薄闇と透明に至る蝶々 -fragment-


何がどうしたのかって言われると、自分でもわからない。


ただ、知っていることは。


豪が、ここにいるということ。

外界から遮断されていること。

そして、僕がどうしようもなく、狂い始めてしまったことだ。

クローゼットの中、朦朧とする思考の隅で、僕は僕を思い出す。


確か、大学の試験が近いからって、5人くらいで僕のアパートに集まって勉強してたんだと思う。


それが、どうしてこうなってのか。お酒も入っていたとは思うけど、よくわからない。


気が付いたら、僕は押し倒された。今まで知っていた顔が、悪魔のようにも見える。


なー、星馬。お前ってさ、ホントに女っぽい顔してるんだな。


顎を無理やり掴まれて、腕を頭の上で組まれた。


男のシュミはねーんだけどよ。暇だし、相手してくんねぇ?


お前だって、そういうのが無いわけじゃないんだろ?


「やめろ、やめてくれっ……!」


必死で抵抗したけど、全て無駄だった。多分、殴られたと思う。顔も痛かったから。


暴れることだけが、出来ることだった。


ただ怒号のように押し寄せる激痛だけを覚えている。

声が枯れるまで叫び続けて、塞がれた。


楽になっちまえば?どうせこのままでも痛い思いしかしねぇんだからさ。


冗談じゃない。勝手なことを言うな!


お前らなんかに触られたくもない。なによりも、そんな人物を友人として持ってしまった自分が嫌だ。

何が楽になること?

何が悪いこと?

何が罪で、何が罰?


心の中で絶叫を上げた。


なにかがぶちっ、と切れる音がして。そこで意識は途切れている。


「……」

ふらつく足取りで、起き上がって、自分がどうなってしまったかを悟った。


痛む身体が、それを如実に物語っていた。


もう、どこにも帰る場所が無い。

ここには、もういられないのだと思った。

あたりを見渡すと、誰もいない。携帯電話は壊れていた。

「………」

ひびが入った液晶を押しても、何も無い。

「……」

指が自然に動いても、何も無い。

「……ごう」

動いた指の先は、いつもメールを送ってきてくれた、豪のメールフォルダだった。

それからは、よく覚えていない。

豪の暮らしてるアパートまで、電車で8駅。

できるだけのお金を持って、タクシーを借りて豪のアパートの一駅前で降りた。

雨が降る中、痛みで3回くらい転んだ。



それでも、歩みだけは止めなかった。




「烈兄貴?」


ぼろぼろになった僕を見て、きっと驚いたんだと思う。

ごめん、本当にごめんな。豪。


でも、僕にはここしか思いつく場所が無かったんだ。


濡れた身体のまま、前のめりに倒れると、豪はそれを受け止めてくれた。


「…おかえり、兄貴」


なぜか、涙が出た。ここには、数回しかきたことが無かったはずなのに。

「…とりあえず、身体洗おうよ」

狭いバスルームに僕を連れて行き、乱暴に身体を洗われた。

「や、やめろ豪、自分でやるから」

「そんな体力無いくせに」

言葉を一蹴され、無理矢理指を入れられた。

「いっ、痛い!、やあっ!」

身体から溢れ出す液体の違和感に悲鳴をあげた。

それよりも、豪にそれを見られていることと、痛みに涙がこぼれる。

シャワーで涙も何もかも洗い流せるのなら、この身体ごと洗い流して欲しかった。

痛みと、罪悪感が綯い交ぜになったまま僕をまた意識を手放した。



再び目覚めると朝になっていた。豪はとなりのソファで眠っている。

ベッドを空けてくれたくれたらしい。頬を触ってみると、治療した形跡があった。

「何があったのかは聞かないよ」

目覚めた豪は一言、僕に言った。

「そのうえで聞くけど……兄貴、ここにいたい?」

優しい目をして、迎えてくれた豪。

質問には何の意味も無かった。ほかに行く場所なんて、無かった。

「そっか……でも、ここにいる以上は、俺のルールに従ってくれよな」

「…うん」

それから、僕はこの世界から出たことは無い。


なんでかはわからないけど、豪は朝起きて、僕を縛って大学に出て行く。

睡眠薬を口移しで飲ませて出かけるから、クローゼットの中で僕はぼーっとしてたり眠っていたりする。

本当に、昼夜逆転の生活みたいだ。

豪は普通の生活をしてるから、豪が眠るときは、僕の意識ははっきりしてることが多い。

これも変わってて、豪は僕を抱き枕にして眠る。

最初全裸だったから服を着たいっていうと、豪がパジャマを用意してくれた。

それでも変わらなくて、豪は僕を抱いて眠る。

眠りかけた豪にふと聞いてみた。

「お前って、抱きまくらないと眠れない人間だったか?」

「ん…そうじゃないよ。でも烈兄貴はあったかくて好き」

「……」

そういって、豪はぎゅっと僕を抱いた。

互いの心臓の音まで聞こえるように。

抱きしめてやりたいけど、僕の両腕はまだ縛られたまま。

豪は何も聞かない。

ただ、優しい。ルールさえ守れば、ここは楽園のようだ。

逃げようと思えば、いつでも逃げられるけど。

温かい籠の中で甘やかされて、青色に溺れてく。

このまま、ここでこうしていれば、いつかどこからも認識されなくなって、僕は世間から消えてしまうのだろうか。



それでもいいかもしれないと、僕は目を閉じた。


-catharsis-



背景:廃墟庭園

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