『僕、女に戻ろうと思うんです……』
 『和泉……』
 『女に戻って……矢口さんと……』
 いつのまにか、そんな夢まで見るようになっている俺。
 自分の妄想を気取られぬべく、和泉とは少し距離を置いたつきあいをするように心がけはじめたものの、狭い部署、唯一の部下、和泉はちくちくと俺の心を刺激する。
 ホント、女なんじゃないだろうか?
 『婦人科』『生理痛』『月毎の欠勤』……って……。
 ぼんやりテレビを見ていて、生理用ナプキンのCMとか見るたびに考えてしまう。
 そう言えば、俺のねえちゃんも生理痛がひどかったな。年の離れた弟になんて恥ずかしがる気もないのか、よく「腰さすって」とか言われたっけ。子どもを産んでからはそんなこともなくなったみたいだったけど。
 そんな悶々とした日々が2週間ほど続いたある日。
 和泉と二人きりで残業をすることになった。
 仕事が終わって、帰り際、少し思いつめたような表情で和泉が俺に話しかけてきた。
 「あの、何か自分……矢口さんの気にさわることしました?」
 「え?」
 距離を置いたことを、そういう風に取られているとは思っていなかった俺は、あわててしまった。
 しかし、本心を言うわけにもいかず……。
 言葉につまっていたら。
 「あっ……」
 突然、和泉が膝をついた。
 「おい?」
 真っ青な顔をしてお腹を押さえている。
 「おい、また腹が痛いのか?」
 震えながら、うなずく和泉。
 月イチの休みの時期はまだ先だ。一体、こいつの持病ってなんなんだ?
 言葉も発せない様子で床にころがりこんでしまった和泉を見て、俺は慌てて119番に電話した。これはひょっとしたら盲腸とかかもしれない。
 すぐに救急車がやってきた。ビルの警備員さんに戸締りをまかせて、俺は和泉と一緒に病院へと向かった。
 「あ、あのK大学病院にお願いします」
 会社からは少し離れているのだが、彼がかかっている病院のほうがいいだろうと、俺は救急隊員に告げた。
 大学病院について、ドラマのワンシーンのように、ガラガラ言う台車に乗せられて和泉は救急用の診察室へと運ばれていく。彼のカバンをあずかったまま、待合室で待つこと30分。年配の看護婦さんが俺のよこへとやってきた。
 「高村さんの付き添いの方ですね、こちらへどうぞ」
 診察室では、点滴をつけた和泉が横になっていて、すぐ傍には銀縁眼鏡のせいぜい40代という医者が座っていた。ネームプレートには「婦人科 医師 坂上」と書いてある。
 婦人科。婦人科……やっぱり、和泉は……。
 俺は、和泉に話しかけたいのをこらえ、とりあえずその医者と向かい合った。
 「矢口と申します。高村くんと同じ会社の者です」
 「僕の上司です」
 和泉の小さな声が聞えた。意識はあるようだ。
 坂上先生は俺に腰掛けるように言うと、和泉に何やら尋ねていた。和泉が小さくうなずくのが見えた。
 「高村くんの許可をもらいましたので、ご説明します。高村くんの病気は子宮内膜症です」
 し、しきゅーないまくしょう?!
 しきゅうってあの子宮か?
 「……ってことは、やっぱり高村くんは女性ということですか……」
 俺が呆然と言うと坂上先生は小さく笑って
 「いいえ、彼はれっきとした男性です。念のため、遺伝子検査もしましたから間違いありません」
 「でも、子宮って、子どもができるところでしょう?」
 俺にはさっぱり、病名と和泉の関係がわからなかった。
 「確かに、子宮は女性の生殖器の非常に重要な臓器です」
 先生は、机に常備しているらしい女性の生殖器の図を見せながら説明を始めた。男の興味をひいてやまない女体の神秘……というには図鑑調のリアルな解剖図で、エロさは微塵もない絵だ。
 「この子宮の内側には子宮内膜という組織があります。受精卵を育てる“布団”のようなもので、健康な女性の場合はこの膜が厚くなって、受精しないと剥がれ落ちるというサイクルをおよそ一月周期で繰り返すんです。ところが、この組織が卵巣や腹腔内に増殖してしまうという異常が発生することがあります。これが子宮内膜症という病気なんです」
 先生は淡々とした調子で説明してくれるが、まだ俺にはピンとこない。
 微妙に首をひねっている俺に、先生の説明はまだ続いた。
 「卵巣や腹腔に子宮内膜が増殖することはそうめずらしくないのですが、ごく稀にこの組織が肺や脳に増殖する例、あるいはなぜか男性に増殖する例があるんです」
 え? 男に子宮?そりゃ、どういうことだ?
 「はぁ?」
 「和泉くんの場合は、腹腔内に子宮内膜が発見されました」
 非常にめずらしい症例です、と先生はカルテに視線を落としながら付け加えた。
 「男性にも女性ホルモンというのはあるんです。量のバランスの問題で。和泉くんの場合、若干、男性の標準より血中エストロゲン濃度が高いようでして、その作用にあわせて、子宮内膜が出血すると女性と違ってそういう仕組みになっていませんから、腹痛が起きるんです」
 「なるほど、だから月イチで休んでいたのか……」
 うなずいてから、ふと気になって先生にたずねてみた。
 「でも、彼が休んでいた時期より、ちょっと早いんですけれど……大丈夫なんでしょうか?」
 「ストレスとかで生理が早くなる女性もいますからね。そのことについては心配ないと思います。ただし……」
 「ただし?」
 「ここまで痛みが強くなってしまったとすると腸などが癒着を起こしている可能性があります。男性ですので、あまりひどくなることはないかと思って経過観察をしてきましたが、ここまでくると開腹手術をして内膜組織を除去したほうがいいかもしれませんね」
 手術!
 心配げに和泉を見やると和泉は先生に尋ねた。
 「先生……手術ってどれくらい入院しなきゃなりませんか?」
 「そうだなぁ、2週間くらいで済むと思うけれど」
 「休め。高村。仕事は俺が全部やっておいてやるからさ。そんな痛いもの早く取っちまえ」
 俺は和泉の傍らに行って、声をかけた。
 彼はしばらく躊躇していたが、俺は彼をかなり強引に説得して、入院の同意書にサインさせてしまった。
 「幸い病室も空いているから、このまま入院ということで。明日一通り精密検査をして、できそうだったらそのまま手術しちゃいましょう」
 サクサクと話を進めていく先生。この人なら安心してまかせられそうだ。
 あと、俺ができることはなんだ?とちょっと考えてから和泉に尋ねた。
 「保険証や寝巻きとかはどうする? よかったら俺とってくるけど……」
 本当は家族なんかに連絡取るのがセオリーなんだろうが、今の俺はムショウにコイツの世話をやきたくてしょうがない。
 和泉のほうも、一度部屋に入れたことのある気安さからか鍵を俺に任せてくれた。
 「……ご迷惑おかけします」
 「気にするなよ。早く元気になってくれればいいんだからさ」
 本当はもっともっと甘えてもらってもかまわないんだが。
 手の中に預けられた、和泉の趣味らしいロウ細工の寿司のミニチュアの感触が嬉しかった。
 
 俺は翌日の会社帰りに、和泉の保険証やら寝巻きやらを病院に持っていった。
 「すみません、矢口さんにこんなことやってもらってしまって」
 病室で恐縮する和泉を、俺はからかった。
 「こういうこと頼める彼女とかいないのかよ」
 あえてそんなことを言いながら、実は彼の身辺の世話をやけることに幸せを感じている俺。この際、彼女がいようがいまいが関係ない。
 なるべくいつものようにふるまおうとしつつ、病院しつらえの浴衣のような寝巻き姿の和泉に少しドキドキさせられる。そんな俺に気づいているのかいないのか、彼は身体を起こすと俺の方に向き直った。
 「この病院、一番上の階にティールームがあるんですよ。そこにコーヒー飲みに行きませんか?とっても夜景がきれいなんです」
 「寝てなくて大丈夫なのか?」
 「大丈夫ですよ。痛みもひきましたから」
 俺たちはエレベーターで7階へと向かった。あいにくティールームは終わってしまっていて、俺たちは近くの自販機で飲み物を買うと、ガラスで囲まれた誰もいない休憩コーナーへと行った。
 「そういえば、矢口さん『やっぱり』ってどういうことですか」
 「やっぱり……?」
 「あ、ひどいなぁ。おぼえていないんですか。僕にはきちんと聞えていましたよ」
 そう言われて思い出した。
 坂上先生に「子宮内膜症」と聞いて「やっぱり、和泉は女だったのか」と納得してしまったのだ。
 「すまん、あれはだな……」
 かわいいから。会うとドキドキさせられるから。抱きたいと思わせるから。
 俺はノンケのはずなのに。
 そんなこと言えるはずもなくふがいなく黙ってしまう俺。
 「まあ、小さいときから女の子と間違われましたからね。自分ですらも自分の病気が子宮内膜症と知ったときは、本当は女だったのかと驚きましたよ」
 そう言った和泉はふと、頭を落とした。
 「……女だったら…よかったのに」
 え?
 意外な和泉の一言に思わず彼の顔を覗きこんだが、こちらを見る、泣きそうな目を見て俺は多分……理解した。
 こいつ、俺のコト好きなんじゃねぇ?
 ひょっとして……何か間違ってる気もするけれど……両思い?!
 そう思った途端に、心臓がトコトコと鳴り出す。
 お互い何も言えなかった。
 ただ、暗い病院の片隅で、宝石のような夜景に囲まれながら沈黙を守っている。
 そろそろ面会時間も終わりだ。
 俺たちは再び病室に戻った。
 「そういえば、結局手術になるのか?」
 肝心なことを聞き忘れたことに気づいた俺が尋ねると、和泉はひとつうなずいて、あさってになりますと答えた。
 「そうか。付き添いとか……」
 「……大丈夫です。矢口さんは、仕事も忙しいでしょう?」
 気遣うようでいて、俺を避けるような物言い。
 「こっちに姉もいるんで、明日には彼女に連絡します。周りのことはやってもらえると思うんで……」
 「そ、そうか。じゃあ……退院しても無理せず休めよ?」
 「はい、ありがとうございます」
 彼がこんな風に冷たく“ありがとう”と言うのを初めて聞いたように思えた。
 俺は少し息苦しいような思いで病院を出た。
 何か、俺、あいつの気に触るようなこと言ったろうか。

 意外と早く、1週間後に「退院しましたので、しばらく自宅で休養します」という電話が和泉から入った。
 俺は、部署の皆から、というお見舞いの缶詰やらレトルト食品やらの詰め合わせを持って、それを大義名分に和泉の部屋を尋ねた。
 和泉はパジャマ姿だったが、もう自由に歩けるようで俺を部屋にあげてお茶をふるまってくれた。
 入院生活のせいか少し疲れた様子だったけれど、あの病院でのよそよそしさは嘘のようで、とりあえず俺はホッとした。
 「お見舞いにお菓子をいただいたんですけれど、これだけの入院じゃ食べる時間もなくて」
 そう言いながら、ドライフルーツの入ったパウンドケーキを添えてくれる。
 そんな様子一つに、ホッとしたどころか、さらに甘い気持ちがこみあげてくる。
 ああ、俺がビョーキだよ。
 たわいもなく、会社の仕事の話しをしているのも限界だった。
 「なあ、高村」
 「はい?」
 こちらを向いた和泉の優しげな顔をとらえて俺は問答無用で突然キスをした。
 突き飛ばすなら突き飛ばせ。
 どこかフツーじゃないかもしれないけれど、これが俺の気持ちなんだよっ。
 「矢口さん……」
 唇が離れた隙に、和泉の口から漏れ出る俺の名前。
 堰を切ったように俺は本心をぶちまける。
 「好きなんだよ。俺、お前のことが。お前が生理痛で休んでるって聞いて、女だったらと本気で思ったよ。だけど、お前が男だって医者に言われたってお前が好きなんだよ。もうダメダメ。部下に手を出すやつなんてと思ってたけど、ダメだ。お前が好きだ」
 俺の突然の告白に、和泉は呆然とこっちを見てる。
 「お前、俺のことどう思ってる?」
 聞かずにはいられない。和泉が入院した日の俺の直観が合っていたかどうか。
 これが俺のとんだ勘違いだとしたら、俺は明日にでも辞表を提出せねばなるまい。かたずを飲んで見守る俺にとつとつと和泉の唇が語った言葉は。
 「……僕も、矢口さんのこと……好き、です」
 ビンゴォォォオオオオオォ!!!!!
 頭の中で天使がファンファーレを吹き鳴らす。おめでとうっ!俺!
 「じゃあ、キスしていい?」
 和泉がうなずく。
 俺はもう一度、和泉の柔らかい唇に自分の唇を押し当てた。さっきとは違う。逃げられる心配もなく。ゆっくりとふわふわした唇をついばんでいく。
 いつのまにか、和泉の細い腕が俺の首をかかえこむようにまわされる。
 「和泉……」
 俺はもう、欲望の赴くままに和泉のパジャマを脱がせていく。
 「あ、矢口さん……」
 「智之って呼べよ」
 「……智之」
 どこか照れたように言う口調がもう、またいい感じ。
 病院でも使っていた前開きパジャマの上着を全開にしてから、俺はさらズボンとトランクスのゴムを重ねてつかむとぐい、と下へひきずりおろした。
 「いやっ……」
 和泉は小さく抵抗したが、あっさりと細い腰があらわになる。
 「……!」
 下腹に小さくついた手術の後。
 その下にあるはずの茂みは刈り込まれてまばらな不精ひげのようだ。
 股間にあるのは確かに俺も持っているアレなのだが、毛がないというだけで何か別の生物の一部分のようにすら見える。
 「……そうか、手術するときに剃るんだな」
 「だから、イヤって言ったのに……」
 うらみがましく言う和泉の顔は真っ赤になっている。
 ああ、なんか、ダメだ。脳みそやられそうだ。剃毛プレイの癖なんかついたら、どうしてくれるんだ。
 俺はそそくさと、和泉のズボンとトランクスをはきなおさせた。
 これ以上見ていたら、手術の傷を気にすることもなく食らいついてしまいそうだったからだ。
 ごめん、と呟いてから俺は和泉の唇にもう一度キスを重ねた。
 「こっちこそ……謝らないと」
 顔のほてりもおさまったらしい和泉は、ことりと俺の肩に頭をもたせかけてきた。
 「謝るって……?」
 「入院したとき。優しくしてもらったのに、ひどく冷たくしましたよね。僕」
 「そうだっけ?」
 その件については、小心者の俺は、実はスゴく気にしていたけどな。これは惚けておくのが男ってもんだろ(相手も男だが)。
 「矢口さんのこと好きになっていたから……好きになったら迷惑かけると思っていた……」
 そんな風に言われて、俺はいてもたってもたまらずに彼をぎゅぅと抱きしめた。
 腕の中に感じる彼の重みが、もうどうしようってくらい愛しかった。

 その後、和泉の病気は順調に回復したようだった。
 抜糸も終わって、その月は休むこともなかった。
 「うん、これで病院は2月に1回ペースでいいんだって」
 検診のあった日、俺は和泉の部屋に呼ばれて夕食を一緒に食べていた。
 「そうか、まだ行かなきゃならないんだ……」
 「子宮内膜症って内膜を切除したつもりでも、どこに残っているかわからないから手術じゃ完治しないんだって。女の人の場合は閉経でよくなるらしいんだけど、男の場合は症例がほとんどないから、気をつけていきましょうってさ」
 「なるほどな……」
 不安げな和泉を励ますつもりで、俺はその額にキスをした。至近距離に近づいた俺の顔を見上げながら和泉が言う。
 「ねえ、智之。……ヘンなこと、お願いしてもいいかな」
 「ヘンなこと?」
 俺が聞き返すと、和泉は言いづらそうに俺の耳元でささやいた。
 「抱いて……その…ちゃんとシて」
 自分から言い出した和泉にちょっと驚いていると、和泉は言い訳がましいかもしれないけど、と前置きをつけてささやきつづける。
 「子宮内膜症って、セックスすると痛むんだって。女の人の場合、子宮とか腸が癒着しちゃうから……中に入ってこられると痛いんだってさ」
 「……試したいの?治ったかどうか」
 俺が尋ねると、和泉はコクリとうなずいた。
 「恐いんだ。またあんな痛みが襲ってきたら。忘れたころに突然来たらきっと耐えられないような気がする。だから確かめたいんだ……」
 泣きそうな顔。上目遣い。無意識に俺のツボを押しまくるこいつ。
 「こんなこと智之にしか頼めない……」
 「バカヤロウっ、俺以外のヤツにそんなことさせたら俺が引導わたすぞ」
 俺が言うと、和泉の顔は泣き顔から泣き笑いの顔になった。
 剃られていた部分はまだだいぶ薄いけど、ぽよぽよとした毛が生えてきていた。下腹の傷もだいぶ目立たなくなっている。
 できるだけ時間をかけて入り口をほぐしてやって、ハンドクリームを盛大に使って、和泉の中に入っていく。
 「痛い?」
 「……大丈夫、入り口のとこだけだから……」
 少しずつ、腰を動かしていくと和泉から甘い声が上がり始める。男のよがり声なんてぞっとしないかと思っていたら、やっぱりこいつだけは特別だった。
 入り口の締め付けが多少柔らかくなると、俺は和泉を気遣う余裕もなくなってくる。和泉の声と己の熱に誘われるままに和泉の身体の奥を探っていく。
 俺のもの。
 俺のもの。
 自分でもコントロールできない感情は、和泉の身体に巣くっていた得体の知れない細胞にまで嫉妬を向ける。
 俺は無我夢中で、俺の組織を和泉の身体の奥へと注ぎ込んだ。
 この身体も、この心も俺のものだと。

 「痛かった……?」
 俺は脱力した和泉の髪をいじりながら尋ねる。もっとも彼の内股を見れば彼だって相当感じていたのは一目瞭然という様子なのだが。
 「少し……入り口のとこ、やっぱりヒリヒリする」
 「ここ……?」
 少し指を入れたら和泉の身体がぴくんと反応する。
 「奥は大丈夫だったんだろ?」
 わざと俺は耳元で言ってやる。
 「……俺が毎日でも内診してやろーか?」
 我ながらバカなセリフ。
 やっぱり俺の方が病んでいる気がするのは今更だろうな。


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