悲しく平行する無数の思いのどこかに 床に転がる十缶のビール。 古谷は時々滲む視界でそれらを見つめる。 コンビニで買ってきたビール、自宅置きの酒、それだけでは飽き足らなかったのか、果ては料理用と位置付けていたワインまでも気が付けば空いていた。 「……本当、荒れてんね」 古谷の前に座った男が呟く。 そんな呆れた口調の、本来こんな時間まではこんな場所―――古谷の自宅にはいない男の言葉に、古谷は顔を上げて言う。 「荒れもするっつーの……」 古谷とは違ってあまり酒呑みではない―――単に体質の為らしいが―――その男、小崎一也は古谷の酒に付き合いもせず、馬鹿のように酒を飲み続ける古谷の部屋で我が物顔にシャワーを浴び、冷蔵庫の中にあったヨーグルトを食べ、そこまでやって悪いと思ったのかつまみを作り、流し台に溜まっていた洗い物をしていた。 そして今は、冷蔵庫から出したミネラルウォーターに口をつけながら古谷の前に座っている。 つまみに手を伸ばされた彼の手。それを何とはなしに見つめる古谷に気づき、笑う一也。 「何見てんの」 そのからかうような口調、数時間前に酒を飲んでまだ酔いの残った顔をしている一也の問い。 その問いかけに、古谷は酔った声で言う。 「……すぐ……酔えていいよな、って……」 酔いてえ。そう呟いた古谷の目元に、今にも溢れそうなほどの涙が溜まる。 そして次の瞬間。 「くそーーーっ、何で結婚したんだよ木田ーーー!」 「充分酔ってるってば……」 誰が見ても酔っている男は、一也に泣きながら抱きつく。 今夜何度目か分からないその言葉に、一也は憂鬱になる。しかしその気持ちを押し隠し、その自分より背も高く体格も良く、いい男と評されても良い―――しかし今はただ情けなく泣き喚いている男の頭に手をやり、甘えさせるように撫でる。 その間にも、容赦なく古谷の涙は一也の肩を濡らしている。 涙に嗄れた声で、その腕に一也を抱きながら古谷は言う。 「ノンケに恋した俺が悪いのかよ?でも俺だって好きであいつ好きになったんじゃねえよ、マジ今だって好きだけど!っつーか結局世の中ノンケの方が多いんだからノンケ好きになってもしょうがねえじゃんかーーーっ」 今日―――と言っても昨日の訳だが、好きだった後輩の結婚式に出席して来た古谷は、それからずっと愚痴を言い続けていた。その泣き言に、受けた事のない傷が痛むような気がして、一也は眉を寄せる。 眉を寄せながらも、 「うん、俺もそれはそう思う。……だけど静かにして、明日苦情受けるの古谷だから」 冷静な言葉を吐く一也に、古谷は黙り込む。 そんな古谷の背を抱いて、何度も繰り返した、そして再び口にしようとしていた言葉を飲みこみ、憂えた顔をやめて一也は優しい声音で言う。 「でもね、古谷の場合さ。告白も意思表示もしないから、たとえ両想いだったとしても駄目だし、かなり近い位置に行けてたから友人代表も仕方ないと思うよ?」 「…………」 古谷の沈黙に、フォローのつもりで口に出したが、良く考えると真実ゆえにどうしようもない事を言ったことに気づき、一也は眉を寄せて言う。 「……ごめん」 「……ごめんじゃねえよ馬鹿……」 それに返された古谷の声は傷ついた声だった。 充分に傷ついている古谷に、思わず傷口に塩を塗り込むような行為をしてしまっている自分に気づき、一也は困って、抱いていた腕と体を少しだけ離す。 「……古谷、ホントごめん」 そして一也は古谷の頬を舐める。 「……一也?」 呆然とした顔と声の古谷に笑って、またもう一方の頬に口付ける。 「……ごめん、酒まだ残ってるみたい」 「―――ちょ、一也」 混乱しながらも手と腕で抵抗する古谷に、一也は笑う。 「涙止まった?」 楽しげな目を細めて笑う一也に、からかわれたと気づいた古谷は盛大に顔をしかめる。 それに体を離して堪らずといった風に、一也は上半身を反らして声を立てて笑い出す。その姿に複雑な目を向ける古谷。確かに涙は驚きのあまり止まっていた。 「……お前さ。……俺がそう言う事、冗談でやられんの嫌いって知ってんだろ」 「知ってる知ってる」 笑いながら一也は、姿勢を床に膝をついた姿勢に変えて、 「だからやってんじゃん」 そう呟きながら頬にまた口付ける。 「お前な」 「だから冗談じゃなくって、本気でやろうとしてんの」 そのキスに顔をしかめる古谷に、一也は耳へのキスのついでにそう囁きかける。その言葉に、更に古谷が眉を寄せる。 「俺どーせさ、ロクな事言えないし。……体で慰めてあげる」 その大きなツリ目がちの目を細めながら、一也は古谷の額に落ちてきていた前髪をかき上げる。その一也の表情の艶に古谷は思わず見惚れる。 そしてまた一也が顔を寄せた時。 「―――っごめん、それパスッ」 「何でさぁ?」 我に返り慌てた口調で言う古谷に、一也は口を尖らす。 拒否の理由を言うのを躊躇う古谷。そんな彼に苦笑し、一也は拒否されないかを少しずつ確認しながらキスを降らす。 「だってお前……バリタチじゃん……」 それ以前にそんな事は考えた事もない。 古谷は一也の接触に困った顔をしながらそう思う。 初めて会った時には、その整った顔立ちに気付く間もなく一也の言動に腹を立てていたし、その後はすっかり悪口を言う仲になり、そしていつの間にか失恋した時にはお互い泣きつく相手になっていた。 なのにこんな状況は。 動揺している古谷の前で、一也は舌をぺろりと出し古谷の口の辺りを舐め上げる。びく、とする古谷の過剰反応に一也は楽しそうに笑う。 「大丈夫だって。今日いきなり突っ込んだりは俺もしないし」 唇に軽くキスをする。 そして少し引いて、一也は古谷の顔をじ、と見つめる。 「……嫌だったら言いな。……今なら、止められるからさ」 その言葉にもただ見つめ返すだけの古谷に一也は笑い、古谷の頬に手を伸ばす。 一也の熱い手を古谷は感じる。 そしてまた顔を寄せて口付けても抵抗しない古谷を、一也は抱き寄せて深く口付ける。 舌を絡め、Yシャツのボタンに手をかけ、ゆっくりと外し、 「……一也、ちょっと、待」 「もう遅い」 古谷の静止の声にそう断言する一也の体を押し返しながら、古谷は言う。 「違う。……………ベッド行こうって言ってんだよ」 「……ベッドの方がいい?……もしかして床でやった事ない?」 古谷の言葉に、緊張してんのかな、などと思いながら意地悪く笑う一也を、古谷は睨みつける。 「床でやると、痛いのが嫌なんだよ」 「ま、ね〜〜〜」 古谷の言葉にそう答え立ち上がってベッドへ向かう、震えている一也の肩に、古谷は舌打ちしながら立ち上がる。 今朝起きたままの大きいサイズのベッドは、背の高い古谷でも眠る時も楽そうである。そのベッドの縁に座って一也は、真っ直ぐに古谷を見上げながら言う。 「早く、来てよ」 誘いの言葉に一也の後から来ていた古谷は、そのまま彼に歩み寄り、 「……違う」 「………いや……つい……」 と、つい一也を押し倒してしまった一也に本気で睨まれながら、ごまかす為に苦笑いを浮かべた。 そんな古谷から一也は目をそらし、溜息をつく。 「早く退かないと、使いモンにならなくするから」 何が、とは言わないが充分に剣呑な言葉を口にする一也に、慌てて古谷は彼の上から退く。 そしてそのまま隣りに座った古谷を、起き上がった一也は抱き寄せる。 「……古谷、キス好きだよね……?」 そう言って唇を重ねる一也の背に、古谷は迷いながらも腕を回す。 ゆっくりと頭の芯をとろけさせていくようなキスに、古谷は少しずつ息を乱れさせていく。 困惑はありながらも全く抵抗する様子のない古谷に一也は眉を寄せながらも、深いキスをしながら、彼をベッドに倒す。 頬に口付け、中途半端に脱がされているYシャツを脱がしながら、首元や鎖骨、胸元を舐め、迷うようにキスを落とし。 「ねえ……」 熱い吐息を落としながら、一也は囁く。 「別に……木田って人の名前呼んでもいいし……泣いたっていいからね」 俺だと思わないでいいから。 目を強く閉じていた古谷は、その言葉にうっすらと目を開け、 「……んっ……」 「あれ……弱い?」 胸の突起に舌が這い、舐め上げていく刺激に目を伏せ、声を漏らす。 「ん……」 眉を寄せて頷く古谷に、一也は笑う。 そして一也は古谷の体の線を、舌や手のひらで辿っていく。 触っているのに躊躇うような焦らすような触れ方に、却って劣情を煽られ、古谷は懸命に声を殺す。 そんなお互いに眉を寄せながら、お互いを見つめる一也と古谷。 別に好きな男に操を立てていた訳ではない……単に仕事や何やらで暇もなかっただけで、しかしそれでも確かに久しぶりに触れる人肌の熱さは心地いい。 「古谷でも、俺……欲情出来るんだねぇ……」 「・・・・おい」 溜息混じりで、だけれど何故か幸せそうに笑む一也に胸がつまるような気持ちになりながらも、古谷は抗議の意思を示す為に彼を睨みつける。 それに苦笑しながら一也が返す。 「いや、さ。……俺ずっと我慢してたから」 「だから、欲情できるって、言うのかよ」 睨む古谷を、笑みを深くしながら、 「違うよ。……っていうかそれは古谷でしょ」 一也は古谷の首元に顔を埋めながら、スラックスのフックを外しチャックを下ろして、 「……ずっと来なくて」 指で古谷自身を掬うように持ち上げ、 「あ、でか」 「……誰と比べてんだよ」 手のひらと指とでその形状、太さ、固さを知った一也の思わず零した言葉に、ぶっきらぼうに古谷は問う。 それに怒ったような顔を一也はして、 「……俺」 いや、拗ねた顔を見せた一也に、古谷は笑う。 そんな彼に一也は顔をしかめ、 「……笑うなっつの」 「―――っちょ……っ」 刺激を彼に与える。思わず静止の声を上げる古谷。 「……待って、どうする訳〜?」 しかし返された一也の呟きに答え得る返答はなく、古谷はただ息を乱す。 「……ッそこ……」 「・・・・ここ・・・・?」 現代日本人は―――というよりむしろこの男は、何だかんだ言ってすぐ物事に順応する性質である。 ……まあ、多少酒の力を借りていたり、ヤケを起こしていたりはしているかもしれないが、古谷は正直に自分の感じる所を伝える。快感に眉を寄せながら自分をさらけ出し始めている古谷に、一也も眉を寄せ、乾く唇を舐めながら、言われた所を攻める。 一也の愛撫に古谷は先端から蜜を溢れさせ、その動きを助ける。 しかしその分だけ古谷はその快さに襲われる訳で。 「……うっ………んぁ、……ん……」 一方的に責め立てられて息を乱す古谷に、一也はごく、と喉を鳴らす。 「……あのさ……もうちょっと、声、抑えてくんない……?」 遠慮気味にそう求める一也を見上げて、上がる息の間に口を開き、 「……これ以上、……どうや……っ」 やはり途中で声を詰まらせてしまう古谷に苦笑する一也。 「だよねぇ……」 しかし、手の動きは止めない。 そんな困った顔の一也を快感に流されそうになりながらも、見つめて古谷は。 「……分かっ、た……」 「へ?」 何が分かったのかと指を止めた一也の腰を抱き寄せる古谷。 「……っちょ」 「……お前だって、大きいじゃん……」 一也の頬に口付け、耳元に囁く古谷の声と、その手の動きに一也は慌てる。 そんな一也の姿に、古谷は切れる息で笑う。 「……それは……っていうか、もう動かさないでよ……ッ」 「な、んで」 自分に触れていた手までも使って自分の行為を制止する一也に、古谷は眉を寄せたままでありながらも意地悪く笑う。 それに苛立ちを覚えながら、赤くなりながら小さな声で一也は答える。 「……古谷に、やられたら……もう、すぐ達っちゃうよ……たぶん……」 子供が拗ねたような口調の一也に、古谷はその意地の悪い笑みのまま、 「……何、お前ソー」 「古谷?」 古谷の軽口に一瞬にして体温が離れる。 上から見下ろす彼の顔に浮かぶのは、演技と副業でつちかわれた完璧な笑顔・・・・まあ、目だけは笑っていなかったが。 その笑顔のまま一也は、腰の辺りで遊ばせていた手で優しく古谷の頬に触れる。 「違うよねぇ?分かってるよねぇ?」 そのまま古谷の頬の輪郭を撫でまわす一也に、 「……ごめんなさい……」 目を伏せながら―――顔は固定されてる為に動かせない―――、小声で古谷は謝る。途端にしおらしくなった態度からすると、一也の笑顔が余程恐ろしかったらしい。 「……馬鹿だなあ、古谷は」 誰が馬鹿だ、と目を一也に向けた古谷は言葉を失う。 古谷の目に映ったのはひどく優しげな一也の笑顔。 「可愛い」 そう言って嬉しそうにキスをする一也に我に返り、古谷は顔をしかめて顔を反らす。 「何が……身長、180センチ以上の男に……」 「だって可愛いんだもん……それをやめろって言ってもねぇ……」 頬や額などの可能な面にキスの雨を降らしながら、一也は再び古谷に手を伸ばす。 ゆっくりと包み込んで、手を動かす。 「……こういう風に、我慢している顔とかさ」 先の言葉に顔をしかめていた古谷は、一瞬変に顔を歪める。しかしそんな自分を一也が見ている事にも気付き、結局元のしかめっ面に戻す。 その彼の姿に喉で笑う一也。 「俺にキスされたり、こういう事を言われると、一々反応しちゃうんだなあって」 それは友人の立場にいる自分がそういう行為に出るからだと十分に分かってはいたけれど、一也はは微笑みながら古谷の頭を撫でる。 緩く動く手ともう一方の自分の指に反応する古谷の耳を甘噛みする。 そして舐め、顔や首の輪郭を舐めて、顔を歪める古谷に囁く。 「……そういう所、好きだよ」 その言葉に一也をきつく睨む古谷。 「……俺ね、遊んでる時の古谷しか知らないし、それ以外の古谷って知りようもないんだけど。……何だかんだ言って……根本的に真面目だし……優しいし。……そういうトコ……木田くんだっけ?……その人も、分かってるよ」 しかしその瞳の奥に不安が宿っているのは気のせいではないと一也は笑う。 「俺、古谷のそういう所、すっげえ好きだもん」 妙に楽しげな一也の顔に、古谷は戸惑いながら問う。 「……お前、酔っ」 「酔ってるよ〜〜」 いつもの笑顔のまま一也は言う。 唇を、何度も合わせる。 「……酒、残ってるしさあ。……古谷、酒くさいし……酔うよ」 戸惑いながら古谷は一也を見上げる。 冗談なのか本気なのか見分けがつかない。 そんな彼の行動や表情はいつもの事だったけれど、今の状況では古谷にとってそれは不利に働く。 眉を寄せる古谷に、一也は優しく微笑みかける。 「……まあ、そんなことはいいからさ。感じなよ」 と、先をぐり、と刺激する。 それに、顔を歪める古谷。 「……っつーか。……も、さっきから、やば、い」 「分かってるからー、……言ってんの」 先程から、話している間も刺激を続けてきた一也の手に刺激を受ける古谷は限界を迎えていて。 「……一、也」 呼ぶ声に、口付ける一也。 舌が絡み合い、古谷の唇が唾液に濡れる。 一也の背を抱きながら、古谷は声を抑える。 視界が霞む。 食い込む爪と、時々漏れ出る声。 それに一也は眉を寄せ、手を動かす。 手の早さと共に、息も荒くなる。 手の力が一層強くなったのに、一也が声を上げかけ、 「……っ、もう、出る……っ」 唇の隙間から漏れ出た古谷の言葉に手を離す間もなく、古谷は達し、白濁した液が一也の手を濡らした。 古谷の乱れた息と、焦点の合わない目。 それが段々といつもの状態に戻っていく間、一也は眉を寄せながらも、何度も古谷の顔に口付けを落とす。 溜息をつき、古谷は一也を押しのける。 それに驚き、次にじっと見返してくる一也に、古谷は違う、と呟く。 起き上がり、キスをしながら一也の肩を押してベッドに倒す。 「……やる」 「……いや、それはどうかと……」 熱いままの息をついて、耳元で囁く声に一也は眉を寄せたままそう返す。 「……やりてぇんだって」 そこにキスを落とし、さっきは服の上から触るだけだったのを、古谷は手早くジーパンのホックを外し、チャックを下ろしていく。 「―――だから、いいって」 「俺だけに、恥かかせる気かおま」 拒否されて、押し返されて古谷は気付く。 一也の古谷を見る目は余裕をなくし、怯えさえ含むものになっていて。古谷の手でベッドに押しつけられた彼の体は完全に強ばっていた。 その姿に胸が痛み、眉を寄せて古谷は問う。 「……嫌、か」 古谷の不安な声に、一也は自分の感情を抑えながら古谷に笑いかける。 「……っていうか。……重いのね……」 笑いかけながら古谷の頬に手を伸ばす。 その体温に、古谷は笑う。 顔を寄せて、頬に軽く口付ける。 「……じゃあ、これじゃ」 そう言って、一也の横に寝転がり、一也を抱き寄せる。 「……そんなに、俺に触りたい?」 からかう口調ながらも柔かく笑む一也に、古谷もわざと顔をしかめて答える。 「だから、俺だけ恥ずかしいのは嫌だっつの」 囁きながら、下着の中へと手を差し入れる。 そして、少しの驚きを感じる。 触っただけなのに、きつく張り詰めた一也自身。 欲情できる、とは言葉では聞いたが、イかされて一也の反応を気に出来る程度の余裕を持った今、こうやって具体的に感じさせられると、妙な照れが古谷を襲う。 苦笑いで古谷は言う。 「……濡れてんな」 「……そりゃ、古谷の艶姿はたまんなかったしねぇ……」 眉を寄せながら笑い返す一也。 それに、思わず古谷の口から衝動的に言葉が飛び出す。 「艶姿ってなんだよ、艶姿って」 それは明らかに心の中で言うべき言葉で、一也の表情が一気に楽しげなものに変わる。 「語らせてくれるんだったら、言うけ」 「いやいい」 そう慌てて古谷は早口で呟き、言葉を口付けで封じる。 それと同時に、一也に触れた手を動かし始める。 キスと手の動きに、堪らなさそうにくぐもった声を上げる一也。 古谷は、それに幸せそうに笑った。 (…………やっぱ、覚えてんだな……) 二日酔いに痛む頭に手をやりながら、古谷は思う。 昨夜起こった事は、ほとんど記憶に残っていた。 かなり飲んだから、とそんな虫のいい酔い方が自分にできない事も分かっていながら、それを望んでいた古谷。隣で安らかな寝息を立てている男を見て、溜息をつく。 「……くそ……」 少し戸惑った気持ちのまま、一也の頭に手を伸ばす。 くしゃ、と彼の髪を掴み、彼の頭を撫でると、その感触に昨日の醜態が思い出される。 情けない自分の姿。情けなく泣きついた昨日の自分、そんな自分でもいつものように慰めてくれた一也。しかし何を思ったのかキスされ、キスして。その後はなし崩しに。 流石に久しぶりなのと一也相手という事もあって、最後までは行かなかったものの何回やったことか。そして最後の方はただ優しくしてくる一也に甘えているだけのような自分が思い出されて。 (……うう゛……) 耳まで真っ赤になるのを自分でも分かりながら、古谷は記憶の違和感に眉を寄せる。 何かを忘れている気がする。 ―――というより、雰囲気や会話に流されて聞き流した、しかし大事な何かがあったような、 「……古谷……手どかしてくれます……?」 「あ」 眠たげな目をこちらに向けている一也。 その目線に、あたふたとしながら手を離す。その後で必要以上に動揺するのも悪いと思い、手をゆっくりと下ろす。 気まずさと恥ずかしさが2人の間に漂う。 「……おはよ」 「おはよ〜〜」 くしゃ、と眠たげな顔で一也は笑う。 そして彼は起き上がり、何もない空中を見上げながら言う。 「実は〜〜俺、今日オーディションの発表あったりすんのねぇ」 「はあ?!―――大丈夫なのかよ、んなのんびりとしてて!」 慌ててベッドから飛び降り一也の服を拾い集める古谷を見つめながら、一也は笑う。 「ん〜午後だから大丈夫。……だから古谷、そんなサービスしないでいいよ?」 「―――あ゛?」 その言葉に自分の体を見下ろす。 昨日眠りの波に飲まれてしまった時のままの自分の姿。つまり全裸。 そして細かい事を気にする間もなかったため、昨日の残滓が体の表面に残っていて。 「……ちょ〜えろ〜い」 「―――っさっさとお前風呂入れ!」 同様の一也に集めた服を投げつけ、自分の下着を拾ってさっさと身に着ける古谷。 顔を真っ赤に―――むしろ全身真っ赤にする古谷を笑いながら一也は言う。 「いや古谷先どうぞ。……どちらかっていうと俺のせいもあって古谷の方が汚れてるしね」 一也の言葉に、何か言いたげに古谷は一也を睨みつけ。 「―――っ!!」 何も言わずに目をそらし、自分の服を拾い集め、ドアを開けて大きく音を立てて閉める。 勢い良く閉めたドアの向こうから一也の爆笑が聞こえ、古谷は拳を握り締める。が、怒っても一也にはかなわない、と脱力し大きな溜息をつく。 そして古谷は風呂場に向かった。 そして風呂に入った古谷は、一也のために新品の下着を買いにコンビニヘ走り、そして2人分の朝食を作った。和やかなムードかは疑問だが、2人は朝食を残さずに食べた。 そして今2人は玄関に。 「って事でおじゃましました」 「ん、またな」 古谷の言葉にニッコリと笑う一也。 「あのさ」 「……何だよ」 その笑顔に不穏なものを感じ、警戒する古谷。 しかし何もせず、一也はただこう言った。 「また一緒に飲もうね」 肩透かしを食らった古谷は、そのまま背を向け玄関のドアを開ける一也に声をかける事も出来なくなる。 ドアのノブに手をかけたまま振り返る一也。 その顔はやけに真剣なもので、古谷はまた声をかける事が出来ない。 「またっね〜」 しかしその表情は気のせいかと思うほどすぐに消え去り、無邪気な笑みが一也の顔に乗り、すぐにその顔も見えなくなる。 目の前で閉まるドア。 呆然とした古谷。混乱した思考の中で、段々と彼の言葉の真意が分かってきて、顔をしかめる。 しかしその表情ははすぐに苦笑に取って代わられる。 「バーカ……」 飲む気起こるか、こんな事あった後で。 玄関に座り込みながら古谷は呟く。 また彼と飲んでしまうだろうという、確信に近い予感を感じながら。 ← → |