1.そして、再会

弟が、交通事故でこの世を去った。
僕をかばってだった。
そのとき、なにがどうしたのか、今となってはよく覚えていないけれど。
確か、何かが轢かれそうになって助けにいったんだ。そうしたら、
「烈兄貴、危ないっ!」
突然弟の声が聞こえて。体が後ろに倒れて尻餅をついた。
そのあと、けたたましいまでのクラクションの音。

全てが暗転した。

「…豪?」
その日は、雨が降りそうなくらいに曇っていた。
春になったばかりの日だった。ゆっくりを首を回すと、豪が倒れている。
ガードレールのすぐそばに、変な体勢でそこにいた。
誰かが、携帯の音を鳴らした。ああそうか、救急車を呼んでくれたんだ。
急いで豪の元へ駆け寄った。
「…ごう、豪ってば、起きろよ」
頭を膝の上に乗せて、言ってみる。手を見て、赤い色が手についた。
青い髪から、赤い色が染み込んでいく。
僕と、同じ色に、染まっていく。
「…豪」
うっすらと、豪が目をあける。血で前が見えないのか、視点が定まらずに漂った。
「おい、しっかりしろ、救急車を呼んだからそれまで生きてろよ」
言うと、豪は、ゆっくりと微笑んだ。そして、
目を閉じた。
「…っ!!」
鳥肌が立った。何かがなくなってしまった。そんな感覚だったのだ。
「豪っ!!」


それきり、豪は目覚めなかった。
何度揺すっても、何度叩いても。ただ、温かさが残る身体があるだけ。
救急車が来たときには、すでに手遅れだった。
豪は死んだ。わずか16歳、あまりにも短かった。

そう、星馬豪は、僕の弟は、死んだ。
けれど、違った意味では豪は死んでなかった。
家族の一員という括りを抜けても、豪はまだ僕の、星馬烈の弟でいるつもりらしい。

※  ※  ※


(なぁ兄貴、暇〜)
「うるさい、勉強の邪魔だ」
(ちぇっ…)
言うと、豪はふっと気配を消した。
そう、豪は俗に言う幽霊になったのだ。
僕だけに見えるらしい。けれどそれは死んだときの16歳ではなくて、10歳の豪。
頭にゴーグルをつけている。意識は16歳の豪のようだったが、僕から見える姿は10歳だ。
ミニ四駆のブームが過ぎた今でも大好きで、触れないことを悔しがっているのを見ると16歳というのが信じられない。
走っている姿も見ないので、たまにビデオをつけてやると、とても喜ぶ。
僕は幽霊が大嫌いだったが、いつでもくっついて来てしかも豪だ。毎日見ていれば違和感も無くなった。
隣の豪の部屋は今でもそのままだ。
ちらかってるのは大方片付けた。少ない点数のテストとか、いろいろと。
それ以上は片付けていない。母さんも掃除機をかけるだけで、手を触れない。
さっぱりしてしまったら、それこそ豪がいなくなったことを知らしめてしまうからだろう。
「豪、俺の前に出てくるんなら、母さんの前にも出てきたらどうだ?」
独り言みたいに呟くと、空耳に似た声で豪が答える。
(ダメ、出てきたけど、気づいてくれなかった)
「そうか…」
やはり僕しか見えないらしい。
答えあわせ終了。大体8割ほどだろうか。応用にチャレンジした割には出来たほうだろう。
「終わったぞ、豪」
(ホントホント?俺待ちくたびれた〜)
ふっと姿を現す豪は、ベッドで足をばたばたさせている。
「まったく、ぜんぜんいない気がしないな」
(へ?だって俺、ここにいるよ)
さらりと言って、僕は自分が暴言を吐いたことに気がついた。
「……そうか、そうだったな」
(……いいよ。俺が死んでるのは事実なんだ。でも烈兄貴が見つけてくれるなら、俺はずっとここにいるよ)
な?と豪は元気いっぱいの顔で笑う。
僕もつられるように笑った。



豪が現れたのは、僕の誕生日。死んでから一月たった日のことだ。
誕生日のケーキも、プレゼントも、なにか空虚で。
それでも母は、誕生日をよろこんでくれた。
「豪もきっとよろこんでくれるよ」
「…うん、ありがと母さん」
もう3人家族になってしまった星馬家。探しても探しても、弟はもういない。
あまり言葉もでなかった僕に、母は突然こう言った。
「そうだ烈、土屋研究所に行ってくれないかい?」
「…土屋研究所に、どうして?」
母親は一冊の本を差し出した。
「豪が土屋博士から借りてきた本だよ、私は忙しいから、烈が代わりに行ってきておくれ」
「…うん、わかった」
本当はどこにも行きたくは無かった。とは言えなかった。
手にとってぱらぱらめくると、内容は機械工学に関する本。こんなもの読んでたなんて、始めて知った。
適当に準備をして、出かけた。ソニックを持っていったのは完全な無意識だった。

「こんにちは〜」
「烈くん、どうしたの?」
呼び鈴に答えたのはJだった。彼は通信制の高校に通いながら、土屋研究所の研究員として仕事をしている。
そのため、結構研究所にいることも多い。
「これ、豪が借りたって聞いたから。返しに来たんだ」
「そう…」
手渡すと、Jは大切そうにその本を見る。
「これね、豪君が土屋研究所に来た時に、真剣に読んでたから貸したんだよ」
「…豪が?」
「豪くん、機械設計のデザインが得意だったからね。サイクロンマグナムを作ったときに、そのセンスはなんとなく分かっていたつもりだったんだけど…
真剣に勉強するつもりだったみたい」
「…」
そんなことを考えていたなんて、知らなかった。思わず、唇を噛む。
「まぁ、今となっては、聞くに聞けないけどね…」
本を棚にしまい、Jはにっこりと笑った。
「お茶でも飲んでいく?」
「ううん、いいよ。それより、コース貸してくれない?」
「コースを?それは、構わないけど…」
「ありがとう、Jくん」
それは、単なる気まぐれだった。受験シーズンになれば、ソニックを走らせることもできなくなるだろうとそう思ったからという、単純な理由。
コースを走らせると、ソニックはいつもどおりに走ってくれる。
少しだけ嬉しくなって、何週も走らせた。
何週走っただろうか、突然声がしたのだ。

(いっけー!マグナム!)

「!!」
ソニックの横のレーンに走っていく影。
それはゆっくりと形になって現れた。
「…ビートマグナム!」
ばっと後ろを振り向いた。
(なにやってるんだよ、置いていっちまうぜ烈兄貴)
空耳のような豪の声。
「…豪?」
その声のほうを向く。すごく希薄な、それでも見覚えのある髪と顔。
こっちに視線向けると、豪は驚愕して目を見開く。
そして走るマグナムをぱしっ、と音を立てて止めた。
しばらく、豪は沈黙して、そして、僕に向き直った。
(…ただいま、列兄貴)
少しだけ申し訳なさそうに、笑った。10歳の姿の豪だった。
「…豪……」
ソニックを止める。抱いたまま、ふらふらっと近くに行ってみると、少しだけ薄くて、豪の後ろの壁が見えた。
手を伸ばすと、僕の手は空を切り、そのまますり抜けてしまう。
そして、ぞくっ、とした寒気。慌てて引っ込めると、豪は僕を見上げた。
(ごめんな、兄貴の嫌いな幽霊だけど。それでも豪だって言ってくれるか?)
そのときの思いは言葉にならなかった。どういう形でも豪はやってきたのだ。
「おかえり、豪」
(…うん)
抱きしめると、豪は黙って受け入れた。
身体はすり抜けてしまう。それでも、スペースをあけて抱きしめた。
僕はその豪を連れて帰ってしまった。そして、豪は僕にくっついている。

いろいろ大変だった。
まず、いきなり現れる。何度叫びだして叱ったことか。
(しょうがねぇじゃん。俺幽霊なんだから)
言われてしまえば、否定も出来ない。
とりあえず、慣れだと思えばいい。現れるより先に声を出せと豪にきつく言った。
(…わかったよ)
それから、豪は現れる前には声をかけるように気を使い出した。
「あと、お前、幽霊になって変わった事はあるか?」
(う〜ん…、あ、あるぜいろいろと)
豪が言うには、
この姿になって一度もお腹が空いたと感じないこと。
自分がいる建物からは出られない。(ドアや窓が空いていれば別らしい)
眠くない。深夜になると意識がすうっと薄くなる感じ、だという。
(さすがに寝るときまで俺と一緒だと嫌だろ?)
そういって、豪は自分の部屋でぼーっとしている。そうすると、起こすのは自分の役目になった。
「なんか、生きてるときと全然生活が変わらない気がする…」
高校のときも、豪はねぼすけで、朝練があるというのに目覚ましをかけても起きず、烈が一回起こし、二度寝するということがたまにあったのだ。

(本当に、全然変わらない気がするな)
ふふ、と豪が意味深な笑みで自分を見た。
「まぁ、悪くは無いけどな…」
(そう?ならいいんだ)
そうして、僕が行く本屋に付き合ったりして、いつでもどこでも一緒にいる。
まるで豪が小学生の時みたいだ。
実際姿が小学生なんだけど。
「ほら、豪行くぞ」
(待ってくれよ烈兄貴)
こうして、幽霊の弟と過ごす日常が始まった。

(……)
豪は、そんな烈の姿を見ている。
(これでいい?烈兄貴)
目を細めて笑った。10歳の姿に似合わない。大人びた笑い方。
赤い髪が揺れる。
豪はその後を追いかけた。

 

 

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