「よぉ。お姫さん、倒れちまったんだって?」
日没が迫り、闇が深まる林の中。
ようやく姿を現したジーンの開口一番がそれだった。
なぜ、もう知っている――立ちあがれば脇腹に激痛が走ったが、不信感とひっくるめて眼光に変え、ジーンを睨め付ける。
もちろん、こいつがそんな程度で動じたりするはずもなく、
「だからさっさと会ってやりゃあ良かったのに」
忌々しい軽口が続いただけだった。
初手で相手の神経を逆なでするというのは、こいつなりの挨拶だ。深い呼吸、二つ分の沈黙で苛立ちを収め、目線をわずかに逸らしてやる。
ジーンは小声の会話が成り立つぎりぎりの位置まで近づいてきて木にもたれかかり、両腕両足を組んだ。今の僕らにちょうど良い距離――その感覚だけは、どうやら共通しているらしい。
しかしこいつ……わざとか?
ジーンに掴み所を求めても疲れるだけだとわかっているのに、気づけば僕は、こいつの真意を推量しにかかっている。
ずいぶん事情に通じているようだ。そしてそれを隠そうともしていない。
姫が高熱で倒れて、まだ一日と経っていない。
週末ということもあって、今、王宮内でこの事実を知っているのは、姫のごく周辺の者達に限られている。ジーンはいったいどこでこの話を嗅ぎつけてきたのだろう。――新旧依頼人の正体ごと、いずれ暴いてやる。
「……なにしに来たんだ?」
「おいおい、なに怒ってんだよ。あ、そーか。オレがあんまり構ってやんなかったから拗ねてんだな?」
「用件を言え」
無駄口につきあうつもりはない――言外にそう告げれば、ジーンはぼやきはじめる。
姫の容態を確かめに行きたい僕にとっては時間の浪費だが、こいつの口を滑らかにするため、多少はつきあわなくてはならない。結局、脇腹の痛むような言葉を二つ三つ浴びせられた。――ずいぶんましな方だ。
「いい話と悪い話、どっち先に聞きたい?」
「悪い話」
「やっぱり?」
ジーンは苦笑いを浮かべた。腕を解き、自分の首に人差し指を突きたてる。
「愚図坊の、コレ、な。爺達にばれた」
首に針――愚図坊の死に様が伝わったと言いたいのだろう。別に驚くことではない。
「要するに、僕はもう『裏切り者』なんだな?」
「いや、そっちはまだ微妙。っつーか問題はそこじゃねーんだ」
つかのま、目をしばたいた。
ジーンは腕を組み直し、珍しく静かな溜息をつく。
「爺がな、王宮に曲者入りこませてるらしい」
「曲者?」
「ああ。夕べ急に言いだしやがった。愚図坊の話はそいつから聞いたんだとさ。王宮ン中の噂が外に漏れたんじゃねぇ。ここに爺と繋がってるヤツがいるんだ」
不覚にも奥歯を鳴らしてしまった。
一族の何者かが、すでに王宮内に――もし本当なら、眩暈のするような『悪い話』だ。
「……邪魔だな」
思うより先に言葉が出ていた。
邪魔なんてものではない、すぐにでも排除したい、だが――脇腹に当てかけた手を、ジーンの手前、握りしめて誤魔化す。
「どういうやつなんだ、その曲者っていうのは?」
「それが、男だってこと以外、ほとんどわかんねぇ。もともとは、どこぞの『楽士様』を手伝うためにぶちこまれたらしいけど……」
「つまり、ずいぶん前から潜伏していた、と?」
事実ならそいつは、長くて三年、ここで僕の様子を窺っていたことになる。
「そんな話は聞いていない。そんなやつ、気配もなかった」
「手伝いってのは、爺の方便かもしれねーな。勝手に間者入りこませてたなんて、でっけー声で言えねーだろ。王族暗殺はお前の仕事、つなぎはオレがとる、そういう話だったんだ。手伝いなんて、言い訳にもなりゃしねぇ」
「他の長老達の反応は?」
「今の爺に表だって逆らおうなんてヤツいねーよ」
「そうか……」
一族内部の不穏な空気は明るい材料だ。しかし――。
王宮内に曲者――使用人や兵士だけでも結構な数だ。割り出すのは容易ではない。
単なる間者ならまだいい。もしそいつ自身が双子の暗殺に乗り出したら……。
「……見つけたら始末していいんだな?」
「あー……しゃーねーだろーな」
「どうした? 爺さんの一派は全員潰していいんだろう?」
「そーだけどよぉ、なんか若が、そいつに心当たりがあるっつってんだ。もしかすっとこっちに引き込めるかもしれねえ」
「だったらさっさと若頭に確かめてくれ。……僕は待たない」
「そー言うだろうと思ったよ。待てないときは、しょーがねえ。でも……まぁそう焦んなって。指示もなしにいきなりお姫さんに手ぇだしたりはしねーだろ。今までだってなんの音沙汰もなかったんだしよぉ」
「誰が、焦ってるって?」
姫を案じる気持ちは、今さらジーンに隠しても無駄だろう。明け透けにしてやる義理もないが。
「連絡係が誰だかもわからないんだろう? 指示がいつ出るか、こっちは知りようがないじゃないか。……もう出てるかもしれない」
「そりゃまあ……」
「今の僕は一族に戻れないし、世代交代とやらの事情を把握してもいない。ここで鉢合わせた相手は全員敵だ、『曲者』に限らず。お前ならそれくらいわかってると思ってたよ」
「あぁいや、わかってる。若にはガキどもを王宮に近づけないように言ってあるし……あとは爺が妙な指示出さねぇことを祈るしかねーな」
大袈裟なまでの溜息――演技ではなさそうだ。
悩むジーンというのは珍しい。自らの命に関わるような事態が成り行き任せになっても、呑気に高みの見物を決めこむようなやつなのに。複数の思惑で板挟みになっているようにも見える。
曲者の話は、僕を王宮に留め置くための狂言という線も考えたが……本当であると想定して行動した方が良さそうだ。作り話であってほしかった。
「じゃ次、良い話な」
「手短に頼むよ」
「いや、こりゃホントに良い話だから聞けって。リオウ、お前、今でも菓子とか作ってんの? ……ああ、無理に決まってンな。ま、そら別にいーんだ。パン屋の隠居爺がオレ達の側につく」
「ふーん」
こんなときでなければ、僕はもう少し喜びを露わにしていたかもしれない。今はただ、心痛の種が増えなかったことに安堵するだけだ。
「なんだよ。もっと喜ぶかと思ったのに、つまんねーな」
不満を口にしながらも、ジーンの薄ら笑いは揺るがない。僕がどんな顔をしても同じだっただろう。
「お前まさか、あんな役にたたねぇ隠居爺まで殺る気だったのか?」
答える必要などない。沈黙で十分だ。
「おいおい。御隠居が聞いたら泣くぜ? お前のこと、あんだけかわいがってたじゃねーの」
情にほだされればほだされたで文句を言うくせに――。
「あの人は今でも十分動けるよ。敵にまわさずに済んで良かったじゃないか」
「そりゃまたずいぶんと型にはまったお言葉で」
ジーンはやれやれと首を振り、
「御隠居まで、ねぇ。……そこまでやる気満々で、どーして……」
聞こえよがしとも受け取れる呟きをこぼす。
「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?」
「いーや、遠慮しとく」
それはありがたい。どうせ聞いて楽しい内容ではない。
「……で、世代交代はどうなってるんだ? 順調なのか?」
「まーな」
「僕はいつまで隠れていればいい?」
「なんだ、お姫さん倒れちまって、もう退屈してんのか?」
「……逆だ。曲者の件もあるし、退屈している暇はないよ。だからこそ知っておきたい、お前達がいつ動く気なのか」
「なるほどねえ……どうすっかな……。オレはこのあと若ンとこ行くけど、来るか?」
「今から……近いのか?」
「行って帰ってくるっつーと一日がかりかねぇ……若もいろいろお前と話したそうだし」
一日がかり、今から――歓迎できる展開ではない。
「若頭は曲者の件に心当たりがあるんだったな」
「ああ。オレはその話をしに行くんだ」
「なら聞いておいてくれ。僕はこっちで確かめたいことがある」
確かめたいのは姫の容態。行きたくない理由は己の体調――こうしている今も、肋のあたりが痛み続けている。途中でジーンの足について行けなくなるかもしれない。不測の事態に対応しきる自信もない。
「あ、やっぱお姫さんが心配か。そりゃそーだ」
ジーンは勝手に納得する。不本意だが反論するわけにはいかない。
「行けなくて残念だよ。若頭によろしく伝えてくれ。それと曲者の話、早めに知らせてほしい」
「わーった。そうだリオウ、これやるよ」
姿勢を立てなおしたジーンが、拳大の包みを放ってよこした。
麻袋。中身はおそらく陶器だ。微かに、馴染みのある匂いがする。まさか――。
「もうオレ、治っちまったし」
苦々しい思いで顔を上げれば、ジーンは利き手をくるくる回している。無駄に滑らかな動きだ。
こいつ、気づいていたのか――返す言葉は、すぐには出てこなかった。