肌に触れた指、迷いの中で唯一の救いと罠は純情



「ねぇ、俺を好きになってよ」
笑顔でグラスの中の氷を揺らしながら彼は乞う。
その隣の席の男は、彼の言葉に呆れたような声音で返す。
「……ならせんだろ」
男はそれに笑えずにいる。
「頼むなよ」
「いいじゃん。俺を好きになってくれんだったら、いくらでもお願いするよ?」
溜息と共に憂鬱な気持ちを吐き出す。
「……馬鹿」



あの日の告白とキスから、古谷はお互いの距離を計りかねていた。
その慣れない思慮から、沈黙の代わりに酒を飲み過ぎていたのかもしれない。
だとしても、その責任を一也に押しつけるつもりは古谷にはなかった。
しかし、今の状況は。
「大丈夫?」
一也の呼びかけに、気だるげに目を開けた古谷。その目に映ったのは一也の整った顔。
ベッドに横たわった古谷の青い顔を、覗き込んでいる一也。
「……珍しいよね。古谷が吐く程酔うなんて」
いたたまれなさに目を閉じる。
飲み過ぎて気分が悪くなって、やむを得ず近場のホテルに二人で寄った。
それが、カラオケボックスやビジネスホテルではなく、ラブホテルであったのは一也の下心だったのか。 その事は、ほとんど意識がなかった――あったとしても思考する能力を一時的になくしていた古谷には分からない。 その時分かっていたのは、気分の悪さだけだった。
古谷はいたたまれなさに襲われながらも、虚ろな目で一也を見つめる。
一也は笑って、古谷の頭に手を伸ばす。
「……大丈夫になるまで、横になってな」
古谷は、その手を払うまでの気力はない。
「吐きそうになったら連れてってあげるから言ってね」
撫でる動作に乱れた髪が額に落ちる。落ちた前髪が古谷を普段より幼く見せ、そんな彼の無防備な姿に一也は微笑む。
しかし古谷はそんな一也の姿は知らない。
疑いながらも一也の優しさを信じ、乱れた髪を撫でる動きに安堵していた。
そうしてどれくらい撫でていただろうか。
乾く喉に、一也が喉をさする。飲み物を取りに行こうと手を離した、その瞬間。
「――――あ」
無意識に呟いた声が、一也を引き止める。
一也は、少し驚いた目で古谷を見ていて、
「……そんな目で見ないで?ただ飲み物取ってくるだけだから」
きゃ、と口元に手をやり、立ち上がってパタパタと走って行く。
そのわざとらしいごまかし方に、古谷は溜息をつく。
彼は自分の気持ちに気付いているのだろう。
天井を見つめ、思う。
(……まだ、甘えていたかったんだ)
その事実から目をそむけるように、古谷は目を閉じた。



「…………」
夢も見ない眠りから覚醒して、古谷は無意識に一也の姿を探す。
そして、床に座りこんで頭を自分の寝ているベッドに預けている一也に気付く。
古谷は毛布もかけておらず寒そうな一也に溜息をついて、意識がない彼をベッドに抱き入れる。
うめく一也。 起こしてしまったかと古谷は凍るが、静かにしていると、彼は再び大人しく寝息を立て始めた。
それに古谷は気を緩め、狭いベッドの中、一也の肩口に顔をうずめて息をつく。
こうしていると感じる安心感。それが、単に人肌によるものなのか、一也のものだからなのか。
分からないまま、古谷は一人彼の名を呼ぶ。
彼に対する感情も、間違いなく純粋な友情だと言えるものではなくなっていると自覚していても、古谷は足掻く。
それは、この感情は友情ではない――そう仮定したとしても、恋人や好意を抱いた相手に向ける愛情とは違うと分かるからだ。
自分の感情に戸惑い、自分の感情を持て余しながらも、古谷は惹かれるままに一也へと手をのばす。彼の短い髪を撫でる。
その途端、湧き上がって来た感情に、古谷は泣きそうな顔で笑う。
溢れ出すこの気持ちは何だ。
ひどく曖昧で、ひどく自分を翻弄する感情に、古谷は主導権をを明け渡してしまう。
「……一也」
彼の名を呼びながら、口唇で顔の輪郭を辿る。
「……待って古谷、それはさすがに堪んない……」
すぐ近くで漏らされた声。それは幻聴ではなく。
「……起きてたのか」
今更取り繕おうとして無駄だと諦め、古谷は顔を離しながら一也にそう返す。
「……いつから」
「古谷がベッドに俺を引きずり込んだ時。……眠いからこのまま寝ちゃえ〜、って思ったんだけどね」
あんな事されて眠れるはずもなかった、と一也は笑って、古谷の背を抱く。
「……一也」
しかし古谷は弱い声ながらも、彼の行為を制止する。
彼を大切だ、愛しいと思うのは本当なのだろう。だがそれは今までの恋人に感じてきた愛しさとは違い、自分の持つ感情が恋愛のそれに当たるものなのか、確信は出来ない。
こんな曖昧なままの感情で一也を振り回す事は出来ない、そうして古谷は一也に対して壁を作る。
だが、一也は笑んだまま言った。
「いいから」
彼は古谷の知る限りの彼が口にしないような言葉を、口にした。
「……いいから、させてくんない?」
その事は、それだけの感情を一也は持っている、と古谷に思い知らせる。
だけれど。
「―― 一也」
「……余計な事考えないで」
拒否する古谷に、泣きそうな笑顔で一也は言う。
一也の手が古谷の頬に触れる。
「……お願いだからさ」
その、壊れ物を扱っているかのように怖れた指先から彼の気持ちが伝わってくる。
そして一也の口唇が、古谷のそれに触れる。
その柔かさに、古谷は欲情する。
一也の舌が古谷の口唇を割って、差し入る。歯茎を舐め、舌を絡め、口唇を唾液で濡らす。
重なった口唇の間から、声が漏れる。
「……お願い」
その言葉に、古谷は理性を失うのを自覚した。
一也の背に手を回し、わずかな力を込めた。キスを受け入れて、自ら一也の舌に自分のそれを絡める。
一也の手が、古谷の頬から髪へと、撫でるように移動する。
キスの濡れた音が、耳に響いた。
「……はぁ……」
二人の間に吐息が落ちる。
耳にキスしながら、一也は囁く。
「……気持ちい……」
おそらく、それは自分に問いかけた訳ではなく、正直で馬鹿な一也の本音なのだろう。それに古谷は失笑する。
しかし、キスや舌、手が耳から首筋へと、降りていくのにそんな余裕もなくしていった。



「いえーい、やっちゃったよpart.2〜〜〜」
目が覚めて、目が合った瞬間にギクリ、と身を固まらせた古谷に、一也のこの一言。
一也はいつもと変わらない笑顔でそう言っていた。
それにわずかに体の力を抜く古谷に、一也は微笑みながら言う。
「取りあえずお金持ってる?俺あんま持ってないんだけど」
古谷は一也の言葉に眉を寄せ、そして顔をしかめる。
頭を掻いて、大きな溜息をついて言った。
「……取りあえず、シャワー行かせてくれ」



朝の空気。
他の街は動き出しているだろうが、この街はゆっくりと眠りにつき始める。
カラスの声。
交差点を渡って、改札口が見え始める頃。
「古谷」
もうすぐ別れる頃だと思っている時に、名を呼ばれた。
呼ぶ声に古谷は、その声の主を見る。笑顔で古谷を見上げて彼は言った。
「また、やろうね?」
そのまま逃げ去る一也の背に、古谷はなにも言えずに立ち尽くす。
その背が見えなくなって、そんな自分にデ・ジャブを覚える。
笑顔の影に隠れた真剣な顔。
彼の言葉の真意。
彼の真っ直ぐな背中。
――誘いの言葉に笑う自分。
そして、それが気のせいではない事に気づく。
全てあの日の出来事だ。
「――笑えねえ……」
馬鹿は俺だ。
そう溜息と共に落とし、頭を抱えて古谷は道端に座りこんでしまったのだった。





  







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