『ぷくこ』にまつわるエとセとラ
〜ナナメ45°下方スパイラル〜
結局150日で終わらなかった『ルネ』たんにまつわるエとセとラ
さて、再三にわたって言及されている、サークル【ぱらぼら】についてですが。 サークル成立の過程については、【ぱらぼら】サイトの方を参照していただくとして。 「オマエモナ03」で本を出そうか、という話が出たとき、曲がりなりにもそのきっかけの一端となった『ぷくこ』さんに一言もないのもどうかというわけで、主宰であるビクーリさんが彼女に声をかけました。 この件については、それだけ色々と迷惑をかけられていたであろう相手に、なんでそもそも声をかけたりするんだ、というご意見もあったわけですが。 本を出そう、という話が出た時点で彼女が騒ぎ出し、あることないこと方々のスレやircなどで言いふらし始めていたので、それにクギを刺すという局面もあった、ということを付記しておきます。 「どうですかぷくこさん、オマエモナ本に原稿描きませんか?」というビクーリさんの提案に対し、彼女はふたつ返事で「原稿を描くこと」を引き受けました。 それが、2002年の夏休み期間前後のことです。 さて、それから10月末に「オマエモナ03」が開催されるまでの間に、彼女がやらかしてくれた言動はいかばかりのものだったか。 「16ページ欲しい」 「やっぱり8ページ(4ページとか2ページとか、毎回コロコロとページ数は変わりました)」 「○○さん呼ぼうよ、××さんにも描いてもらおう」(←いずれも、『ぷくこ』さんとは直接の面識がない人たちの名前です) 「やっぱりやめる。マンガなんてキモイオタクが描くもの」 「原稿そろそろやらなくちゃなあ」 「ネタがないの、何描いたらいい?」 「やめたやめた!これって絶対みんなの陰謀なんだ!」 「締め切りいつだっけ」 「○○さん(やっぱり『ぷくこ』さんとは直接の《以下略)のところで描くから、ビクーリさんの原稿はやらないよ」 「ところで、原稿料はいくらもらえるの?」 以上、簡単ダイジェストでお送りしました(笑)。 あえて強調しておきますが、この期間、ビクーリさんが『ぷくこ』さんにかけたのは、「原稿は進んでますか?」という言葉と、そのバリエーションくらいです。 あくまで進行状況を尋ねているだけで、執筆の強要や、何らかのプレッシャーを与えるような言動は一切なかった、ということは明言しておきます。 毎日のように言を翻す『ぷくこ』さんの相手を辛抱強く務めたビクーリさんには、ひたすら尊敬の念をいだくばかりです、ええ、ほんとに。 さて、そんなこんなで夏休みも過ぎて秋も深まり、「オマエモナ03」の開催が近づいたころになって。 その間も、「オマエモナチラシサイト(現・「2ちゃんねるネタ中心サクールParabola■ぱらぼら■」)」という形でビクーリさんの【ぱらぼら】宣伝サイトができるやいなや、そのアドレスが2chに張られたり、オマエモナ公式サイトの掲示板に謎の「ビクーリ本が出る!」なるスレッドが立ったり(告知内容はデタラメで、ほどなく削除されましたが)、色々とあったわけですが。 私のヘボ原稿も含め、【ぱらぼら】参加者が次々と原稿をあげていく中、『ぷくこ』さんは相変わらず、「描く」「描かない」のスパイラル飛行を続けていました。 そして、締め切りもとっくに過ぎた10月中旬。 最終的な意思確認のために入ったチャットルームで、ビクーリさんとぷくこさんの間に交わされた会話はこんな感じでした。 「結局、原稿は描くんですか?それとも描かないんですか?」 「描きたいけど、ネタないし。あと、一ページあたり5000円は原稿料が欲しいんだけど」 「原稿料は出ません。それは他の方も一緒ですよ」 「出してよ、ケチ!私の原稿欲しいんでしょ?」 「描きたくないものを無理に描いてほしいとは言ってません。描かないのでしたら、はっきりそうおっしゃってください。もうこれ以上は待てませんから」 「ビクーリさんは編集者でしょう?執筆者をその気にさせるのも仕事のうちじゃないの?」 「ご本人に描く気がないものをその気にさせることはできませんよ」 「じゃあいい。原稿は描かない。その代わり、編集権ちょうだい」 「編集権?なんですかそれは?」 「集まった原稿を、自分の好きに編集する権利。雑誌のパロディみたいなことがやってみたいの、グラビアとか読者投稿欄とか」 「そういうことがなさりたかったら、ご自分の本でやってくださいね。オマエモナの本は私が編集しますから、私のやり方でやらせてもらいます」 結局、この(不毛な)会話は、ビクーリさんの「では、ぷくこさんは参加しないということでいいですね」という言葉で〆られました。 なお、【parabola】というサークル&誌名はかなり初期から出ていたのですが、オマエモナで本を全部盗んでやるとかサークルに汚物を撒いてやるといった匿名の襲撃予告が2chの各スレに頻繁に書き込まれていたため、当日まで本の呼称は「オマエモナ本」でした。メールなどでの問い合わせには応じていましたので、特に連絡上の不都合などはなかったと記憶しています。 『ぷくこ』さんが参加しなかったコピー本【ぱらぼら】は完売、「オマエモナ03」の終了とともに、この騒動も終焉するか、と思われた、のですが。 「オマエモナ」で買いはぐった人の要望も多く、時期も時期だったので、ビクーリさんのご英断により【ぱらぼら】は増刷決定。2002年冬のコミケットにおいて、ビクーリさんのお友達のスペースで、委託販売されることになりました。 「コミケでオフセットでたくさん印刷するなら、やっぱり私も描く!同人作家デビューはコミケって決めてるんだから!」 …などと言い出した人もいたわけですが、オフセット本ゆえ入稿は11月の末。12月も中旬という時期になってもまだ、声高らかにそんなことを言われても(笑)。 ついでにこの時期、最悪板の『ぷくこ』スレでは、「【ぱらぼら】の執筆者の一人」を自称する、謎の人物(執筆者一同、該当する人物にはまったくココロ当たりがありません)が【ぱらぼら】の収支決算を公開しろ、と主張したり、「コミケに乗り込んでギタギタに荒らしてやる!」とか「狂犬病にかかった土佐犬を放してやる!」といった匿名の襲撃予告が(以下略 …まあそれはそれとして、執拗に「原稿描かせて」を主張する『ぷくこ』さんに、ビクーリさんが出した譲歩案は「宣伝チラシ(ペーパー)でよければ置いてあげますよ」というものでした。 「チラシは嫌、本でなくちゃ嫌」 「もちろん、本でもいいですよ。ご自分で印刷から製本までやって、完成品を持ってくるというならそれでもかまいません。本が完成したら、友人のスペースをお教えしますから、送るなり持ち込むなりなさってください」 「だったら、コピー誌じゃなくて全部自分のプリンタで印刷した本を作る」と言い出した『ぷくこ』さん。 そのやりとりを傍観していた某氏が、その本の仕上がり具合を予想して名づけた名称が、「ゴワー誌」というものでした。 しかし、(これまた予想されたことではありましたが)、ついにその「ゴワー誌」は書く書く、今日から取りかかる、こんな本にする、などという書き込みは方々にあったものの、完成する気配もなく(以下略 にもかかわらず【ぱらぼら】の掲示板には「コミケのサークル名教えて!」という書き込みが(以下略 …とまあ色々なことがあったようななかったような。 でも結局なにごともないままに、2002年冬のコミケは、平穏な終了を迎えたのでした。 そして、明けて2003年。 時代は、ルネたんになっていたのです(笑)。 [その後のちょっとした補遺] 「原稿を描いて【ぱらぼら】に参加する」と、皆の見ているところで一度は約束しておいて、まるっとバックレたことについて非難された『ぷくこ』さんは、「描けないのわかってて、無理矢理原稿描かせようとしたくせに!それで責められるなんて、これはひどいいじめだ!」と反論なさいましたとさ。 …そういえば、ポスターがどうのとかシールがどうのという話もあったようななかったような気もしますが、きっとあれは、みんなの気の迷いが見せた共同幻想のようなものだったのでしょう。 「そういうものだ」(by カート・ヴォネガット) |
結局150日で終わらなかった、『ルネ』たんにまつわるエとセとラ