どうしよう。どうしよう。どうしよう。
そんな思いがぐるぐる回っていた。
覚えていない豪、無意識の豪。
まさか、”あんなもの”だったなんて。
生まれて初めて、豪の闇の部分を見た気がした。
もし、豪の思い全て受け入れたら、僕は粉々に砕けてしまう。
でも…でも…
あの瞬間に感じた動揺と痺れを、僕は知らないわけじゃない。
僕は、豪が好きなんだ。たぶん。
けれど何だろう、これは。
兄弟愛って、こんなものだったっけ?ううん、絶対に違う。
一回深呼吸して、笑おう。
僕は、何も知らないんだから。
兄貴がおかしい。
そう思ったのは数日前から。それからどんどん、違和感が広がっていく。
目を合わせない。俺に対して作り笑いをする。
日常がすれ違う。
何かが、変だ。
「烈兄貴、俺…兄貴に何かした?」
「…えっ?」
思い立ったら即実行。
勉強が終わる頃を見計らって、部屋に突撃した。
「だって、兄貴、最近おかしいから…」
「別に、俺は普通だけど」
そういって、目をそらす。
「ほら、また」
「……」
「今まで俺に作り笑いなんてすること無かった。なんかよそよそしいし…ねぇ、俺何か悪いことした?」
「……」
兄貴は口を閉ざす。そして、手首を見ていた。
うっすらと、握られた跡が残っている。
俺が無意識に握ってしまったといっていたが、そんなに、気にすることでもなかったと思うんだけど。
「…わから、ないんだ……お前に言うかどうか」
「えっ?」
いきなり、兄貴は口を開いた。
「……たぶんお前も、知って欲しくないから、黙っていたと思うんだ…」
目を開いた。俺が、知って欲しくないこと。
一番、知って欲しくないこと。
ざあっと、背筋に悪寒が駆け上った。
「兄貴、俺なんて言ったの?あのときだろ?」
俺が熱中症で倒れたとき、兄貴は何かを聞いたんだ。俺の口から、何かを。
無理矢理肩を掴んで、こっちを向かせる。
兄貴はずっと、目をそらしたまま。
「兄貴ってば!」
今度は頬を挟み込んで、強引に顔を付き合わせた。
こうすれば、目をそらすことは出来ない。
兄貴は瞳を左右に揺らす。やがて観念したように、じっと、俺を見た。
紅い。血が透けて見えるように紅い。
どくん、どくんと心臓の音が大きく聞こえる。
「…ダメなんだ、豪……そんなことをされたら、俺はどうしようも出来ない」
「兄貴?」
ふっと手を離すと、力が抜けてしまったかのように、椅子に座った。
「俺が、好き、って」
「…え?」
兄貴が、言ったことが一瞬、よくわからなかった。
「お前が、熱でうなされてた間…お前は俺にこういったんだ。”烈兄貴が、すき”って」
「……!」
2,3歩後ろに下がった。
「うそ、だろ?」
「……」
兄貴はゆっくりと、首を振った。
「そんなこと言われて、平静でいろって言うほうが無理なんだよ。だから、わかってくれよ」
よそよそしくなってしまうことも、作り笑いをしてしまうことも。
「俺が、どうしたいのか、よくわからないんだ…ごめん」
「ごめん、って兄貴が謝ることじゃないじゃんか。それって…」
「お前に、何も言わなかったこと」
はぁ、と、ひとつ。ため息をつく。本当に疲れていたんだろう声。
「寝言で言ったってことは、本当のことなんだな」
「……うん」
ためらいながらも、俺ははっきりうなずいた。兄貴のことが好き。それだけは真実だから。
だけど…
「兄貴は…」
「ん?」
「それを聞いて、気持ち悪いって思った?」
「……」
もしこれで、YESと答えるのならば、俺は烈兄貴のために、この思いを諦めなくちゃならない。
それはすぐには無理だけど、時間を掛けてでも。
兄貴は表情を変えないまま、しばらく考えているようだった。
「…好き、といわれたことそのものには、気持ち悪さは無かった」
「じゃあ…」
「でも、怖かった」
兄貴はきっぱりとそういいきった。
「好きとか愛してるとか、それ以上に…もし、この豪の気持ちをそのまま受け止めたら、俺が持たなくなりそうで」
「え?」
俺の気持ちをそのまま受け止めるって、俺が言ったの、好きって一言だけじゃなかったのか?
「わからないんだ、豪とどう接すればいいのか、だからあんな感じになった」
「……」
ここまで烈兄貴が苦しげな表情をするのを見たことが無かった。
「…じゃあ、そのままでいい。わかるまで、無視してていいよ」
「豪?」
諦めたくは無いけどさ。でも、俺に出来ることってそれくらいしかないだろ?
言っちゃったものは仕方ないし。
なにより、兄貴のそんな辛い表情、見たくないしさ。
「わかったら、兄貴のこと、聞かせてくれよ」
あとは、気持ちだけ。
けれど、兄貴をそこまで悩ませるって、俺、兄貴になんていったんだろう?
記憶が無いから、ぜんぜん分からないけど。
でも、どこかでは分かっている。
俺のこの思いはきっと、一番壊したくない人を壊してしまう。
◆ ◆ ◆
豪が立ち去った後、烈はベッドに倒れこんだ。
「…馬鹿豪……」
わかるまで無視していいって。何だよそれ。
確かに、そうするしかないかもしれないけど、全部押し付けて行くな。
「……」
好きの感情がこうまで激しいなんて、知らなかった。
豪の言葉を聴くまでは。
もっと普通に、一緒にいれば楽しいとか、そんな感情だと思っていたんだ。
深淵は違う。一つになりたいと言う。
自我が保てなくなるほどの何か。
手首を見ると、うっすらと残る跡。
どうすればいい、というんじゃない。これは。
覚悟があるか、無いか。それだけのこと。
豪が無意識にでも全てをさらけ出してしまった。自分は言葉でさえ、何も出せずにいる。
何も知らないふりをする時間はもう過ぎた。
好きだってことは、わかってるんだから。
この混沌と渦巻く暗い箱を、豪の前に開けてしまえばいい。
たとえどちらかが、その思いに壊れてしまったとしても。
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