バイトが終わったら午前様だった。
出来るだけ素早くバイクを止めて、エンジンを切った。
鍵穴から鍵を抜き取り、ポケットにしまう。
出来るだけのろく、俺は自分の部屋に行く。
あの人の部屋の前を通りすぎ、階段の一段目に足をかけて、階段を上っていく。
かん、かん、かん、と音を立ててしまいながら。
「新」
そして俺は、呼ぶ声に振り向く。
「何すか」
「……飯食って来た?」
無愛想な俺の声に、そう問う優しい人。
階段の下、開いたドアから俺を見上げる管理人に、俺は答える。
「まだですけど」
「んじゃ来なさい」
そんだけ言って、彼は部屋に引っ込んでしまう。
俺は困って眉を寄せる。それを望んだのは俺だけど。
開け放たれたドアを、そのままにする訳にもいかんので、俺はゆっくりとその急な階段を降りていく。
そしてドアの隙間から漏れる光に抗えずに、部屋の中に入ってしまう。
……俺は、そんな言い訳をしないと、彼の部屋には入れない。



何なんだろね、この人は。
他の住人にはそんな事せんから、俺も誤解したくもなる。
おそらく俺が全くと言っていいほど自炊せんから、そうするんだろうけど。
たぶん、俺がその背を見つめて、どきどきして欲情してんのも知らんのだろうね。それは俺にとっちゃ、悲しくもあり好都合でもあるんだけれど。
どきどき。どきどき。どきどきとさ。
俺は、無駄な鼓動を鳴らしてる。
本当に落ち着かんから、俺はテーブルの上のコップだの、はしだの、雑誌だのをいじる。
「……何やってんのよ」
「……いや……」
んな事やってるうちに料理もできるから、恥かしい目にあうし。
あ゛ーもう。
あ゛ーもう。
心の中では悶えるが、幸か不幸か――いや完全に幸なのだけど、俺の感情は外に出ていない。出てりゃ、この人の反応ももっと違ったものになるはずだ。
原嶋さんの手が持つ、皿の中の料理を、じっと見つめる。
腹減ったのは本当。
色気も食い気も、俺の中では同じくらいだ。
むしろ原嶋さんが食ってるとこを、視姦しながら食いたい。そして食後のデザートに、原嶋さんを食いたい。
そんな一瞬の妄想を知らずに、よだれ垂らしそうな俺を見て苦笑する原嶋さん。
持っていた皿を、テーブルに置く。
「ほら、できたわよ。あがんなさい」
「いったぁきます」
がっつく俺。
本当にうまいのだ。このおっさんのメシは。
だから俺は、メシを食う俺を見つめる原嶋さんの笑顔も気にせんで、食うのだ。
本当に気にせんのだ。
……そんな俺の努力も、このおっさんは知らんのだけれど。
だから、こんな真夜中にも、俺にドアを開いてくれるのだ。
俺の気持ちも知らんで、無防備に。


032:鍵穴



あんたは大家のくせに、俺の胸の鍵を壊して行った。
盗んだ心返してください。
俺の腕にかかえて、くちづけ責めにあわせる勇気も、俺のそばにつないどくつもりもないけれど。







 






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