紅蓮の死神
「悪いな、囮に使っちまって」 豪はそう言って頭を下げた。相手はゆっくりと首を振る。 枝に貫かれ、身体は黒い塵となって今にも消えかけていたが、その表情は穏やかだった。 「…オマエノ、セイジャ、ナイ」 「そっか。あとは俺たちがやるから、ゆっくり眠っていてくれ」 「ワカッタ……」 相手は目を閉じ、消失に身を委ねる。 しかし、ふと相手は言葉を紡いだ。 「ゴー」 「ん?」 「セイイッパイ、ヤレ」 ふと見せた、相手の微笑みに、豪も笑った。 「ああ、ありがとな。もう一人の兄貴」 「………」 枝に貫かれていた漆黒の死神は、豪の眼の前で霧散した。 「別れは済んだか、ゴー」 「ブレット…」 そこには、黒い銃を構えたブレットがいた。 豪の表情が険しくなる。しかし、ブレットは冷ややかに受け止める。 苦笑し、くるりと銃を回した。 「どうだ、俺の作ったモノは。お前でも十分の認識ができているだろう」 言うと、豪は目を閉じた。 「…ああ、使い方はわかった。いける。でも、なんていうんだ。これ。というかこの感覚」 豪はぼんやりと中空を見つめる。 「それに名前はまだない。しかしそうだな。今名前をつけるなら」 「つけるなら?」 「クレアボヤンス、だな」 「変な名前」 「変な力だからな、しかしお前の能力を言うならそれが的確だ」 「ふーん…」 豪はそれ以上詮索はしなかった。 ブレットもそれ以上のことを話そうとしない。 『おい、行くぞ』 どこからか声が聞こえた。 その声に、ブレットも豪も身構える。 「わかった。ではゴーセイバ。ここを頼む」 「ああ、気をつけろよ」 「お前もな、間違いなく奴はここに来てお前が相手をする。俺が来るまで負けるな」 「……わかった」 ブレットとどこかから聞こえた声が消える。 気配も消えたことを、豪はその身で感じ取った。 空を見る、そこには蔦で覆われたモノクロの空がある。 きっと、この向こうはすさまじいことになっているだろう。そこにはいけないけれど。 「なぁ、みんな…どうしてその気持ちを俺にしか向けてやれないんだよ…」 たった一人で、この世界で待ち続ける。 そして感じる。 一人は、やっぱり嫌だ。改めて豪はそう思った。 Act11.境界のクレアボヤンス ログアウト、できない。 それに気づいたのは、漆黒の死神を倒したあと。 そして、自分は正確に紅蓮の死神になった。 今までも少しだけ感覚はあった。右腕だけだったが、視覚聴覚その他全てが"こちら側"にあるなどはじめてのことだった。 黎明城はいまだそのまま。 ソニックとマグナムも困惑しているようだった。 『マグロク、どうなってる?』 『…わからねぇ。なんか変な感じ』 『それはわかってるって。何が起こっているのか、って聞いてるんだけど』 『うまく、言葉にできねぇ』 星馬烈を認識できない中で、マグロクとソニックは画面に映し出されたチャットウィンドウで会話をしていた。 『ただ、ここは…正規版サーバーじゃない気がする』 『え?』 ソニックが驚いたようだった。 「どういう、こと?ソニックとマグナムは、同じものを見てるんじゃないのか?」 烈もたずねる。 『ああ、そうか…烈は知らないんだったね…、僕とマグロクは元のGPチップの在処が違う』 『兄貴やブレットみたいなディオスパーダ対抗として組み込まれているGPチップは、正規版サーバーにくっついてるサブサーバーに元があるんだけど…俺はテスト版サーバーにある人工知能そのまま流用してる』 「具体的にどう違うの?」 『そう変わらない、けどまったく同じわけでもない、それくらいかな…まぁ今テスト版にいるのはマグロクとディオスパーダと豪くらいしか…』 『……豪?』 ふと、マグロクが声を出した。 「マグロク?」 『どうなってんだよ、これ…テスト版サーバーから豪が消えてる』 『ほんとだ…豪がいない』 ソニックもマグロクも驚いているようだった。当然だろう。豪はあの護りの樹にいる以上、テスト版サーバーにしかいることができないはずなのだから。 「いったい、何がどうなって…」 その瞬間、ぴぴと音がした。サークルのメンバーから連絡が来たのだ。 「用がある、すぐに来てほしい」 送り主はジュリアナだった。 「ソニック、マグロク、こうしても埒があかない。とりあえずカイくんたちに会いに行こう」 『俺はちょっと別行動を取らせてもらってもいいか』 そう言ったのはマグロクだった。星狐が自分の肩からちょこんと地面に降り立つ。 『いけるかは、わからねーけど…。ロストブルーを取りに行きたい』 『戦力は、多いほうがいいからね、行けそう?』 『ちょっと難しいかもしれねーけど、いける』 こく、とマグロクはうなずいた。 『烈、マグロクを逃がして』 「わかった」 コマンドを使い、ベットのマグロクを"逃がす"。コマンドを選択し、押すとマグロクの表示が消える。 『すぐに戻る』 そういうとマグロクは一気に巨大な獣の姿に変えると黎明城を飛び越えて行った。 「それじゃソニック、僕たちも」 『うん』 転送コマンドを使い、僕は一気にサークルホームへ飛んだ。 サークル:邂逅の熱帯夜 そこに、熱帯の主はいなかった。 代わりに槍使いの少女が一人。 「来たね」 「ジュリアナ」 神妙な顔をして、そこにいた。 「いったい、何が起こったの?」 そういうと、ジュリアナは嘆息した。 「……単刀直入に言うよ。"このゲームにいる全員がアンタと同じ状態"になってる。当然、私も」 「え?」 「ログアウトできないし、PC触ってる感覚もない。ディオスパーダ駆除のときと、同じ感覚」 ジュリアナは槍を掲げる。硬い感触のそれを、しっかりとみている。 「じゃ、外はどうなってるの…?」 「今は見ないほうがいい」 ひどいことになってる。と一言。 「アンタさ、蠅の王って読んだことある?」 「え、ああ…うん……」 「私はコーチが読んでいたことがあったから1度読んだんだけどね…、あれと同じ状態。けど、規模が違う」 「規模、って…」 「あの瞬間、フィールドにいた全てのプレイヤーが街に集められて…殺し合いを始めたんだ。先導したのは、"スターゲイザー"のメンバー」 私は、あんまり長時間見ていたくないね。とジュリアナは言う。 「見せて」 「…いいんだね?」 ジュリアナはカイが座っていたところにあった植物をもぎ取ると、画面を映し出した。 「これ、は…」 『ひどいね…』 ソニックも思わず呟く。 街のあちこちに灰色のPCが転がっている。それは比喩でもなく屍だった。 『あははっ……』 『殺せ!みんな殺しちまえ!』 『お願い、たすk…』 炎など上がらないただの殺戮。人の本能がむき出しになっていた。 敵も味方もなにもない。 眼の前でPCがロストして灰色になる。それはそのまま動くことはなかった。 中央で立ち回るプレイヤーは10人ほど。本来なら武器を振りまわすことさえできない街の中での暴力に酔いしれ、笑みを浮かべながら殺戮を繰り返す。 街はすでに街ではなく、阿鼻叫喚と絶望と悲鳴と絶叫が木霊する。 「なんとかならないの?」 「今のところ…サークル内にいればこの殺戮からは逃れられる、弱小レベルのPCはあっという間にやられたよ」 ぴっ、とジュリアナは画面を消した。 「そういえば、カイくんは?」 言うと、ジュリアナは身体を硬直させた。 「コーチは…」 ぎゅ、と腕を握りしめる。そして唇を噛んだ。 「アイツに…捕えられた」 「アイツ?」 「星馬豪さ」 ひどく、冷たい目でジュリアナは自分を見つめる。 「カイコーチは、星馬豪にやられたんだよ!あいつ、敵だったんだ…どうして…!」 『豪が、どうして!』 ソニックも信じられない事態に疑問をの声をあげた。 「豪がカイくんを捕えた、ってどういうこと?」 「豪は…ディオスパーダの仲間だったんだよ…!なんでこんな…」 「ごう、が…嘘だろう?」 自分でも驚愕を隠せない。いったいどうなっているのか。 ジュリアナは、憎しみと絶望と怒りを滲ませて呟いた。 「私は…アイツを許せない」 「ジュリアナ…」 息をつき、自らの怒りを抑え込んで、呟いた。 「カイコーチは捕えられる前に、これをお前に見せるように言った」 「……」 「アイツがカイコーチに何をしたか…その、一部始終をね」 そこにいたのは、剥製の黒い小鳥だった。 ぱたぱたと空を舞い、映像を映し出した。 ◆ ◆ ◆ 「ジュリアナ、これから僕が倒れるまで。一部始終を録画しておきます」 「もし、僕が倒れることがあれば…星馬烈にこれを見せてください」 言い残し、小鳥を忍ばせた。 (さて、何が来るか) カイがいたのは本当の正規版サーバーだった。異変を感じ取ってすぐにカイは行動を開始していた。 (やはり、糸をつけていて正解だった) カイのGPチップビークスパイダーはある意味で最も探索に適したGPチップだった。 自分が任されていた正規版サーバーを囲うようにGPチップの感覚をリンクさせておき、「何かあったとき」に一番にその場にいるように。 そしてその瞬間。プレイヤーとしてのカイが引っ張られる形でこの場に潜入した。 建物を飛び越え、その中心部を目指す。 ここから外部に連絡を取ろうとしても、サーバーを出ようとしても、ログアウトすらできない。正規版サーバーが捕えられていることを悟る。 捕えるイメージが空一面を覆った蔦だった。 町はずれにある丘から巨木の幹が伸びており。そこから枝と蔦をエリア全てに広げている。 これをなんとかしなければ、出られない。誰も来られない。 「白い樹…やはり、この状態を引き起こしているのは…」 カイは巨木の近くに降り立った。 そこには、眠るようにして目を閉じている少年が一人。 「星馬豪、ですね」 言うと、豪は目を開けた。 「…やっぱりな、来たのお前だったか」 そう言って、豪は笑う。 「すみません、紅蓮の死神じゃなくて」 「いや、いいんだ」 巨大な幹に寄りかかるようにして。星馬豪は立っていた。ひどく、穏やかな微笑み。 その場にはあまりにも似つかわしくない、笑みだった。 豪が背を預ける大樹の枝葉は空一面を覆っており、枝の先は見えない。 その中心部でただ一人で微笑んでいる。異質としか言いようがない、とカイは思った。 眼の前に立つ。それでも、豪は動く気配がない。 「要件を言います。正規版サーバーを自由にしてくれませんか?」 「それは無理だね」 即答だった。カイは眉を寄せる。 「小細工をするつもりはない、ということですか…、今の会話から見るに正規版サーバーの介入を一切拒絶させているのはあなたで間違いないようですね」 「ああ、でも拒絶してるつもりはないぜ」 「……」 枝葉がさわさわと揺れる、そこから、一枚の葉っぱが落ちて、豪がそれを捕まえる。 「"これ"にできるのは護ることだけだ…そして、攻撃できるのは俺が敵と認識するか、俺を傷つけようとするかどちらかだけだ」 「……なるほど、護りの範囲がこのサーバー全体ならば、この樹は一切の介入からこのサーバーを護ろうとする。そういうことですか」 「わかりが早いな。俺は気づくのにしばらくかかった」 (ブレットか、ディオスパーダ。あるいかその両方の入れ知恵が働いている。ということですか…) 豪自身が気づくにしばらくかかった、ということは先に気づいた人間が先にいるこということだ。 「星馬豪。もう一度言います。このサーバーを解放してください」 「それはできねぇ。待っていることが俺の役目だからな……引く気はねぇ」 「……」 星馬豪は、どこまで知っている。 カイはまずそれを不審がった。この態度からしてサーバーを護ること誰かに頼まれているといったほうがいい。 そして、待っているという発言から、その誰かが後でここに来る。しかしその相手が来たとして、サーバーを解放してくれるとは限らない。 (返さない確率のほうが高いでしょうね…) 諮詢する。そして、答えはすぐに出た。 (説得して無理なら…ねじ伏せるしかありませんね) 「星馬豪…あなたは自体をどこまで把握しているのですか?」 「どこまで、というと?」 「僕たちが正規版サーバーと思っていた場所が丸ごとどこかへ飛ばされた。そして本当の正規版サーバーは…あなたが制圧してしまっている」 「……」 「飛ばされたサーバーは異常です。いったいあれは何なんですか?」 言うと、豪は少し考えたあと、答える。 「…試験場、っていってたな」 「試験場?」 「ああ、俺も何してるのはしらねーけど…終わるまでここを守ってほしいってのがあいつの頼みだから…」 「あくまで、邪魔をする気ですか」 「まぁ、そういうことになるかな」 「仕方、ありません…あなたとは戦いたくないのですが」 「俺からも要求だ、おとなしく帰ってくれないのか?」 「…それは、できません。僕はシステムの管理者なんです…これ以上あなたみたいな人を増やすわけにはいかない」 「……そっか…、悪いな。俺はこんなだけど…それでも、叶えたい望みがあるんだ…、出て行ってくれ!」 語りあいは、終わる。 そして、風が巻き起こる。 「"ビークスパイダー"!」 先端が蜘蛛を象った錫杖を掲げる。竜巻が巻き起こり、甲高い猛禽類の鳴き声が聞える。 「ラプター!」 カイが叫ぶと、風の中から黒く巨大な鷹が舞い落ちた。全長2mほど、カイ以上の身の丈がある鷹だ。 鋭い眼で豪を睨み、鳴き声で威嚇する。 豪が驚いた声を出した。 「カイ…お前幻獣使いだったのか」 魔術使いからランクアップできる上級職の1つだ。召還した幻獣はほぼ全てがプレイヤー以上の能力を持つ。 「ええ。彼はラプター、ビークスパイダーの半身、といったところです」 ビーク、は元々猛禽類の嘴のことなんですよ、とカイは笑った。 「植物と鳥、どちらが強いのかは明白だと思いますが」 「それは、どうかな」 豪が腕を前に突き出す。袖から絡みつくように、植物の蔦が伸びる。 「こいつを、ただの植物だと思わないほうがいいぜ、吠え面かくなよ」 「いいでしょう…、いきますよラプター!」 動いたのはカイだった。 カイが豪に向かってダッシュ、同時にラプターが上空から獲物を狙うがごとく急降下をしてくる。 杖に魔力を込めて、振りかぶり、風の衝撃波を放った。 「ムーバルウィング!」 「っつ!」 豪というと、その場で垂直にジャンプした。 しかし、落ちるはずの地面より前に、白い枝が伸び、どんどん上に昇っていく。 「逃がさないでください!」 ラプターが急旋回し、翼から風を放つ。 「ちっ!」 一定以上の高いところまで行くと、豪はそこから枝を蹴って飛び降りた。 その先にいるラプターめがけて。 「はあっ……!」 握りこぶしに口を開けて息を吹きかける。俗にいう「拳骨」のポーズだ。そして。 「落ちろっ!」 「ぐあっ!」 悲鳴をあげたのはカイだった。ビークスパイダーの半身たるラプターにダメージを負えば、それは直接カイの痛みに変わる。 シンクロしている状態ゆえの現象だった。 ラプターと豪が落ちて行く。しかし、豪のほうは服の隙間から伸びている蔓に捕まり、無傷だった。 対するラプターも落下途中で旋回し、叩きつけられることを阻止する。 「なかなかやるな」 「ありがとうございます」 豪は笑みを崩さない。まだ余裕がある表情だ。 「さて、じゃあこっちから仕掛けかけてもらうぜ」 ぱちん、と指を鳴らした。 とたんに豪の周囲から白い枝が伸びる。 「"噛み砕け!"」 (来る!) 白い枝が無数の束になってカイを襲う。枝と枝が絡み合い、龍のような形状を取る。 巨大な口を広げた。 咆哮と言う名の衝撃波がカイを襲う。それに怯みもせず、カイは杖を構えた。 「ラプター!ムーバルウィング!」 ラプターが翼を広げ、鎌鼬を巻き起こす。 木々で構成された龍はあちこち風で身体を切り刻まれるが、一瞬にして枝を伸ばして再生する。 「"食らいつけ!"」 豪が命ずる。 カイは眼を閉じた。 「食らいつかれるのは、あなたのほうです」 片手で杖を持ちながら、素早く腕を振った。 「"空蜘蛛の糸"」 「なっ!」 豪が驚きの声をあげる。巨大な龍の動きが止まっていた。 「ラプターを何の策もなしに、突撃させるわけないでしょう」 巨大かつ、強力で透明な蜘蛛の巣。眼をこらさなければ、見ることはほとんどできない。 蜘蛛の糸の先端を切ったことに発動したカイの罠だった。 「…くっ」 豪が唇をかむ。カイは杖を大きく振りかぶった。 杖の先端に、赤く巨大な炎が灯る。 「プロメテウスマインド!」 刹那、龍が爆発した。 轟音の残響と、樹の燃えた匂いがあたりに充満した。 「炎属性の最強魔法です…、糸で範囲を限定しましたから、あなたにダメージはないと思いますが…さすがですね」 黒焦げになった樹の間から、白の芽が顔を出した。枝を伸ばし、一気に元に戻してしまう。 その枝の中心に、豪が神妙な顔をして睨んでいた。 「すっげーな、前にも兄貴に炎属性の魔法食らったけど…ここまでいかなかった」 「魔力値に関しては僕のほうが圧倒的に上ですから」 「ふーん…いろいろあるんだな」 正規版になってからのゲームのルールをあまり理解していない豪は、烈とカイのジョブの違いが、よくわかっていなかった。 カイはそれでも釈然としない。 (…おかしい) 豪はさっきからずっと動けないはずなのだ。 龍を絡め取った"空蜘蛛の糸"はビークスパイダーの特殊能力といっていい。 そして、同時に豪の身体を拘束していている。今もそのままだ。 (動けないことに、気づけてないはずがない) 豪はいまだ、何か考えているようだった。 「なぁ、カイ」 「何でしょう」 悩むのに飽きたのか、今度はカイに質問を投げかける。 「お前のこの糸ってさ、このゲームのスキルなのか?」 「…いいえ、この糸はビークスパイダーのオリジナル能力です…他のキャラでは誰も使えません」 正直に答える。豪は答えが出たのか、目を見開いた。 「なら、いっか。俺も使っても。俺だけの能力」 「…え?」 糸が切れる。カイの手元にある糸から、それを感じ取った。 (今のは…) 「あんまり、使いたくないんだけどよ…。テメーが悪いんだからな」 「…っ!」 思わず、身ぶるいした。これは、人ではない何か。 何も豪に変化はない。しかし表情が違う。 いままでそれでも星馬豪であったものを、この瞬間からなくしてしまったような。 「"護りの樹、全方位同時拘束。コードセット"」 どくん、と世界が揺れた。 「始動キー、"クレアボヤンス・オブ・ボーダー"」 覚束ない英語で呟く。カイの周りの世界全てが、カイの敵になる。 いままで大人しくしていた、正規版サーバーにある蔦という蔦全てが刃を向けた。 「…これは…」 球体の中に呑まれたような、視界。 その壁全てに、針の棘。 「護りの樹は俺を護る樹。そして、その範囲はこのサーバー全て。"一定方向にするか""全体的にするか"は俺が決められるんだよ」 これが豪の言っていた能力。全体攻撃。そして、その規模が果てしなく広い。どこにも逃げ場がない。 「ラプター!」 カイは吠えた。全身全霊をかけて、叫んだ。 ここで負ければ、おそらく何もかもがめちゃくちゃになる。 (ジュリアナ…!) ラプターは舞い降りる。甲高い声をあげて、突風を巻き起こした。 「"貫け"」 数の暴力たる樹木と、自然の暴力たる風が、激突した。 --------------------- 「ジュリアナ、どうしてこんなゲームに参加しようと思ったのですか?」 「カイコーチに、いつでも会いたかったからさ」 「……すみません」 「いいって、私でよければいつでも力になるよ!」 インターネットなんて何も知らなかったアフリカの女の子に、ネットゲームを教えたのは自分だった。 本当の勝利を求めて、それでも勝利以上になにか大切なものを掴んだ気がした。 仲間なんて何なのかわからなかった。ミニ四駆なんてただの道具だった。そう思っていた自分を変えた彼ら。 それが、GPチップの暴走が原因で星馬豪が意識不明。自分のプライドが許せなかった。 自分はこんなにも大きく彼らの存在があるのに、何もできない自分が嫌だった。 だからこそ…こうしたのだから。 「星馬豪か…、あいつにはいろいろと世話になったからね」 「危険が伴います。本当にいいんですか?」 「…カイコーチ」 「僕はもうカイコーチじゃありませんよ」 「それでも、私にとってはカイコーチなんです。大切な人が危険に巻き込まれるとわかっていては放ってはおけない」 そのひとことで、僕は彼女の同行を許した。 それなのに、なぜ。 "…なぁ、カイ。どうして、俺だけ助けようとするんだよ。どうして、俺しかむけてくれないんだよ" 当然でしょう。あなたにしか貸しがないからですよ。 --------------------- 「う…」 カイは、全身を蔓で縛られていた。まだかろうじてシンクロは継続されているが、ラプターも糸も、もう使えない。 敗北を待つだけ、だった。糸使いの魔術師は、沈黙する。 「ブレットはこれをクレアボヤンス、って言ってた」 豪はカイを見つめながら、言った。 「俺は、正規版サーバー圏内なら全てを見ることができる。後ろだろうと離れたところだろうと。ディスプレイ表示1つ残さず」 「そん、な…」 そんなことは、ありえない。 「そんなこと、人間にはできません…人の処理能力には限界がある…たとえ肉体がなくたって、精神がそれに耐えられるはずがない…!」 精一杯の声で叫ぶと、豪は泣きそうな顔をして目を閉じた。 「……半年間、真っ暗闇のなかで閉じ込められたことはあるか?」 唐突に口走る。 「俺はそうだった。この樹に閉じ込められて、なにも出来なくて、ずっと真っ暗で、生きてるのか死んでるのかもわからなくて…、そんなだった俺を助けてくれたのはあいつなんだ」 思い出すのを拒否するように首を振った。 「あいつは俺になにもしなかった。そして、あいつは願いをいうなら1つだけ叶えたいものがあるって言ったんだ」 「……」 「俺はあいつの願いを叶えてやりたい。そのためだったら、人間をやめたって構わない」 「星馬烈を…敵に回しても、ですか?」 「それ、は…」 豪がおびえた表情を見せる。もうあまり時間がない。ラプターが限界を迎えて消えた。 カイは、1つ息を吐いた。 精神が限界を迎えたせいか、頭の中が整理できている。いま、伝えるべき言葉を言うしかない。 「星馬豪…あなたは本質を見抜く力がある。何が間違っているのか…何が正しいのか…わかっていても情に流されているのが今のあなただ」 「お前に、何がわかるんだよ」 「わかります…僕だってミニ四レーサーですよ」 言うと、豪ははっとした表情で僕を見た。 「少し、疲れました」 「カイ、お前…」 もう、意識が遠い。この後来るだろう闇に、不安ばかりが残るが、それでも託すしかない。 今までずっと撮っていた映像データを遮断する。 「ジュリアナ…すみません…後を、頼みます」 そこで画像は途切れた。 |