change my mind
なんだか冷たすぎ。 ビートを見て思った感想はそれだった。 仕方ないから、自分で溶かしてみることにした。 change my mind 6 「どうかしましたか?」 バスターは平然とビートに言ってのけた。 挑戦的な、猫科の生き物のような目。 おそらくは、このために作り上げただろう表情。 ここまで自信に満ち溢れた表情をビートはただの一度も見たことが無い。 「いや……新人モデル、と言ったわりには緊張していないと思って」 「そうですね、前にカメラに写ったことは何回もありますし」 そうだろうな、俺も一緒に写ってたしな。世界グランプリのときは。 じっとバスターを観察してみる。 おそらく、本来の髪色より暗いだろうクラシカルレッドの髪は、緩やかなウェーブが掛かっている。 全てを燃やしそうな、紅茶色の強い瞳。 自分よりさらに線が細い身体と、鴉羽色の黒コートのせいか、しなやかな黒豹のようにも見える。 綺麗なくせに、近づくと牙で噛み千切られる。 華奢だということを微塵も感じさせない。その気配だけで切り裂きそうな雰囲気だ。 (……なかなか、危ういな) ビートはふと、そんなことを思った。 強いけど、回りの雰囲気を一気に寄せ付けるがゆえに、自分さえも傷つける。 自分が”変わって”いるせいか、普段考えないようなことまで考える、例えば、相手の”変わりかた”までふと分かるような気がするのだ。 バスターから視線を外し、自分の長い髪を、指でくるりと回した。 「ビートさん、バスターさん、撮影入りまーす」 「はい」 「わかりました」 呼ばれて、ビートは立ち上がり、バスターはそのままスタジオへ行こうとする。 「ちょっと待てよ」 「なんでしょう?」 バスターは振り返ると、ビートは少しだけ悪戯っぽく笑って見せた。 「俺と一緒に仕事するときは、敬語は禁止な。あと先輩も禁止。普通に話してくれていいぜ」 バスターは一瞬、何を言われたのかわからなかったのか、二、三度瞬きをしてじっとビートを見つめた。 少し迷ったように目が彷徨い、やがてゆっくりと眼を閉じて、小さく笑みを浮かべた。 「じゃあ、よろしくビート」 「ああ」 じゃあ、という言い方が少し元に戻ってるのに気づいているのかいないのか。 見かけだけは全く違う雰囲気は違和感を覚えたが、今は自分もそうであると再認識してビートは顔を引き締め た。 ※ ※ ※ 天才モデルビート。その名の由来を、咲丘は聞いたことがある。 それはビートではなく、”豪”から聞いた話だった。 「ミニ四駆って知ってる?」 「ええ、昔大ブームだったわよね」 昔、って言うとちょっと傷つくな。と豪は困ったような顔をして笑った。 「俺、それの世界大会に出てたんだ。そのときに使ってたマシンの名前がビートマグナム」 「へぇ…それで、モデル名をビートに?」 「まぁね、俺はマグナムって呼んでたけど、マグナムはマグナムだから、俺が名乗るべきでもないかなって思って」 そう言って懐かしむように遠い目をする豪は、本当にただの高校生だ。 冷たい目もしない、大人の体格をして精神だけはまだ少しだけ未熟な、そんな高校生に。 「それで、ビートに?」 「ああ、覚えやすくていいだろ?」 にかっと笑って見せた。 「お兄さんもその…ミニ四駆やってたの?」 「やってたよ、チームで大会に出たから。烈兄貴のはバスターソニックってマシン」 「へぇ……」 少し興味を持った咲丘は、豪から世界大会のことと、豪の兄、烈のことを聞いた。 一歳違いであること、成績がよく、自分とは別の高校に通っていること。 赤い髪で、赤い眼をしてること。 そして、豪がお金を稼ぐ理由を。 「お兄さん思いなのね、豪くんって」 「…なのかな、よくわかんねぇ」 ぐいっとジュースを飲み干して、乱暴に口元をぬぐった。 「お兄さんに隠し事していて辛いってこと無い?」 「ぜーんぜん、悪戯してるみたいでちょっと楽しい」 「そう……」 何故だわからないが、咲丘はこのとき、いつか豪とそのお兄さんは一緒に仕事をするんじゃないかと思った。 そして、それは現実になった。 「モデルをやりたいんです」 烈が負けず嫌い、というのは豪から聞いて知っていたが、まさかやりたいと言い出すとは予想外だった。 てっきり、豪のバイトについていろいろ聞くのかと思っていたのだ。 それが、挨拶して、座ったとたんに烈から発せられた言葉がそれ。 社長も、烈を案内した咲丘も目を丸くした。 烈ただ一人、自信たっぷりの表情で言い切った。 「モデルをやりたい、と?」 「ええ、ビートに負けないくらいの、トップモデルに」 「しかし……豪くんから聞いたけど、烈くんの高校、アルバイト禁止だって……」 「なら、ノーギャラで構いません、ビートがモデルとして活動してる間でいいです」 お願いします、と頭を下げていたが、それが形式上のことで、実際はただの要求だった。 じっ、と社長の顔を見つめた。 社長も負けんとするかのように見ている。 張り詰めた糸のような緊張感が漂った。 それが、どれだけ続いただろうか。 「……咲丘」 「は、はい。なんでしょう」 「彼をメイク室に連れていきなさい。あと暇そうなカメラマンを見つけて試し撮りだ」 「……」 烈は訝しげな表情で社長を見つめた。 「……ビートはね、あれでも相当な決意と研究をしてああなった。一切の追随を許さない、完璧なまでの孤高 のモデル。それが君にできるかね?今日中にできるなら、その件を受けよう」 それを聞くと、烈はふっと笑った。 「できますよ、弟に出来たんですから。負けてられないんです」 メイク担当の人は、驚きながらも烈のメイクを受けてくれた。 眉を軽く剃られながら、烈はぼそっと呟いた。 「…豪は、どうやってあのビートを作ったんですか?」 孤高のモデル。そこまで言わせた変貌振りを。 「わかんないけど、豪くん、メイクする前に必ず水を飲むのよね」 「水を?」 ふと、目を開けると動かないで、と注意されて再び眼を閉じた。 「どうして飲むのか、って聞いたら、凍らせてる、って訳わかんないことを言ってたわ」 「凍らせる…ですか」 ふと、烈の表情が変わった。 沈み込むような、そんな風に。眼を閉じるというより、瞑想しているようだった。 「なるほどね……」 それだけで、烈がビートの何を理解したのかは誰にも分からない。 ただ、目を開けたとき、烈の表情は全く違っていた。 烈自身が選んらウィッグは、自分の髪色よりもっとくすんだクラシカルレッド。 カラーコンタクトを聞いたら、もっと明るくしたいと言った為、紅茶色になった。 服を簡単に着替えて、烈が咲丘の前に現れたとき、雰囲気は一変していた。 その変わりように、モデルを見慣れている咲丘でさえまじまじと見てしまったほどに。 「行きましょうか、咲丘さん」 ビートを氷に喩えるなら、彼は炎。 全てを覆い、明るく烈しく燃え上がる。 そんな雰囲気を纏ったまま、烈はすたすた歩いていった。 「ああ、ちょっと烈くん待って」 「……バスター」 烈はぼそりとそう言った。 「へっ?」 「僕のネーム。豪がビートだから、僕はバスターでいいでしょう?」 そう言い、咲丘に向かって唇の端を上げる。 「……」 咲丘にもう出来ることは無かった。 カメラマンに向かって微笑んだとき、それを見た社長はすぐにOKサインを出した。 それも、烈にとってはわかりきっていること。 …こうして、モデル”バスター”は誕生したのだった。 (この兄弟、いったい何なのかしら) 最初の豪のときの変貌ぶりも驚いたが、烈はさらに上回る。 ほんの一週間、2,3日スタジオに通ってだけで大方のコツを掴んでしまったのだから。 来ている間は質問したり雑誌を読んだりして熱心だったことは見ていた。 豪と決定的に違うのは、そこに雑談をほとんど挟まず、的確なことだけを聞いて自分の中で噛み砕くことだ。 「…ビートがかなり冷たいからな。僕は…う〜ん……」 そんなことを言っていた。 成り行きか、咲丘はバスターのマネージャも勤めることになってしまっていた。 「……」 二人揃ってフラッシュを浴びている。 ビートはバスターの正体にはとっくに気づいているだろう。 それなのに、ビートはいつもの冷静な表情を崩すことは無かった。プロとしてのプライド故だろうか。 驚いたのはバスターだった。 ビートの体勢にたまに「こうしたほうがいい」と口を出す。 本来ならトップモデルのビートに口出しなんてもってのほかだが、納得するところは納得するらしく、バスター の言葉をアドバイスとしてきちんと受け止めていた。 ビートは撮影中殆ど喋らないことは皆周知のことなので、指示するだけだったカメラマンが、バスターがいちいち突っ込んで言い出すため、自然とビートにもそういう風に接するようになった。 「……」 2時間ほど経っただろうか。 今まで大人しく聞いているだけだったビートは少しだけ整った眉を寄せた。 「何か不満か?」 不敵に笑ってみせるバスター。 そんなバスターの表情を、ビートはじっと見つめた。 「………いや、なんにも」 目を閉じて、思い出すように答えた。 ビートの時には決して見せることの無かった、穏やかな笑みを初めて見せた。 「ビート、今の表情もう一回。それを撮ろう」 「……わかった」 バスターは満足そうな笑みを持って、横に並んだ。 ※ ※ ※ 「…はぁ……」 豪はため息をつく。これで何度目だろうか。 まさか、兄貴が目の前に現れるなんて、思わなかった。 しかもバスターって。 (そのまんま……なーんのひねりもない) あれじゃ、ジュンとか見たら一発だろ……とそれも考えてため息をもう一つ。 ここにいるのは、烈を待ち伏せするためだった。 帰るときは必ずここを通る。個人の撮影が残っていたバスターは、ビートよりも遅い。 特に豪として話すことは無いが、いろいろ突っ込みたい気分だった。 「あれ、豪?」 「よっ」 軽く手を上げて、私服姿の烈を迎えた。 「どうしたんだよ」 そういう烈は、どこか楽しそうだった。というより、楽しかった余韻が残っているような顔だ。 「どーしたもこーしたもあるか。あれだけ撮影中に文句つける新人モデルがどこにいるんだよ」 「ああ、そのこと。お前が悪かったから」 しれっと普通に答えた烈に、頭痛がするような気がした。 そのまま帰ろうとする烈に並んで、豪は烈に並んで帰る。 「お前冷たすぎ。全然自然に笑えてないんだもんな。専門誌見て、よーくわかった」 「…だからって、俺の撮影に乗り込むって……」 「ああ、あれは社長のアイディアだから。僕のせいじゃない」 突っ込むのは烈兄貴だっただろうが…と盛大に言いたかったが、言ってもしょうがないので、黙った。 指摘もかなり鋭かったが、撮影中に隣から溢れる、あの自信に満ち溢れたオーラに圧倒されそうだったのだ。 反発するようにどんどん冷たくなっていたのを、指摘で救われていた面もある。 ふと、烈は豪を見て笑った。 バスターとは違う、兄としての笑い方で。 「結構楽しいんだな、モデルって。いろんな人と会って、考えてさ」 「そうだろ?まぁ、烈兄貴に隠し事って点でも、俺は楽しかったんだけど」 「ばれるのは時間の問題だったけどな」 「うるせー」 言うと、烈は声を上げて笑った。 それを見ていた豪は、ふと、あることに気が付いた。 「……」 そして、急に方向転換した。そのまま歩いていく。 「お、おい豪!」 夜の商店街だったが、まだ店は開いている時間。道に迷うことは無かったが、きょろきょろあたりを探しながら 、豪は歩いた。 「こっちだったかな……あ、あった」 「いきなり方角変えるな!」 「悪い悪い、烈兄貴、ここ行こう」 二人の前の建物、それは…… 「ドラッグストア?」 「ここなら大体あるからな」 豪はそのまま店内に入った。少しあたりを見渡し、一直線に棚へ向かう。 「おい豪」 烈は買い物かごを掴み、豪を追いかける。 「はい、これ」 それだけ言うと、豪は買い物かごの中へぽいとそれを投げ入れた。 烈はそれを手に取る。 「……眼病予防の目薬?」 「あとこれだな」 今度はスプレーを入れる。 「消臭スプレー……なんだよこれ」 「全部烈兄貴用。兄貴、充血してるの気づいてる?」 棚を見たまま、豪は呟いた。 「えっ?」 そのあたりの鏡を見ると、確かに充血している。 「コンタクトってやっぱはじめのうちは慣れないからさ、目を傷つけることもあるし」 「豪……」 「あと香りをスタジオから持ってくることもあるから、それ用だな」 「なんでそんなこと」 「自己の経験から。あとは咲丘さんからちょろっと」 にしし、と悪戯っぽく笑うと、豪は的確に物を選んでいった。 「烈兄貴って乾燥肌だっけ?」 「いや、別に」 「ならこれでいいよな」 ぽいぽいと籠に入れていくが、いったい誰が払うんだろうかと、烈は少し不安になった。 「これ、誰が払うんだ?」 「ん…俺が払ってもいいけど、俺も使っていい?」 「………」 目薬はカップに取るからいいとして、消臭スプレーは豪は自分の持ってるだろうと考える。 あとは、全部自分専用に豪が選んでいるし、見ても必要だと思うものが揃っていた。 半年先に活動を開始していた豪にとって、このあたりは慣れているのだろう。 「…目薬以外は自分で買うよ」 「そう?」 兄弟で買うには少々不思議な類を買い、二人は店を出る。 「結構掛かったな」 財布が少し軽くなって、烈は苦笑した。 「烈兄貴も内緒でバイトするんだからいいんだろ?」 「ああ、あれはノーギャラ、つまりはボランティア」 さらりと言うと、豪はマジで?と本気で驚いていた。 叫びだしたいところを、何とか抑えて。 「…あれが、ボランティア……ってなんか違ってない?」 「慈善活動じゃないな、確かに」 「そういう問題……?」 しかし豪はまぁいいか、とそのまま歩いていく。 「でもまぁ、俺がバイトするのはあと半年くらいだし、烈兄貴はそのあとでもやるの?」 「やってもいいけど、俺単独でモデルやる気は無いな」 「…そっか」 豪は嬉しそうに笑った。 その理由がわからず、烈は首を傾げる。 |
実は、豪のほうが常識人なこの話。 社会勉強してる人のほうが強いってね。 烈兄貴に振り回されてるよ……ごめん豪。 |