Cup And Taste
出先で携帯がなった。
席をはずして電話に出ると、ルフィからだった。
「今日帰るの何時になる?」
そんなに遅くはならないが、いつもより少し遅くなる、とおれはいった。
「じゃあ、仕事終わったら、寄り道しねェでまっすぐかえって来いよ?」
なんだか歯切れの悪い言い方に、おれはどうした?何かあったのか?とたずねる。
そしたら、携帯の向こうで、小さな声で、
「・・・・メシ、食ってくんなよ?」
それだけが聞こえて、電話は切れた。
・・・メシ・・・?
想像を働かせて、そして小さな期待を胸に、おれはさっさと仕事を終わらせようと決心する。
家の前までくると、味噌汁のいいにおいがした。
こうして家に帰ると、暖かい部屋で、食事ができてて、そして愛しいあいつが猫と一緒に出迎えてくれて・・・。
そんな幸せな日々が頭をよぎる。
・・・うかれすぎか?
と、想像を断ち切って、おれはドアをあけた。
「・・・ただいま」
静かにいってリビングに向かう。
しかし、そこにルフィはいなかった。
「おかえり・・・ゾロ」
沈んだ声が聞こえてきたのはキッチンから。
「どうした?」
なんだか様子がおかしい。
そういえば、いつもは出迎えてくれる猫の『ユキ』が顔を見せていない。
キッチンをのぞくと、そこは・・・筆舌につくしがたい・・・
あえていうなら・・・・大根の味噌汁の池ができていた。
「こぼした・・・」
落ち込んだ様子でルフィがそうもらす。
その腕にはユキが抱かれている。
「大丈夫か?」
おれはルフィとユキの両方にむかって聞いた。
ユキは震えていて、熱い味噌汁でもかぶったのかと心配したが、そうではないようで、おれが手をのばすといつものように肩に飛び乗ってきた。
そこで気がつく。
「ルフィ!お前その手!」
ユキを渡したルフィの両手は真っ赤になっていた。
すぐにおれはユキをおろしてルフィの腕をつかむと、蛇口をひねって水にさらした。
『・・・っつ!』ともれる声が痛々しい。
「大丈夫か?」
心配で、思わず聞いてしまう。
平気なはずがない。
いったいいつこんなことになってたのだろう。
これなら早く仕事をきりあげて帰ってくればよかった。
じりじりと、おれが後悔してると、ルフィが口を開いた。
「・・・ごめん、ゾロ。メシつくって待ってようと思ったんだけど・・・」
涙こそながさないが、相当痛いのはまちがいない。
「別にかまわねェよ。それより・・・痛いだろ?」
冷たい水にさらしてはいても、そんなにすぐには赤みはひかない。
なんとかしてやりたくて、おれは精一杯の優しい声でこたえた。
「・・・おれが悪いんだ。」
おとなしく、されるがままのルフィは、ゆっくりとなにがあったか話し出した。
「味噌汁を作ってたんだ。ゾロのすきな大根のやつ。そんときユキのメシも用意しねぇと、っておもって猫缶をとりにいったんだ」
食卓の上に視線を走らせるとユキの猫缶が、そのほかの食材と一緒に並んでいた。
「それがな・・・おれ、なべを火にかけたままだったんだ」
「・・・んとに。・・・それで?」
想像がついたが、先をうながす。
「ユキがキッチンで鳴いてて、なにかな、ってみたら、なべが吹き零れてて、慌てて火を止めようとしたら、なんかつまずいて・・・」
「それでこのありさまってわけか・・・」
おれの言葉にルフィはうなずいた。
もしこいつにユキのような耳と尻尾があったなら、それはもう見事なくらいに下をむいていることだろう。
おれは白い猫を見た。
ちいさなそいつはこっちをみてて、なんだかルフィの心配をしているようにみえた。
・・・だからおれが帰ってきたときも、ルフィの側を離れなかったのだろう。
「ユキはかかんなかったはずだ」
おれがユキのほうをみた理由を勘違いしたのか、ルフィがそんなことをいってくる。
「それでお前がかかってりゃ世話ねェよ」
「でも、ユキが味噌汁かぶったら死んじまうよ」
さっきだってびっくりしてて、怯えてたんだ、とルフィ。
それですぐに手を冷やすことなく、抱いていたらしいのだが、
「今はユキよりお前のほうが大変だろ」
ほんとに、こいつは。
もっと自分のことも考えて欲しいと思う。
もしこれで、ルフィがもっとひどいやけどを負っていたら、おれのほうがショック死してしまう。
こっそりとそんなことを考える。
だいたいこのくらいか。
すこし赤みが引いたので、おれは水をとめた。
「うし、ルフィ、病院行くぞ」
「でも、もう九時過ぎてるぞ?大丈夫だ、おれは」
いつもの調子で言ってくるルフィに指を突きつけて、
「だめだ。すぐに応急処置したならまだいいが、このままほっといて傷あとが残ったらどうする?」
当然責任はとるが、愛しいコイビトに傷あとなんて残して欲しくない。
おれの剣幕におされたのか、ルフィはおとなしくしたがった。
「でも、病院、あいてるか?」
ためらいがちに言ってくるルフィに、おれは少しいやな顔をみせる。
「・・・あの女なら時間外でもやってくれるだろ・・・」
ルフィの手当てをしてもらって、この家に戻ってきたのはすでに十時をまわっていた。
「ただいま、ユキ」
にこにこといつもの笑顔に戻ったルフィが、ユキをなでまわした。
その両手にはきちんと包帯が巻かれている。
「こらルフィ。手はつかうなってナミにいわれただろうが」
おれはルフィの頭を小突いた。
「あ、そうか」
ルフィはあわててユキから手を離した。
ナミってのはちょっとした知り合いの医者で。
・・・はっきりいって、腕はいいが性格は悪い・・・。
今日もほんとはいきたくなかったが、時間外でやってくれる病院を探すくらいなら、とあいつのところにいったのだが・・・。
・・・まぁ、さんざんなことを言われた・・・。
あんまし思い出したくなくて、気をまぎらわせるために片付けをしようとキッチンにむかった。
そういえば・・・・
「なあ、ルフィ。腹減ったな?」
ソファに座るルフィに向かって声をかける。
「ああ!減ったな〜!メシは炊けてるはずだ!」
元気な返事が返ってきた。
よかった。
おもったより元気そうだ。
やけどもそんなにたいしたことなかったみてェだし。
それでもしばらく大事にしねェといけないが。
炊飯器をあける。
ルフィの言う通り、メシは炊けている。
この時間でなければ、なにかちゃんとしたものを作ってやれるのだが・・・
「・・・お茶漬けにするか?」
「おお、そうしよ!」
お湯を沸かす間に、さっさと味噌汁を片付けて、手早く遅い晩飯の仕度をする。
「できたぞ」
ぱたぱたとルフィがキッチンに入ってきた。
「うまそーー!」
湯気をたてるお茶漬けに幸せそうな笑顔を見せるルフィ。
まぁ、今日はルフィのつくるメシを食い損なったが、コイツと食うならなんでもいいか。
「あ!」
きこきこと猫缶をあけていると、いきなりルフィが声をあげた。
「どうした?」
おれがきくとルフィは情けない顔をこちらにみせて、
「おれ・・・食えねェ・・・」
がっかりとして、さしだすのは両手。
その様子があんまりにも可愛いから、逆におれは笑ってしまった。
「なんだよ!わらいごとじゃねェぞ!!」
むきになっていってくるルフィの頭をかるくなでてやる。
「わかってる。ほら、リビングいくぞ」
ルフィの手が、はしやれんげをもてないことなんて十分承知だ。
おれはお茶漬けとユキのメシをお盆に載せて、リビングのテーブルに運んだ。
ソファの上にまるで兄弟のように二匹が座っている。
それぞれの前にメシを置いて、おれはルフィの隣に座った。
ユキはいつものように食事をはじめたが、もう一人は困ったようにおれのほうを見る。
おれは軽く笑ってルフィの食事を手にとった。
「・・・ちゃんと食わせてやるよ」
「・・・・しししし」
照れたように笑いをみせて、こいつは丁寧に『いただきます』といった。
「ほら口開けろ」
「・・・『あーん』っていってくれねェの?」
「・・・はっ?!」
「なあなあっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・くわせねェぞ?」
「あっ!ごめんっ!冗談!!食いてェ!!」
ルフィの口にメシを運ぶ。
なんだか雛を育てる親鳥にでもなった気分だった。
食事の後で。
「なぁ、ゾロ。『ふーふー』はしてくれなかったな」
ユキをひざにのせてルフィはそんなことをいいだした。
おれは飲んでいた紅茶を吹きだしそうになる。
・・・・あぁ?
こいつのいう『ふーふー』とは、熱いものを冷ますときにやるアレのことだろう。
さっきの『あーん』といい、これといい・・・・
「・・・ナミのやつか?」
おれは内心の焦りをかくして、静かにそういった。
「ああ。ナミが『あんたはけが人なんだから、思う存分あいつに甘やかしてもらいなさい』って」
・・・・あんの女・・・・・
だいたいおれには「『ふーふー』は雑菌がかかるからするんじゃないわよ」とかっていってたくせに、ルフィにそういったってことは・・・。
・・・・よほどルフィをつかっておれをからかいたいとみえる・・・。
そして思惑通り、いちいちあせらされてしまう自分がなんだか無性に悲しくて・・・。
黙ってしまったおれにすりよってくるルフィ。
「でも、ごめんな?迷惑かけて」
・・・・なんか最近、こいつ猫らしさに磨きがかかってないか・・・?
ひどく可愛い仕草がおれの理性をぐらつかせる。
「・・・いいよ。思う存分甘やかしてやるから」
気がつけばそんなことを口走っていた。
「じゃあ、ゾロ。おれも紅茶のみたい」
「ほら」
「・・・そうじゃなくて」
カップを近づけると首を振られた。
・・・いったいおれにどうしろと?
「カップからじゃなくて」
ルフィの言葉がおれを射抜く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・おいおい・・・。
「しししし。『甘やかしてやる』っていったじゃねェか」
そういう問題か・・・?
「なぁ、ゾロ・・・?」
袖をひっぱり、早く、とせがむ。
「・・・・ったく、お前は・・・・」
照れ隠しにそうつぶやいて、おれは紅茶を含みルフィに口付けた。