俺が欲しいのは、絶対に手に入らないもの。
それはまるでパンドラの箱のようで。
開ければ俺は災厄と呪いを振りまくだろう。
それでも欲しい。
とぐろを巻くように、ひたひた迫る熱を押しとどめる。
開けたいと願う衝動を。
ねぇ、烈兄貴。
俺がこんなこと思うのは、熱のせいなのかな。
こんな風に、兄貴を兄として以上に思うって。
絶望的までの距離。
いつだって埋められる距離。
それは、果て無く遠い。
夢の、また夢の話。
の、はずだった。
「……う……」
「あ、目が覚めた」
烈は、豪の額に載せたタオルを取り替えながら呟いた。
豪がグラウンドで倒れたと聞いたときは、背筋が震え上がった。
配分も考えず、あまりに動きすぎた故の、熱中症。
どうして、こんなことに。と、豪のチームメンバーを見たが、皆が憔悴しきっているのを見て、責めるに責められなかった。
皆と同じように水分補給をしているはずなのに、豪は人一倍動くものだから、水分が奪われるスピードが早く、結果、倒れてしまったのだ。
豪の意識が朦朧とするまま連れ帰り、家での看病。
その翌日となる今日、烈は学校を休んだ。
苦しげに首を振る豪の、額の氷を取り替えてから、もうどれくらいだろうか。
昨夜一日眠り、翌朝9時にようやくうっすらと目を開けた。
「…豪」
「………」
ぼんやりと、豪は視点をあわせていく。
「大丈夫か、豪」
「……き」
聞き取りにくいくらいの声で、ぼそりと、豪がつぶやいた。
酷く、掠れたような声で。
「何?お前、なんていったんだよ」
「……すき」
「え……?」
一言だけ。すぐに流れていきそうな、小さな声。
熱に意識が朦朧としているのか、普段の騒がしさも無く、ただ、苦しげに息を吐く。
「……」
あまりの唐突さに、動けなかった烈に、豪は手首をぎゅっと握り締める。
「烈兄貴が、すき」
今度は、はっきりと。声になって呼ばれた。
「ご、豪…何言って……」
引っ張られるように、腕の力が強くなる。
空ろ眼をした豪がじっと、烈を見ている。
その瞳に、一瞬たじろいだ。
「……抱きたいくらい、すき。めちゃくちゃにしたいくらい。閉じ込めたいくらい……」
締め付けたいくらい、呑み込みたいくらい、……こわしたいくらい、……いくらい、……くらい……。
ぼそぼそと唱えられていく、くらい。今までの口調とはまるで違う、信じられないような言葉が発せられる。
「――!」
それは感情の決壊だった。熱にうなされて、今まで抑えられていたものが、一気に流されていた。
意識が朦朧としているのを見計らい、欲望ばかりが放たれる。
まるで、パンドラの箱を開けてしまったかのように。
「や、やめ…」
しっかりと手首を掴まれたまま、烈は首を振った。
こんなの、豪じゃない。じゃあ誰だ?
でも目の前にいるのは、紛れも無く豪で。
流れ出す声に、塞ぐことさえ出来ない。
「やめてくれっ――!」
「………」
思わず眼を閉じた瞬間、声は消えた。
「………」
豪は、また眠っていた。すぅ、すぅと規則正しい寝息を立てている。
一気に身体の力が抜けた。
「……はぁ…」
思わず、大きく深呼吸をした。
さっきのは、夢?違う。手首をしっかり握られた跡がある。
まだ、心臓がとくとくいうのが治まっていない。
「……烈兄貴?」
「!」
一瞬、どきっとして見る。豪は疲れたような顔をしていた。
けれど、先ほどとは違い、目線はしっかりとこっちを見ている。
「…豪」
「俺、どうして…」
起き上がろうとする豪を慌てて止めた。
「お前、熱中症で倒れたんだよ」
「…ねっちゅうしょう?」
「そうだよ、いきなり倒れて、それで……」
それで。
いきなり、好きだと言い出した。なんていえるはずも無い。
「…いや、なんでもない。もうちょっと寝てろ」
「うん……」
問い詰める気力も無いらしく、豪は大人しく布団の上に横たわった。
ぼーっとして、ゆっくりと瞬きをしている。
「何か食べたいものあるか?」
「…いらない」
「そうか、じゃあ後で食べろよ」
「…うん」
さっきのは、たちの悪い冗談なんだ。そう、思うことにした。
じゃなければ、豪の顔をまともに見られないような気がした。
「烈兄貴」
「…なんだよ」
いきなり、掛け布団から手を伸ばして、その腕を取った。
「……っ」
思わず身構えてしまうが、豪は片手だけで愛しむように烈の手を撫でている。
「ちょっとだけ、いい?」
「……うん。なぁ、豪」
「何?」
「お前、どこから意識があった?」
「……さっきだけど」
「そうか」
子供が遊ぶように、ぼんやりと烈を撫でている豪は、先ほどの記憶が無い。
当然、さっきの呟きも。
「……」
どくん、と一際大きく何かが鳴った気がした。
豪は、何も知らない。
烈も、何も知らない。
「………」
複雑に指を絡めたり話したりしている。
まるでそれが愛撫でもするかのように。
熱に浮かされた室内で、黙々と時間が過ぎていく。
答えを出せないまま。
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