2.走る二人 「豪〜」 小声で呼ぶと、ふっと目の前に現れる。いつもの光景。 (何?兄貴) 「土屋研究所行くか?」 (行く行く!久しぶりだなぁ〜) 言うと、豪は空中でくるくる回っている。ぶつかる心配が無いから、前のように止めはしない。 最近模試続きで烈自身もあまり行っていなかったが、たまにはいいだろう。 豪がこんなにも喜んでいるのだから。 「こんにちは〜」 「あ、烈くん」 「Jくん、こんにちは」 入ると、今日はいやに人気が少ない。 「土屋博士は?」 あたりを見渡すと、土屋博士がいないことに気がついた。 「今日は学会で発表だって言ってた、コースは好きに使っていいよ」 言いたいことはわかるのだろう。Jはにっこりと笑う。 「ありがと、Jくん。豪、行くぞ」 「えっ?」 Jはぎょっとして烈を見た。しかし、烈はそれに気づかず、ドアを開けた。 「…烈、くん?」 烈の視線がなにもない空中にある。 けれど楽しそうな表情をして、そのまま出て行った。 「……まさか、ね」 怖がりの烈くんに限って、とJは思い直して、パソコンに向き直った。 (すっげー、全然変わってないんだな) 「お前、前にも走ってただろ」 (そうだけどさ、こう…改めてみると、変わってない、って感じがしねぇ?) 「そうだな」 もう何年になるだろうか。世界の強豪とレースをして、本当に全てが輝いて見えてたような。 「なんだかお前がうらやましいよ」 (…へ?なんでだよ) 「なんでもない、やろうか」 持ってきた鞄からバスターソニックを取り出す。 (それじゃ俺も) 豪の手の中が一瞬光ったと思うと、ビートマグナムが手の中に収まっていた。 「便利な奴」 (へへーん) どうだ、と胸を張っているが、ほめてないということがわかっているのか… 「烈くん、スタート出そうか?」 「うん、頼むよJくん」 (兄貴、こんどこそ決着付けようぜ) 「ああ」 レディー…ゴー! 当然、走っているのはバスターソニック一台のみ。 しかし隣にはビートマグナムがぴったりくっついている。 「ふうん、なかなかやるじゃないか」 (まぁな、でも兄貴、あんまり口にださないほうがいいぜ) 「…」 Jを見ると、烈を見て不思議そうな顔をしている。 (…そうだな) 内心でつぶやくと、豪が笑った。 (それじゃ、行くぜ。かっ飛べ!マグナム!) 「…っ!」 直線ストレートで一気に離された。 (さすがに直線じゃマグナムには劣るか…でも!) この後は高速コーナーが待っている。烈の得意分野だ。 「行け!ソニック!」 一気にターンをかけ、マグナムに並ぶ。 「すごいな、烈くん…ブランクがあったなんて全然見えない」 それ以上に、豪くんが死んだことが、そうとうショックだったと思うのに。 「まるで、豪くんがいるみたいに…」 そうして、マシンを見ていたJはふと気がついた。 ソニックの走り方は、コーナーをブロックするような走り方なのだ。 「あれじゃ、まるで」 誰かとレースでもしてるみたいだ。とJは思った。 「…烈くん……っ?」 烈の方を向き、目を見開いた。 一瞬だけ、豪がそこにいたような気がした。 ファイナルラップ。 烈の頭の中にだけはこんな会話が展開されていた。 (これで決着ついたら、どうする?) (そうだな、烈兄貴になんかしてもらおうか) (何かって何だよ、負ける気は無いからな) (俺だって!) ふと横を見ると、豪は成長していた。 一瞬だけ、16歳の豪の姿で。 気づいてこちらを見ると、挑戦的な笑みを浮かべる。 決着を付けたいという、そういう意思。 「いっけー!」 烈が手を伸ばす。ソニックがラストスパートをかけた。 (させるかっ!抜け!マグナーム!) 2台が並んで走る。そして、ゴールラインを通過した。 「Jくん、どうだった?」 はっ、としたJはタイムを見て驚いた。 「すごいね。バスターソニック完成のときとタイムがほとんど変わらないよ」 「…えっ、それだけ?」 烈ははっとして、豪を見た。豪は元の10歳の姿に戻っていた。 豪が止めたビートマグナムは、ふっと消える。 (仕方ないよ、俺は見えないんだから…兄貴の勝ちだ) 「そんな…」 「烈くん?」 (楽しかったぜっ!すっごいワクワクした!) 辛いのが目に見えてわかる言葉だった。 泣きそうなのも目に見えてわかる。烈はそんな豪が居たたまれなかった。 同情でしかないとわかってはいるのに。 「烈くん、どうしたの?思いつめたような顔して」 烈はしばらく無言で、Jを見た。そして決意したように口を開いた。 「…Jくん……僕は、どうしたらいいんだろ?」 「えっ?」 「豪が見えるんだ」 (あ、兄貴っ…?) 言葉に驚いたのは豪のほうだった。 Jは最初何を言っているか分からない、という顔だったが、しばらく考えて答えた。 「詳しく聞かせてよ」 「Jくん…」 (J、お前…) 「烈くんは、そんな嘘をいう人じゃないのはわかってるから。だから詳しく聞かせて」 「豪、どうする?」 (俺は…かまわないぜ) 豪は微妙な表情をしていたが、烈はそれに気がつかなかった。 とりあえず、烈が豪について知りうる限りのことを、Jに話した。 烈の周りにいなければならないことも。突然現れることも。 「…それで、烈くんには豪くんが見えるんだ」 「しかも10歳の姿なんだ」 (え、そうだったの?) 「お前、気づいてなかったのか?」 「烈くん?」 「ああ、ごめんごめん。どうやらあいつ、自分が10歳の姿だったことに気づいてなかったらしいんだ」 「えっ、10歳の時なの?今じゃなくて?」 Jも少し驚いたようだ。 「ゴーグルしてるし、ベスト着てるし、本当に、僕たちがミニ四駆で世界グランプリ目指したときのそのまま」 「そっか、烈くん、あんなに夢中になって走るわけだよね」 Jは安心したような顔をする。 「この前着たときの烈くんは、本当に酷かったから。僕にはどうしようもできなかった」 弟を失う悲しみって、わからないからね。とJは目を伏せる。 「だけど、帰るときは少しだけ元気になってて。今は生き生きしてるみたいに見えるよ。これも幽霊の豪くんのおかげなんだね」 「Jくん…」 あのまま、豪が現れなかったら。きっと何もかもが空虚に見えていたかもしれない。 「…でも」 Jはそこで言葉を止めた。 「…豪くんが幽霊になったってことは、つまり…心残りがあるんだよね」 (……) きゅ、と豪が唇を噛んだ。 「烈くん、どうして豪くんは烈くんの前に現れたの?」 「…それは……」 ちら、と豪の方を見る。豪は黙って首を振った。 「いいたくない、って」 Jは豪がいるであろう方向を見た。視点があってはいなかったが、なんとなくそこにいるような気がする。 「そっか、ならもう聞かないよ…遅いから、今日はもう帰ったほうがいいよ」 「う、うん…」 烈は曖昧に返事をした。 ※ ※ ※ 夜になって、部屋で一人になると豪は言われなくても自然に現れた。 「豪」 (…烈兄貴) 「お前、なにか心残りでもあるのか?」 (………) 豪は答えなかった。 手元にはバスターソニック。豪はビートマグナムを手に持っている。 (…いっぱい、あったよ。心残りなら) 「…豪」 少しだけ震えているように、見えた。 (でも言わない) 豪は普通に笑った。なんでもないように。 「お前な…」 (これだけは、烈兄貴にも内緒なんだ) 「……豪」 (だから言わない) じゃあな、と豪はベッドから壁をすり抜けた。 また、自分の部屋で目を開けたままじっとしているのだろう。 (おやすみ) 豪の声が、頭の中で響いた。 「…っ……」 眠気が襲い、ベッドへ沈み込む。 豪の心残り。烈のそばにいたがる訳。 考える余裕もなく、烈は眠りについた。 烈が眠りについてしばらくして、豪は壁をすり抜けて烈の部屋に入った。 無理矢理眠らしてしまった。起きたら怒るかもしれない。 (ごめん、兄貴) 10歳の姿でいる理由も、豪には大体想像がついていた。 心残りは、ただ1つ。それだけのために、豪はここにいる。 「…ごぅ……」 (烈兄貴には辛いことさせてばかりだな、俺…) こんなに好きなのに。触れることさえ叶わない。
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