外の空気を吸って気持ちを整理したい――それ以外の目的はなかったから、人目を避けて歩いているうちに、墓所に来ていた。
お父様達が眠る場所。
またお花を持ってこなかったわ――この前、萎れはじめていた花は、片付けられたあとだった。
カインと仲違いをしてから、初めて訪れた墓前。
あれからまだ、和解できていません……――跪いてから苦い報告をして、静かに溜息をついた。
今日と明日でカインと話しあうことができなければ、水曜日、ジークが仲裁に入ってくれることになっている。
それでなおこの状態が続くなら、私より補佐にふさわしい人を探さなくてはならないのかもしれない。
仲直りできなかったらどうしよう……――沸き起こる不安は、すぐに押し戻した。弱気になっていてはいけない。カインを失いたくないなら、失わないためにできることをしなくては……。
なんとはなしに、自分の手のひらに目を落とした。
と、脈絡もなく、記憶の断片らしきものが脳裏に浮かびあがってきた。
良く晴れた空。遠くに連なる山々。木々に囲まれた場所。白く眩い水面――水辺の記憶。
そこで私は、なにかを掴もうとして、途中でやめてしまった。……そんなことがあったような気がする。
いつのことだったかしら……割と最近だったように思うけど……。なにを掴もうとしていたのかしら……。――とても気になるけれど、記憶をたぐりよせようとすると胸の奥がざわめく。ざわめきが、忘れたままでいるべきだという、得体の知れない確信へと変わっていく。脳裏に描かれた景色が色褪せていく。
……きっとすぐに思い出す必要はない。思い出せないのは悔しいし、気にもなるけれど、今はカインの方が大切。
開いたままの手をぎゅっと握りしめ、水辺の風景を頭の中から追い出した。
この手で触れて、掴んで、引き止める――それくらい積極的にならなくては、カインに話を聞いてもらえはしない。……わかっていてもできないまま、三日が過ぎてしまった。
『なぜ僕を見てくれないんだ』――あの問いを投げかけられたら、きっとまた私は言葉を失ってしまう……それが怖かったから。
『姉上も、昔の僕を見ていたんだ』――カインはそう思ったようだけど、試験農場の視察以来、私が目を奪われていたのは、去っていった宮廷楽士の幻――記憶の中から引き出してきた、自分に都合の良い面影だった。そんなもののためにカインから目を離してしまったなんて、お粗末過ぎる。
カインが知ったらどう思うだろう。建国祭での一件に、ずいぶん悩まされていたのに。
言えない。あなたの命を奪おうとした人に、心乱され、うわのそらになっていましたなんて、カインには絶対に言えない……。――頭を抱え、目蓋を固く閉じた。
この場所で闇に浸ると、カインを傷つけてしまった夜を鮮明に思い出す。
あの時のような虫の大合唱が、聞こえてくる気さえする。それは、嘘つきと責めたてる声の集まり。
私は嘘と隠し事を重ねてきた。
対外的には、今のカインが昔と変わらず、王家の正当な血を引く第一王子であると偽って。
当のカインに対しては、ジークに造られたという事実を隠して、記憶はいつかきっと戻るなどと虚言ばかり紡いで。
毎日を嘘で塗り固めながら過ごしてきた。
……だから、今さらではないの――不意にどこからともなく、そんな言葉が浮かんできて、目を見開いた。
顔を上げてみれば、風に揺れる枝葉の影が、墓標の上をやわらかく撫でていた。
その光景は、私の中の迷いを暴きたてているようにも、決断を急きたてているようにも見えた。
「……今さら……」
今しがた浮かんだ言葉を口にしてみる。
嘘で塗り固められた日々。私がカインに不実でなかった日など、一日もない。
ならば、今さら嘘や隠し事がひとつふたつ増えたって……。
でももうそんなことは嫌――訴える声が、耳の内側で弾ける。頭を振って追い払った。
嫌では済まされない。
建国祭前夜の一件を、もう二ヶ月が経とうとしているのに、誰にも言えずにいる。隠し続けている。
次期国王候補の補佐として、あるまじき背信だと思いながらも、彼の――リオウの存在を、ずっと引きずっている。
そしてとうとう、似た人を見たというだけで動揺して、大事な兆候を見落とし、安易な発言でカインを傷つけてしまった。
こんな状況で、嘘をつきたくない、隠し事を増やしたくないなどと言ってはいられない。この先もカインをそばで支えていきたいのなら、やるべきこと、できることは限られている。
一年前、私は、お父様の遺志に賛同して、造られたカインを目覚めさせると決めた。
その後の半年間は、それで良かったのかと何度も疑問に思い、悩んだ。
年始に今のカインと初めて言葉を交わしたときは、感情表現の乏しさに驚かされた。実の弟とは別人だと思い知らされ、打ちのめされた。
けれど、こちらの都合で目覚めさせたカインを、裏切って逃げだすことはできなかった。
冬のある日、この世を去ったカインが夢の中で、『もう一人の僕』が約束を果たすと言ってくれた。それで気が楽になった。
同じ頃、カインの方から話しかけてくれることが増えてきた。
やがて、造られたカインは、一緒に産まれた半身の魂を受け継いだ、大切な存在なのだと思えるようになった。
振り返ってみれば、今のカインを守り、立て、国王にするための覚悟は、あとからついてきた。
嘘で塗り固められた日々の中、カインは着実に、この国を統べるための知識と技を身につけてきた。
困惑させられることは何度もあったけれど、楽しいこともたくさんあった。
お父様の遺志を継いでこの国を守るために必要な日々……そしてなにより、私個人にとって大切な日々。
失いたくないなら、続けていきたいなら、最後まで嘘をつきとおすしかない。それ以外の選択肢など、もともとありはしない。
リオウに対するこだわりは、まだ断ち切れそうにないけれど、いずれ必ず整理する。
今はとにかく、嘘を重ねてでもカインの誤解を解かなくてはいけない。
私がうわのそらになっていたのは、昔のカインを懐かしんでいたからではないと。他の誰かに目を奪われていたわけでもないと。少し身体の調子が悪くて、ぼんやりしがちだったのだと。嘘もひっくるめて、信じてもらわなくてはならない。
それから謝って、これからもそばにいさせてほしいと頼む。今度は、許してもらえるまで引き下がれない――引き下がらない。
深い呼吸をひとつ。
決意を噛みしめながら、ゆっくりと立ちあがった。
何度も縋る思いで見つめた墓標に、小さく黙礼した。
ここへ来たときとはうってかわって、穏やかな気持ちになっていた。
嘘をつくことを肯定する気になったわけではないけれど、嫌だとだだをこねる気も失せていた。
造られたカインを守り、立て、国王にするための嘘と、リオウへのこだわりが生んだ隠し事。どちらも覆せないから、せめてどちらも零さないようにしっかり抱えているしかない。――ようやく納得することができた。
落ちついたら、大切なことを思いだした。
ジークはお父様の指示でカインを造った――お父様が私にカインを遺してくれた。
一年前に後ろ盾を失った私の立場は、今や、次期国王として申し分ないまでに成長したカインに守られている。そのことへの感謝も忘れてはいけなかった。
お父様……――目を閉じて頭を垂れた。
お父様……、迷ってばかりでごめんなさい。
私、もっとしっかりカインに謝ります。
また、とりあってもらえないかもしれません。その時は、しがみついてでも引き止めます。
嘘を重ねます。必要な嘘をつくことに、もうためらいは……。
後ろの方から、木の葉が荒々しく擦れる音が聞こえてきて、目を開いた。
まさかと思いながら振り返れば、少し離れた木立の向こうに、純白の外衣が消えていこうとしていた。
「……カイン!」
まだお昼をまわっていないはずなのに、どうしてこんな時間に、こんなところに……?
疑問に思うことはあったけれど、とにかく急いで服の裾を持ちあげ、あとを追った。