差し出された手は悪魔のものか天使のものか



場所は行き付けの店。
姉さんと楽しくお喋りをして。
「……っていうか、こういう場所だからこそ余計そう見えんのかもしれないけどさ。一也友情深まりすぎて、何かもうヤバイわよ?」
そう言って苦笑する女。
ショートヘアーのストレートな茶髪。中国風の上着にタイトなパンツをはいている、シャープな顔立ちの彼女の名前は三池幸乃。現在恋人募集中だが、いい女である。
彼女の言葉に、一也は彼女にアイドル張りの笑顔を向ける。
「だってこの前Hしちゃったしー」
アイドル並のぶりっ子ポーズを取る一也の横で、男が1人潰れていた。潰れたのは瞬間的だったが、酒の入ったグラスはテーブルの上に死守されていた。
可愛らしげな自分を演出する友人を、古谷は冷たく、恨めしげな目で見つめる。
「……一也」
誰も黙ってろ、とは言わなかったが、長い間話にも出なかったし、ここで、しかも幸乃の前で蒸し返されるとは彼も思っていなかったであろう。
一也の名前を呼びながら、弱々しく起き上がる古谷。
そんな彼を励ますように、一也は彼に微笑みかける。
「だって本当でしょ?確かに1ヶ月前だけど……いや、忘れたなんて言わないで……っ!」
演技力はある男、某劇団に所属、小崎一也。
「あの夜君は言ってくれたじゃないか、怖がる僕に……怖がらないで、天井の染みを数えている間に終わるよって……それを信じて、僕は君に体を任せたのに……っ」
しかし、普段するにはその演技は多少大袈裟であり、それに加えてバラエティ、ギャグ漫画、更に古典的ネタを好む傾向にある彼の台詞が、真剣味をキレイに消し去った。
幸乃はもちろん苦笑するが、その演技を流す事も出来ずにまともに付き合ってしまう男もいる。
「誰が言ったんだそんな事、それ以前にそれは俺の台詞……っ」
顔を赤くして反論したが、言葉途中で我に返り、口を押さえる。
しかし既に時は遅し。
一也の言葉を否定するための言葉。口に乗せたそれは流れるまま、結局してしまったという事実を肯定していた。
そのままグラスの酒を煽る古谷に、顔をしかめる幸乃。
「……っていうか。ホントーーー……にした訳?」
「うん、した。させていただきました。美味しくいただきました」
ごちそうさまでした。
そう言いながらこくこく頷く一也。すぐに止まって、付け加える。
「……まあ、古谷が酔ってたからだけど」
それにしかめっ面で古谷は言う。
「酔ってなきゃする訳ねえだろ」
その言葉に苛立って、幸乃は早口でまくし立てる。
「あんたねえ気持ちは分かんなくもないけど、仮にも自分を好いてるって奴にそういうこと言う?普通に考えて言わないでしょうが、酔ってるからって、一也相手だからってそう……い、う……?」
裾を引かれるのに幸乃が目を向けると、困ったような笑顔を一也が彼女に向けている。
その姿に我に返って古谷を見ると、考え込むように目線を迷わせている。
2人の姿を見て、ヤバイ、と幸乃は慌てて作り笑いを浮かべ。……フォローのしようがないのに、溜息をつく。
客の中でも、割と幸乃と気が合うこの2人。あまりにも気を楽にしすぎて、この始末。
心の底から反省しながら、幸乃は謝る。
「……ごめん。……言ってなかったのね」
一也のことだから言ってると思ったんだけど。
ほとんど確認のための問いに、頷く一也。
「微妙にね」
別にいいけどね。そう言いながらも一也は古谷の反応が気になるようで、横目でちらり、と古谷を見る。
お互い合う視線。
「……何だよそれ」
憮然として呟く古谷の言葉に、一也は一瞬拗ねた顔をして、しかしそれでも笑む。
「微妙に言った。……古谷だってあんな露骨にされて気付かなかった訳じゃないでしょ」
その言葉はさすがに否定できずに黙り込む古谷から、幸乃に目を向ける一也。
「でもね、やっぱ俺好きな奴とやるのが一番いいみたい。全然違うしさあ、満足度とか、興奮度とか」
その笑顔に、気を持ち直し幸乃も話に乗る。
「そりゃそうよ、あんた元々一途な性格してんじゃない。まるでイノシシっていうか競走馬っていうか」
「何それー、超微妙ー」
いつものキャラ、いつものノリで話す2人に取り残され、古谷は1人で溜息をつく。
(……何だよ。こっちは対象外だった奴に告られてビビってるっつーのに)
と、そこで古谷は気付く。
(……俺があのまま木田に告白してたら、こうなってた訳か)
もちろん、ここまでオープンにというか、能天気には出来ないから。
……だから、たぶん思いつめて、迷惑をかける。
古谷は一也を見ながら、口元に手をやる。
(……もしかして、迷惑にならないようにこうしてんじゃないだろうな)
口唇を親指で触りながら、一也の気遣いを考える古谷に、当の一也は顔を向けてスマイル0円。
「何ー、じーっと見てー。……あ、もしかして俺のこと好きになっちゃったの〜?キャーvv」
前言撤回。何も考えてないだけ、それに酒入ってるからだ。
ハートマークを飛ばす一也に呆れる古谷と同様に、幸乃も眉を寄せて返す。
「いやー、さすがにそこまで古谷君単純じゃないでしょ」
「……幸乃さんの言う通り」
古谷のつれない言葉にも、一也の快進撃は止まらない。
「んー、でも大丈夫。いつか古谷を好きにならせてやるもん」
「んなの上手く行くかバカ」
古谷が呆れて言うと、一也は子供が怒ったような顔をする。
「いや、行く。だって俺だよ?俺が古谷を好きなんだよ?」
「……そのごっつい自信はどこから来てんの」
呆れ返った幸乃の言葉に、酒のせいでとろけた笑顔を向ける一也。
「俺の信条はポジティブシンキーング。叶うとか叶わないとか考える前にそれに向かって努力する。そうすりゃポジティブな未来が来るの、ネガティブに考えてたら叶うモンも叶わないよ」
そして古谷はそんな一也の姿が前から嫌いではなく、笑いながら酒を進める。
「まあ、俺手に入れる前に最低限酒飲めるようになっとかねえとキツイぞー」
ハイハイハイと、自分の持っていたグラスを一也の口につけ、傾ける。
途端に黙り込み、口を真一文字にして拒否する一也の肩を抱き寄せ、囁く。
「これ飲んだら、キスしてやるから」
いい感じに酒が回り始めた古谷のにやけた顔を、困惑と抱き寄せられたせいで感じる古谷の体温、その他諸々に眉を寄せながら、口につけられたグラスを見る。
「やっちゃえばー、いいチャンスじゃない」
さっき反省したばかりだというのにけしかける幸乃に、出口をふさがれる。
グラスの中の酒。
匂い、そして古谷の飲む酒というだけで、自分が普段飲む弱い酒とは違うだろうという事は予測がつく。だけれど、その酒はほとんどが古谷によって飲まれていたし、自分はつい先程来たばかりだから大して飲んではいない。
少しの逡巡の後、倒れる事はないだろうと一也は手をグラスに添え、古谷の手と共に傾ける。
軽く息を吸い、グラスの中の液体を喉を鳴らし、一気に飲み干す。
静かに、グラスから手を離す一也。
古谷は、ゆっくりと一也を抱き寄せた腕を離し、グラスを置く。
一也は古谷から離れる。そして、古谷をじ、と見上げる。
本当に飲むとは思っていなかった古谷は、一也のその視線を受け止めながらもたじろぎ、ただ見つめ返すしかできない。
そんな2人に、マジでやるの、とけしかけたものの、幸乃は困惑する。
古谷が沈黙に耐え切れなくなり、口を開き、
「する訳ないだろバカ」
2人に、一也は憮然とした表情で言葉を投げつけた。
その珍しい怒りの声と表情に、2人は黙り込む。
しかしそんな彼らに、笑う一也。
「人からかうと怒るからね?」
と言うよりは、彼は笑顔を1人に向けていた。プラスデコピン付きである。
鈍い痛みに古谷は額を押さえ、そんな古谷から一也は幸乃に目を移す。
「幸も。……俺の気持ち前から知ってるんだしさあ、そういうのやめてよね」
「……悪かったわよ」
彼女としてはサービスのつもりであったが、幸乃は眉を寄せて呟く。
彼女の気持ちが全く分からなかった訳でもない一也は、そのまま話を流す。
「ま、それはいーから飲んでよ」
「え、お前の奢り?」
途端に元気になる2人に、一也は顔をほころばせる。
「バーカ」


「さすがに来たわねえ……」
途中で幸乃に放置され、それじゃあ時間もいい所だしもう帰ろうかと2人で駅へと向かう道の途中、コンビニを過ぎた所で、一也は座り込んだ。
なぜかオネエ言葉で視界から落ちていった一也に、古谷は慌てる。
「おい、大丈夫か?」
「……大丈夫じゃ…ない……」
これが大丈夫に見えるか。
そんな間抜けな事を言う男を、一也は気持ち悪さの中、可愛く思う。
バカな奴ほど可愛いと評された男は、引き続き慌てている。
一也はいつもはセーブしていたし、古谷は滅多に吐く程には酔わない。だからか、慣れていないのかもしれない。そう吐き気に逆らいながら考える一也に、古谷は声を上げる。
「……何か飲みモン買って来る!」
「……お願い……」
俯いたまま、一也はコンビニの方へと遠ざかって行く古谷の足音を聞く。行き交う人々の邪魔にならないように脇に退いた。
一也は俯いたまま、溜息をつく。
寒い。
まだ季節は秋だけれど、夜になると寒いらしい。
吐きたいのか良く分からない気持ち悪さの中、一也は深く浅く息をする。
「……一也」
顔を上げると、好きな男が自分を心配している顔が目に入った。それをかけがえのない幸せのように感じて、一也は青ざめた顔で笑う。
「……ごめんね……」
「何言ってんだよ」
渋面で古谷は一也の横に座る。
受け取った300mlのペットボトルに口を付けて、またそのまま俯く一也に、古谷は渋面のまま言う。
「俺のせいだろ」
気分の悪さと、古谷の言葉に眉を寄せ、一也は顔を伏せたまま言った。
「何言ってんの、俺が飲みす」
「でも俺が飲ませたのも絶対入ってるから。っつーかゴメンなんて言うな、気持ち悪い」
仏頂面のまま言う古谷に、一也は泣きそうになって、
「……古谷ぁ」
甘えた口調で言ってみる。
固まる古谷。そんな彼を俯いたままでは分かるはずもなく、しかし短くはない彼との交友から彼の反応は容易く想像できる一也は、情けない顔で笑う。
「まだ……ちょっと、このまま……座っててもいい……?」
沈黙の後、古谷は大きく息をつく。
そんな彼に笑んだまま、一也は思う。
ちょっかいなんて出せるはずもない。気持ち悪くてしょうがないのだし。
それに、謝りたかったのは別の事だった。
「……古谷ぁ」
甘えた声再びの一也を、もう同じ手は食わねえと勝手に食った古谷は見据える。
そんな古谷を、膝に乗せたまま頭を動かして見つめて、顔を作れないまま、無表情で一也は。
「……ちょー好き。まじ愛してる」
まるっきり棒読みで、投げキッスまで投げる。
そんな一也に、古谷は言いようのない大きな疲労感に包まれる。
再び俯いた一也に、天を見つめながら切れ切れの言葉で言う。
「……お前さ、頼むから。……言うなら、ちゃんと……どっちかにしろ」
「やだ」
気持ち悪いんだもん。
ぼそぼそと子供のように呟く一也。
いつもより可愛らしく、弱々しい口調の彼に古谷は、
「……古谷、バカ?」
首筋にかかる息と、温かい体温を感じてから、
「……バカで悪いか」
そして一也が泣きそうな声を出すのに、彼を思わず抱き寄せてしまっていた、という事実を自覚した。
だいぶ酔っている。
その事を、自分に確認しながらも、
「……一也」
一也の顔に手をやり、そのまま顔を上げさせる動作を止められなかった。
不審に眉を寄せた一也に口付ける。
事実を認識できず、目を見開いて口をだらしなく開けたままの一也に微笑む。
「……さっきの賭けの勝利分」
すると、一也は見る見るうちに赤くなり、そして眉が寄せられ。
青くなって俯く一也。
「……いらないって言った……っていうか、ヤバ……吐く……」
「はあ?!てめ、んなふざけ……っちょっと待て吐くな!」



  





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