12月22日 PM2:00

 市立某が崎海浜公園にも12月がやってきた。
 海岸沿いの遊歩道に程近い公園管理事務所の黄ばんだ壁にぶらさげられたそっけない業務用カレンダーのページも最後の一枚になる。
 そのカレンダーを使うのもあとわずか。

 「早川くん……クリスマスイブは空いてる、よね?」

 そんな意味深な質問をしてくれたのは生憎、俺のラブラブハニィではなかった。
 おいおいおい。今日は22日だぞ?
 今更そんなことを聞く権利があるのは、マイ・ハニィだけだ。
 それなのに……。
 遠慮がちな口調ながらも、失礼なほどに断定的な言葉遣いで俺の24日の予定を尋ねてきたのは、俺の勤め先の最高権力者・吉野所長。
 最高権力者と言っても俺の勤め先にはこの40代半ばの吉野所長と30代後半というと嫌がる新見副所長、そしてヒラの28歳の俺。これだけの面子しかいないんだけど。
 来年の人事異動でも所員の増員見込みなし。
 嗚呼、万年人手不足の様相を呈している我らが某が崎海浜公園事務所よ。
 背中越しにかけられた無情な上司の声にこっそりと溜息をつきつつ、俺はいささか嫌そうな顔で自分にはちょっと小さい古い灰色の事務椅子をきしませながら振り返った。
 「もし、空いてなかったらそういうことでいいですか? 所長」
 「いや、あまりよくないなー」
 ヒラと変わらぬ灰青色の作業着姿にまったく違和感のない地味な風貌の所長が、ポーズだけはエラそうに腕を組んで座ったままの俺を苦笑しながら見下ろしている。
 立ったら俺のほうがだいぶ背が高いので、所長は用事のあるときは大体俺が座っているときを見計らってやってくる。
 「ほら、25日の朝までにまとめなければならない書類一式があったじゃない」
 「ありましたねぇ」
 市役所の連中がこの期に及んで、年始業務に関する計画書一式にケチをつけてきたことは俺も知っている。
 一度受理されていたものだから、こっちはとうに片付けた仕事のひとつと思っていたが、25日までにむこうの要求した書式で要求した書類を一切合財提出しなおさねばならなくなったと……聞いたのが今日の午後になってからだ。
 それも、提出を求められている書類が増えている。ただでさえ大晦日から正月にかけては、この公園には初日の出を見にくる市民が溢れるし、三が日もどこかの町内会主催の餅つき大会やら児童館主催の凧上げ大会やらイベントが目白押しで、それに付随する書類群といったらなまじの量じゃないというのに。
 とどめのように、24日に打ち合わせにこいと市役所の担当者はほざきやがったという。それは裏を返せば「貴様ら楽しいクリスマスイブに残業しろ」と俺たちに命令しているようなものだ。
 絶対アレだ。その担当者はモテない男に違いない!
 ちっ、自分が楽しいクリスマスをすごせないからって他人までまきこむんじゃねぇっ!!
 俺の怒りは、目の前の所長の裏にいる顔も知らぬ市役所の社会福祉環境課緑地管理係の男に向けられていた。
 「……早川くん?」
 「あ、すみません。ボーっとしちゃって」
 ボーっとしているというには怖い顔をしていたのだろう。所長は遠慮がちに話を続けた。
 「24日の打ち合わせは私が行くから、あとは何とか新見くんと早川くんで仕上げておいてもらえないかなぁ?」
 は? 今、ナンとおっしゃいました?
 「ええと、つまるところ俺と副所長のみ残業と?」
 言外に「てめぇはさっさと帰るつもりかよ、ぁあ?」という意をこめつつも、実にさりげなく話の内容を確認してやると、所長は妙に早口になって言い訳がましく語り出した。
 「いや、悪いとは思ってるんだよ? だけど、今年は、娘の合格した小学校がミッションスクールっての? クリスチャンの学校だから学校のクリスマス礼拝に両親も参加しなきゃならないらしくてさ……」
 「それはぜひ、行かないといけませんね。娘さんのためにも」
 誰だよ、そんな物分りのいいこと言うやつは。
 ……って、この事務所には今は所長と俺と副所長しかいない。
 いつのまにか俺の机の近くに来ていた副所長の新見さんが、黒縁眼鏡のむこうの目を親切そうに微笑ませて所長に助け舟を出してしまった。
 「そ、そうなんだよ。新見くん〜……」
 副所長の優しい言葉に縋るような様子で、愛妻家かつ子煩悩な吉野所長は一分間に90回首をふる勢いで頷きまくる。
 「どうぞ、書類は独り者の僕たちにまかせて、家庭サービスなさってきてください」
 「いやぁ〜ホント、申し訳ないっ!恩にきるよっ!」
 ついには所長、ホトケのように部下を拝みだす始末。
 「いえいえ、クリスマスイブといっても特にすることもないですから……ね? 早川くん」
 新見さんの菩薩か聖母かというばかりの笑顔がビッとこちらに向けられると、俺も残業を承知しないわけにはいかない。
 だって、だって、だって……。
 俺がクリスマスイブを一緒にすごす予定だったのは、この愛しい愛しい新見さんなんだからっ!!!
 確かに、これはこれで、二人きりのイブだけど。
 ……残業で、なんてありですか?と俺はちょっと泣きたい気分になった。


12月24日 PM1:40

 「新見さん、これでいいんですか? せっかくのクリスマスイブなのに」
 「勤務時間中は“副所長”と呼ぶように」
 
 天皇誕生日があけて、24日がやってきた。
 所長が市役所に打ち合わせにでかけているうち、とばかりに俺は気兼ねなく文句を言ってやる。
 「まったく、せっかく副所長とクリスマスを楽しめると思ったのになぁ」
 「まあまあ。所長に特大の恩を売っておくのは損にならないよ」
 新見さんは、いたって飄々としている。俺がクリスマスにこだわっているのが自分であほらしくなってくるほど。
 でも、だが、しかし!
 俺のアイデンティティとして! クリスマスなんてイカすイベントを放棄することはできないのだ。
 「じゃあ、せめて夕食を豪華にしましょうよ!デパ地下でなんか俺、買ってきますから」
 多少なりともその夜を新見さんと楽しむべくして考えた俺の提案に、新見さんはちょっとだけ笑ってくれた。
 「それくらいはしてもいいかもね。あと、ワインでも付けますか?」
 「ああ、賛成賛成! 俺、シャンパン奮発しちゃおうかなぁ」
 ラジオをつけてクリスマスソングを聴きながら、事務所で乾杯ってのも悪くない。
 そう思っていたら。
 「……って、酒の勢いであの書類の山が片付くとでも?」
 そんな非情なお言葉が。自分から話をふっておいて。いや、新見さんってそういう人だった。
 じゃあ、酒がダメなら。アレはどうだ。
 「クリスマス特別サービス。事務所で……」
 「エッチも却下」
 くっ、先制された。
 「早川くん。クリスマスにエッチなんて発想が間違ってるんだよ」
 おもむろにかけなおした眼鏡をくいっと中指で押し上げながら、どこぞの先生のように新見さんは俺に話しかけてきた。
 「クリスマスの話って知ってる?」
 「はあ、キリスト教のカミサマが馬小屋で生まれたっていうヤツですよね」
 俺の答えに、新見さんは微妙に首を傾げたがまあいいや、と一人ごちて話しを続けた。
 「そういうことにしておくとして。キリストを生んだ聖母マリアは処女だったんだよ。そんな彼女が必死に子どもを生んだ夜にエッチなんて申し訳なくて」
 とんでもない、というように小さく肩をすくめた新見さんだが、その理論はキリスト教的に本当に合っているんだろうか、と宗教に疎い俺すらも少々疑問に思う。
 「副所長、クリスチャンなんですか?」
 「ウチは代々、浄土真宗」
 そんなことだろうと思った。南無阿弥陀仏。


12月24日 PM5:00

 公園内に突き立てられたコンクリート造りの柱に備え付けられたスピーカーから『夕焼け小焼け』のメロディーが流れ出す。
 12月も24日となれば冬至をやっと過ぎたばかり。もはや公園の周辺は真っ暗だ。日中は雲ひとつない青空だったから、夜も冴えた星空になるだろう。
 駅前のほうは今頃さぞかし電飾が華やかなんだろうな、と今日の昼のうちに見た駅前とデパート周辺の光景を思い出す。
 本日、仕事を部下に残すだけ残して一人だけ定時で帰る予定の所長は、今日は鷹揚にもおやつのケーキと俺と新見さんの夕食になる弁当の買出しを許可してくれた。おまけに事務所の車まで使わせてくれて。
 「じゃ、じゃあ、私はそろそろ……」
 更衣室で帰り支度を終えてきた所長は最後まで遠慮がちな様子のまま、なんとそれぞれに書類を積み上げた俺たちの机の上に一つずつ、赤いリボンのかかった小さな包みまで置いていくではないか。
 「うん、気持ちだけ、だけどね。クリスマスプレゼント」
 「あ、ありがとうございます
 単純な俺はこの程度のことで所長を許そうかという気分になってしまう。
 なんか、かえって気を遣わせているなぁ。
 「大したものじゃないけど、まあ使ってやって。それじゃあ、お先に」
 逃げるように去っていく所長を見送ってから、俺はさっそくその包みを開けた。
 何やらクリスマスツリーの絵のかわいらしい箱だ。かわいらしい箱だ、が。
 「何だこりゃぁあっ?!」
 俺の叫びに、黙々とパソコンに向って何やら打ち込んでいた新見さんがこちらを向いた。
 「松田ユウサクの物まね? ……似てないけど」
 新見さんのずれたツッコミに違いますから、と一応答えてから俺は尋ねた。
 「に、新見さんは所長のプレゼント、開けました?」
 「ああ、コンドームでしょ」
 さらっと露骨にモノを言うなぁ、この人は。
 「実用的でいいじゃない。買うと高いし」
 プレゼントに対するひどく現実的な新見さんの感想に対し、俺の心臓はバクバクだ。
 俺と新見さんの関係、所長にバレてる? バレてる? バレバレ?!
 「別にバレてやしないよ。あの所長、滅法そういうことに鈍いから」
 「……新見さん、何で俺の考えていること読めるんです?」
 「早川くんは顔に出すぎ」
 どう顔に出ているのか、思わず夜のガラス窓に自分の顔を映しに行ってしまった俺の背後から、淡々とした口調で新見さんは所長とこの奇怪なクリスマスプレゼントの関係を教えてくれた。
 「所長の親戚にメーカーの方がいるとか聞いたことがあるよ。コレも多分そういうことでしょ」
 過去に、ムコ養子になることが決まって寿退職となった同僚の男性に、どーんとダンボール一杯のゴム製品を贈ったという所長の伝説をその時に俺は初めて聞いた。


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