あの夜の悪夢が繰りかえされている。
寝間着を引き下げられて、乳房の先を囓られ続けている。
腕は、服がひっかかってほとんど動かせない。引き裂いてまで暴れようとは思わなかった。
私に覆いかぶさるジーンが重いわけではないけれど、ときどき息苦しさを覚える。二の腕に食いこむ、寝間着の襟ぐりが鬱陶しい。
息をする度に身体が震えて、喉が鋭い音をたてる。泣き声なんて、この男には聞かれたくない。だけど吸いつかれるおぞましさには耐えきれない。
ジーンの身体が離れて、片足を持ちあげられた。寝間着の裾がめくれて滑り落ちてくる。
過ぎるのを待つだけ、過ぎるのを待つだけ……――両眼をきつく閉じて、暴かれる冷たい感覚を意識の外に追い出そうとした。……けれど。
「やっ……なにっ?」
不可思議な触感が続いて、声を上げてしまった。足の間をねっとりと、柔らかいものが撫でていった。
腿の内側に、なにかが触れている。見やれば、垂れさがった寝間着の向こうに白い布、赤い髪。
じゃあ今、暴かれたその場所を気紛れに這いまわっているのは――。
「……いやっ……!」
自分の悲鳴と同時に、生地が裂ける音を聞いた。
「ちょっと……なにやって……!」
足の間から頭を押しのけようとしたけれど、巻き布がわずかに乱れただけ。ジーンはおかしな行為を止めてくれない。
どんなに身を捩っても、滅茶苦茶に暴れても、異様な感覚が離れない。目蓋の裏が赤く染まっていくばかり。
自分が声を上げていることしかわからない。言葉を発しているのか、単なる悲鳴をあげているのか、それさえわからない。
触れられている場所が、壊れそうで怖い。なのになにかが、これは怖いことではないのだと告げてくる――信じられるわけがない。
「ねえ、嫌だってば……!」
かろうじて意味のある音を叫べたと思ったら、前触れなしに足を放り出された。
視界が一瞬、白で埋まって、きゅっと生地が擦れる音。乾いた布が口元に食いこんでくる。
「……っ……?」
「ワリぃけど塞ぐぜ。……もったいねーんだけどなぁ」
嘲る声の方向に、自由を得た赤毛まじりの黒髪。そこに巻いてあった布で縛られたのだとわかった。
「ぁ……ぅ……」
抗議の言葉が見つからない。見つけたとしても、これではちゃんと発音できない。
こんなの許せない――布に手をかけた。でももし勝手に解いたら、もっと酷いことをされるかも……。
迷っているうちに、両足をさっきよりも高々と掲げられ……叫んでいた。とっさに握りしめた布は、外してはいけないのだとすぐさま理解した。
触れられるだけで気がおかしくなりそう――そんな場所が自分の身体にあることを、改めて思い知らされる。
なにが起きているのかは、よくわからない。でも好き勝手にされている――それだけは、よくわかる。
まるで悪いものを塗りつけられているみたい。あとからあとから痺れが生まれて、脆い場所でひしめきあう。張り裂けそうになったそこを、さらにぬるぬると撫でられる。
耳を突くのは自分の呻き声ばかり。ジーンはなにも言わず、私の寝間着の向こうに顔を埋めている。この男、喋らせれば不愉快なことばかり口にするけれど、黙りこんだら黙りこんだでろくなことをしない。
子供の頃、音をたててスープをすすると酷く叱られた。それとよく似た音が聞こえはじめる。よりにもよって、自分の身体から。下品で汚らしくて、最低――私のせいなんかじゃない。
止めて、それをもう止めて――訴えを言葉にできないまま、疲れが全身の自由を奪っていく。
目蓋が緩んで、寝台脇の蝋燭が目に入った。
炎が揺れている。足の間で蠢いているものと、同じくらいの拍子で、ちろちろと。
さほど乱暴な動きではない、むしろ丁寧――抗う力をなくしてから気がついた。こんなのずるい……――ぼんやりと思った。
私が痛みを感じない方法を、ジーンはよく知っている。私が知らない私自身のことを、ジーンはたくさん知っている。だから好きにさせてしまえばいい――恐ろしい考えだと思うのに、否定するのは億劫だった。
身体の中に、なにかがするりと入りこんでくる。無遠慮に動きはじめる。
この前、激しい痛みを覚えた場所が、苦痛とは呼びようのない刺激に倦んでいく。
『お楽しみ』――不意にジーンの軽口を思い出してしまった。
暗い誘惑が、足元で大きく口を開けようとしていた。
布伝いに口元が濡れていく……気持ち悪い。
両足の感覚が薄れていく……薄気味悪い。
呑みこまれていく……こんな下賤の男に引きずられて。
堕ちていく……こんな下賤の男と同じ場所まで。
不快な痺れに埋めつくされて、全身が重くなっていく。……きっともう、戻れない。
いつのまにか、窮屈さを覚えていた。
すぐ目の前には、はだけた胸元。少し視線を上げれば顎が見えた。……揺れている。
「ん……ぁぅ……?」
相変わらず口が動かせなくて、上手く発音できなかったけれど、注意を引くには十分だった。
ジーンの視線が降りてくる。人のものとは思えない、狂気を感じさせる目が私を見る。声を出したことを後悔した。
「あれ? もしかして、わかってなかった?」
眼光とは不釣り合いな、明るい声。「頂いちゃってる」という言葉に、自分が置かれている状況を理解した。
揺さぶられるせいで息が上がる。苦しくなって口元の布に指を滑りこませた。外すゆとりはなかったけれど、少しだけ呼吸が楽になった。
身体の中を、塊が往き来している。耳障りな水音をたてながら。
そのそばに、甘く疼く一点がある。身体がぶつかるたびに、そこから形容しがたい感覚が溢れでる。それは、律動が激しさを増して、ぱたりと止むまで、絶えることはなかった。
下賤の男に、この身を触れつくされてしまったような気がする。
だけど後悔なんてしていない。カインのためにしたんだから。
本当は、カインに見抜かれてしまったらと思うと怖い。でもおかしな素振りを見せなければ隠し通せるはず。堂々と、これまで通りに振る舞う……振る舞ってみせる。
アーデンから戻って王宮の門をくぐったら、青空の下、噴水を見上げて佇むカインを見つけた。一応、伴はついているみたいだけど、お姉様の姿はない。
あの男はカインに腕利きの護衛をつけたと言っていたけれど、そんな人、どこにいるのかしら。あそこにいる従者達は、たぶん、違う。
……いいわ。
なにかあったら私が、ありったけの声をあげる。
暗殺を依頼したのは私のお母様。
なら、カインの命を狙う人達も、娘の私を巻きこみたくはないはず。
私がカインのそばにいれば、きっとなにかの役に立つ。
後ろからついてくる伴に、控えているよう声をかけた。
物憂げな横顔を見つめて、呼吸を整えて。
「カイン!」
とっておきの笑顔で駆けていく。
―end―