしく無機質なコール音を聞いている。
………ああ、もうそろそろ切らないとな…………。
指がのろのろとボタンに伸びたところで、ようやく耳元に憎たらしい声が響いてきた。
『なーによ、何回も何回も全く………………うっさいわ!』
いつもの口調で言われた途端それまで張り詰めていた緊張感が途切れ、次の瞬間俺の目からはみっともないくらい涙がぶわっと溢れてきた。
『………しげ? ………もしもし? しげちゃん!?』
大泉が慌てて名前を呼んでいる。けど俺はもうそれどころじゃない。
でもこのままじゃまた電話切られちまう……そう思ったらまた馬鹿みたいに目から涙が溢れ出た。
必死で声を出そうとしたら…………出てきたのは言葉じゃなくて盛大なしゃくり上げだった。
『嘘っ!? お前………ちょっと佐藤さん! いきなり何よ!? なんで泣いてんのよ!!』
大泉の声がうわずっていた。流石にビックリしたみたいだ。
「……………ごめ…っ…………だって………だってお前…さあ……………」
悔しくて、でも嬉しくて。絶望みたいな孤独感から急に解放された俺は、感情を上手くコントロールすることが出来ず、自分でもどうして良いか解らないほど狼狽していた。
これはもう何処からどう見てもふられて泣き出した可哀相な男にしか見えないだろう――――確実に。
今俺が出来ることと言えば、次々と溢れ出してくる涙がこぼれ落ちないように上を見上げて耐えることと、耳元で必死に俺の名を呼んでくれるお騒がせ野郎に、少しでも言葉を返すことだけだった。
―――この辺りの帰宅時の人混みは、俺の使っている駅とは雲泥の差だな。
大泉の使っているマンションに程近い駅は幾つかある。そしてそのどれもが人でごった返しているのは明らかだった。
取り敢えず乗り換えしやすい路線を選んで移動し、駅の改札を出たところで電話をかけた。
「あ………俺。今改札出たけど……こっからどっち向かえばいい?」
『着いた? んじゃーちょっとお前そこで立って待ってれ、今迎え行くわ!』
大先生はそれだけしか言わずに電話を切ろうとするから相変わらず剛気だ。って、このまま訳の解らない場所でぽつんと待ちぼうけになるのは目に見えていたので、慌てて叫ぶ。
「お前そこって何処よ、つか改札ったって幾つかあるじゃねーかよ!」
ああ悪い悪い…なんて笑いながら大泉は詳しい場所を指定してきた。
十分くらいして人混みの中からニット帽を目深に被ったあいつが姿を現した。ジーパンのポケットに両手を突っ込んで、ぶらぶらと歩いてくる。
勿論満面の笑顔だ。
「ぃよっ、しげちゃん。お〜待たせ!」
にこにこと言うよりこの笑顔はニタニタに近いような気がする。
「……おやあ? おやおやあ? 佐藤さん、心なしか目が赤いですよー、どうしましたかー?」
この場で思いっきりぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、どうにか必死で抑え込む。正直、こいつのこんな性格は愛すべき部分であると十二分に解ってはいても、やっぱり時々本気で噛み付いてやりたくなる。
ま、何だかんだ言っても結局は全部ひっくるめてやっぱり好きなんだけどさ。ないと逆に物足りなくて苛々すっかもしれねーし。
なんてぼけーっと考えつつも、目の赤さを気にして手の甲で思いっ切りごしごしと両目を擦った。
「……あのなあ大泉。今俺、マジで滅入ってんだからからかうのは勘弁して。さっきのはいつもの俺じゃねえ………それだけはきっちり! 覚えておけ!」
なまら恥ずかしいし本気で情けなくて、下手したらまた涙が溢れてきそうな感情の高ぶりを必死でセーブしながら、精一杯大泉を睨み付けて虚勢を張った。
大泉はまだ少しにやついてはいたが、それ以上はもう何も言わなかった。
俺達は人混みの中を並んで歩いた。
俺の左肩にぴったりとくっつく位の勢いで、同じ歩調で肩を並べて歩いている。
こんな事、今じゃあプライベートでなんて滅多に出来る事じゃないから、何だか少しドキドキした。
この雑踏の中で、しかもトレードマークの髪をびしっと隠した状態の大泉を見分けられるのは、本当にごく僅かの人間だろう。それもなまらコアでマニアックな。
ましてや俺なんて髪の毛はバッサリやっちゃってるし、しかも真っ黒に染め直している。
まだドラマだって放映もされてないから、殆ど顔バレする心配もない。
そう考えるとこの孤独な東京砂漠も少しは気が楽って事か。
しかし、東京砂漠とか言ってる時点で俺も全然若作りしきれてないなあ……。
「あ、佐藤さんそこ右。」
ふと我にかえった俺の耳にそんなぶっきらぼうな言葉が飛び込んできて、狭い路地を右に曲がった。
「はい、とうちゃ〜く。」
ほんの数歩歩いたところでそんな言葉と共に大泉が足を止める。見たところ古い居酒屋……いや、割烹って感じだろうか。小さく看板を出してはいるが、気付かずに通り過ぎてしまうかもしれないくらいのさりげなさだった。
そんな感じなのはいい。っつーか、全然構わない。
ただ構うとすれば……店の入り口に暖簾もかかっていなければ、明かりも灯っていないことだろうか。
「……………………大泉。」
その一言に全ての非難を込めてみる。
「――――――いやー、なんだ。また俺のせいか?」
うっすらと無精髭が顔を覗かせ始めた顎の辺りをぼりぼりと掻きながら、大泉は力なく呟いた。
「ひっさびさにやってくれましたね………先生。」
大泉洋伝説はその勢いを増しつつ今日も驀進中、ってところだろうか。
「大体全部お前が悪いんじゃ!」
少しばかり酒が廻ってきた大泉が、俺の真正面で赤い顔をして叫ぶ。
……お前、いくらここが小上がりで間仕切りがしてあるからってあんましでかい声で叫ぶなや、恥ずかしい。
伝説が炸裂した後、大泉は気を取り直して近くの別の店へと俺を誘導してくれた。
こういう時、食い道楽のこいつは非常に便利だ。美味い店・お気に入りの店の情報を幾つも持っているから、必ず何処かの美味い店に辿り着くことが出来る。
そんで、改めて入ったこの店も大泉の好きそうな穴場的なお店。店構えは古くて小さいが、しっかりとした料理と美味い酒がある。
俺は目下ダイエットの真っ最中だけど、せっかく久し振りに二人で食事が出来るんだからと腹を決めて、大泉のお薦めの数々に舌鼓を打った。
大泉といえば最近少し酒に目覚めたらしく、ビールを煽った後は日本酒に手を出している。
まぁ、まだ俺に言わせりゃまだ全然ちびちび舐めているくらいのレベルなんだけどさ。
そんなわけで日本酒でほろ酔いになっていらっしゃる大先生が、只今俺に向かって罵倒を繰り広げてくれちゃっている真っ最中。
「馬鹿言え! 俺がなに悪いってんだ!」
なんて俺も思いっきり売り言葉に買い言葉で対するけど、実は大泉に責められるのは嫌いじゃあない。
むしろかなり嬉しい。
暫くこんな雰囲気にも飢えていたし、大体こいつの罵倒って愛情の裏返しだっつーのは身に染みて解ってるから、こんなの全然オッケー。喧々囂々とやり合った上に更に浴びせられる言葉は逆にスパッと気持ちが良くて、自分でも時々『俺ぁマゾか?』なーんて可笑しくなっちゃうくらいだ。
「悪いに決まってるっちゅーの! いきなり電話口で泣くヤツおるか? 普通。」
俺の鼻先に憎たらしい顔を突き出してきては唾を吐きかける勢いで叫ぶ。
「あれはお前…………お前が悪ぃだろ、絶対!」
途端にさっきの事を思いだして、咄嗟に顔を背けた。
「…………仕方ねぇだろー……ずっと淋しかったんだから。」
ばつが悪くてぼそぼそと呟くと、大泉の腕がにょきっと目の前に伸びてきて俺の顎をわしっと掴む。
そのままやや強引に奴の方を向かされた。
「だーかーら、お前が悪いって言ってんのじゃ。」
長い指が凄い力で顎に食い込む。
顔に痣でも残りそうな勢いだから勘弁してくれ、大泉………明日も俺、撮影あるんだってば。
ふとそんな事を思って大泉の腕に手を伸ばして足掻いてみた。勿論がっちり食い込んだ指は力を緩めてくれる気もないようで、益々指先が皮膚に食い込む気がした。
「……っ…痛えって! 馬鹿この、離せってば!」
少しばかりとろんとした目つきの大泉は口をへの字に曲げたまま、口を開いた。
「――――何でお前は電話してこねえのよ? 俺はそんっなに…頼りにならんか?」
思わず呆気にとられた。こいつの口からそんな言葉が飛び出すとは到底思っていなかっただけに、本当にぽかん…と、口を開けてしまう。
「お前ときたらメールしか寄越さんし、しかもこっちからメール出さんとそれも無いべや。お前、なんで俺にちゃんと頼ってこねえのよ………」
半開きの目が俺を見据えた。
「それで寂しいとかって……なーによそれ? 寂しいなら最初っから素直に電話してくればいいべや。」
言葉のトーンが少しばかり落ちてきて最後は尻窄みになり、重たげな目はどこか哀愁を漂わせているようにも見えて何だか胸が締め付けられた。
「……いや、だってさ大泉…………」
何だか俺がもの凄く大泉を傷付けたみたいな様相を呈してきている。
「だってお前、俺よりか全然忙しいじゃんよ。ドラマだの映画だのバラエティだの…忙しなく飛び回ってんの知っててさ、なのにお前に電話して『東京で一人で寂しいっす! だからどうにか時間割いて逢って下さい!』って我が儘……俺が素直に言えると思うか?」
そんな事を言ってるうちに今までずっと言えなくて溜め込んできた思いが沸々と沸き上がってきて、声が震えてくる。
本当に寂しくて寂しくて………どんだけ携帯を握り締めたかしれない。
何度もかけようと思ったさ、お前の携帯に。
だけど必死で自分に言い聞かせてた、それだけは止めろってな。
だから馬鹿みたいにお前からメールが来るのを心待ちにしてて、来たら来たで俺の知らないスタッフやタレントさんと楽しげにメシ食ってたり馬鹿話してるお前の様子にやっぱり寂しくなって―――泣きたくなって。
せめて札幌と東京でなら仕方がないよな…って思える一つ一つが、ちょっと電車に乗ったらすぐに会いに行けそうな場所だってだけで、俺を急き立てんだよ。
――――逢いに行っちまえ……って―――。
我慢しようとすればするほど、俺は今まで押し留めていた感情が抑えきれなくなってしまう。
唇を真一文字に結んで大泉の目を真っ直ぐ見つめたら、またもや目の前の視界が滲んだ。
「………俺が……悪いのか? 大泉………」
ふっと顎に食い込んでいた指先から力が抜けて、そろそろと大泉の顔が近付いてきた。
鼻の頭が触れ合うくらいの距離で止まり、唇が突き出される。
ぽてっとした厚みでへの字に曲がったそれは、お世辞にも色っぽいもんじゃない。
けど――――嫌いじゃない。どんな綺麗なねーちゃんの唇より色気を感じてしまう。
そんな事を徒然に考えながら、触れるか触れないかくらいの距離でそっと唇を重ねた。
微かに伝わってくる大泉の温もりと柔らかさが、今までずっと奥底に押し込めてきたものをつるりと包み込んで溶かしてくれるような気がして、確かめるように何度か重ねる。
気が付けば俺は大泉の首に両腕を廻し、夢中で唇を貪っていた。
襖と障子で仕切られただけの狭い空間に俺達の荒々しい息遣いだけが響いていたその時、障子の向こう側から仲居の甲高い声して慌てて身体を離した。
座卓に身を乗り出していた大泉は反動で後ろにひっくり返り、俺はといえば慌てて身体を離した勢いで座卓に右肘をしたたかに打ち付け、その場にうずくまってしまった。
「失礼いたしまーす。こちらお待たせ致しました!」
威勢のいい声でそう言いながら障子を元気良く開けてきた年輩の仲居は、俺達の様子を見て一瞬目を白黒させてから、おばちゃん特有のけたたましい笑いをご披露してくれた。
「あらーどうしたんですか? お客さんってば! こんな狭い中で暴れちゃいけませんよ。」
どうしたもこうしたもないわ……死ぬ程びっくりした。まさに度肝を抜かれるとはこの事って感じだ。
――――いや、こんな場所で夢中になってキスしてた俺らが悪いのは百も承知なんだけどさ。
「揚げたての天ぷら、こちらに置いておきますよ!」
仲居のおばちゃんはやっぱり甲高い声で元気良く皿を座卓に置くと、障子をぴしゃりと閉めた。
「………なまらびびった。」
一気に酔いがさめてしまったのか、真顔の大泉がぽつりと呟いた。
「肘が痛え。」
俺もぼそりと呟く。
お互い顔を見合わせて吹き出していた。
「有り難う御座いましたー! またどうぞー!」
元気なおばちゃんの声が背中越しに響く中、外に出た。まだ宵の口といったところでもう一軒行くのも悪くない。そんなほろ酔い気分で大泉の後をついて行く。
入り組んだ狭い路地を暫く行くと、比較的大きな道に出た。
「次、どこ行くのよ? 大泉。」
少し早歩きで目の前の背中を追い越して、大泉の右隣りを歩きながら声をかけた。
「んー……まあ、ついてこいや。」
ぶっきらぼうな物言いの返事が返ってきただけですたすたと歩き続けるから、。
車の通りが激しい道を無言で進み、暫く行ったところでまた小さな路地に入る。
あまりにも複雑怪奇に繋がっている道と街並みにはマジでお手上げだ。もうどこをどう歩いてきたのかサッパリだから、自分がいる場所が完璧に解らない。俺、今ここで置いて行かれたらきっと道に迷ったまま確実に野垂れ死に出来る。
途方もなく混乱しながらそんな事を考えていたら、大泉が口を開いた。
「着いたよ、しげ。」
突然立ち止まったかと思うと、さっさとすぐ脇の建物に入っていく。
ってこれ、どう見てもマンションだべや。
「あれ? もう一軒…………」
てっきりハシゴするんだと思っていただけに、少々戸惑ったまま大泉の顔を見つめる。
「何よ文句あるの? 飲み足りねえっちゅーんなら、部屋で呑んだっていいべや。第一時間が勿体ないべ。」
口の端だけ上げて笑みを浮かべているその表情に、全ての意図が見え隠れしていた。
ああ、そういう事ね。
何だよ全く。俺なんて久し振りに逢ったもんだからちょっとばかり気恥ずかしくて、もう少し酒でも飲まないとどうにかなりそうだってのに……こいつときたら思いっきり余裕綽々じゃねえか。
エレベーターを出てすぐの扉が大泉の借りている部屋のものだった。中に入ると意外に狭くない。
っていうか、俺の部屋よか全然余裕がある。
玄関入ってすぐの所に寝室の扉がある。半開きの扉の向こうには寝乱れたままのベッドが見えていた。
廊下の奥の扉を開けると小さいが居間のようになっている部屋があって、贅沢にもソファなんか置いてある。
「あー…ずりい! お前これ絶対ずるいわ! 俺んとこなんてすっげ狭くて、ソファなんつー高級品なんか全然ねえぞ!」
立地もいいし部屋は広いしで、思わずでかい声を上げていた。
「いやーさっすが大先生! 俺の部屋より全っ然良いとこに住んでいますな!」
少しばかり嫌味の意味も込めて後ろに立っていた大泉を振り返る。大泉は持っていた鞄をソファの上にぽんと置いたところだった。
「うるーせえなあ、相変わらず。そんなにずるいっちゅーなら、こっち越してくればいいべや。」
音もなく近付いてきたのかそう言った後、突然背後から羽交い締めにされる。あまりの力にビックリして振り解こうと試みたが、ビクともしやしない。
「……おま…っ……何よいきなり!?」
腕に込められた力が益々強くなり、俺は苦しいほどに抱き締められいていた。
「大泉……?」
首筋に柔らかな唇が静かに押し当てられた。思わず反射的に身を竦ませてしまう。
「………いきなりじゃ、駄目かい?」
蕩けるように甘い声でそっと囁かれ、今度は耳たぶをやんわりと噛まれた。
―――腰が抜けそうなほど熱い疼きが身体の芯から沸き上がってきて、ほんの僅かな間に俺を支配していく。
もう大泉の言葉に答える余裕もなくて、俺はただゆっくりと顔を左右に振るのが精一杯だった。
巻き付いていた長い腕から力が抜けたかと思うと、今度はゆっくりと俺の身体を弄ぐり始める。何度も首筋に口付けては跡が残らない程度に小さく吸い付いて、微かな音をたてている。
気が付けば着ているシャツの裾が胸元までたくし上げられ、素肌の上を二つの掌が這い回っていた。
身体中から徐々に力が抜けてしまい後ろの大泉に体重をあずけたまま、為すがままで愛撫を受け入れていた俺の身体が突然ふわりと浮き上がった。
「……うわっ!」
突然両手でしっかりと抱え上げられている自分がいた。これは所謂……お姫様抱っこか!?
軽くパニックになりながら、落ちそうになるのを必死で大泉にしがみついたら何だかもの凄く楽しそうな顔で俺の顔を覗き込んできた。
「しげちゃん……可〜愛い。」
顔がかあっと熱くなるのが解って必死で睨み付けたが、大泉はにやにやした笑顔で俺を抱きかかえたまま歩き出していた。
「大……泉…!?」
何だかいきなり悔しさが込み上げてきた。
俺は必死に筋トレして懸命に筋力付けようと努力してるつてのに、こいつはのほほんと何もしてないわ、ダイエットもしないで美味いものを好きなように食ってるだけのくせして、何でこんなに軽々と俺を持ち運んでいるわけよ?
そう思ったら何だか無性に悔しくて、ジタバタと脚を動かして暴れてみた。
――――――――――――――――無駄な足掻きだった。
廊下に出て寝室と反対側の引き戸を開けて中に入るとそこは小さな洗濯機と洗面台。どうやら脱衣所らしい。
って、ユニットバスじゃないの?
何から何までずるいわ、ここ! ……って、そんなこと言ってる場合じゃねーぞ俺!
大泉は脱衣所から更に奥にまで足を進め、ようやく降ろして貰えたのは当然ながら浴室の中。
「ちょっ……大泉! お前!!」
大泉は俺の言葉になんか耳を貸さない様子でさっさと俺のシャツに手を掛け、えいっとばかりに引き上げて脱がせる。続いてベルトに手が伸びてきてするすると外され、ボタンにも指が掛かる。
「いい! いいから、自分で脱ぐから………………触んなっ!」
って言ってる間に下も脱がされた。こうなったらヤケだ! てめえも素っ裸に剥いてやる!
負けじと大泉のシャツを半ば強引に剥ぎ取る。
「……佐藤さんのえっちー!」
余裕ぶっかましながら大泉は楽しそうに俺に脱がされていた。
これはこれで何か癪に障るけど、ま、仕方がないか。
足元に散乱した服を大泉はひょいっと掴んでぽいっと脱衣所に放り投げ、大泉は満面の笑顔で俺の前に立っていた。
………うわ、やっぱなんか気恥ずかしい。
突然ドギマギし始めた俺を横目で見ながら、大泉がシャワーのコックをひねる。勢い良く飛び出してきた水はすぐにあたたかなお湯になって浴室一杯に水蒸気を蔓延させた。
手にしたシャワーヘッドを肩の辺りに当てられる。降り注いでくる温かな湯の雨が、昼間にかいた汗でべとべとだった身体を伝うのが気持ちよかった。
万遍なく身体にかけられた後、大泉が大きな掌にたっぷり乗せたボディーソープで懇切丁寧に洗ってくれた。
勿論やられっぱなしは俺の性に合わないから、当然俺もお返しに洗い返す。
最初はガキ同士の洗いっこみたいにぎゃあぎゃあ騒ぎながら泡立て合っていた俺達だったが、泡だらけの手が微妙な部分に近付いてくると自然にわめき声が消えていた。
壁のフックにかけられたシャワーヘッドから湯が降り注ぎ、身体中の泡を全て洗い流しても俺達はただ夢中で肌の感触を確かめ合っている。
ほんのり気恥ずかしい雰囲気の中で、お互いの息遣いと降り注ぐ水音だけが狭い浴室内に響く。
大泉の大きな掌がゆっくりと俺のモノに触れてきた。最初は軽く指先で撫で回しては、すっ…と離れる。その繰り返しだ。
どうにも焦れったくて思わず身震いしてしまう。
「……なした?」
なした?じゃねえよ、くそったれ!
そう叫んでやりたいのに声が喉に詰まって出てこなかった。
力が抜けそうになるのをどうにか耐えながら、俺も大泉のモノに手を伸ばす。下に付いている柔らかいモノに指先を絡めてやんわりと揉みしだくと、大泉が小さな小さな声を漏らした。
「――――なした? 大泉。」
精一杯の笑顔で大泉の顔を見上げてやる。目の前の長い顔は何というかなまら嬉しそうな顔をしていた。
「………今日の佐藤さん、やっぱえっちだ。」
気持ち良さそうに目を細めながら唇を近付けてくる。
柔らかな唇がねっとりと俺の唇に絡み付いてくる。甘く噛まれたり吸い付かれたりしながら、奴の舌が俺の口の中に滑り込んできて、今度は舌を絡め取られた。
段々自分の手がおろそかになるのが解った。
とてもじゃないけど力が入らない。
へなへなと腰が抜けたようにその場に崩れ落ちていく俺の身体を大泉はゆっくりと抱き留めながら、尚かつ愛撫の手は決して止めようとしない。
………なんでお前、平気なのよ…………
温かな水流が降り注いでは流れ続けている床にへたり込んでしまった俺を、大泉はしゃがみ込んで抱き締めながらまた口付けをしてきた。
唾液がだらだらと口許からだらしなく滴り落ちる中、まるで暴君のように大泉の舌が暴れ回る。
狂ったように情熱的な口付けだった。
その間にも俺の息子は触れるか触れないかの絶妙な愛撫を受け、大泉の手の中で今やしっかりと存在を誇示し始める。もっとしっかりとした刺激が欲しくて俺の身体が疼きはじめるのを知ってか知らずか、一定の動きで弄ぐる指先が憎たらしくて、思わずがりっと唇に噛み付いた。
「……痛っ………いってえ……………」
ぴたりと手の動きが止まり、すっとお大泉の身体が離れた。
「何してくれんのよ佐藤さん……」
手の甲で口許を拭ってからべろりと舌で唇を舐め回している。やけにその舌が赤く湿っていて……艶めかしい。
今までこれが俺の舌に生き物のように絡まっては唾液を吸い上げていたのかと思うと、頭の後ろが痺れるような感情がじわり…と沸いてきた。
いやらしくて淫靡な、とてつもなく生々しい感情だった。
脳髄の奥からじわじわと蝕まれるような感覚にとらわれ、おれは自分から大泉の首に両手を回して身体を再び密着させる。
床にしゃがんだまま抱き合って、再び唇を貪り合いながら今度は自分から大泉の手を取る。
そのまま快楽に飢えて疼いている場所に導く。
触って欲しくて今にも悲鳴を上げそうな……可哀相な俺の息子に。
そして自分もまた、大泉のモノに手を伸ばした。やっぱり同じように昂ぶって天を仰ぐようにそそり勃ち始めたモノを丁寧に丁寧に指先で扱いてやる。
いつしか夢中で互いのモノを愛撫しあっていた。
あっという間に感覚が高まり、すぐにでも吐き出して楽になりたい欲求が下半身を震えさせた。
この一ヶ月というもの、よっぽどの事情がない限りは出来る限り自分で慰めてきた筈なのに――――こんなにもすぐに昇り詰めてしまえる自分が情けなかった。
まるで欲望と欲求不満の塊のようだと思い知らされるかのようで。
だけど一方では『こんなにも大泉が好きな自分』を再確認させられているようでもあり、無性に恥ずかしさが込み上げてくる。自分で抜くよりも数段上の快楽をもたらす大泉という存在の大きさが、馬鹿みたいに愛しかった………。