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Golden Ears of Barley

〜4〜

『ぜんぜん見てくれていない』――そうだったかしら。
『うわのそら』――そうだったかもしれない。
『このところ』――あの視察から戻って以来、ずっと。

人気がないことを確かめながら歩を進め、カインの部屋の前に立つ。
握った手を胸元まで引きあげ、閉ざされた扉を見据える。
ここまでの動作は、夜明け前から、何度か繰りかえしている。
この先のことが、まだできていない。……大きく息を吐いた。
もう明るい時間。
カインが寝ているかもしれない、などという言い訳には無理がある。
金曜日の朝。
今日のカインには授業の予定が、私には付き添いの役目がある。
ぎゅっと拳に力をこめ……、思考を一掃するかのごとく躊躇いを振り切って、コンコンと扉を叩いた。
大きな音が鳴り響いたような気がして、心臓が跳ねあがる。
反面、室内に聞こえるような叩き方だったか、自信がもてない。
少し待ってみたけれど、応じてもらえる様子もない。
叩きなおしてみようかと迷い、結局、拳をおろした。
浅い呼吸をひとつ。深い呼吸をもうひとつ。お腹にぐっと力をこめる。
「カイン、私よ。……話したいことが」
「姫様?」
声は部屋の中ではなく、外から聞こえた。
びくりとして振り向けば、いつのまにかすぐそこに、エミリオが立っていた。
「ぁ……」
気まずいときこそ堂々と――すぐに背筋を正し、笑顔をつくった。
けれどエミリオは戸惑いの表情を浮かべたまま。
「……どうしたの?」
「……はい、あの、……カイン様は先ほど、本日のご予定通り、ロデル様のお宅へお出かけになられました」
「……、……そう」
「……姫様はお休みされると伺いまして、私、今、姫様のお部屋に……」
言われたことの意味が、すぐには理解できなかった。
おそらく、最後まで言わずに俯いてしまったエミリオの方が、私より正確に事態を把握していた。

寝台に腰をおろして、ぼんやりと窓辺を眺める。
青空を彩るのは、柔らかくて希望に満ちた朝の光。
同じものが私の足元近くにも届いているけれど、触れたら焼かれてしまいそうで、逃げるように足を引きよせ、服の裾を押さえた。
今日の予定は社交。カインは私を置いてロデルのところへ行ってしまった。
私は夕べから何度か、自室とカインの部屋の間を往き来していたけれど、それでもすれ違ってしまったらしい。
伴はつけていったそうだから、きっと大丈夫だけど……今からでも、私も行くべきかしら――すぐに首を振った。
夕べのような会話を、ロデルの家に持ちこんではいけない。話しあうのは、カインが戻ってから。
話し合えるのかしら……? ――天蓋を支える柱にもたれ、溜息をついた。
授業の朝、置いていかれてしまうなんて、初めてのことだった。ここ数日の、そして夕べの私の言動は、それほどにカインを傷つけた。
開いた両手に額を埋めた。目蓋を閉じれば眼前に、夕べの闇が広がる。カインの悲痛な声が蘇る。
泣きたくなる。でも涙はまったく出てこない。
泣いている場合ではないし、泣く資格もないのだと、身体はちゃんと理解しているらしい。
「……『変わり果てた』だなんて……」
堪えきれず呻き声を漏らす。
同時に扉を叩く音がして、はっと口をつぐんだ。
「姫様、失礼します。お茶のご用意をさせていただきますね」
お茶……? ――開かれる扉へと振り返るけれど、なぜお茶が運ばれてくるのかわからない。
てきぱきと用意してくれるエミリオを呆然と眺め……遅れて思い出した。
つい先刻、エミリオが勧めてくれて、私はいただくと答えたのだ。生返事に近いものだったような気がする。
「ありがとう」
後ろ暗く思いながら、窓辺に置かれた小さな卓へと進み、長椅子に腰掛けた。
陽の光は強すぎて目が痛むけれど、紅茶とお菓子の香りは甘く優しく、緊張を和らげてくれる。
ほっと息をついたら、不意に頬が震えた。
すぐに気を引き締めなおして顔を上げる。
こっそりエミリオの様子を確かめれば、さりげなく視線を逸らしていくところで……顔を歪めた瞬間を、おそらくしっかりと見られてしまった。
失態だわ――胸中で呟きながら、円卓の木理に目を落とした。
カインと私が気まずい状態にあることを、エミリオが察しているのは間違いない。時折、心配そうにこちらを窺い、もの言いたげな表情をしている。
けれど決してこちらの事情に触れてこようとはしない。かわりに、急用のない来客を上手に断ってくれたり、こんなふうにお茶を用意してくれたり、とにかく気を遣ってくれる。
カインと私の間に立たされて、不安に思うこともあるはずなのに……。
今朝、カインはエミリオに、「今日は一人で行くことになった」と告げたらしい。
その後、二人の間にどのようなやりとりがあったのかは、あえて聞いていない。
エミリオは明らかに、私に知らせないままカインを行かせたことを気に病んでいるし、私はカインがなぜ一人で行ってしまったのか知っている。心優しいエミリオを、これ以上、困らせたくはない。
……それでも、聞かずにはいられなかった。
「ねえ、エミリオ。出かけるとき、カインはどんな顔をしていたかしら?」
笑顔で、さらりと。世間話をするかのように。
「いつも通り、だったかしら?」
肯定の返事が欲しいだけなのだと知りながら。
「はい。ロデル様とお会いになることを、楽しみにしていらっしゃるご様子でした」
「そう、良かったわ。……ありがとう」
事実であってくれれば良いし、事実と異なっていたとしても、エミリオは私が最も欲しかった答えをくれただけ。
心の中で、感謝の言葉を繰りかえした。


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捏造の旋律

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