姫の一人歩きが酷くなった。
いつからこうだったのだろう。僕が宮廷楽士としてここにいた頃は、もう少しましだった。
一族に戻るわけにいかず、また姫の言動も気がかりで、王宮内の様子を窺い続けてきたが、これは予想外だ。
あの晩、狙われたのが自分達だという認識はあるはず。なのに、ひとつ死体が見つかればそれで安心とばかりにふらふらと、こんなところまで……不用心すぎる。
ひとしきり神殿脇の林を彷徨って、陽のさす庭園へと戻っていく姫を、安堵と苛立ちをもって見送る。
「会ってやりゃあいいのに。あらどー見たってお前を探してるぜ、色男?」
そんなんじゃない――隣の木から投げられた揶揄の塊は、胸中で切り捨てた。
「……さっさと本題に入ってくれないか?」
「あれっつめてー。拳でわかりあったあの夜明けはどこいっちまったんだよ」
わかりあった覚えなどない――口にするかわりに冷めた視線を送ると、ジーンは大仰に首を振った。
「つまんねーな、わーったよ。とりあえずお前、もうしばらくは一族出入り禁止な」
「『しばらく』?」
「色分けが済むまでだ。爺の一派は全員潰すけど、他がまだ整理しきれてねぇ。ンなときに裏切り疑惑かかったお前に戻ってこられても、ややこしくなるだけなんだよ」
手荒な世代交代に、荷担するか否かの色分け――皆殺しさえ考えていた僕には、あまり関係がない話だ。一族の中でせいぜい潰しあってくれればいい。そうして残った組織がまだ姫に害を成そうとするのなら、容赦はしない。
それはさておき――。
「裏切りは、『疑惑』なのか?」
「ああ、あれが精一杯だったな。感謝しろよ?」
ジーンはやけに得意気だ。
「お前、長老達になんて説明したんだ?」
「……リオウは一人で王宮から出てきました。とっつかまえて話を聞こうとしましたが、逃げられました。やつはオレに、『裏切り者』って怒鳴って走っていきました。オレにはさっぱり意味がわかりませんでした。愚図坊は死んじゃったみたいです。あいつら、中でなんかあったんすかね?」
聞き終える頃には、頭が痛くなっていた。
「よくそれで……」
「時間稼ぎにはなるだろ。長老達、混乱してたぜ。……ったく、お前がもっとわかりにくい方法で殺ってくれりゃ、きっちり誤魔化せたのによぉ」
ぐっと言葉に詰まった。愚図坊の死体に手がかりを残したのは、どこをどうとっても僕の落ち度だ。嬉しそうにこちらを見るジーンから、目をそらすしかなかった。
「ま、ばれる頃にはそれどころじゃなくなってるさ。っつーわけだから、近いうちに若に会ってやってくれ」
「わか……若頭?」
「おぅ。若ンとこは、やる気満々だぜ。まあ、ガキばっかだけどな」
若頭――もう四十近いという話だが、長老達の中ではとびぬけて若いから、「若」だの「若頭」だのと呼ばれている男だ。
人をまとめる手腕はそれなりのものだが、長老を任されるには早すぎたというのが僕の印象だ。老獪な長老達に囲まれ、厄介ごとばかり押しつけられているように見える。
人員にしてもそうだ。使い物にならない子供を次々と寄越され、育った中で出来の良いのは余所の長老に引き抜かれていく。ジーンが『ガキばっか』と言うのは、誇張でもなんでもない。
なるほど、若頭なら世代交代を望むかもしれない。
だが、たいした手勢ももたないくせに他の長老達に戦いを挑むというのは……やはり若は若、若輩者でしかないということなのか。
「その世代交代……若頭と爺さんの対決、と考えていいのか?」
「そんな単純じゃねぇけど、ま、近いな」
「ぼく……、おまえのとこの長老は?」
「場合によっちゃ敵だ。まだわかんねぇ」
「で、お前は若頭につく……勝てると思ってるのか?」
「勝たなきゃ面白くねぇじゃん」
「なら爺さんについたほうが面白いんじゃないのか?」
「オレあの爺キライ」
ジーンのそれは、即答だった。
好き嫌いの問題じゃないだろうに……呆れを隠す気にもなれず、大きく息を吐き出した。
だがジーンは愉快そうに口元を歪める。
「お前が発端なんだぜ、リオウ?」
「なんだと?」
「お前が情にほだされてドジったりすっから、爺がつけあがったんじゃねーか。あらぁ潰しとかねーと、先々つまんねーって」
目を見開き絶句した。
この突拍子もない計画の、発端が僕――?
ジーンは喜色満面。あからさまなまでに僕の反応を楽しんでいる。手遅れと知りつつ、好奇の眼差しから顔を背けた。
――確かに、建国祭での僕の失敗は、野心家の長老、爺さんを増長させた。僕らの、否、ジーンの長老を、霞ませるほどに。
そのことでジーンは苛立ち、若頭は決起。この仲間割れは、確実に一族の力を削ぐだろう。勝敗の如何に関わらず。
混乱の火種はもとからあったものだ。だが、そこに火をつけたのは、姫に心奪われた僕の失敗。
ならばこれは、姫の力だ。姫の清らかな光を僕が持ち帰ったために、死神の群れが焼かれようとしている。
――感傷が過ぎるか。
とりあえず、ジーンが僕の裏切りを伏せようとする動機はわかった。
だがまだ気を許すわけにはいかない。まだ大切なことを確かめていない。
「……で、僕らの利害は、一致しているんだな?」
「お前はお姫さん達を守りたい。オレらは爺どもを始末してえ。一致してるさ。今にわかる」
「その説明では納得できない。……暗殺の依頼人は誰だ?」
「それ教えちまったらお前、じっとしてねーだろ。せっかく今おもしれーとこなんだから、もう少し待てよ」
待てないから聞いている――目を細めて、軽口で済ませようとするジーンを見据えた。
「……若頭と爺さん。どう見ても、お前達の方が不利だ。世代交代とやらに、僕も巻き込みたいんだろう?」
林で戦ったとき、ジーンは剣の駆け引きを楽しんではいたが、積極的に攻めてはこなかった。決定的な瞬間には自ら武器を捨て、僕に傷を負わせまいとした。――僕に利用価値があるからだ。
「……なら、もう少し話してくれてもいいんじゃないか?」
ジーンは緊張感のない唸り声を漏らし、手近な小枝をむしり取った。
折れそうなほどしならせたり、軽く振ったり――それは苛立ちの表れなのか、僕に対する軽い脅しなのか――後者なら、引き下がる気などない。
やがてジーンは小枝を投げ捨てた。
「……依頼人にも、世代交代ってあった方がいいと思わねぇ?」
否定も肯定も、しようとは思わなかった。あえて答えるなら、どうでも良い。依頼人は、世代交代など促さなくても、憎悪のある場所にいくらでも転がっているものだから。
だがジーンも、僕の返答を期待していたわけではなかったようだ。さほど間をおくことなく言を継ぐ。
「オレらが迎えようとしている新しい依頼人は、王族暗殺に積極的じゃねーのよ。むしろやめさせようと必死だ」
おもしれーくらいにな、と呟いて歪む口元。双眸に浮かぶのは、禍々しい光。一瞬だが、僕の背筋は凍りついた。
ジーンがこういう表情を見せるのは、かなり質の悪い悪戯を計画している、もしくは実行しているときだ。新しい依頼人という話が本当なら、その人物を玩具にしているとみて間違いない。
「そうそう、若が、お前を匿ってもいいってさ」
強引な話題転換だった。僕はまだ納得していないぞ――いっそう強く、ジーンをにらみつける。これ以上もったいぶるなら、お前の思い通りには動いてやらない。場当たり的な計画ごと、一族すべてを滅ぼしてやる――。
沈黙の意思表示は、ジーンに対しては、あまり有効な手段ではない。
「……ああそっか、リオウはお姫さんのそばにいたいもんなぁ。それじゃあ仕方ねーな」
案の定、ジーンは勘違いを装う。
「ンな怖い顔すんなって。安心しろ、若にはうまく言っといてやる。お前は『爺の力を削ぐために愚図坊を始末した』――お姫さんのことは内緒にしてやるよ」
「ジーン」
「じゃっ、オレはいったんこれで。また来てやるよ」
言うや否や、ジーンはさっさと姿を消す。あの日痛めた利き腕は、ずいぶん回復したようだ。まだ四日しか経っていないというのに。
「くそっ……」
未だ痛む脇腹に、舌を打つ――こっちも早くなんとかしなくては。
課題は山積みだった。